118話 箱入り娘
七月一日、木曜日。天照台高校の一年壱クラス。
朝八時三十分に、担任の先生からの伝達事項があった。
先生から直接伝達が行われるのは、入学式当日のオリエンテーション以来となる二度目だった。
「みなさん、おはようございます」
「おはようございます!」
「元気があってよろしい。さて、なぜこのような時間が設けられたか。みなさんはすでに察していることでしょう。
座席に一つ、空席ができたこの状況ですからね。初めて経験するみなさんの心情は穏やかではないはずです。
ですが、これは周知しているとおり。数少ない我が校のルールだということはわかってもらいたい。
ですが、一つだけ言い分を。
我々は、このような手段でみなさんの『緊張感』を形成、あるいは維持させようなどという考えは持ちません。
新たな気持ちで、ですが初心を忘れること無く、勉学に励んでもらいたい。そう思っているのです」
先生の話を聞きながら、黒木裁は二週間ほど前のことを思い浮かべていた。
六月一日に実施された全国模試の結果を、個人端末が受信した日のことだった。
結果は、生徒個人の各科目の点数、合計点数、そして順位のみ知ることができた。
順位は全国でのそれのみで、クラス内はおろか、学年での順位を知らされることも無かった。
クラスで最下位となった生徒は、他校への転出が決まるというルール。
当然だが、そんな中で気軽にその順位を話せる雰囲気では無かった。
ちなみに、裁は全国で八位だった。
これまで受けた試験の中で最も低い順位を記録し、少なからずショックを受けていたのだった。
だが、それでも『勉強会』の成果が出たのだろう。裁は前向きにそう考えていた。
なぜなら、自分以外の、友達の成績が上がっていたのだ。
その中で、すごいを通り越して恐ろしかったのが、勉強会で本気を出した雛賀天照奈だった。
勉強会以降はいつもどおりの勉強スタイルに戻ったにも関わらず、たった一日の本気が、彼女を全国二位という猛者に変えたのだった。
続いて、相良武勇が六位、不動堂瞬矢が七位。清水野太一が十一位で、東條紫乃は十五位だった。
紫乃は、友達の中では最下位だったのだが、それでも全国模試での自身最高順位だった三十位から大幅に順位を上げ、
「次は一位ですね」
と息巻いていたのだった。
そしてその日。
紫乃から、姉の紫音が全国第四位だったこと。そして、天照台高校への転入が決まったことが知らされたのだった。
喜ばしいニュースである反面、紫音の代わりに一人が転出してしまうという事実。
それがいつか、自分になる可能性があると考えると、さらに勉強に励まなくては。そんな焦りにも似た気持ちを覚えた裁なのであった。
裁が属する壱クラスから転出した生徒。
自分の左側の空席を見た裁。その生徒は、名簿順で七番目、裁のひとつ前の生徒だった。
普段の会話はほとんど無く、挨拶をする程度だったが、身近にいたクラスメイトが去ったことに、さらに焦りを覚えてしまった裁だった。
「転入生を紹介する前に。みなさん、疑問に思っていることがあるはずです」
そうですね、名簿順は変わるのでしょうか?変わるとなると、席順も変わりますよね?
なぜか心の声と会話ができる先生に、裁は質問をぶつけた。
「そう、名簿順のことです。五十音順に並べられたこの順番。そしてこの順番で、席順も決められています。
そして、わたしはオリエンテーションで説明しました。席の移動は前後、そして教室間の移動のみである、と」
と言うことは、転入生は転出した生徒の名簿順に収まる、ということですね?
「そのとおり。一人だけ、五十音順とは異なる並びになってしまいます。転入者本人、そして名簿順で前後の生徒など、違和感を感じてしまう生徒もいることでしょう。
ただ、そこは了承願いたい。その違和感が、このクラスに一人、転入生がいること。そして、転出してしまった生徒がいる証となるのですから」
なるほど。今回の場合、『お』と『く』の間に一人いたな。ということを忘れないようにということですね。
「そのとおり。ということで、今回、転入者は名簿順で七番目となります」
裁は考えていた。席順は変わらないが、人の入れ替わりがある。
・・・自身の後ろの席の生徒と離れたいと、事あるごとに嘆いている、天クラスの天照奈。
・・・良からぬことを考えていそうだな、と。
「良からぬことは考えず、自身の勉学に励むことを考えるように。では、転入生の紹介を始めます」
そう言う先生の横には、転入生の姿は見られない。
だからきっと、先生の呼びかけで出入り口から入室してくるのだろう。
だが生徒は誰も、出入り口を見ていなかった。
先生の横に置かれている、大きな黒い箱を見ていたのだ。
「さて、みなさん。この黒い箱が気になって、わたしの話に集中できなかった方もいることでしょう。そしてみなさんが察しているとおり、この中に転入者が入っています」
『な、何だって!?』
『間違い無く変なヤツじゃないか!?』
『まだわからないぞ。この学校特有の演出なのかもしれない』
教室内がどよめく中、この状況について先生からの説明があった。
「今回のこの登場演出ですが。転入生からの要望です。学校特有のものでも、わたしの趣味でもありません」
『じゃ、じゃあやっぱり、既に変なヤツ確定じゃないか!?もはや、男子か女子かを気にしている場合じゃ無いぞ!』
