110話 サンキューベリーマッチ
十六時三十分。
五万人の大歓声とともに、ライブは幕を閉じた。
全十五曲を全力で歌い踊った八人。全身汗だくで、全てを出し切った表情で控え室へと戻った。
密着取材を続けるテレビ局員は、終了直後の、話しかけるタイミングを窺っていた。
おそらくリーダーから挨拶でもあるだろうから、その後に。と思っていたのだが、一向にその様子は見られず、全員、そのままシャワールームへと去ってしまった。
「・・・素晴らしいライブでしたね。曲の合間、控え室での様子はいかがでしたか?開始直前は打ち上げのことしか頭に無かった彼女たち。さすがにパフォーマンスの話しかしていませんでしたね。おそらくライブを終えた今は、次の握手会のことで頭がいっぱいなことでしょう。シャワールームから戻ってきたら、インタビューしてみたいと思います」
十五分後。
ライブ衣装から握手会用の衣装に着替えた八人が、控え室に戻ってきた。
全員、まだ髪も乾かしていない状態で、メイクも落とされていた。
「お疲れ様です。あの・・・撮影しても大丈夫ですか?」
インタビュアーの問いに、リーダーの朱美がすっぴんの笑顔で応対する。
「もちろんです。あ、でも、できれば・・・一部の人にはモザイクをかけてくれると助かります!」
「そ、そうですか・・・ちなみにどなたに?」
「モザイク希望者、挙手!」
「はいっ!」
朱美を含む、昭和臭い名前の五人が手を上げた。
「そうですね、二十歳以上のメンバーに、可愛いモザイクをお願いします!」
メンバー八人の平均年齢は二十一歳。
最年長の朱美が二十四歳、以下、二十三歳が二人、二十二歳が二人。そして平成臭い三人は、うち二人が十八歳で、最年少が紫音で十五歳という内訳だった。
八人それぞれにスタイリストがつき、メイクが始まった。
「ライブと握手会の間は一時間。ファンにとっては待ち遠しく、永遠のように感じることでしょう。しかし、裏側ではこのように、慌ただしく準備がされています」
カメラは、忙しくメイクをするスタイリストと、忙しくメイクされる八人の姿をとらえていた。
「ちなみに、スタイリストさんはいつも同じ方が担当されるのでしょうか?」
インタビュアーは、朱美を担当しているスタイリストに質問した。
見た目から、おそらく古参のスタイリストであると判断したのであろう。
「あらぁ。もしかしてあたし?やだっ、テレビに映っちゃう?きゃーっ!メイクしないと!」
そのスタイリストは、メイク対象を朱美から自分へと切り替えた。
「あとは自分でやるから、やっさん、自分のメイクしちゃって!」
「やーん、朱美ちゃん!ごっつぁんです!きゃーっ、ちょっと、今はモザイクかけといてね!?」
「放送時の画面、モザイクだらけですが大丈夫でしょうか?」
やっさんと呼ばれたスタイリストは、自身に高速でメイクを施すと、改まってインタビューに応じた。
「どうもぉ、ヤスエでーっす!永遠の三十二歳でーす!」
「不老不死のなり初めが意外と遅かったですね」
「いろいろあったの、三十二歳のとき。で、何だっけ?好きな男性のタイプ?やーん、わたし、体重百五〇キロ超えの可愛い子がタイプ!」
「好みがはっきりしていて良いですね。対象となるのは、お相撲さんかサイクロプスでしょうか。ところで、みなさんはアケビフルーティエイト専属のスタイリストなのですか?」
「そうとも言えなくも無い。わたしはアイドル専門で、他のみんなはアイドル以外も受け持ってるみたいよ?」
「なるほど。ではヤスエさんは、このグループのメイクはよくやってらっしゃるのですか?」
「そうとも言えなくも無い。そうねぇ、最近だと・・・毎回、朱美をいじってる気がするわ」
「いじってる言うな!」
「きゃーん!」
自身も百キロ超級ぐらいありそうな巨体をくねらせるヤスエ。
