第五十ラウンド 別れのとき
体育館を出ると、なんだか妙に生暖かい風が、ぼくの身体をゆっくりと舐めるように吹いて行った。
みんなが、ざわめきながら渡り廊下を歩いている。笑顔で言葉を交わし合う生徒たち。ハンカチで目頭を押さえている生徒も、何人か見受けられた。それぞれ、胸元には、ちいさなリボンが揺れている。
今日は、ぼくたちの卒業式だ。
途中から転校してきて一年足らずしかいなかったけど、それでも、なんだかぼくも感傷的な気分になっていた。
教室に戻って、保護者に見守られながらの最後のホームルームが終わり、ぼくたちは解散した。
いそいそと帰りの荷物をまとめていると、
「堀田くん……」
と、横からちいさく声を掛けられた。
振り向くと、そこには、三人の男子生徒が立っていた。クラスが違うので、一度も言葉を交わした事のない生徒たちだった。どの生徒も、なんだか内気そうな、気の弱そうな顔をしていた。
「あ、あの。ずっと、お礼を言わなきゃと思ってて」
ひとりが、そう言った。
「お礼?」
ぼくが訊ねると、三人は静かにうなずいた。
「ぼくら三人とも、牧島と黒川にずっとカツアゲされてたんだ」
別のひとりが、そう言った。
「堀田くんがアイツをやってくれなきゃ、多分、今でもずっと奪られっぱなしだった。ほんとうにありがとう」
そう言うと、三人はぼくに向かって頭を下げた。
*****
あのケンカのあと、牧島岳は学校に来なくなった。
牧島岳に恐喝を受けていたのは晴人だけではなかった。他にも数名が日常的に被害を受けていて、生徒によっては、総額で何十万円もの金額を脅し取られていたのだそうだ。それを知った親御さんが警察に被害届を提出して、この出来事は「事件」になった。
牧島岳と黒川は警察に連れて行かれ、それが地元紙の紙面も飾った。
その後、黒川は自宅謹慎処分を受け、牧島岳は、唐津にあるらしい更生施設行きになった。
黒川は二週間ほどで教室に戻ってきたけど、もう、ぼくに近寄っては来なかった。
二里美弥は、肩口の傷をその日のうちに縫合されて、次の日から登校してきた。表面上は元のとおりに、チュッパチャプスを口に咥えて笑っていた。だけど、牧島岳を中心にしたクラスの「一軍」グループは、もう、事実上の解散状態になった。
ぼくは、また前と同じく、一日のほとんどをボッチ状態で過ごす事になった。
*****
「……いや、そんな」
ぼくは、そう言って頭を掻いた。気の弱そうな三人は、それを見てちいさく笑うと「じゃ、また」と言って、もう一度ぼくに頭を下げて、去って行った。ぼくは、また荷造りに取り掛かった。
「堀田っち」
今度は、別の方向から、声を掛けられた。
……二里美弥だった。
「堀田っち、ちょっと付き合ってよ」
二里美弥は、そう言うとニヤリとぼくに笑って見せた。
*****
校舎の裏側、職員用の駐車場の側のブロックに、ぼくと二里美弥は腰を下ろした。
卒業式にもかかわらず、相も変わらぬ、短いスカートを履いている。ぼくは、いつものように目のやり場に困りながら、彼女を見つめた。
「堀田っちに、あやまらなきゃって思ってたんだ」
二里美弥は、ちいさく笑うとそう言った。
「あやまる?」
ぼくが訊くと、彼女はうなずいた。
「わかってたんだ。岳のおごってくれるお金が、まともなお金じゃないってのはさ」
生ぬるい風が吹いてきて、二里美弥の髪をなびかせた。彼女は、それを押さえるようにしながら、言葉を続けた。
「ウチと岳はさ、保育園の頃から一緒だったんだ。アイツの親が離婚して、お母さんに連れられて出ていったのも憶えてる。……それからしばらくしてお母さんが死んじゃって、また、元の家に戻ってきたのも、憶えてる。まぁ、幼馴染みってヤツ」
「…………」
「岳のお父さんは、はたから見てもめちゃくちゃなひとだから。仕事してるの見たことないし、いっつもパチンコ屋に入り浸ってるって話だった。岳は、小学生の頃から、自分でご飯作って、自分で掃除も洗濯もして生活してるようなこどもだった」
二里美弥は、なんだか懐かしそうな目をして、宙を眺めた。
「アイツは昔から腕っぷしは強くて、気づいたらいつのまにか不良になってた。だけど、とにかく短気でケンカっ早い性格だからさ、なかなか友達も出来なかった」
いつも、大勢の人間に囲まれている牧島岳しか見たことがないぼくには、なんだかちょっと信じられない話だった。
二里美弥は、話を続けた。
「ところがある頃、なんだか妙に羽振りが良くなってきたんだ。ゲンキンなモンだよね。そしたら、アイツのまわりに、自然とひとが集まるようになってきた」
ぼくは、黙って二里美弥の話を聞いていた。
「でもさ、アイツん家にそんなお金あるはずないんだよ。ウチは、いつか止めなきゃ。そろそろ止めなきゃ……って、ずっと思ってた。でも、止められなかった」
「どうして?」
ぼくは訊ねた。
二里美弥は、また、ちいさく笑った。
「岳が、楽しそうだったから。こどもの頃から苦労ばっかりで、楽しそうな顔をしてるとこなんて見たことなかったアイツが、はじめて友達に囲まれて、とっても楽しそうだった」
「だけど……」
ぼくが言いかけると、
「そう。だけどそれは、いけない事だった。……だからさ」
「だから?」
「……だから、アイツを止めてくれた堀田っちには、感謝してるんだ」
そこまで話すと、二里美弥はポケットからなにかを取り出して、包装をゆっくりと剥いだ。いつもの、チュッパチャプスだった。
マスクを顎にずらして、彼女はそれを口に含んだ。そして、なんだかすこし微妙な表情をして見せた。
いきなり、二里美弥の手がぼくの顔に伸びた。
ぼくのマスクを摘んで顎にずらすと、彼女は、自分が咥えたばかりのチュッパチャプスをぼくの口に突っ込んだ。
ぼくが目を白黒させていると、
「あげる。好きくない味だった」
と、二里美弥は悪戯っぽく笑ってみせた。
「じゃあね」
と言うと、二里美弥は立ち上がり、スカートのお尻の部分の土埃を手ではらい、校舎の方へ歩いて行った。ぼくは、だまってそれを見つめていた。
しばらく歩くと、二里美弥は不意に振り返った。
「岳から伝言! あいつ、施設でボクシング習い始めたって! ぜったい堀田っちにリベンジするってさ!」
大きな声で、二里美弥はそう言った。そして、ぼくに手を振りながら校舎の陰に消えていった。
牧島岳が、ボクシング?
なんにもやってないのにあれだけ強かった彼が、ボクシングを習い始めた……。ぼくは、あまり想像したくない話に、すこし身震いした。




