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第四十三ラウンド 苦い告白

「……試合の内容は、みなさんご存知なんですよね」


 久原正勝が、ぼくたち三人の顔をゆっくり見回して、そう言った。ぼくたちは、それぞれにうなずいた。


「勝負としては、アレがすべてですよ。なんの言い訳も後悔もありません。ああすれば勝てたとか、こうすればよかったとか……そういうレベルではありませんでした」


 そういうと、久原正勝は口の端を歪めるようにして、笑って見せた。


「でも……」


 お父さんが、口を挟んだ。


「あれは、久原さんの反則勝ちじゃないですか」


 それを聞いて、久原正勝はちいさくため息をついた。


「……まぁ、記録の上はね、わたしの勝ちになってます。しかし、あれはちょっと事情がありましてね」


 そこまで言って、久原正勝は川内先生の顔を見た。

 その視線を受けて、川内先生は静かにうなずいた。そして、ぽつりと言った。


()()()()ですか……」


 久原正勝が、黙ってうなずく。


「……なんとなく、おかしいとは思って観ていました」


 川内先生が、薄く目を閉じて、そうつぶやいた。


「カタヤオ?」

 ぼくが訊くと、


「八百長ってあるだろう、あらかじめ勝敗を決めておくことだが」


「はい」


「……あれの一種でな。選手のうちの片方が、意図的に自分が負けるようにすることだよ」


「え?」


 ぼくは、思わず久原正勝の顔を見た。


「……それは、ガオランははじめから負けるつもりで試合をしていたという事ですか?」

 

 お父さんがそう訊いた。


 久原正勝は、グラスの中の酒を飲み干し、テーブルに置いた。

 溶けてちいさくなった氷が、カランと音を立てた。


「そうだと、わたしは思っています」


 久原正勝が、ちいさく言った。


「そうでなければ、あそこまで優位に闘って、わざわざ反則の肘打ちを使う必要はどこにもないでしょう」


「ですが……」


 お父さんが、少し慌てた様子で言う。


「あれは、つい、いつものムエタイの癖で出してしまったものだと……」


 久原正勝は、笑って言った。


「公式には、そういう事になってます。しかし、考えれば考えるほど、あの試合には不自然な点がいくつもありました。わたしがダウンした後のレフェリングもそうだし、追い討ちをかけてこなかったガオランにしてもそうです」


 そう言うと、久原正勝は、また、自分のグラスに焼酎を注ぎ、水で薄めた。

 酔っているのか、少しの水をカウンターに溢してしまった。それを、お店の奥さんから受け取ったおしぼりで拭きあげる。


「おそらく、テレビ局とイベント運営側からすると、その年の年末に開催予定だった東京ドームでのイベントで、わたしと階級の合うブラジリアン柔術の選手を闘わせるつもりだったんでしょう。山田明彦さんを中心にした日本人選手団とブラジリアン柔術の選手たちによる、団体戦的な企画が進んでいたはずです。あの日の横浜アリーナは、そのための顔見せ興業のようなものでしたから」


「……ところが、現実はそうはいかなかった」

 

 川内先生が言うと、久原正勝が「ええ」と言って、うなずいた。


「わたしが負けるくらいならまだいい。ところが、肝心の山田明彦さんまでああなってしまい、大ブーイングでしたから」


「どういうことですか?」

 話が見えずに、思わずぼくが訊くと、お父さんが横からこたえた。


「日本人最強だと言われていたプロレスの山田明彦が、当時、世界最強と呼ばれたあるブラジル人柔術家に挑戦表明したんだ。そしたら、“まずは、わたしの弟子と闘ってからだ”って言われて。で、前哨戦として、その一番弟子との試合が組まれた。それが、横浜アリーナのRIDE ON(ライドン)旗揚げ大会のメインイベントだ。……ところが」


「ところが?」


「その山田明彦が、弟子の柔術家に手も足も出せずに引き分けたんだよ。……試合時間の二十分間、終始馬乗りになられ続けて、ひたすらコツコツ殴られ続けてね」


「判定なしのルールだったから、記録の上では引き分けだけど」

 久原正勝が、話を引き継ぐ。


「身長二メートル、体重百六十キロの山田明彦さんが、百八十センチ八十キロしかない柔術家に、ずっと試合をコントロールされ続けた。あれは、日本格闘技の完全敗北だった」


 知らなかった。

 久原正勝の試合の後、さらにそんな事が起こっていたのか。


「しかも、試合後の記者会見では、“先生はわたしの十倍は強い。ミスターヤマダは、ブラジルに来て柔術を一から学ぶべきだ”と切り捨てられたからね。あの後の、プロレス格闘技マスコミの山田バッシングは、そりゃ酷いものだった」

 

 川内先生が懐かしそうに言い、お父さんがうんうんとうなずいた。


「……まぁ、そこまでした」


 久原正勝が、ぽつりと言った。


「わたしはすっかり自信をなくして、そのまま格闘技を辞めました。かと言って、どの面を提げてレスリングに戻ればいいのかもわからない。結局、大学も辞めて、そのまま、ちいさな運送会社に就職しました」


 また、水割りを飲み干した。


「……そこで事務員として働いていた妻と知り合い、結婚しました。そのあと、妻の実家がある伊万里に越して来ました。そのうちに家を建てて、拓哉が生まれて……。まぁ、そこそこ幸せに暮らしていました」


 そこまで言うと、久原正勝は、急に黙りこくった。

 二階からのギターの音が、店内にちいさく響いていた。


「そんな時、……妻に、癌が見つかりました」

 久原正勝は、消え入るようなちいさな声で、そう言った。


 


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