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第三十六ラウンド 久原拓哉の目的。

 昼過ぎに浦ノ崎丈の練習場に着くと、もう、外にまで音楽とサンドバッグを蹴る音が漏れ聞こえていた。入り口には、どこからか持ち込まれたビールケースが置かれている。おそらく、これに乗って鍵を取ったのだろう。


 そっと、ドアを開ける。


 中では、川内優希が一心不乱にサンドバッグを蹴っていた。持ち込まれたBluetoothスピーカーからは、彼女がハマっているという「俵坂31」なる女性アイドルの曲が大音量で流されていて、ぼくが入って来た事には気づいていない様子だった。


 川内優希が突いたり蹴ったりするたびに、80キロくらいの重さのサンドバッグがぴょこぴょこと踊る。このちいさな身体の一体どこに、こんなパワーがあるんだろうか。


 やがてブザーが鳴り、ラウンドの終了を告げた。


 川内優希は「ふぅ」とひとつため息をつくと、いきなり着ているTシャツの裾を捲り上げ、それをタオル代わりに額の汗を拭った。


 引き締まったウエストと、褐色の肌。そして、薄いピンクの下着が丸見えになる。


 ぼくが目を逸らすことも出来ずに立ち尽くしていると、汗を拭い終わってから、やっと彼女はこちらに気付き「きゃっ!」っと、ちいさく声をあげた。


 胸元を隠す様に両手を身体の前に回して、川内優希は、


「……見た?」


 と訊いた。ぼくは、あわてて首を横に振った。……しっかり見ていたけど。


「いるならいるって言ってよ」

 そう言いながら、川内優希はスピーカーの音量を下げた。


「ご、ごめん」

 ぼくは、素直に謝った。


「代わろうか。わたし、ちょうどノルマクリアしたところだから」

 そう言いながら、川内優希は扇風機に近づき、ペットボトルを手に取った。


「どのくらいやったの?」

「三分を、十ラウンド」

「十ラウンド……」


 ぼくは、思わず声を漏らした。とてもじゃないが、そんなに打ち続ける自信がない。


「君は三ラウンドくらいでいいよ。最初から無理したら、あとが続かないからね」

「押忍」

「ちなみに、わたしの前には久原さん来てて、十五ラウンドやってローソン行った」

「十五……」


 朝は走って、サンドバッグを四十五分間も蹴って、それから仕事して、また夜にはトレーニング……。久原拓哉の体力は、とても、同じ十代とは思えなかった。


「あのひとは、私たちとは違うから」


 川内優希が、今度はタオルで汗を拭いながら言う。


「本当なら、とっくに養成所に入ってプロを目指してるひとだから」

「……養成所?」

「そう。競斗選手はそこに入って厳しい訓練を受けて、それからプロデビューする決まりなんだ」


 そういえば、以前、川内先生にも聞いたことがある。たしか、先生は「人よりもずいぶん遅く競斗学校に入った」とか言っていた。


「わたしも、中学を出たらすぐに受験したかったんだけど。お父さんが"高校くらいはちゃんと出ろ"って言うからね。とりあえず、それまではお預けなんだ」

 スポーツドリンクをひとくち飲んで、川内優希は言った。


「きみも、プロになりたいんだ」

 ぼくが訊くと、川内優希はにこりと笑った。


「もちろん。それが、こどもの頃からの夢だからね」


 ぼくより歳下なのに、もう、きっちりと将来の目標を決めて、そこに向かって進んでいる……。なんだか、聞いてもぜんぜん実感が湧いてこない話だ。


「久原先輩は、なんでプロになりたいんだろう」

 ぼくが、誰にともなくボソリと言うと、


「言ったじゃん、あのひとは私たちとは違うって」

 と、川内優希が言った。


「でも、プロになりたいってのは一緒なんでしょ」

「うーん……」


 川内優希は、少しなにかを考え込むような表情をして見せた。


「久原さんがプロになりたいのは、わたしたち他の競斗選手とは違うんだよね」

「違う?」


 どうも、話が見えてこない。


「違うって、どう違うの」


「……ふつうはさ、なんかの"プロになりたい"っていうと、チャンピオンになりたいだとか、たくさん稼ぎたいだとか、有名になりたいだとか……まぁ、そういうのが理由じゃん」


「う……うん」


「だけど、あのひとは違うんだよ」


 ここで、川内優希はすこし小声になった。


「なんか、どうしても試合をしたいプロ競斗選手がいるみたい。そいつとやりたくて入門するとか言ってたから」


 試合をしたい、プロ選手?


「それって、なんていう選手?」

 ぼくが訊ねると、川内優希はスピーカーの横のスマホを手に取って、なにやらの操作をした。それから「このひと」と言いながら、それをぼくに手渡して来た。


 スマホを受け取り、画面を眺めた。


 そこには、浅黒い肌をした、外国人の写真が載っていた。


 競斗のグローブを嵌め、どこかふてぶてしさを感じさせる笑みを浮かべていた。だけど、目が笑っていなかった。鋭い視線が、カメラを睨んでいる。


「このひとと……?」


 ぼくは、背中になにやら薄ら寒いものを感じて、ちいさく身震いをした。


 写真の下には、

「ガオラン・ロブクェーン(招待選手)。G1。2019、2020年度賞金王」

 と、書いてあった。


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