11話 本当の体質
やはり彼とは最後まで会えないまま、校門も出てしまった。
いつもの、そして最後の下校だ。さすがに外では壁を背にして歩くことはせず、背後に注意を払って普通に歩く。
家と学校は約二キロメートル、学校の規定では自転車で通える距離だ。だが、普段は体育の授業も見学するため、運動をする機会がほとんど無い。せめて少しでも運動となることをしようと、三年間歩いて通学した。
お昼ご飯、何にしようかな。そんなことを考えながら、そして、彼の顔を思い出す作業も続けながら、いつもどおりゆっくりと歩いた。
帰り道のスーパーに寄ると、小豆ともち米を買い物かごに入れた。
一応卒業式だったし、自分へのお祝いとして、赤飯をつくることに決めたのだ。単に、わたしの大好物だ、ということもあったのだが。
メニューを考えるのに、思ったよりも時間を使ってしまった。
と言っても急ぐ必要もないので、ゆっくりレジに向かい会計を済ませると、再び家路についた。
ちょうど中間地点くらい、いつも通る銀行の前に、何やらパトカーが数台停まっていた。
何かあったのかな? そう思い中を覗き見ていると、
『銀行強盗らしいよ』
『犯人、前に別の銀行でも強盗したんだって』
『なんか、人質が犯人の手首つぶしたらしい』
野次馬がそんな話をしているのを聞いた。
開け放された自動ドアから銀行の中を覗いてみた。
奥の方にいた少年、なんとなく『彼』のようにも見えたが、きっと別人だろう。
ちらっと見えたその人物はなぜかパンツ一丁で、そしてものすごい肉体をしていたのだから。
野次馬と一緒に、少しその場で様子を見ていると、警察官が外に出てきた。
おそらく事情聴取などが終わったのだろう、巻き込まれたと思われる人も出てきたので、その場を去ることにした。
銀行から三十メートルくらい歩いたところで、なぜかはわからないけど、振り返った。
銀行の出入り口から、一人の男性が出てきた。その男性は二十台前半くらいだろうか。
その男と目が合った、そんな気がした。
でも、知らない人だし目が合ったと感じたのも気のせいだろう。そう思い、また前を向いて歩き始めた。
道を曲がり、人気の無い細い道に入った。
すると、背後から足音が聞こえた。その足音は走っていて、わたしと同じ道に曲がってきたようだ。
振り返ってみる。
だが、遅かった。何者かがわたしに抱きついてきたのだ。
一瞬見えた顔は、さっき目が合ったと思われるその男性だった。
「君、可愛いね。ねぇ、ちょっと付き合ってよ。そうだ、俺の家、来る?」
突然の出来事に何をしていいかわからず、とりあえずその男を突き離そうとする。だが、体に回されたその手に、わたしの手も巻き込まれていて、突き放すこともできなかった。
わたしは咄嗟に、少し上方にあるその男の顔に、わたしの頭を叩きつけた。
ちょうど鼻に強く当たったらしく、その鼻から出血するのが見えた。
男はわたしの体から手を離し、自分の鼻に手をやった。
すぐに距離を置き、助けを求めようとした。だが、人気の無い小道に入ってくる人影は無かった。
「気を失わせてさ、いろいろ見せてもらったり触らせてもらったりしようかなって、そう思ってたんだ。じゃあさ、どうせ気を失わせるんなら、今でもいいよね」
その男はショルダーバッグから何かを取り出した。
父の仕事の関係で見たことがあったから、すぐにわかった。
それはスタンガンだった。
「さっき、警察から事情聴取受けたんだけど。ただ巻き込まれた一般人だったからかな、バッグの中は見られなかったんだよね。よかったよ。こんなの見つかったらやばかったよね。
いつかさ、これを可愛い子に使って、好きなことしたいな、なんて思ってたんだよね。もちろん俺にも理性ってものがちゃんとあったから、今までは我慢してたんだよ」
何なんだこの男は。
銀行強盗に遭って気でも狂ったのか?
