112話 超絶ハイテンションの偽紫音
解散から四時間が経過した。
簡易控え室には、裁と天照奈、そして紫乃が集まった。
紫乃は、握手会の会場にいる紫音と全く同じ衣装、そしてメイクをしていた。
フェイスガードを被っているものの、何も知らなければ、紫音との見分けがつかないだろう。
「さすが紫乃ちゃんだね。一瞬見ただけなら僕も気付かないよ」
「・・・一瞬じゃなければ気付くと?サイくんも、それはそれですごい能力ですね」
「そろそろ紫乃ちゃんの出番かな?」
「もうちょっと。あと七、八百人くらいでしょうかね」
「ちらっと見たけど・・・持ち時間二秒ってさ、実質、手を握ってる時間は一秒にも満たないよね。一瞬触れて去っていく、みたいな。すごい光景だよ・・・」
「とある女神には、その買い物風景を拝むだけで歓喜するファンもいるらしいですよ?・・・それで、その女神ですけど。なんで落ち込んでいるのです?」
控え室に入るなりパイプ椅子に座り、一言も発さない天照奈。
「ああ、うん・・・」
「たしか、二人でアニメ専門店に行ったんですよね?まあ、理由はなんとなくわかりますが」
「うん・・・『もう少しだけ!』って、五分おきに、合計五回くらい延長してさ」
「なるほど。落胆の色が見られますね・・・でも、何でしょう。ちょっと、顔が赤いというか。もしかして天照奈ちゃん、お店の前でだだをこねて。思い返してみたらすごく恥ずかしい、みたいなやつですか?」
「いや、だだはこねてないんだけど。何回声をかけても動かないからさ、困って・・・手を引いたんだ」
「手を、引いた?」
「うん。ほら、僕なら触れることができるでしょ?だから、ちょっと無理矢理にでも引っ張ろうかと思って」
紫乃は思い浮かべた。
サイクロプスに引きずられる女神の姿、ではない。
「ちなみに、手を引いたときの天照奈ちゃんの反応は?」
「人に触られることに慣れてないんだろうね。手を握ったら、すぐに冷静に返ったのかな。ほとんど力を入れてないのに、付いてきてくれたよ?」
「・・・手を引いたのは、どこまでです?」
「アリーナの入り口までだよ?」
「そうですか・・・十五分以上は手を引いていた、と・・・」
紫乃が思い浮かべたもの。
それは、裁と天照奈が手をつなぎ、歩いている光景だった。
『女の子と手を繋くこと』を全く意識していなかった裁。
さすがに『男の子と手を繋ぐこと』は意識して、赤面する天照奈。
ああ、見たかったなぁ・・・
「って、サイくん!あなた、女の子の・・・天照奈ちゃんの手を握って、何とも思わないわけ!?」
「だって、手を引かないと約束の時間に間に合わなかったから・・・・・・えっ?・・・手を、握った?」
ただ手を引いた、という行為としか考えていなかった裁。
紫乃に言われ、『手を握った』ことに気付いた。
紫乃は見ていた。
簡易控え室の隙間から見えるファンたちと同じように、女の子の手を握ったその手を『宝物』のように、赤い顔で見つめる、裁の姿を。
――紫音の列が残り百人に迫った頃。
裁もボディーガード風になるため、紫乃のサングラスを借りていた。
「目出し帽も被る?」
「・・・このからだに薄紫の可愛い目出し帽・・・明らかに怪しいから、やめておくよ」
「ふむ」
七千九百人目が終わると、『一瞬タイム!』と言い放ち、紫音が控え室に帰ってきた。
そして紫乃とハイタッチして入れ替わると、紫乃と裁は握手会場のブースに入った。
紫乃の傍ら、約一.八メートルに裁がいるため、紫乃の頭部は何ものにも覆われていなかった。
後方左側に立つ裁とファンとの距離を確認すると、紫乃はブース内の椅子に座った。
間違えても、ファンと裁が近づくことは無いようにしなければいけないのだ。
「おっ待たせぇ!一瞬で完全復活なり!最後の百人、お前ら、超絶ラッキーだぜぇ!?」
「うぉーっ!」
超絶ハイテンションの偽紫音に、四時間待った百人のファンたちが雄叫びを上げた。
そして、偽紫音の握手会が始まる。
「お母さんの二倍、いや、三倍好きです!」
「彼女括弧二次元括弧閉じより好きです!」
「本物のクロサイは買えなかったから、ぬいぐるみを買ってきました!」
