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第四十一ラウンド 昔話

「じゃあ、おれたちは帰るから」

 そう言うと、浦ノ崎丈と久原拓哉は立ち上がった。

 

「おう。気をつけてな」

 川内先生が身体ごと振り返ってそう言うと、ふたりは「押忍。ごちそうさまでした」と答えた。

 

 暖簾は少し前に店内に仕舞われ、店頭の灯りも消されていた。

 焼き物のラストオーダーを提供し終えた茶髪の店主さんに代わって、その奥さんだという、さっきとは違う綺麗な女のひとが、カウンターに立っている。


 店内に、ちいさくギターの音が響いている。軽快で心地よい、ロックギターだ。

 訊けば、店の二階で店主さんとさっきの若い店員さんが、ギターを弾いているらしい。店が終わると、週に三回ほどふたりで練習会をしているのだと、綺麗な女のひとは笑った。


「……それなら、おれも帰るか」

 そう言いながら久原拓哉の父親……久原正勝が腰を浮かし掛けたところで、

「いいよ」

 と、久原拓哉が声を掛けた。


 久原正勝が、なにかを言い掛けて口を開いた。


「ひとりで帰る。たまにはゆっくり飲んでこいよ」


 その口から言葉が発されるよりも早く、久原拓哉は、すこしぶっきらぼうにそう言った。


「そうか。……じゃあ、甘えておくかな」

 久原正勝が、もう一度腰を下ろしてそう言うと、


「あんまり飲み過ぎんなよ、親父」

 と、久原拓哉が言った。久原正勝は、後頭部を指でぽりぽりと掻いて、苦笑してみせた。


「じゃあな」

 久原拓哉が、ぼくにそう言った。


「押忍。おやすみなさい」

 ぼくがそう答えると、その後ろ側から浦ノ崎丈がにゅっと顔を出し、


「……イタズラすんなよ」

 と、顎で寝ている川内優希を指して言った。


「し、しませんよ!」

 ぼくがムキになって返すと、笑いながら、ふたりは店を出て行った。


*****


 カウンター上の酒が、いつの間にか、ビールジョッキから焼酎の水割りに変わっていた。

 三人の男たちが、それぞれのペースで飲み、自分のグラスにお代わりを注ぐ。


「……いや、しかし。まさか二十年以上も経って、あの時リングで闘っていた方と酒を飲めるとは思いませんでした」

 

 ぼくのお父さんが赤い顔でそう言うと、久原正勝が、同じく赤い顔で苦笑いをした。


「え? どういう事?」

 ぼくは話の内容が理解出来ずに、思わず話に割って入った。

 促されて、お父さんの隣りの席に、腰掛けた。奥さんが、黙ってコーラを出してくれた。


「隆一は、“ RIDE ON(ライドン)“って知ってるか?」

 川内先生が、ぼくに訊いた。

 ぼくは、黙ってうなずいた。


「ライドン」は、お盆前や大晦日によくテレビでやっている、大きな格闘技のイベントだ。暴走族の総長やら、少年院あがりやら、問題児系ユーチューバーやら。いろんなアウトロー系の格闘家が、更生しながら格闘技の頂点を目指す……確か、そのようなコンセプトの大会だっただろうか。


「今のライドンは元不良日本人選手ばっかりだけど、昔は、世界中の格闘家の、憧れのリングだったんだ」

 川内先生は、懐かしそうに目を細めてそう言った。


「今よりイベント規模は遥かに大きかったし、大袈裟じゃなく、世界一の選手がしのぎを削ったリングだった。……まぁ、いまは海外のイベントにその座を奪われたけどな」

「……押忍」

「そして、そんな時代のライドンに出てたのが、この、久原さんさ」


 川内先生が、ゆっくりとグラスの中身を飲み干した。


 ……やはり、そうだった。

 ぼくもコーラのグラスを口に運んで、それから、ゆっくりと言葉を発した。


「観ました。……ガオランと戦ってましたよね」


 久原正勝は目を丸くして、それから、また後頭部をぽりぽりと掻いた。


「まいったね。お恥ずかしい限りだな」


「あ……。いや、そんな」

 ぼくがそう言うと、


「ちなみに、お父さんは横浜アリーナで生で観てた」

 と、お父さんが横から口を挟んできた。


「そうなの?」

 ぼくが訊ねると、


「そうだ。あの頃は、埼玉の大学に通ってたからな」

 と、お父さんはなぜかドヤ顔をしてみせた。


「よかったら、詳しく聞かせてもらえませんか」

 ぼくは、思い切ってそう訊ねた。


 久原正勝はひとくちだけ酒を含み、静かに飲み込んだ。喉仏が、ゆっくりと上下した。


「……まぁ、自慢にもならない話だけれどもね」

 そう言うと久原正勝は、ぽつりぽつりと、昔の事を話し始めた。









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