101話 勉強が趣味
初めて聞いたであろうその話を、まるで自分のことのように詳細に、そして感情を込めて説明した天照奈。
それを聞いた紫音と紫乃は、
「本当に・・・すごいを通り越して恐いんだけど」
「恐いも通り越して、まさに『神』ですね」
と、まるで破壊神を見るかのような目で天照奈を見ていたのだった。
「わかったけど・・・紫音ちゃん、大丈夫?心の準備が必要じゃない?」
「わたし、紫乃におじさまの話を聞いてから、ずっと考えていたの。ずっと心の準備もしてきたつもり。だから、大丈夫だよ」
「・・・わかった。じゃあ、近づくけど、どうする?僕から近づく?」
「わたしからお近づきになりたいな!」
・・・お近づき、と聞くと、何やら違和感を持ってしまう天照奈。
だが今はそんなことを考えても仕方が無いので、二人のやりとりを注視した。
「わたしから近づいて・・・もし、嫌じゃなければだけど・・・手を握ってもいい?」
「う、うん・・・僕は良いけど。あ、でも今は手袋付けてないんだった」
「気をつけないと握りつぶされますね」
「ふふっ。わたしが握るだけ。だから、大丈夫だよ」
そう言うと、紫音は一度大きく息を吸って、大きく吐いた。
笑っていた顔が、一瞬で真面目な顔になった。息を飲んで見つめる天照奈と紫乃。
そして、握手をするように右手を差し出した裁に向かって、紫音が歩き始めた。
二メートルあった距離が一気に縮まる。
紫音は裁の右手を、両手で包み込むように握った。
――紫音は裁の手を握ったまま、目を閉じて立ち尽くしていた。
手を握られている裁。そして離れた位置で見守る天照奈と紫乃。
しばらく、誰も動かなかった。動いていたのは、時間だけ。
おそらく、たった数秒間の出来事だっただろう。
だが、裁にはひどく長く感じられた。
最初に言葉を発したのは、紫乃だった。
「紫音・・・どうなの?声は・・・声は出る?」
泣きそうな、ひどく弱い声で、だが優しい声で紫乃は聞いた。
紫音は、裁の手を握ったまま、そして、目を閉じたままだった。
「もしかして・・・声、出ないの?ねぇ・・・紫音・・・」
天照奈は、紫乃の手を握ってあげていた。
逆ならば触ることができない天照奈の手だが、握られた紫乃の手には、その優しい温もりが伝わっていた。
温かい・・・
紫乃は、天照奈のその温もりをとても心強く感じた。
そして、
「・・・ああ、温かい・・・サイサイの手、すべすべして綺麗だけど、でも、やっぱり男の子の手だね」
「し、紫音・・・声が、出るの?じゃあ・・・」
「うん。わたしね・・・」
これまでと全く変わらない、綺麗で、透き通ったその声で、紫音は言った。
「わたし、天照台高校に通いたい!」
「?」
「えっ?」
「はぁっ!?」
紫音のいきなりの発現、いや、発言に驚く三人。
「え、ちょっと、紫音・・・え!?」
「紫音ちゃん、声は出るみたいだけど、歌は?」
「あぁ~はぁ~・・・うん、変わらないみたい、あははっ!」
「良かった・・・良かった、紫音!・・・ええと、じゃあ、何?体質は何も変わらないということは・・・」
「さっきの発言が、発現したもの・・・ってこと?」
「もしかして、何かあったときのこと・・・紫音が考えていたことって」
「うん。わたし、天照台高校に通いたいって、ずっと思ってたの!」
体質は何も変わらず、ただ、強い思いが発現された紫音。
紫乃の描く最高の展開。だが喜ぶ気持ちも一瞬で通り越し、すぐに疑問へと至った。
「紫音、一旦整理するね?紫音の体質は変わらない。ただ、紫音が強く思っていることが発現された。そしてそれは、『天照奈ちゃんと一緒にお風呂に入りたい』ではなく、『天照台高校に通いたい』ということだよね?」
「うん、そうみたい」
「何で・・・何で、お風呂の方じゃないの?」
「そこ!?」
「だって、強行する紫音に便乗して、ボクもあわよくば、って・・・あ」
「紫乃ちゃん、そんなこと考えてたんだ・・・」