「初めまして東京特許許可局から来ましたミドルネール『バスガス爆発未遂男』です!」
各々が二秒で言えることを叫びながら、偽紫音の手を一瞬握り、去って行った。
そして、九十九人目が終わり、最後の百人目。
これまでのファンと何ら変わらない、一見普通の男だった。年齢はおそらく三十代の中盤だろうか。
肩甲骨まである長い黒髪。前髪は中央で左右に分けている。
フレームの無い眼鏡をかけ、椅子に座る偽紫音を上目遣いで見ていた。
格好は、チェックのシャツに紺色のジーパン。そして青いリュックを背負っており、すっかり見慣れたものだった。
『あ、そうか。若牛くんに似てるんだ』裁は、ここ百人の特徴から、学校の誰かに似ていると思っていたのだが、ようやく思い出した。
『たしか紫乃ちゃんが言うには、本当にキモいヤツ、だったな。何がキモいんだろう』
そんなことを考える裁。そして紫乃は、握手をしない方の手で、青色カウンターを押していた。
そこには、これまで紫音が積み重ねた『八百六十九』が表示されていた。
何のためのカウントかわからない紫乃だったが、とりあえず言われた通りに最後のカウントをした。
その男はこれまでの九十九人とは異なり、何もしゃべらなかった。
ただ黙って、表情も変えずに、ただ偽紫音の手を握った。
そして、名残惜しい様子を見せること無く出口へと去ったのだった
――紫音の列が終わると、握手会は終了となった。
紫乃はすぐさま目出し帽を被ると、裁を引き連れて握手会会場の出口へと走る。
出口の先、廊下には、既に天照奈を含む全員が揃っていた。
合流すると、全員で例の男の後を追う。
「サイくん、まだ人が多いから。近づかないように気をつけて下さいね」
「大丈夫だよ。人を避けるのには慣れてるから。でも、人酔いしないか心配」
青いリュックの男を発見すると、紫乃は小さい声で『ヤツです!』と標的を知らせた。
「どうする?接触しておく?」
天照奈がその場の全員に意見を求めた。
「ドードーよ」
「おお、紫乃ちゃん。まだ、書き込みされてないぞ?」
「ふむ。まずは書き込む様子を見ましょうかね。ネット上にアップされるタイミングと合えば、ヤツである確率は高いでしょうから」
アリーナの出口へと向かう広い廊下。
男は、その途中で立ち止まると、壁にもたれかかり、座った。
そして、青いリュックからタブレット端末を取り出すと、素早い手の動きを見せる。
だがその動作はすぐに終わり、タブレットをリュックへと戻した。
「ドードー!」
「おお。アップされたぜ!」
不動堂は、自分のスマートフォンを全員に見えるように提示した。
「・・・アケビフルーティエイト、紫音ちゃんの『本当の住所』は・・・」
紫乃が声に出して読み上げたその住所。紫乃と紫音が住む別宅でも、本宅でも無かった。
「よし!わたしの嘘が勝ちましたよ!」
そう、裁が提案した住所が書かれていたのだ。
「たぶん、今回アップした内容で、ヤツは警察に目を付けられることでしょう」
「おお、じゃあ、ぶん回さなくていいか?」
「うん。ラブくん、今日はこれ以上鍛えなくてよろし」
「でも、警察が目を付けたとしても。あの人を特定することはできないよね・・・?」
「天照奈ちゃんの言うとおりです。お灸を添えるというか、今後やりにくくするだけですかね」
「ねえ、僕、話しかけてもいいかな?」
「何でサイ三が話しかけるんだよ!?」
裁の謎の発言に疑問を抱く男連中。
だが、天照奈と紫乃は目を合わせ、そして小さく頷いた。
「わたしは良いと思うよ。ほら、裁くん。もう一つガセネタを掴ませる気でしょ?」
「うん!・・・『紫音ちゃんと握手できなかったから、せめて紫音ちゃんと握手した人と握手したい』って近づけば良いかな?」
「ふむ。それだけじゃ、怪しくて握手なんてしてくれませんね。じゃあ、『実は紫音ちゃんの幼なじみと同じ天照台高校に通ってる』とか嘘をつく?」
「それ良いね。実際、幼なじみというか双子のおと・・妹と友達だしね。じゃあ、ガセネタはどうする?」
「ふむ。『紫音ちゃんが、今、本当に一緒にお風呂に入りたい人』が良いですよ!」
「ちょっと、それわたし・・・まあ、嘘をつくんだし、良いか。それで、裁くんは『黒きサイ』っていう嘘を思い込むと?」