「・・・何か、このグループのメイクで気をつけていることなどはありますか?」
「無いとも言えなくも無い。みんな素顔も超絶可愛いから、うっすらいじるだけ!衣装も、素材を生かすために他のアイドルと比べると質素にしてるしね」
「もしかして、衣装もご担当されているとも言えなくも無い?」
「やーん泥棒!わたし、というか弟・・・いや、妹なんだけども。写真館経営の傍らアイドル衣装づくりをしてるのよ!」
「ほお・・・では、後日話を伺わせてもらっても良くなく無いですか?」
「無くは無い。『スタジオジブン』っていうんだけどね。あとで連絡先教えるわね」
「ありがとうございます。さて、どうやらみなさんのメイクが完了したようですね。みなさん、ライブの感想を聞かせてもらっても良いですか?」
「はい、もちろんです!」
モザイク明けの朱美が元気よく答えた。
「では、そうですね・・・一恵さん。最後の曲で、何やら感極まって泣いてしまったようですけど」
「・・・わたし、このライブが最後だったから・・・」
「えっ!?引退するんですか?衝撃の事実ですよ?」
「ちょっと一恵、ちゃんと説明しないと。語弊ありすぎだよ?」
「ど、どういうことですか、静子さん?」
「あ、はい。一恵って、自身を鼓舞するために、毎回ラストライブだと思って臨んでるんですよ」
「それは・・・素晴らしい心意気ですね!」
「でも、実は弊害もあるんです。なんか、だんだんと慣れてしまって・・・わたし、本当のラストライブで泣けない気がするんです」
「なるほど・・・では、たまに初ライブを挟んでみては?」
一恵は、ハッとした表情で、机の上に置いてあった油性ペンを持つと、自分の手のひらに『初心!』とメモをした。
「・・・では次に、京子さん。ダンス、今日もキレっキレでしたね!」
「ありがとうございます!今日はいつもよりキレるぞって思って。昨日、近所の神社の絵馬に『キレますように!』って書いて、願ったんです!そしたら、思ったとおりキレました!」
「主語が無いのによく叶いましたね・・・さすが神様ですね!では・・・ああ、時間があまり無いですか?じゃあ、最後に紫音ちゃん。今日も、地球の裏側まで届くような、ものすごい歓声でしたね!」
「はい!えっと、本当に届いたかどうか、ブラジルにいる知人に確認してみますね!」
「いや、例えなので・・・ブラジルに知人がいるのですか?」
「父の知り合いの知り合いです。あ、そうか。正確には知人じゃなくて、父の知人の知人ですね」
「余計なことを聞いたこちらが悪かったですね。・・・あと三十秒?・・・では最後に。世界中の、一億人のファンに向けてメッセージをお願いします!」
「はい!えっと、何語が良いですか?割合的には英語圏が多いかな?じゃあ、サンキューベリーマッチ・・・あ、でも、字幕とかアフレコ付くよね?じゃあ日本語でも良いか」
「・・・ありがとうございました。握手会に向かう時間となってしまいました。みなさん、聞いたでしょうか?『サンキューベリーマッチ』と。まるでネイティブかのような素晴らしい発音でしたね。
この後は少し離れた位置で、握手会の様子を撮影させていただきます。みなさんへのインタビューはこれで終了です。ありがとうございました」
――十七時十三分。
握手会の会場へと向かい始めた八人は、ライブの疲れなど見せず、楽しそうに話しながら歩いていた。
「ねえ、ステージから見た感じさ」
「うんうん、青いの身に付けてる人多かったよね?」
「カウントするの大変かもね!」
「あとさぁ・・・今日も来てるかな?」
「ああ、例のリアルガセネタの人?」
「昨日は紫音と握手したみたいだよね」
「・・・うん、そうみたいだね」
「てことはさ、紫音のファンってことだよね?わたしたちを選んだら、くじ引き不要で決まるもん!」
