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今夜、王子様は死にます  作者: 春空ナツ
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いつもの朝

 


 この日私はいつにも増して憂鬱だった。


 朝、食器が割れる音で目が冷めたら、昨日新しく入った使用人が私のお気に入りのティーカップを割ったと言うのだ。

 お気に入りのティーカップはただのティーカップではない。十年前に亡くなった私のお母様が愛用していた、最後のカップだったのだ。


 割りたくないのなら使わず大切に保管すれば良いのにと思うだろうが、普通のカップで飲むのとは一日の始まりの気分が断然違うのだ。


 朝、私は天国のお母様に感謝をし、心の中で話しかける。自分に自信がない私だけれど、お母様のように優雅で優しい素敵な人になれますようにと願いを込めて、私は一杯の紅茶を飲む。

 その一杯を飲む時間はとても神聖で、私の心を整えてくれる毎日のルーティンでもあったのだ。


 形あるものはいつか壊れる。新人の使用人を責めはしなかったが、私は学園を半日休んでベットの中でうずくまっていた。


 少し目が腫れていたのでこのまま学園を休もうかと思ったが、ある理由で私はベットから無理やり重い腰を上げる。


「今日はこの水色のドレスに髪の毛は編み込みのハーフアップでお願い」

「はい、アイシャお嬢様」


 薄く目元に化粧をしてもらい、小ぶりでさりげないアクセサリーを身につける。最後に少量のお花の香水を纏えば完成だ。


 家を出て馬車で揺れる事十五分。王都の中心にある、この国唯一にして最大の学園に着いた。


「アイシャ!!」


 聞き慣れた声が私を呼び止める。

 今は丁度お昼休み中だった。私は午前中学園を休んだ理由を聞かれたくなかったので、人通りが多い食堂を避け、少し迂回して裏庭の道を教室まで歩いていたのだ。

 私と同じシルバーの髪と薄い紫色の目をした美男子が慌てて駆けつけて来た。


「お兄様……」

「アイシャ、今日はゆっくり休んでいるものだと思ったから驚いたよ。もう大丈夫なのかい?」


 少し息を切らしたお兄様が心配そうにして私の顔を伺っている。

 今朝はショックのあまり部屋から出られなかった。お兄様は何度も部屋の前に来て声をかけてくれたが、ベットでうずくまり声を殺して泣きじゃくっていた私は返答できなかった。

 泣いているとお兄様に気づかれたら更に心配をかけてしまうので、侍女を通して大丈夫だから心配しないでと伝えただけだった。


「ふふっ、お兄様が学園で息を切らしているのを初めて見ましたわ」


 無理やり笑顔を作り、はぐらかすように私は言った。

 辛いことがあるとすぐに泣くし、引きずってしまう。そんな弱い自分が大嫌いだ。しかし本音を言うと、大丈夫かと聞かれたが大丈夫ではない。今朝割れたカップを思うと、いまだに涙が溢れてきそうだった。


 お兄様はそんな私の強がりを見て、苦笑いした。


「今日はアイシャの顔が見られないと思ってたんだ。それは慌てるさ」

「……お兄様は大袈裟です。でも、……し、心配かけてごめんなさい……」


 恥ずかしくてお兄様の目を見れなかった。本来なら一日中部屋で引きこもってグズグズ泣いていただろう。子供のような私を見抜いている。さすがお兄様だ。

 お兄様はそんな私の頭を優しく撫でてくれた。


「今日はまだ朝の挨拶をしていなかったよね。アイシャ、こっちへ」

「え、朝の挨拶って、ここでは……お兄様!?」


 お兄様は私の手を引っ張って、庭の木陰へと入った。

 私は驚いたが周りに人がいないかキョロキョロ確かめる。


「遅くなったけど、おはよう。アイシャ、今日も愛しているよ」

「……!!!!」


 蕩けるような顔でお兄様は私の頬にキスをした。

 ちなみにこれは、小さい頃からしている毎朝恒例の挨拶だ。でもここは家の中ではないのだ。周りを気にして木陰に連れてきたと思うのだが、万が一にでも誰かに見られたらと思うと顔から火が出そうだった。


「アイシャからは挨拶してくれないのかい……?」

「えっ……?!!」


 お兄様は捨てられた子犬のような顔をして私の顔を覗き込む。その反則級の顔は卑怯である。


 観念した私はもう一度辺りを見回して、人がいないのを確認してから慌てて口を開く。


「わ、私もお兄様が大好きですわ」


 そう言ってお兄様の頬に一瞬キスをした。

 ここまでが毎朝の挨拶だが、お互いいい大人になったんだし、そろそろほっぺのキスは辞めてもいいと思うんだけれど……。

 私は再度辺りを見回して誰もいないのを確かめた。火照った顔を落ち着かせてお兄様に物申そうと顔を上げたが、その神々しい程整った顔で満足げに微笑まれてしまったら何も言えるはずはなかった。


