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第四十ラウンド 雨の飲み会

 その日は、朝から雨が降っていた。


 土砂降りというほどではないけど、しとしとじめじめと、ちっともやむことなく細かい雨が降り続けていた。


「こりゃ、あしたの朝ランは中止だな」

 スーパーセーフ面を外して、額の汗を拭きながら、川内先生がぽつりと言った。


 古賀公民館での、競斗の稽古。

 全体スパーリングが終わり、みんなで掃除に取り掛かろうとしていた、その時だった。


「こんばんは」

 という声が、不意に玄関ほうから聞こえてきた。


 そこに、ひとりの中年の男のひとが立っていた。

 紺色の作業着の上下を着た、ボサボサの髪に、薄く無精髭を生やした、中肉中背の男。


「おぉ! お久しぶりです」

 川内先生が、そう言いながら歩みよった。ふたりが、握手を交わす。


「めずらしくまとまった休みが出来たんで顔を出してみたんですけど……ひと足遅かったかな」

 無精髭の男が、そう言ってちいさく笑った。


 その顔に、僕は見覚えがあった。


 間違いない。

 この間、YouTubeで観た、若い時のガオランと闘った、日本人。


 ぼくは、思わず久原拓哉の方を振り向いた。久原拓哉は、なにやらむすりとした表情を顔に浮かべていた。そして、なにも言わずに掃除用具置き場の方に歩いて行ってしまった。


「紹介するよ。こちら、久原正勝さん。……拓哉の、おとうさんだ」

 川内先生が、講堂の中のぼくらに向かってそう言った。


*****


 二台の車に分乗してぼくたちがたどり着いたのは、伊万里の市街地。飲み屋街の少し外れにある、一軒の焼き鳥屋だった。入り口の暖簾には、紺地に白い文字で「夢竜」と書いてあった。


 川内先生を先頭に中に入ると、三人組のサラリーマン風の男たちが、支払いをしているところだった。他に、お客はいなかった。


「あぁ、いらっしゃい! お好きな席にどうぞ」

 店主らしい長髪を後ろでひとつに結んだ若い男のひとが、ぼくらに向かってそう言った。


 左手に、逆L字型のカウンターがあり、通路を挟んで、畳敷の四人がけのテーブル席があった。ぼくと浦ノ崎丈、久原拓哉と川内優希が靴を脱いでテーブル席に着き、川内先生と久原拓哉の父親、久原正勝。そして、飲み会と聞いてついて来たぼくの父親の三人が、カウンター席に腰掛けた。


「いらっしゃい」

 そう言いながら、バイトらしい女のひとがぼくらにおしぼりを配った。


 青いシュシュでひとつに結ばれた、艶のある長い黒髪。シャム猫みたいな、おおきくてクリクリした目。通った鼻筋、薄いピンク色の、ふっくらした唇。テレビや雑誌に出てくるモデルみたいに、スラリと細長い肢体。……ちょっと、この辺では見ないような美人だった。

 おしぼりを受け取る時、ぼくは、なんだか胸がドキドキした。


「拓哉くんの顔を見るの、なんか久しぶりだね」

 女のひとが、久原拓哉に話しかける。川内優希が、一瞬だけギョッとした表情を見せた。


「……そうかな」

 久原拓哉は、受け取ったおしぼりで手のひらを拭きながらぽつりと言った。


「ナツとはちゃんと会ってる?」

「呼んでなくても来るからね、あいつは」

「……たしかに」


 久原拓哉の言葉に、女のひとが白い歯を見せてニヤリと笑った。なんだか、少年のような屈託のない笑顔だった。


「ご注文は?」

 女のひとが訊き、ぼくらはテーブルの中央に「お品書き」を広げた。


 それぞれが飲み物を頼み、それから、焼き鳥の盛り合わせや、鳥の唐揚げ、サラダ、フライドポテト、オススメらしい肉巻きおにぎりなどを頼んだ。


 店の厨房に引っ込んだ女のひとを見送った浦ノ崎丈が、

「なんだよ。知り合いなのか、アレ」

 と、久原拓哉に詰め寄った。


「まぁ……」

 久原拓哉は、なんだか曖昧に返事をした。川内優希が、眉の辺りをピクリとさせた。


「格闘技以外興味ないみたいな面しておいて、なんだよちくしょう……」

 浦ノ崎丈は、冗談とも本気ともつかないような声の調子で、そうつぶやいた。


 そこに、注文したの飲み物が運ばれて来た。

 久原拓哉は、ウーロン茶。ぼくと川内優希はコーラ。浦ノ崎丈の前には、なにやらカラフルな、青色に輝く液体が入ったグラスが置かれた。


「……それなに? おいしいの?」

 川内優希が訊いた。


 浦ノ崎丈は「カクテルな。めちゃくちゃうまいぞ」と、笑って答えた。


 次に例の女のひとが四人分の小鉢を運んで来た時、

「わたしも、コレください」

 と、浦ノ崎丈のグラスを指しながら川内優希が言った。


 しばらくすると、川内優希の前にも同じ青色に輝くグラスが置かれた。


 川内優希は、そのグラスを手に取り、しばらく眺めた。それから、いきなり口をつけ、ひと息に半分ほどを飲んだ。


「なんだよ。イケるクチじゃん、優希ちゃん」

 浦ノ崎丈が笑った。川内優希は、ニヤリと笑顔を返した。その眼が、すこし据わっていた。


 さらにひと息に残りのカクテルを飲み干して、

「おかわりください!」

 と、川内優希は厨房に向けてそう叫んだ。久原拓哉はすこししかめっ面をして見せ、浦ノ崎丈は手を叩いて喜んだ。ぼくは、なんだかオロオロとなった。


「……優希、もうそのへんにしとけよ」

 久原拓哉が、ちいさくたしなめた。


「……は?」

 川内優希が、すっかり据わった目で久原拓哉を睨んだ。


「久原さんが、わたしに説教するんですか? やめろって言っても喧嘩するし、新人に喧嘩の仕方は教えるし、女のひとといちゃつくし……説教なんか出来る立場だと、本気で思ってるんですか?」


 届いた二杯目のカクテルを飲みながら、川内優希はブツクサと悪態をつき始めた。久原拓哉は黙り込み、浦ノ崎丈は腹を抱えて笑っている。


 結局、頼んだ食べ物にはひと口ふた口ほどしか手をつけずに、もう一杯のカクテルを半分ほど飲んだところで、川内優希は畳のうえにゴロンと横になって眠ってしまった。


「飲ませすぎですよ……」

 ぼくが言うと、


「これ、ノンアルコールなんだけどなぁ」

 と、浦ノ崎丈がつぶやいた。


「ごめん。ウーロン茶もう一杯と、薄手の毛布かなんかを貸してくれる?」

 と、久原拓哉が、例の女のひとに声を掛けた。








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