111話 予備の膀胱でも準備しているのでしょうか?
目を閉じたまま、確認するように、紫音は呟いた。
「一週間前は『本当の将来の夢』。昨日は『本当に好きな男の子』。それを質問したのは・・・」
そして、心当たりに辿り着いたのか。紫音はゆっくりと目を開けた。
「・・・うん。いない」
「いない!?」
「うん。やっぱり、握手の持ち時間、二秒しか無いし。例え質問されたとしても、そのことを考える前に握手が終わっちゃうからね」
「・・・とすると、質問の答えを得るために、『声に出す』必要は無い、と。じゃあ、『質問を思い浮かべる』とか、『何かに書いておく』とかですかね・・・?」
「そうなると、もはや特定は不可能だよね」
「・・・ドードーよ」
「なんだい、紫乃ちゃん?」
「その、リアルガセネタの人。誰と握手するか、そんな情報をアップしたりしないのですか?」
「ああ、してるよ?ガセネタ以外にも、普通に日常のことアップするし。今日来てるのなら、握手の相手も決まってるだろ?もう上がってるんじゃないか?」
不動堂は自分のスマートフォンを操作すると、
「お、この人よっぽど運が良いんだな。『また紫音ちゃんと握手できる!』だってさ」
「・・・列は絞れましたね」
「紫音ちゃんの列って、何人くらい並ぶの?」
「確か・・・ぴったり八千人だったと思うけど」
「・・・ドードーよ」
「なんだい、紫乃ちゃん?」
「その人、握手してすぐにアップする人ですか?」
「ああ。たぶんそうだな。これまでの情報を見るに、握手したすぐ後にガセネタを上げてるっぽいな」
「出口で見張って、スマホかタブレットかパソコンで、ネット上に何かを上げているような怪しい人を見つける・・・いや、無理ですかね。きっと、今日来た全員が感想を発信したいでしょうしね」
「こりゃダメだな・・・ん?列の様子がアップされてるぞ!・・・『配列完了!あとは四時間、ひたすら待つのみ!』だって」
「不動産王くん、見せて?」
「おお、紫音ちゃん・・・惜しい。不動だけは合うんだけどな」
不動堂からスマホを奪うように取ると、紫音はその画像をまじまじと見た。
紫乃も横からその画像を覗き見している。
「八千人・・・ものすごい列ですね。一人二秒だとしても・・・この人の言うとおり、四時間もかかる!?並んでる人たちもそうだけど、紫音も、トイレとか大丈夫なの?」
「うん。だんだん握力無くなって、後半は差し出した手をただ握られるだけ。トイレもね、全力で我慢するの、みんな」
「みんな、予備の膀胱でも準備しているのでしょうか?・・・って、紫音、画像見て、何かわかったことある?」
「うん・・・それぞれのメンバーの列が、それぞれ百人単位で区切られるんだ。この画像だと・・・先頭の位置がここ、この大きさでとらえるということは、会場の広さ、そしてカメラの角度と倍率がアレで・・・この区切りの先頭がこの位置だから・・・」
紫音はまた眉間に手をやると、ぶつぶつと計算を始めた。
「そっか。わかった」
「本当!?前の方?それとも中盤とか、だいたいの位置がわかるだけでも、少しは望みが出てくるよね!」
「うん、最後だよ」
「へ?」
「八千番目」
「は?」
「大行列を撮影したかったのかな。それに、『四時間待つ』って、ヒントもあったしね」
「・・・紫音も、すごいを通り越して恐いわ。えっと・・・じゃあ列の最後の人をひっとらえて吐かせれば良いんだね!よし、行くよ、ラブくん!」
「おお、ぶん回して吐かせればいいんだな?そいつはいいや!」
「それ、吐くモノ違うよね!?そんな、力尽くじゃだめだよ」
天照奈が冷静につっこむ。
「紫音ちゃんのことは信じるけど。でも、その人が書いてるって確証は無いでしょ?」
「・・・じゃあ、握手をした後、何かを書き込んだ様子を見たら捕らえますか?」
「・・・うん。そっちの方がマシかな」