「いや、もちろん、紫音を心配する気持ちが一番ですよ?・・・それにしても何でそんな思いが・・・しかも一番強かったってこと?」
「わたしね、『歌でみんなを幸せにしたい!』その想いが一番強いの。でもそれは願いというか責務だと思っているんだ。次に思っていたのが高校のこと。ほら、中学の二年生の時に今のグループに入って、それからは学校よりもアイドル活動がメインだったから・・・わたし、学校への憧れが強いんだ」
「それにしても、何で天照台高校なの?」
「それはね、紫乃が楽しそうな、幸せそうな顔をしているからだよ。
中学校までは、学校の話なんて全然しなかったよね?いつもわたしの話を、歌を聞いて喜んでくれた。
でも、ふふっ。高校に入ったら、いつも楽しそうに、嬉しそうに、友達の話をするようになった。その六割が天照奈ちゃん、二割がサイサイ、二割がラブくんて男の子の話。
ただでさえ学校への憧れが強いのに、そんな楽しそうな紫乃を見たら。我慢できないよね。
それと、ね。
紫乃、ごめん。
わたし、嫌なことも考えちゃってた。わたし、おばさまと紫乃の想いも背負ってるなんて、自分勝手な思いだったのに・・・人を幸せにしたいのは本当。そのためのアイドル活動は本当に楽しいし、幸せだと思っている。
でも、そのために学校への憧れを捨てて、頑張っているのに・・・紫乃の分まで頑張っているのに、何で紫乃は学校であんなに楽しそうに・・・それにね、紫乃がわたし以外の人と仲良くするのも初めてだったから、嫉妬もあったのかな・・・」
「紫音・・・」
「ごめんね、紫乃。わたしが抱えていた不安とか、責任感とか。その中にそんな汚い思いもあったみたい。でもね、そんな思いを、我慢していた思いを、どうすれば無くすことができるのか。
ああ、わたしが紫乃と同じ学校に通えば、全て解決するんじゃないか。そう思ったの。
だって、そうすれば、世界で一番大好きな紫乃と一緒にいられるし。紫乃が大好きな友達とも一緒にいられるし、ね?」
「紫音・・・ボクこそ、ごめん。知らない間に紫音に責任を、願いを託して。それなのに、紫音の気持ちも考えないで、自分のことしか考えていなかったよね?」
「ううん、紫乃は悪くないの。わたしが弱いから、強い紫乃が眩しく見えてしまっただけ。ね、いいでしょ?わたし、天照台高校に通いたい!」
「ふふっ。紫音も一緒だったら、毎日楽しすぎて、三年間あっという間に終わっちゃうね!あ、でも、アイドル活動との両立は大変じゃない?」
「大丈夫だよ。さすがにツアーとかライブのときは休むけど。練習とかはね、ふふっ、この才能のおかげで人より早く済ませちゃうから」
「さすが紫音です!」
裁に近づくことで、抱えていた思いを発現した紫音。
その雰囲気、そして目の奥にあった怯えや不安は、完全に消えていた。
そんな紫音を見て、天照奈は目頭が熱くなる一方で、二つの疑問を持っていた。
まず一つ目。
感動的なこの雰囲気に水を差すようだが、天照奈は思い切って聞くことにした。
「あの、そもそもなんだけどね?天照台高校に・・・入れるものなの?」
「それは、制度的なものですか?それとも紫音の学力的なものです?」
「制度的なものだよ。一学年六十人って決まってるよね?しかも教室の大きさを見ても、それ以上入れるとは思えないし」
「天照奈ちゃん・・・さては、個人端末をよく見てないですね?校則は無いですけど、ちょっとした罰則というか、決まりがあるんです」
「へえ。わたし、端末って予習と復習でちらっと見るだけだから」
「・・・なんでそれでボクより成績良いんですか?もうっ!」
「裁くんは知ってる?」
「あ、うん。端末の操作がわかったら面白くってさ。その日のうちに端末のデータは全部見たよ」
「そ、そう・・・じゃあ、わたしだけ知らないのかな。その、決まりって何なの?」
紫乃は、口数の少ない裁に発言の機会を与えるためか、あごで裁を促した。
