109話 スーパーウルトラファイティングアリーナ
五月五日、水曜日。
スーパーウルトラファイティングアリーナ、通称『SUFA』の正面出入り口付近には、数千人規模の長蛇の列ができていた。
五連休の最終日、十四時から、国民的アイドルグループ『アケビフルーティエイト』の大規模ライブが開催されるのだ。
SUFAの収容人数目一杯である約五万人規模のこのライブ。
出入り口には十五箇所もの受付が設置されているのだが、朝八時の受付開始から四時間が経過したにも関わらず、未だに列が途絶える様子は無かった。
チケット確認は一瞬で終わるのだが、ライブ後の握手会で『誰と握手をするか』を決めるのに時間を要しているのだった。
アケビフルーティエイトは、そのグループ名のとおり八人のメンバーで構成されている。
国内外を問わず、世界中に一億人を超えるファンを持つこのグループ。
ファンの人気はメンバーの一人に集中しており、その割合は、実に九九パーセントを占めていた。
そのため、握手会を開催すると、その人気メンバーとの握手を希望するファンが集中してしまう。よって、毎回『くじ引き』により握手するメンバーを決めるのだった。
はじめからその一番人気のメンバー以外を希望するファンは、くじを引くこと無く決定する。そのため、第二希望のメンバーとの握手を求め、くじ引きを回避するファンも少なからず存在した。
それでも、やはり八割近くのファンが、一人のメンバーとの握手を希望するのだった。
受付では『うぉーっ!』『しゃーっ!』『ぎゃーっ!』といった奇声が轟いていた。
グループのライブ受付での風物詩ともなったこの光景。
列を成すファンにとって、他人のくじ引き結果を見るのも一つの楽しみであり、長時間待たされても誰一人苦情を言うことは無かった。
今回のこの大規模ライブは、参加者全員がライブ後の握手会にも参加できるという仕様から、十億を超える応募があったという。
応募は無料で、しかも回数制限が無いことから、一人で百万回もの応募をした猛者も現れた。
ネットニュースで騒がれたその猛者は、応募開始から応募終了までの一か月間仕事を休み、ひたすら応募ボタンをクリックし続けたのだという。
三十日間を秒数で表すと、約二六〇万秒。二.六秒に一回応募ボタンをクリックすれば達成可能なのだ。
だが、応募ボタンをクリックして、応募完了画面を見て、戻ってまたクリックする。その一連の作業は、いくら素早くクリックしても、パソコンがハイスペックでも、四秒は要する。
つまり、パソコン一台では不可能。
この人物は、なんとパソコン四台を準備して自分の四方を囲み、回転する椅子でグルグル回りながら応募を続けたのだという。
『トイレ、食事はどうしたのか?』インタビュアーの質問に、その人物はこう答えた。
『気付いたら一か月経っていた』。
そしてその人物は、『ぐるぐる回っていると一か月後にワープする』という理論を提唱した。
誰もが思った。一か月間もグルグル回ると、頭がおかしくなるのだと。
――SUFA内の控え室。
ステージでの最終チェックを終えたメンバーたちが、スタッフとともに最後の打合せをしていた。
「紫音、鼻血は止まった?」
「うん。心配かけてごめん!雑念はもう無くなったし、大丈夫だよ」
「もうっ!紫音は鼻血出す側じゃなくて、出させる側なんだよ!」
メンバー最年長でリーダーの『朱美』は、紫音の鼻からの大量出血を心配していた。
だが、紫音の完全復活した表情を見て安心し、メンバーを見回すと、
「よし、時間だね!いくよ!」
打合せ開始から一時間。メンバー八人は立ち上がり、いつもの掛け声を始めるのだった。
「この世はアイドル戦国時代。これから向かうは戦場!」
「おぉ!」
「いくぞっ、朱美!」
「京子!」
「静子!」
「茂美!」
「一恵!」
「英梨華!」
「凜!」
「紫音!」
「アケビフルーティエイト!」
「おぉっ!」
掛け声により、メンバー、そしてスタッフ全員のテンションゲージが振り切れた。
漫画で表現するならば、メラメラと燃えるようなその目を合わせると、皆で頷く。
そして再びパイプ椅子に座ると、打合せが再開された。
打合せ開始後一時間に掛け声をかけ、そしてまた打合せを一時間行い、直前には円陣を組むことも無くステージへと向かう。メンバーとスタッフにとっては、いつものこの光景。
だが、今日はいつもとは場の雰囲気が異なった。
とあるテレビ局が、ライブに臨むメンバーたちに密着取材をしているのだ。
後日、ドキュメンタリー番組として放送されるらしい。
「・・・掛け声のタイミング、独特ですね?」
インタビュアーが、リーダーの朱美に質問した。
「ステージに出る直前に円陣を組む。それが一般的なのでしょう?でも、考えてみて下さい。掛け声ってそもそも何のためにあるのか。一致団結して、頑張るぞ!という、言わば起爆剤のような、ドーピングのような役割ですよね?