「あのさ、疑問があるんだけど」
サイクロプスのような青い顔から、ようやく回復した裁。律儀に手を上げて質問をする。
「その人を捕らえて、もしも吐いたとして。それで、どうするの?」
「えっ?『二度とやるんじゃありませんよ!』って、成敗するんじゃないの?ねえ、ラブくん」
「おお、そいつはいいや!」
「・・・裁くんの言いたいことはわかるよ。たしかに、まだ被害者もいないし、警察に連れて行っても罪には問われないでしょう。それに、本当のことだとはまだ誰も信じていないし。それで誰かが不幸になっているわけでもない」
「うん。成敗なんかしたら、逆に傷害罪で逮捕されそうだよね」
「も、もちろん傷害なんて与えません。ねえ、ラブくん」
「おお、俺、覇気もすげえんだぞ?」
「脅迫罪に問われそうだから、威圧もやめよう?」
「じゃあどうすればいいか・・・例えば、質問する内容があらかじめわかっていれば。それをうまく利用して懲らしめるとかできそうだよね?」
「天照奈ちゃんの言うことはもっともです。でも、そんな都合の良いことが・・・ドードーよ」
「なんだい、紫乃ちゃん?」
「まさかとは思いますが、リアルガセネタの予告なんて書かれないでしょうね?」
「ああ、事前に書かれるぞ?」
全員が不動堂を睨んだ。全員に無視されることはあっても、睨まれることなど無いからか。少し嬉しそうに、そして恥ずかしそうに俯いた。
「なんで情報を小出しにするのですか、このドードーは・・・はっ、もしかして。情報を発信しているのに、ボクたちが気付いてあげられなかった!?」
「大丈夫、僕にも聞こえなかったよ?」
「ふむ。太一がそう言うならそうなのでしょう」
「なら、絶滅の刑だね!」
「きゃっ!紫音、過激!この、閻魔大王!・・・でも、紫音が手を下すまでもありません。ラブくんが生み出す何かの毒味役になってもらいましょう」
「ま、待ってくれ!俺、地獄に落ちる癖ついちゃうよ!?ちゃんと説明するから」
「要点だけを教えてね。わたし、そろそろ握手会の時間だから。絶滅させる暇も無くなっちゃうよ?」
「あ、結局紫音ちゃんがしてくれるの?・・・えっと、この人が、握手会の前日にアップするのは、『誰狙いか』『ネタは何か』」
「ネタというのが、質問のことですね?」
「うん。そして当日、『ライブ会場の様子』『握手する人』『握手会会場の様子』『リアルガセネタ』をアップする。俺はいつも『リアルガセネタ』しか見ないけどな」
「ふむ・・・それがわかれば五分くらい無駄な会話が省かれましたかね・・・まあいいでしょう。それで、今回のネタは何なのです?」
「うん。『本当の住所』だってさ」
「なんと。大騒ぎになるやつじゃないですか!」
「紫音ちゃん、実際、どんな弊害が考えられる?」
「うーん・・・まず、どっちが出るかだけど。本宅か別宅か」
「本宅なら、東條グループの令嬢ということがバレますね。それ自体はそこまで問題にはならないかもしれません。問題は、本宅でも別宅でも、世界中から野次馬が訪れることでしょう」
「ガセとは言え、リアルな住所なら、誰かしらは訪れる・・・そして、それが本当だと知れ渡る」
「結果・・・紫音のファン、約一億人が、どちらかの家を拝みに押し寄せることでしょう」
「経済効果は凄そうだけど。でもそんなことになったら、紫音ちゃんが身動き取れない。というか・・・紫乃ちゃんもだよね?」
「・・・ボク、紫音と同じ顔してますしね、それもきっと大騒ぎになるでしょう。まぁ普段から目出し帽を被っていれば良いだけですけど。でも、それはそれで変に騒がれそうですね」
「紫音ちゃんが天照台高校に通うことになったら、学校生活にも支障が出るんじゃない?」
「高校の敷地内のセキュリティは万全だとして・・・それでも、入り口付近に毎日人だかりができそうですね」
「・・・弊害が出るの、わたしだけじゃないかも」