逃げなくては、そう強く思うも、足が動いてくれなかった。
男は笑みを浮かべながら、スタンガンを手に近づいてくる。
スタンガンがわたしのお腹付近に当てられる瞬間、
『あぁ、痛いのはやだな』
そう思った。
だが、痛みの代わりに男の呻き声が聞こえた。
「うっ、が……」
わたしにスタンガンを押し当てたはずの男が、自分のお腹を押さえてその場に倒れた。
何が起きたのかはわからなかったが、わたしはその場を離れ、さきほどの銀行へと走った。
まだパトカーが一台停まっており、警察官を見つけると、声をかけて事情を説明した。
男が倒れている小道に案内する。
男は、意識を保っていたが、でも動けないらしく、大人しく確保された。
警察官の質問に一切否定せず、すぐに現行犯で逮捕されたようだ。
「大変だったね」
事情聴取が終わると、警察官の一人がわたしに声をかけてくれた。
そして、気を付けて帰ってね、とも言ってくれた。
犯人は、たしかに銀行強盗に巻き込まれた客の一人だったらしい。
直接聞き取りをしたというその警察官は、そのときはこんなことするような人には見えなかった、と言っていた。
なぜこんなことをしたのか、そしてなんで彼が倒れたのかは、わたしも、そして誰にもわからなかった。
再び家へと歩きながら、抱きつかれたときのことを思い返した。
一瞬の出来事だったので、振り返ったとは言え、ほとんど背を向けた状態だった。
そして、そんな状態で抱きつかれた。
わたしの認知の外であったのは間違いない。
父の話では、ピンポン玉が当たるだけでも命に危険が及ぶという、わたしのからだ。
だけど、抱きつかれる、つまり力と衝撃が加わったにも関わらず、わたしのからだには何の異常も無かった。
物心ついてから、からだが壊れるような出来事は無かった。
もしかすると、気づかないうちに体質に変化が起きているのだろうか。実はもう、そんな危険を感じなくても良いのではないか。
とりあえず、父が帰ったら話をしてみよう。
からだを診てもらって、もし治っていたら、そんな嬉しいことはないのだから。
その後は何事もなく、無事に帰宅できた。
赤飯を三合分つくると、お茶碗二杯分を昼食分として、残りを夕食分にすることにした。
昼食を終えると、自分の部屋にこもり、今日の出来事を思い返す。
あの男の顔が今でもすぐ思い出される。
でも、本当に思い出したい彼の素顔は、やはり思い出すことができなかった。
午後七時少し前、父が帰宅した。
いつも白衣の父は、着替えもせずにリビングにやって来た。
そして、ソファに座ってアニメを観ていたわたしに言った。
「大事な話しがあるんだ。ご飯食べながら、ちょっと話そう」
「いいよ? 何、あらたまって。あ、今日、お赤飯つくったからね。盛大に祝ってくれてもいいんだよ」
赤飯を茶碗によそい、レンジで温めると、テーブルに運んだ。
味噌汁と付け合わせのサラダを運び終えると、父と夕食をとり始める。
「お前のつくる赤飯、相変わらず旨いな。お母さんの味を超えたんじゃないか」
そう言いながら口一杯に頬張る父。
いつ話を切り出すのかと思っていたが、とりあえずその口の中身を飲み込むまではないだろう。
その後、父はおかわりを二回した。
夕食での話題は、今日の卒業式のこと、そして、帰り道に会った変質者のことだった。
抱きつかれたこと、スタンガンを当てられたこと。でも、からだには何の異常も無かったこと、すべて伝えた。
父は大きく頷くと、なにか、心を決めたような表情になり、話を始めた。
「実は、お前に黙っていたことがあるんだ」
「うん、いい話なら聞くよ?」
「え? 悪い話しはしちゃダメなの? まぁ、悪い話ではない。良い話かどうかは、お前の判断に任せるが。
でも、何から話したらいいかな……」
「明日から学校も無いし、時間あるからゆっくり話してくれていいよ?」
「ありがとう。じゃあ、そうだな。まずは、お前の体質のこと。これまで、認知の外からの接触が命に関わる、そう言ってきた。
だけど、それは嘘だ」
「え……? じゃあ、そうか、今日の変質者に抱きつかれても無事だったのは、そういうことなの?」
「そうだな。まさに今日の出来事で説明するとわかりやすかもしれないな。
お前は、認知していようがしていまいが、そして『何をされようが』命には何の危険も及ばない。
逆に、命の危険にさらされるのは、『触った方』なんだ」
「はい、先生、全然わかりません」
「ちょっと、わたしの手を握ってくれるか」
いつも自分のことを『わたし』と呼ぶ、父の手を握った。
これまでわたしは、父以外の人に触れたことがなかった。そして、父には小さい頃から手を引かれたり、何度も触れてきた。
間違いなく、いつもの父の手だ。
「次に、お前の、自分の左手を握ってみてくれ」
言われたとおり、父の手を握った右手で、自分の左手を握る。こちらも何も変わらない、ただの自分の左手だ。
父は何を説明したいのだろうか。
「自分の手の感触、そして体温を感じるか?」
「感じるよ? 当たり前でしょ」
「じゃあ、もう一回わたしの手を握ってみて確認してほしい。今度はわたしも握り返すから」
何を言いたいのか、わからないが父の手を再び握る。
何度も触れてきたその手。
でも、初めてちゃんとその手に意識を向けた。
何も感じなかった。温もりも、そして、父が握り返しているであろう、その感触も。
手を握ったまま、わたしは父に聞いた。
「どういう、こと?」
「お前に触れているように見えるこの手。お前には触れていない」
「え?」
「でも、わたしには触れている感触はある。でも、わたしはお前の右手に触れていない。自分の左手に触れているんだ」
「全然わからないよ」
「今日、お前が体験したこと、さっき教えてくれたことを思い出してほしい。
スタンガンをお腹に当てられた、そう言ったな?
そして、お前のからだには何の異常も無かった。でも、そのスタンガンをお前に当てた男は、腹を抑えて倒れた」
「そう、だけど……」
「なぜか。
お前の腹に当てたはずのスタンガンが、その男の、自分の腹に当たったからだ」
わからない。全然わからない。
いつもの父なら、どんなに難しいこともわかりやすく伝えてくれるのに。
だけど、わたしはなんとなく、二年前のことを思い出していた。
最初の体育の授業、わたしの後頭部に向かってボールを投げつけたバカ面の少年。
でも、そのボールはわたしには当たらず、その少年はなぜか自分の後頭部を押さえて痛がっていた。
同じ状況ではないか。
よくわからない。でも、どちらも同じ事象だと言える。
なんとなくだが、自分のその体質に対してひとつの推測を立てた。
それを察したように父が微笑み、そして教えてくれた。
父もまだ全てを理解しているわけではなかった。
でも、父が教えてくれたことと、わたしの推測はほとんど一致していた。
わかりやすく言うと、わたしのからだ。
『全てを跳ね返す』らしい。