不動堂がクラスを代表して、皆が思っていることを代弁した。
「さて、転入者からのもう一つの要望です。事前に渡された自己紹介文を、わたしが読み上げます」
『な、なんだって?』
『もしかすると、極度のあがり症とか?』
『文章を書くのが得意なんじゃないか?』
「一年壱クラスのみなさん、はじめまして。名前だけは自分で言いますので、それ以外を、失礼とは存じますが、この文にて紹介させていただきます。
まず、わたくしがなぜ箱に入っているか。そう、『箱入り娘』だからです」
先生はそこで一旦、間を取った。
どよめいていた教室が静まり返った。
「おそらく、わたくしの渾身のジョークはすべり倒したことでしょう」
『それがわかるならもっと面白いジョークを・・・ん?『箱入り娘』、そして『わたくし』・・・ということは、女子か!?』
不動堂が男子生徒を代表して、期待の気持ちを代弁した。
「わたくしが女子ではないかと察したキモい男子生徒もいることでしょう」
『な、なんで俺たちがキモいってわかるんだ!?』
『巻き込むな!キモいのはお前だけだ、不動堂!』
教室が笑いと不動堂批判に包まれた。
絶滅以降、クラスのムードメーカー的存在にまで押し上がった不動堂。
絶滅後の超回復とやらは、本人の言うとおり本物だったのだ。
「冗談はさておき。わたくし、想像したのです。先生から『では、どうぞお入り下さい』と言われて、後ろの出入り口のドアを開けます。すると、クラスの十九人の視線を独り占めする。きゃっ!この時点でわたくし、無理なのです」
恐ろしいほど抑揚のない先生の語りに反し、女の子口調のセリフが続く。
「心臓は、爆音で信号待ちする車のように、『ドゥン!ドゥン!』と鳴ります。そして全身が、まるで日本のポストのように赤くなるでしょう」
『ど、独特な例えだな』
『たしかに、青いポストだってあるからな』
『ゆでダコで良くないか?』
「注目を浴びた後。わたくしは、皆さんの机の横を歩き、先生の横にたどり着かなくてはなりません。
歩いている間、視線を浴び続けなければいけないのです。
こう思った方もいるかもしれませんね。
バージンロードを歩く練習だと思えば、少しは気が楽になるのでは?と」
『いや、思わないだろ、普通』
『少なくとも男子は共感できないな』
『この状況でバージンロードを思い浮かべる女子もいないよ?』
「でも、それも無理なのです。今この瞬間と同じ状況・・・しかし、結婚式には『終着点にお慕い申し上げる殿方がいる』という新たな条件が付加されるのです!」
『じゃあ逆に、バージンロードよりは楽だって、そう思えるんじゃないか?』
「そうですね。わたくしもそう思います。でも、わたくしは選びました。みなさんの横を歩かずに、すでに皆さんの前に置かれた箱から登場するということを」
『そっちの方が注目浴びるよな?』
『もしかしたら逆に、これが結婚式の練習なんじゃないか?』
『新婦のお父様が箱を運ぶのか?すごい光景だな』
「こんな登場しかできないわたくしをお許し下さい」
『いや、十分すごい登場だよな?』
『ああ。これまでの人生で見た中で、一番の登場だな』
『一体何が出てきやがる・・・』
クラス全員の全集中の注目を浴び、先生は、文を読み続けた。
「紹介は以上です。では、先生に開けてもらいます。刮目しないでね!」
『いや、無理だろ!』
不動堂の小気味の良いつっこみを最後に、クラスがまた静まり返った。
そして、全員がその箱に刮目した。
大きな黒い箱。
このために準備したのか、頑丈そうな素材だった。大きさは一メートル角の正方形。
その大きさから、転入者はおそらく体育座りのような格好で中に入っているのだろう。
その箱は大きな台車の上に乗っていた。そしてこの台車、先生が教室に入るときに押してきたのだ。
つまり、初めから生徒は皆、この箱を刮目していたのだ。
先生はその箱の蓋に手をかけた。
『ごくり』とつばを飲む音だけが聞こえそうなほどの静寂。
そして、蓋を開けた。
『バンッ!』
という音とともに、何かが天井に向かって飛び出した。
「わあっ!!」
生徒がそれぞれ驚きの声を上げる。
何かあるだろうと身構えていた裁。声は出なかったものの、その目を大きく見開いて驚いた。
教室内、生徒は次に、出てきたモノに対して声を上げ始めた
「な、なんだ?ぬいぐるみ・・・熊か?」
「バネ式で出るようになっていたのか・・・」
「『よろしくね!』って書いてあるぞ!?」
箱から飛び出したのは、箱よりも一回り小さい、だが大きめの熊のぬいぐるみだった。
ぬいぐるみの底部にバネが付いており、先生が蓋を開けることで、その仕掛けが作動したのだ。
クラスメイトが声を出して騒ぐ中、裁は一人、落ち着いていた。
以前、同じようなサプライズ登場を、東條家別宅で経験していたからだった。
あのときは、夕食中に急に真っ暗になった。そして、登場すると思われた紫音が、着席していた紫乃と入れ替わる、という演出だった。
『もしかして・・・』
そう思い、裁は左横の空席を見た。
・・・いたのである。
一人の、見たことのない女子生徒が、騒がしい教室内を嬉しそうな表情で見回していた。
その視線が教室内を一周すると、裁と目が合い、止まった。
女子生徒は白く綺麗な歯を見せて、微笑みながら言った。
「お隣さんだね。よろしく!」