裁も大人しくそれに従う。
「年に二回、六月と十二月の初めに全国模試があるらしいんだけど。その結果でクラスの最下位になると、余所の高校に転出させられちゃうんだってさ」
「えっ!?そんなのあり?」
「それが、あり寄りのありなんですよ・・・ほら、もう一か月前ですし。クラスの雰囲気がピリピリしているのに気が付きませんでした?」
「雰囲気には気付いてたけど、ほら、五月ってそういう時期なのかなって・・・」
年にクラスメイトが二人、そして学年で六人も入れ替わる。
優劣を付けないという教育方針だが、学生の本分である勉強ではしっかりと優劣をつけるらしい。
それを知り、急に焦りを感じ始めた天照奈。
この連休を、ホストクラブ、カラオケ、裁の父親の小ボケに付き合って過ごして良いのだろうかと思い始めた。
「天照奈ちゃんは大丈夫ですよ。ちょっと本気を出せばクラスで一位二位は確実でしょう。ボクも、学校が変わったら天照奈ちゃんとお風呂入れなくなりますから、絶対に最下位にはなりませんしね」
「でも、その・・・紫音ちゃんて・・・」
「ははぁん。天照奈ちゃん、アイドルは勉強できないと思ってない?」
「ごめんね、でもほら、いくら練習が人より早く終わるとは言っても、忙しいから勉強する暇も無いかと思って」
「ふふっ!紫音はね、アイドル活動以外の趣味が無いんです。想像して下さい。サイくんが勉強の合間にアイドル活動をしている、そんな姿を」
天照奈は、勉強に一区切りつけ、アイドル衣装に着替えて歌って踊る裁を思い浮かべた。
あまりに非現実的な想像のためか、一つ目の巨人が棍棒を片手に暴れ回る姿が思い浮かんだ。
「・・・想像できないけど・・・えっと、勉強が趣味ってこと?」
「そうなんですよ。困ったものです。中学校の時の成績はわたしより、ちょっと上でしたからね」
「中学校の時はちょっとだけだったけど。今はもっと上だと思うよ?」
「えっ!?紫音、もしかしてアイドル活動おろそかにしてない?」
「ふふっ。わたしがこれ以上頑張ったら、CDの工場生産量が追いつかないよ?あと、一億人収容できるライブ会場もつくらないといけなくなるでしょ?」
「うっ・・・紫音が言うと、あり得ないこともあり得てしまうからな・・・ん?これさっきも同じようなこと言ってたな。ああ、サイくんの体質と一緒ですね」
「それに練習も、他のメンバーの半分以下の時間で終わるし、余った時間は勉強しかすることないもんね!」
「まさに女版の裁くん・・・」
「じゃあ、六月の全国模試を受けて、順位が良ければ天照台高校に入れるってことでしょ?」
「紫音の場合だと・・・志願すれば、アイドル活動の実績だけでも入れそうですけどね。ソロシングルだけで総売上げ一千万枚超えてますから」
「ふふっ。でも、もっと勉強頑張らないと!・・・じゃあ、サイサイ、一緒に勉強しましょ?」
「えっ・・・」
裁は瞬時に悩み、解を導こうとした。
普段であれば、『一緒に勉強しよう!』などと言われたら、大喜びで了解するだろう。
他の人にとっての『カラオケ行こう』や『ゲームやろう』と同等なのだ。
だが・・・ついさっきまで、この子の歌声を聴いて、勉強どころでは無くなってしまったのだ。
勉強中に歌うことなどもちろん無いとは思うのだが、それでも頭の中に残るイメージ、そして彼女が放つオーラが裁の勉強心を邪魔するのではないかと思ったのだ。
「・・・もしかしてサイサイ、一人じゃないと勉強できない派?」
「そういえば裁くんとお勉強したこと無いですね」
「わたしも。一緒に住んでるけど、風呂トイレ勉強は別なんだよね・・・あともちろん就寝も」
裁はさらに考えた。
今、紫乃と天照奈が言ったとおり、そういえば誰かと勉強したことが無かった。
誰かと勉強すると効率がどうこうではなく、そもそも一緒に勉強する友達がいなかったのだ。
裁は、まずは紫音とではなく、その他の友達と勉強する光景を想像してみることにした。