「教室まで送るよ」


 そう言われたが、私は丁寧にお断りをした。しょんぼりしたお兄様に罪悪感を抱きながら、私はそそくさと教室まで逃げたのだった。


 私には大好きな人がいる。たとえお兄様だからといって、ベタベタしている所を見られたくはなかったのだ。


 教室に入ると、何人かのご令嬢から心配して声を掛けられた。私は笑顔で返答し、軽い挨拶を交えてから席に着いた。特にすることも無いので、次の授業の教科書を開く。

 昼休みも終わりに近づき、クラスのご令嬢やご令息達がぱらぱらと戻って来た。


 私はある人物が教室に入ってくるのを横目でしっかりと捉える。

 顔は教科書に向けているが、私の全神経はある人物へと集中していた。

 その人物は周りのご令嬢達に次々と声を掛けられている。


「ライリー殿下、お昼は何処にいらしたのですか? お探ししましたのよ」

「今日は生徒会室に用があってね、そこで昼食も簡単に済ませてしまったんだよ」

「そうでしたのね。では、明日はわたしくと是非ご一緒にお食事してくださいませ」

「ああ、そうだね。用事が無ければ、そうしようか」


 ……。胸が苦しい。聞き耳を立てていた私は、ご令嬢の積極的な姿勢やライリー殿下の返答に対して一気に落ち込んでしまった。


 今日、やっぱり来なければ良かったな。


 私は教科書に意識を戻して切り替えようとする。とっくに理解している教科書を読み直していたら、隣に人の気配がした。


「ナタール嬢、今日は登校したんだね」


 さっきまで聞き耳を立てて聞いていた声だった。その落ち着いた色気のある声は、私の脳内を一気に騒つかせる。

 私はアイシャ・ナタール。私に話しかけているのよね……?

 そう思って上を向くとこの国の第二王子であるライリー・フォン・ヴィラージュ殿下が私を見ていた。


「……お、おはようございますっ」

「ん? ……ああ、昼だから変な感じだが、今登校してきたんだもんね。うん、おはよう、ナタール嬢。あとこれ、午前中の授業の資料とノート。分からないことがあれば教えるから、僕を呼んで欲しい」


 そう言ってライリー殿下は笑顔でノートを差し出した。ら、ら、ライリー殿下が、わ、私の為に?! 頭の中が真っ白で、どうしていいかわからない。

 とりあえず目の前の神聖な物を受け取らなければ!!

 全身全霊を込めてノートを受け取る。尋常じゃないくらい手が震えてしまった。気持ち悪いと思われてしまっただろうか。


「ありがとうございます……」

「うん、体調が悪くなったら無理しないでね。授業の事は僕に聞いてくれて構わないから」

「……はい」


 チラッと彼の顔を伺えば、ライリー殿下は優しく目元を細めた。


 良かった。ひどい手の震えは体調が悪いからだと思われているようだ。それにしても優しい。

 ろくな返事ができない自分に落ち込むが、ライリー殿下の尊さで胸がいっぱいになった。


 今日はやっぱり来て良かったな……。



 そして午後の授業を全て受け、日も暮れ始めた放課後。ライリー殿下にノートを返そうと彼を探し回ったが、既に帰宅してしまったのか見つからなかった。

 本当にどうしようもない。話しかける勇気を出すのにウジウジと時間をかけ過ぎてしまったのが敗因である。


 帰宅した私はライリー殿下のノートを眺めていた。字は体を表すとはこの事だろう。とても丁寧で綺麗に整った字は読みやすい。計算され尽くした美しいそれは、まさに芸術作品のようである。

 侍女が夕食の時間になり呼びに来るまで私はうっとりと眺めていた。


 夕食の席に着いたが、一人分の食事しかなかった。執事のジョエルは、急なお仕事でお父様とお兄様が今日はお屋敷に戻らないことを告げた。


 お父様は分かるが、お兄様も戻れないとは珍しいこともあるものだ。彼は学生でありながら、ライリー殿下の側近として動き、お父様から領主の仕事も少しずつ学んでいた。領内で何かあったのだろうか? 


 仕方がないので、この広い部屋でひとり寂しく夕食を頂くことにした。


 お父様を赤子の頃から見守っている執事のジョエルはマナーや主従関係に厳しい人だ。侍女の中でも私と仲の良いマータを横目で伺うも、食事を共にするのは難しいと一瞬で悟った。

 夕食をひとりで取るのは初めてのことだったので、お母様がいてくれたらと思わずにはいられなかった。


 夜、ベッドの中で私は眠れずにいた。お屋敷にお父様とお兄様がいないという不安もあるが、そうではなかった。明日、ライリー殿下にノートを返す際の言葉選びに悩んでいたのだ。


 何と話しかければ彼から好感が得られるのだろうか。私は現実では言えるはずもない言葉を使い、ライリー殿下と甘い会話のシーンを妄想した。

 自然と枕を抱き抱え、シュミレーションを繰り返しながら、気づいたら夢の中へと意識は沈んでいた。




「パリン!!」




 食器が割れる音と使用人の騒々しい声で私は目が覚めた。

 昨日に引き続き、新人の使用人はまた何か割ったのだろうか。何か割ったとしても、私の大切な食器は昨日割れた物が最後だったのだ。今日は泣いたりなんかしないだろう。


 自室の扉を開けようとしたら侍女のマータがノックして入ってきた。

 昨日入った新人がお母様のティーカップを割ってしまったと平謝りする姿に私の頭はついていかなかった。










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