でもみなさん、ドーピングって、走る直前。例えば一〇〇メートル走のスタートラインで打ちますか?打ちませんよね?」
「朱美、ドーピングの例えはやめようって、この前話したばっかりだよね?」
ツッコミ役なのか、静子が冷静に指摘をする。
「あっ!んんっ・・・ドーピング、ダメ、絶対!・・・ああ、そうですね、例えが悪かったですね・・・お薬を思い浮かべて下さい。例えば、花粉症のお薬とか。飲んですぐには効きませんよね?飲んでしばらくしてから効果が出る。
掛け声も同じだと思っています。もちろん、掛け声の場合は即効性が抜群なのはわかっています。そのテンションのままステージに向かうべきでしょう。でも、わたしたちはそれをお薬のように考えています。
掛け声から一時間後に、最大限の効果が現れる。ということで、わたしたちは打合せの途中に円陣を組むことにしています。以上」
「なるほど・・・とすると、ライブ直前に再び掛け声をかけることは無い、と?」
「その通りです。八人がすくっと立ち上がり、まるで御手洗いに行くかのようにステージへと向かうのです」
「・・・それは楽しみですね。あと、失礼かもしれませんが・・・皆さん、というか半分くらいでしょうか。平成生まれにしては名前が昭和臭いというか・・・」
「言い得て妙というやつですね。そのとおり。我々は小惑星をコンセプトにしているのです」
「うん?」
「太陽とか月とか、存在感がありすぎる星たちは、ソロで活躍することでしょう。でも、わたしたちは小惑星。輝く星がいくつか集まって星座となって、より輝くグループなのです!」
「おぉ!素晴らしいです。ところでみなさんの名前の由来は?どうやら小惑星からきている訳では無いようですが?」
「ええ。実は、というか知っている方も多いと思いますが。もともとは『アケミフルーティファイブ』という五人組のグループだったんです。そのときから小惑星というコンセプトは変わっていません。
結成当時はみんな、小惑星から名前をとっていました。だけど、ほら、格好良い名前をつけると背伸びをしてしまうんですよね?それに、おじいちゃんおばあちゃんには『外国人か!?』ってよく聞かれて。
そこで、みんなで考えたんです。コンセプトは変えず、良い名前は無いか、と。小惑星・・・しょうわくせい・・・」
「・・・オチは誰もがわかるでしょうから、敢えて聞きません。とにかく、昭和臭い名前にした、そういうことですね?」
「はい。そのおかげもあって、昭和時代を生きた方々からの人気を得ることができました。ただ、今や時代は令和。平成臭さも必要だろうと、一年半前ですね。新たに三人、『英梨華』『凜』『紫音』を迎え入れたのです!」
「なるほど。老若男女問わずに人気がある理由がわかりました。では、最後の質問です。今や世界中で一億人をも超えるファンを魅了しているみなさんですが。人気の秘訣などありましたら、後世のアイドルのために教えて下さい」
「はい・・・紫音ですね!」
「はい?」
「紫音のおかげです」
「あの・・・たしかにそれは明らかですが、でも敢えて触れなかったんだけど・・・え、それ言っちゃって大丈夫?」
「大丈夫ですよ?先ほど、ファンが一億人以上いると仰いましたよね?そのファンの方々の割合ですが。紫音が九九パーセント、そして残りの一パーセントを残りの七人で争っています。
でも、考えてみて下さい?一億人の一パーセントって、百万人ですよ?単純に七で割っても、一人につき十四から十五万人ものファンの方々がいるということ。それってすごいことだと思いません?」
「たしかに・・・一人のファンだけでもSUFAをいっぱいにすることが可能ですね」
「そうなんです!・・・思うところが無いと言ってしまうと嘘になるかもしれません。紫音は小惑星じゃない。他のメンバーは一際強く輝く紫音に照らされているだけ。そんな意見もあることでしょう。・・・でも、紫音は言ってくれました」
カメラが、朱美のすぐうしろにいた紫音を映し、そしてすぐに朱美へと戻った。
