102話 お近づきになりたい
まずは天照奈と勉強をする姿を思い浮かべる裁。
ここ一か月間で、ようやく天照奈との二人暮らしにも慣れてきた。
初めは、二人だけの食事では正直、味わう余裕が無かった。ただ栄養を取るだけの、満腹中枢を刺激するだけの行為に過ぎなかった。
味を問われても、『すごく美味しい!』の一択だったのが、最近はしっかりとコメントを言うことができるようにもなった。
ただ、コメントのバリエーションは『美味しい!』『すごく美味しい!』『これまでの人生、そしてこれからの人生で一番美味しい!』しか無いのだが。
だから一緒に勉強しても、ドキドキしたり鼻血を流すことは無いと思うのだが・・・そもそも、天照奈は『勉強しない』のだ。
どんなスキルかはわからないが、教科書や授業のデータをちょっと見れば覚える。
まさに女神の所業と言えよう。
一緒に勉強しても、おそらく天照奈は数分で終え、アニメの勉強を始めるに違いない。
次に東條紫乃。
紫乃は、裁のすぐ近くにいれば、素肌を覆う必要が無い。
環境的には、紫乃が一人で勉強するのと同じくらいに優れていると言えるだろう。
一緒に勉強すれば、わからない問題を教え合うこともできる・・・いや、紫乃が一番わからない問題、『天照奈ちゃんと一緒にお風呂に入るには?』を一緒に考えさせられるだろう。
たとえ、奇跡的にお風呂チャレンジに成功したとしても、紫乃はさらなる高みをめざすだろうし・・・。
何より裁は、紫乃にからかわれている光景しか思い受かべることができなかった。
そこで身につくのは、より高度な『つっこみスキル』だけだろう。
相良武勇。
レスリング世界一を目指す肉体派の相良であるが、意外にも友達の中で一番成績が良い。
レスリングの練習も、勉強も、効率良くこなしているのだろう。
だから、彼と一緒に勉強することで、裁にとって学べることが多いに違いない。
だが・・・二人でいると、からだを鍛える方向に走ってしまうだろう。
相良が言うに、裁はレスリング練習に使うひどく重い人形の『超上位互換』らしい。
最近では、裁を見ると投げたくてからだがうずうずするらしいのだ。
つい先日も、何かを我慢するように自分のからだを抱いている様子を見かけた。
普段は、高性能スーツのフードを被らない。その状態で投げられると、さすがの裁でも無事では済まないだろう。
つまり、二人でいると、と言うより、相良の近くにいると危険なのだ。
清水野太一。
・・・ああ、彼となら一緒に勉強しても、何の支障も無いに違いない。
太一を初めて見たとき、外部からの干渉を拒絶するような雰囲気を感じた。だが、裁が近づいたからか、あるいは何か彼を変えるような出来事があったのか。その壁もすっかり無くなっていた。
もともと家族思いで、特に弟思いの彼は、とても面倒見の良い優しい人柄を見せるようになったのだ。
でも、おそらくだが・・・太一も、そして裁自身も、『一人で勉強するのと何ら変わりないのでは?』と思うことだろう。
友達四人との勉強イメージを終えた裁。念のため、友達の数を数えることにした。
友達はちょうど五人いるため、開いた五本の指を折るだけで良かった。
天照奈、紫乃、相良、太一。
ん?四人?
・・・一人足りない。右手の親指から折っていた裁。最後に残った小指をじっと見つめた。
思い出したように、ふと、その小指の爪を見る。すると、そこには油性ペンで小さく『ふ』と書かれていた。
・・・・・・そうだ、不動堂瞬矢だ!
不動堂瞬矢。不動堂自身が持っていた『過度な自信』から、人と群れることを拒み、ひたすら孤高の存在を目指していた。
だがしかし、裁と近づいたことで、『人と群れること』への抵抗を失い、楽しみ、そして喜びを覚えるようになった。
だが、『過度な自信』だけが残ってしまい、学校では浮いた存在、そして存在感が孤高になってしまったのだ。
それが原因で、天照奈からはその姿すら見えなくなってしまい、彼の精神は一度、絶滅した。
だが奇跡的に復活を果たした不動堂は、『過度な自信』を失うことで、ただの努力家の好青年に生まれ変わったのだった。
それでも存在感が薄いということは、もともと孤高というよりは、内面を表に出すことが苦手な性格なのだろう。
過信を失った努力家の不動堂は、猛勉強によりその成績を急上昇させていた。
もしかすると、裁よりも勉強に費やしている時間が長いかもしれない。
だが・・・残念ながら、黙々と二人で勉強し続ける姿しか想像できなかった。太一と同じく、一人で勉強しても変わらないだろう。
これらのことを考えていた裁。
おそらく一人一秒、合計で四秒・・・じゃなくて五秒ほどしかかからなかっただろう。
そして裁は、さらに一秒追加して、解を導いた。
そうだ、まずはみんなで勉強をしてみれば良いのではないか?