「そうだね。たまたま自分の名前と一緒だし。いけるんじゃない?」
実際の思惑とは異なるからか。
作戦はあっという間に決まった。裁はサングラスを外し、何の躊躇もなく青いリュックの男に近づいた。
「あの・・・すみません」
男がちょうど立ち上がったところに声をかけた裁。
近づいたと言っても、まだ二メートル以上の距離を確保していた。
不意に話しかけられたその男は、怪訝そうな目で、裁を上目遣いで覗いた。
「紫音ちゃんと、最後に握手した方ですよね?」
「・・・」
男は何も言わず、上目遣いでただ頷いた。
「僕、くじ引きで外れちゃって・・・あの、握手してくれませんか?」
「・・・は?」
男は右眉を上げ、あからさまに嫌な顔をした。
「ああ、もちろん、無償で、とは言いませんよ?と言ってもお金は無いので・・・情報なんてどうです?」
「・・・内容は?」
「僕、紫音ちゃんの幼なじみと同じ高校に通ってて。『天照台高校』って知ってます?」
男は右眉をさらに上げた。
男は、『天照台高校って、都市伝説じゃないのか?』、そんな表情で、だが、『・・・リアルだな』みたいな表情をした。
その様子を見て、裁が畳み掛ける
「それで最近、『紫音さぁ、とある人と一緒にお風呂に入りたいんだってぇ。紫音がお願いすればぁ、誰だってぇ、一緒に入ると思わない?』って。その人の名前も聞いたんだけど、まあ、僕は知らない名前だったな」
「・・・」
男の右眉は、すでに稼働限界に到達していたようで、ただピクピク震えていた。
「あ・・・でも、これは握手と交換するには高価すぎる情報だよな・・・じゃあ、そうだ!犬派か猫派。これでどうですか?」
「・・・ふん。いいよ」
男は、何やらニヤニヤしたいのを抑えながら、右眉を上げたまま答えた。
そして、一瞬だが目を閉じて神経を集中させるような素振りを見せる。
目を開けると、男は、裁に右手を差し出した。
裁は男に近づき、その反応を見ること無く、その手を握った。
「・・・」
男は、右眉を下げた。
「・・・」
男は、何かを思うような顔で裁を見た。おかげで、裁は初めてその男と目があった。
裁はその目から、男が考えていることを読んだ。
『おいっ、何で答えが読めないんだ?俺は、『紫音が本当に、一緒にお風呂に入りたい人』を聞いてるんだぞ?』
『まさかこいつ、嘘でもつきやがったか?』
『いや、でも、嘘でも何かしら答えは聞けるはずだ・・・』
『なんだ?こいつ、無心、なのか?もしかして仏か?』
――裁の目論見通りだった。
この男の能力が生まれつきか、あるいは成長の過程で身に付いたかはわからなかった。
だが、不動堂の話を聞くに、この男がSNSとやらにネタをアップし始めたのは、つい最近のことのようなのだ。
もしも生まれつきなら、もっと前から、何らかの手段で情報を拡散していることだろう。
ということは、最近になって身に付いたもの。
そして、握手会という場で、自身の能力に気づいた。
とすると・・・裁が近づけば、その能力は無効化されるのではないか。
念のため、ちゃんと嘘の答えを準備してはいた。
だが、お芝居も嘘も超絶下手な裁。きっと、答えが『雛賀天照奈』と読まれたことだろう。
能力が無効化したかどうかは、勝手にその目から推測しただけ。
だが、握手というゼロ距離にも関わらず『何も発現されていない』のが証拠となっていた。
握手を開始してから一分が経過した。
お互い、声を発さず、身動きもしなかった。
だが裁は、何かを思いだし、その手を離した。
『あっ!この手、天照奈ちゃんの手を握ったんだった!ああ、洗わないって決めたのに・・・ああ、これで、人生で握った手の六人中五人が男だな』
「えっと、ありがとうございます!じゃあ、紫音ちゃんの情報ですけど」
「・・・なんで、だ?」
「へ?いや、紫音ちゃんが犬派か猫派かですけど」
「んなのはどうでもいいんだよ。なんでだ・・・紫音は、誰と一緒に風呂に入りたいんだ?答えろよ!」
発現していないはずの思い。
だが、強すぎる思いが勝手に溢れたのだろう。
そう思うと、裁はそれを利用して、この場で制裁を下すことを決意した。