「もしかして、あて・・・女神のことですか?」
「うん。今でこそ、なぜかわからないけど・・・その女神が降臨しても、その場に何百人もの参拝客が発生するだけ。その女神、全国的には噂すら広まってないよね?でも・・・」
「テレビ局とかマスコミとかが学校に来て、女神の存在を知ったら?」
「わたしのファンの数倍、下手したら地球人全員くらいが学校に押し寄せる・・・」
「ねえ、女神って何?冗談はやめてさ、真剣な話をしよう?ほら、紫音ちゃん、時間も無いんでしょ?」
「超真面目だったけど・・・うん、えっと。じゃあ、嘘の住所を教えるとか?」
「その人の能力がまだ謎ですからね。『本当の』というだけあって、深層心理を読むのではないでしょうか」
「そっか・・・わたし、お芝居はそんなに上手じゃないしなぁ」
「あっ、じゃあ、ボクが代わりに握手しようか?ふふっ!」
紫乃は悪い顔で微笑んだ。
「・・・そうか。紫乃、嘘も得意だもんね!」
「うん!・・・って、得意なのは、あくまでも『良い嘘』ですからね?よし。じゃあ、ドードーよ」
「なんだい、紫乃ちゃん?」
「実家の住所を教えなさい」
「は!?俺の家を犠牲にするつもりか!」
「大丈夫。ドードーの実家です。フィルターがかかって、辿り着くことすら困難でしょう!」
「俺の透明人間スキル、家まで隠しちゃう!?」
「ぶふっ!冗談ですよ。・・・どうします?どこの住所がベストでしょうかね」
皆が不動堂を一瞥するも、残念な表情で首を振り、考え始めた。
「ねえ、僕に考えがある!えっとね・・・」
裁の提案に、全員が大きく頷いた。
「なるほど!それは良い考えです。要は、『迷惑行為』だと警察にも知ってもらえば良いという訳ですね」
「さっすがサイサイだね!」
滅多に褒められない裁は、鼻の下を人差し指でこすり、照れ笑いを見せた。
「じゃあ、紫乃。トイレ行ってきて!」
「へ?着替えですか?」
「全部出し切らないと。四時間我慢するのはつらいよ?」
「いやーん、最後だけ交換するんじゃないの!?それに、アイドルからは排泄物出ないから、そんなこと言っちゃダメだよ!」
「ふふっ。わかった。じゃあ、最後の百人だけ任せるよ」
「オッケー!きゃっ、なんか楽しみ!」
「紫乃ちゃん、くれぐれも紫音ちゃんのイメージを壊すなよ?」
「ドードーよ。誰にものを言ってるのです?紫音以上に紫音になりきってやりますよ!・・・あ、目出し帽じゃさすがにまずいよね?」
「今日、テレビ局の取材が入ってるから・・・『紫音、握手会で何が!?目出し帽を被る謎の行動!』ってニュース流れそう」
「フェイスガードだったらまだマシですかね・・・あっ!」
紫乃と目が合った裁。
「ふふっ。そうですね、ボク専属のボディーガードも必要でした。サイくん、一緒に行きますよ?」
「おお、お嬢。ボディーガードなら俺が・・・」
「ラブくん。あなたには学校の敷地内でのガードをお願いしているはずですが?」
「おお・・・治外法権というわけだな?」
「です。じゃあ、サイくん、約四時間後、ここに集合ってことで。以上、解散!」
『双子入れ替えドッキリ』という言い訳を考案し、紫音のスタイリストにメイクをしてもらうことにした、首謀者。
スタッフにお願いして、簡易控え室から握手会の様子を窺うことにした、弟思いの少年。
『もしかして、握手会の最中ならグッズ売り場、がら空きじゃね?』と、物販会場へ走る絶滅危惧種。
アリーナ内にトレーニングルームがあることを知り、『目指せ宇宙一』という鉢巻きを着けて向かう、地獄の猛者。
来る途中、アリーナ近くにアニメ専門店を見つけ、外へと走る女神。
不測の事態に備え、それに付き添うサイクロプス。
そして、握手会の会場に向かう、国民的アイドルグループ不動のセンター。
紫乃の号令で、それぞれ自由に、行きたいところへと向かったのだった。