勉強合宿のような、勉強をするために集まり、勉強しかできない環境で、勉強をするのだ。
そこで、実は一緒に勉強するのに相性の良い友達を見つけることができるかもしれない。
六秒ぶりに紫音と向き合うと、裁は答えた。
「うん。紫音ちゃん、一緒に勉強しよう!でもね、良いこと思いついたんだ。まず、みんなで集まって勉強しない?ほら、紫音ちゃんも学校に入る前に、みんなと顔を合わせることもできるし」
「名案!サイサイすごい!ただのサイクロプスじゃないんだね!」
紫音の目が輝いた。
もしも紫音のファンがその目を見ていたら、黙って一億円くらい差し出しそうな、宝石のような輝きをしていた。
だが、裁はその目よりも、残り二人の反応の方が気になってしまった。
「えーっ・・・勉強ですか?」
「・・・わたし、アニメ観てて良い?」
「天照奈ちゃん、本当に、それで、何で成績良いの!?すごいを通り越して恐い・・・あ、これか」
裁は、紫乃と紫音の会話を思い出し、納得した。
「ごめん、冗談だよ、裁くん。紫音ちゃんの代わりに転出することになったら困るし、わたしも勉強頑張るよ!」
「天照奈ちゃんがそう言うのなら、ボクもやりますよ!どれ、みんな実家に帰ったとは言え暇してそうですしね。五連休の四日目、明後日にでも緊急招集しますか!」
「賛成!!」
裁と紫音が歓喜の声を上げた。
・・・天照奈は、勉強会の開催を喜ぶ二人を見て、あることを考えていた。
もう一つの疑問のことであった。
それは、紫音が裁に近づいてから。そして、紫音が裁の手を握ってから、ずっっっと思っていたことだった。
『この子・・・いつまで裁くんの手を握っているのだろう』
才能は無くなることなく済んだ。そして、天照台高校に行きたい思いが発現した。学校に入れる入れないの話をして、そして今、勉強会の開催が決定した。
ここまでおそらく十五分くらい経過しただろう。
その間ずっと、手を握りっぱなしなのだ。
『手を握ったまま、二人でその手を上げて喜んでた・・・裁くんも、気にならないのかな?』
天照奈は気付いた。ふとした違和感が何だったのか。
紫音が二回言った『お近づきになりたい』という台詞。
これは物理的に近づくのではなく、心の距離を近づけたいということではないのか・・・
そんな天照奈の思いを察したのか。
紫乃はニヤニヤと、だが少し困った顔をしていた。
握った手、握られた手を上げ下げして喜んでいる裁と紫音を横目に、紫乃は小さい声で天照奈に言った。
「ボク、できれば紫音と裁くんを出会わせたくなかったんです。今回は仕方が無かったのですが・・・でもね、もしかすると、これも紫音の思惑どおりなのかもしれません」
「・・・思惑?」
「紫音が言っていましたよね。わたし、紫音に学校のことを話すときは、そのほとんどが天照奈ちゃんのことなんです。
そして次によく話すのが、サイくんのこと。
運命のサイクロプスだってこと。超絶な運動能力を身に付けていること。超が付くほど勉強大好きだってこと。そして、典型的なツッコミ属性だってこと。
それらをひっくるめて・・・いえ、たとえそんな能力とか無しにしても、サイくんのことが大好きだってこと。
ボクと紫音、ぱっと見の外見と、好みはほぼ一〇〇パーセント同じだと思って下さい。でも、ボクと紫音では決定的に違うところがあります。
それは『音楽の才能』。
あと・・・これが重要なのですが、『性別』『趣味が勉強』というところが大きく違います。・・・これが何を意味するかわかりますか?」
「女の子で・・・趣味が勉強で・・・裁くんのことが大好き・・・?」
「好みが一緒と言うことは。ボクと一緒で、好きな殿方がサイクロプスなんです。ゲームのキャラクターグッズですけど、サイクロプス人形を抱いて寝てるんですよ?あの子」
「サイクロプスも大好き・・・」
「ボクは天照奈ちゃんの味方ですけど。紫音が出てきちゃったら・・・ごめんなさい。いくら天照奈ちゃんでも、紫音がハナ差で一番なんです・・・」
「たったのハナ差なんだ・・・えっと、つまり?」
「紫音はサイくんのことが運命的に大好き。そして、サイくんにとって、現時点で唯一『趣味が合う』人間なんです」
「・・・つまり?」
「やーん!もうっ!つまり、恋の好敵手ってことでしょうが!」
「えっと・・・そんな、ライバルも何も、わたし裁くんのこと好きだなんて言ってないし・・・」
「ええ。言ってないし、聞いてもいません。言うなれば『わかる』です」
「・・・」
「ズボッシ!でしょう?・・・何も言わなくて良いですよ。そして、安心して下さい。察しの良さだけで言えば、紫音よりもボクの方が上です。
きっと、これから一緒に、近くにいたとしても、天照奈ちゃんの超厳重に保管された恋心には気付かないでしょう」
「紫乃ちゃん・・・」
紫乃はそれ以上何も話さなかった。
本当は、もっと天照奈のことを安心させてあげたかったのだろう。
『サイくんも、天照奈ちゃんのことが大好きなんですよ。ライクじゃなく、ラブの方です!』
『つまり、両思いということです。ヒューヒュー!』
などと言いたかったのだろう。
でもそれを言わなかったのは、世界一大好きな紫音のためを思ってのことか。
当人たちの問題だと思ったからか。
それとも、紫乃が天照奈のことを本当に・・・。
それは、紫乃にもわからなかった。