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第二十九ラウンド お泊まり会。

 指示された場所に自転車を停めようとすると、一台の黒いバイクが目に入った。

 暗がりの中でもよく磨き込まれているのがわかる、大きくてカッコいいバイク。


「これ、先輩の家の誰かのですか」

 僕が訊ねると、


「俺のだよ」

 と、久原拓哉はぶっきらぼうに答えた。


「え、先輩、バイクなんか乗れるんですか」


 驚いた僕は、思わず大きな声をあげて、久原拓哉に「……遅いんだから、静かに」と、嗜められる。


 僕は「押忍」とちいさく言って、まじまじと、その綺麗な黒いバイクを眺めた。


 久原拓哉の家は、自転車で三十分くらいの住宅街の一角にあった。


 何年か前に開通した大きなバイパス道路を挟んで、団地やマンション、コンビニに個人病院、そして、たくさんの一戸建てが並んだ町だ。


 夜の風に、遠くのコンビニ前で笑い合う若者たちの声や、どこかの家でこどもがはしゃぐ声が薄く混ざり合って、僕たちの耳に届いた。


 あのあと、僕は急いで家に帰り、身支度を整えて、久原拓哉を待たせたローソンに向かった。


「先輩の家に泊まりにいく」と言うと、お父さんが「お世話になるんなら、これで、なにか買って持っていきなさい」と、千円札を三枚くれた。

 そのお金でお菓子やジュースを買い込んで、僕たちは自転車に乗ったのだ。


 玄関を入り、靴を脱いで上がり込む。

 先頭を歩く久原拓哉が、次々と電灯を点けていく。

 どうやら、他には誰もいないようだ。


 家のひとはいないんですか。


 そう訊こうとした時、部屋の一角にある小さな仏壇に気付いて、僕はその言葉を飲み込んだ。


 そこには一枚の遺影が飾られていた。

 カメラに向かって薄く微笑む、若くて髪の長い、綺麗な女の人だった。その顔は、どこか、久原拓哉に似ていた。


「誰もいないから、遠慮しないでいいぞ」

 そう言いながら、久原拓哉はグラスをふたつテーブルに置いた。


「押忍」

 応えて、僕は、さっき買ったジュースのペットボトルとお菓子をテーブルに広げた。


「あんなの乗れるなら、道場にもバイクでくれば早いじゃないですか」

 僕が言うと、


「少年部や優希がうるさいからな。"後ろに乗せて"の大合唱で」

 と、ジュースをひと口飲んで、久原拓哉は言った。


 その状況を想像して、僕はくすりと笑った。


「バイクに乗るのは、学校と佐世保のキックに出稽古に行く時くらいだな」


「学校?」

 僕は、続けて訊ねる。


「久原先輩、どこの学校に通ってるんですか」


 その問いに、久原拓哉は佐賀市内の高校名を答えた。


 県下で一二を争う進学校で、さらには夏の甲子園での優勝経験もある名門校だ。


「通信定時ってやつだ。普段はレポートやって、月に二回は登校してる。……別に行かなくてもよかったんだが、父親と川内先生が、"高校くらいは出ておけ"ってうるさくてな」


 その時、テーブルの上の久原拓哉のスマホが鳴った。


 久原拓哉はスマホを手に取ると「ちょっと待ってろ」と言って立ち上がった。


 その直後、玄関のインターホンが鳴らされた。


 玄関先で、久原拓哉が誰かと話している。若い女の声だった。


 しばらくすると、久原拓哉は「夕飯が届いた」と、手に大きな皿を持って戻ってきた。

 天ぷらや唐揚げが、たくさん盛り付けられていた。


「え……と、彼女さんとかですか、さっきの」

 僕が訊くと、


「いや。……まぁ、幼なじみだな。近所に住んでる」

 首を横に振ると、そう言って僕に取り皿と箸をくれた。


「あっちの親も俺を気にかけてくれて、しょっちゅう、こうしてお裾分けがくるんだ」

「押忍」

「ほとんど、一人暮らしだからな」

「……」


 どういう言葉を返せばいいのかわからなくなって、僕は黙りこくった。


「親父は長距離トラック乗りだから、仕事に出たら一週間以上は帰って来ないし、……お袋はいないしな」

「押忍……」


 こういう時、この「押忍」は便利だな。どう話せばいいのか悩んだ時でも、とりあえず、会話が成立する。……などと、どうでもいい事を僕はこの時考えた。


 そのあとも、ぽつりぽつりと言葉を交わしながら、僕たちは食事をした。


 久原拓哉が風呂を済ませた後、彼が集めている格闘技のDVDなどを観せてもらった。ところどころで「今の攻防は……」とか「ここから、蹴りでペースを掴んだな」などと適切な解説をしてくれた。


 たっぷりと深夜まで格闘技の話に花を咲かせ、僕は、いつもより遅めに敷いてもらった布団に入った。


*****


 次の日の朝、朝ランの迎えに来た川内優希は、僕が一緒にいるのを見て目を丸くした。


「昨日、泊めてもらって遅くまで盛り上がって……」

 眠い目を擦りながら僕が言うと、


「私もお泊まりしたかった……」

 川内優希は、ボソリとそう言った。

 

 



 

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