「『わたしはアケビフルーティエイトのメンバー。みんなに照らされているから、より輝くことができるのだ』と。そう、紫音の輝きがもともと強いのは知っています。でも、わたしたちが紫音に照らされるように、わたしたちだって紫音を照らしている。その輝きを増している。
誰がすごいとかじゃなくて、わたしたちは八人で一つの大きな輝きを持つ。八人でアケビフルーティエイトなのです!」
次々と涙を流すメンバー。そしてそれを映すカメラマンも、涙を流して小刻みに震えていた。
インタビュアーも鼻をすすり、だが質問を続けた。
「素晴らしいです・・・では最後に、今後の目標を教えて下さい」
「はい。わたしたちは、宇宙一のアイドルを目指します!」
「素晴らしいですね。では宇宙進出を狙っていると?」
「はい。アイドル初・・・いや、人類初の無重力ライブを実行して見せます!」
「おお。ではまずは科学技術の発展に期待しましょう!」
「はい!」
インタビューが終わり、打合せが再開された。
先ほどまでの和やかな雰囲気から一転し、真剣な表情で話し合いがされていた。
その様子を、インタビュアーは小さい声で実況し始めた。
『毎回、ライブでは数万人ものファンを熱狂させる彼女たち。掛け声のタイミングには少し驚かされましたね。では、開始直前の打合せでは何を話しているのでしょうか?』
音声マイクが打合せの席に近づけられると、その会話を拾い始めた。
「・・・わたしはやっぱり、違うと思う」
「わたしも納得いかないよ!」
「もう一回整理しよう?」
『白熱しているようですね。ライブの演出に不満でもあるのでしょうか?』
「じゃあ、もう一回。一人一つ、意見を挙げていくよ?」
「うん。じゃあ、わたしから」
『どうやら凜ちゃんから何かを挙げていくようです』
「・・・お寿司!」
「焼き肉!」
「お寿司!」
「焼き肉!」
「焼き肉!」
「中華料理!」
「焼き鳥!」
「お寿司!」
『・・・どうやら打ち上げで何を食べるかで揉めているようですね・・・この楽しみがライブの活力に、そして最高のパフォーマンスに変わるのでしょう。そして、意見はお寿司と焼き肉で別れたようです』
「前回焼き肉だったから、今日はお寿司で良いよね?」
「ダメだよ!連続とか関係無い。焼き肉が良いの!」
「多数決も良いけど、それじゃ、いつまでたっても中華料理食べれないよ!」
「焼き鳥だってそうだよ!?」
『揉めていますね。ライブ開始まであと十五分くらいですが・・・解決するのでしょうか?』
「仕方無い・・・じゃあ、今回も握手会で決めるよ?」
「異議無し!」
『握手会・・・もしかするとファンの皆さんにも意見を聞くのでしょうか?』
「今日は何色にする?」
「前回は赤だったよね?じゃあ、青で良いんじゃない?」
「そうだね。こればっかりはただの運だから、色は何でも良いもんね」
「じゃあ、握手会で『青いものを身に付けている人』が多かった列のメンバーが食べたいものにする。良いね?」
「異議無し!」
『・・・いつも、メンバー全員が握手をしながら何かをカウントしていましたね?何の統計資料かと、様々な憶測が飛び交っていましたが。みなさん、謎が解けましたよ!』
開始二分前になった。
控え室が本当の緊張に包まれる。
「良い?みんな、打ち上げのことは一旦忘れるよ?」
「オッケー!」
「ライブが無事で済まなかったら、打ち上げなんて無いんだからね?」
「知ってる!」
「ライブを大成功させて、盛大に打ち上げやるぞ!」
「おぉ!」
『一旦忘れるも何も、打ち上げのことしか考えてないですよね?』
開始三十秒前。
メンバー全員、何も言わずに立ち上がった。
そして、何も言わずにステージへと向かった。
すぐにライブが始まると知らなければ、ただみんなでトイレに行くのかな?と思えるような足取りだ。
八人がステージに立ち、ポーズを取ると、一曲目のイントロが流れ始めた。
十四時ちょうど。
五万人の大歓声とともに、幕が上がった。