「わからないよ?誰のファンか特定させないように、わざとくじを引いてるのかも!」
「昨日は『本当に好きな男の子』だったでしょ?たまに本当にリアルらしいから、恐いよね・・・」
「でも、紫音のは完全にガセだったから、良かったぁ・・・」
「でもさ、ガセとは言え『黒きサイ』って謎だよね!もしかしたら今日の握手会で、クロサイグッズいっぱいもらえるかもね、紫音」
「あはは、困っちゃうよねぇ・・・サイサイのグッズなら欲しいんだけど・・・」
楽しそうなメンバーに相反して、浮かない顔でぼそっと呟く紫音。
握手会場のすぐ隣、簡易的な控え室に到着した八人。
開始までの十五分、それぞれパイプ椅子に座り小休憩を始めた。
すると、そこに紫音のマネージャーが現れた。
「紫音ちゃん。目出し帽の・・・紫乃ちゃんが来てるんだけど。急ぎの用事があるんだって」
「えっ、紫乃!?・・・何だろう。どこにいるの?」
「すぐそこの廊下にいるよ」
メンバーに『ちょっとだけ席外すね』と伝えると、紫音は簡易控え室を出た。
すると、マネージャーの言うとおり、すぐ出た先の廊下に紫乃が立っていた。
今日は薄紫の可愛い目出し帽を被っており、片手を上げて紫音を迎えた。
そしてそこには、昨日一緒に勉強したメンバーが全員揃っていたのだった。
「え、みんなも!?どうして、こんなところに?」
状況がわからず戸惑う紫音。
「急にごめんね。どうしても紫音に聞きたいことがあって。ついでにライブ観ちゃったよん!」
「わたし、ライブ観るの人生初だったけど、最高だったよ!また観たいな!」
「わぁ、天照奈ちゃんも観てくれたんだ。嬉しい!じゃあ、語り合うのに今夜一緒におふ・・・」
「ところで紫音ちゃん。リアルガセネタのことなんだけど」
いつものようにお風呂懇願を遮られた紫音。
だが、天照奈が聞きたいことはすぐに理解した。
「それね・・・相談しようと思ってたんだけど。お風呂のこと考えてたら忘れちゃったんだよね」
「紫音、口惜しいけど、お風呂のことは一旦置いておきましょう。それで、紫音には心当たりある?リアルガセネタをアップしてる人」
「無いとも言えなくも無いかな・・・あ、やっさんの伝染っちゃった・・・わたし、その人と二回握手したらしいんだけど・・・」
「てかさ、今日も五万人が来てるんだろ?単純に八で割っても六千人以上と握手って・・・心当たりも何も、さすがに覚えられないだろ」
「ドードー、また絶滅させるよ?紫音をなめるんじゃありません」
「さすがに何の特徴も無い人のことは覚えるの難しいけど。ちょっとでも特徴あれば覚えるよ?えっと・・・不動明王くんだっけ?」
「あ、俺、特徴無い枠かぁ・・・でも惜しい!?」
「ふふっ。それでね、その、心当たりだけど。実はね、握手するときに質問してくる人って少ないんだ。だって、一人当たりの持ち時間、二秒しか無いから。
質問されても回答できないし、最近だと『宇宙一好きです!』とか『前世から応援してます!』って言う人が多いかな」
「ちなみに、ドードーなら何て言います?」
「そうだな・・・『握手してください!』かな」
「・・・握手確定チケットもらっておいて言うセリフじゃないですよね?」
「ほら、もしかするとフィルターかかってるかもしれないだろ?念のため確認しないと、何もせずに二秒経過しそうだ」
「ぶふっ・・・このドードー、もう一回絶滅したらさらに面白くなりそうですね」
「わたしにもできるかな?」
「紫音と天照奈ちゃんなら可能でしょう」
「おいっ!いや、復活させてくれるなら喜んで息絶えるけど・・・」
「きゃっ、キモっ!・・・って、ドードー、話を脱線させるんじゃありません。それで?心当たり、あるの?」
紫音は、眉間に人差し指の第二関節を当てると、目を閉じ、記憶を辿り始めた。