表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
28/52

第二十七ラウンド ケンカのお作法。

 その日の晩、僕は数日ぶりに稽古に出席した。


 川内先生も川内優希も「なぜ休んだか」を詮索しては来なかったのが、ありがたかった。


 一般の部、スパーの時間になり、いつものようにウレタンヘッドガードを準備していると、いきなり久原拓哉が僕の前に立った。


 無言で、スーパーセーフ面を差し出す。


 僕は、戸惑いながらもそれを受け取る。


「今日からしばらく、俺がお前に稽古をつける」


 そう言うと、久原拓哉はスーパーセーフ面を被った。


*****


「掴まれたら、即座に掴まれた側の拳で反撃しろ。相手は防げない」

 久原拓哉は、僕の襟を左手で取ると、右手で自分の左脇腹を指し示す。


 向かい合い、久原拓哉に襟を掴まれたら、僕が空いている脇腹を突く。


 何度も、その動作を繰り返す。


 反撃の突きが少しでも遅れると、襟を強い力で引っ張られて、スーパーセーフ面のプラスチック部分に、久原拓哉のスーパーセーフ面の額部分がぶつけられる。


 この間、あいつにやられたあれだ。


「襟を持たれて躊躇してたら、頭突きが来ると思え」


 コツコツと、二回ぶつけられた。僕は「押忍」と答える。


 首相撲の稽古もする。


 久原拓哉の持論は「ケンカは、結局は取っ組み合い」だ。


「普通の首相撲じゃ頭突きでやられる。ムエタイも競斗も、反則だから頭突きまで想定した技術はない。相手の顔の前面に手を引っ掛けて、前腕でコントロールしろ」


 いつもの様に首相撲をしていたら、そう言ってまた軽い頭突きを当てられた。


「相手の顎を掌で押し上げろ。そしたら、なんでもできる」

「押忍」


「積極的に頭突きを狙え。頭を相手の顔に押し付けるだけでも充分なプレッシャーになる」

「押忍」


 その日のスパーの時間、僕はみっちり「ケンカの技術」を、久原拓哉に叩き込まれた。


*****


「……久原さん」

 コーヒーをひとくち飲んでから、川内優希が口を開いた。


 いつものローソンの、イートインスペースだ。


「あれ、絶対、競斗の練習じゃないですよね」


 久原拓哉は、他人事みたいな顔をして、コーヒーを啜っている。


「まさか、君までケンカの練習とかをしてるわけじゃないよね」

 今度は僕の方を向いて、川内優希はそう言った。


「そ、それは……あの、護身術的な……」

 僕は、思わずしどろもどろになる。


「……じゃあな」

 そう言うと、その隙に久原拓哉はさっさと店を出てしまった。


 残された僕らは、無言でコーヒーを飲む。


 目の前のガラス窓の向こう側には、このあいだ久原拓哉が言ったとおり、ちらほらとカメムシやカナブンがくっついていた。


「……男って、ホントにバカばっかり」


 横で、そのうちの一匹にガラス越しにデコピンをした川内優希が、大きなため息をついた。

 デコピンを受けたカメムシは一瞬だけピクリと動きを止め、また、ガラスの向こうでもぞもぞと動き出した。


*****


「お、やってるな」


 次の日の昼間、僕が黒いカマボコを突いていたら、川内先生がふらりと顔を出した。


「押忍」


 僕は、挨拶をする。


「……どうだ。うまく突けるようになってきたか」


 川内先生の問いに、僕は、首を横に振る。


「拳を見せてみな」


 先生が言い、僕は、拳サポと軍手を外す。両手の拳頭が、擦りむけている。それを見て、川内先生はにこりと笑った。


「最初から出来るわけないさ。……そもそも、俺だってまだ試行錯誤中だ」

「え?」


 川内先生が、当てゴムの前に立つ。


 右拳で、突いた。


「ばちん‼︎」という、久原拓哉の時よりもさらに大きな音が響いた。


「何年やっても、どこかで新しい発見があって、完成はしないよ。例えば、突く時に踏み込む足は、つま先から地面に着くべきか、踵から着くべきか、それとも全面を着けるのか……。あれこれいろんな組み合わせを試しながら、いまだに変えていってる。……いや、"変わっていく"と言うべきかな」

「……押忍」


 足の位置を変えて、川内先生は言葉を続ける。


「これで完成! って決めてしまえば楽なんだろうが、突いてるうちに、ふと、新しい方法論が浮かんだりする。そして、それは多分、万人に当てはまるものじゃない」


「……」


「俺には俺の突き方。拓哉には拓哉の突き方。……お前には、お前の突き方がある。これは、格闘技に限らずなんだって同じだよ」


 今度は、左拳で突く。

 また「ばちん‼︎」という大きな音が響く。


「基本は教える。でも、それを変えていくのは自由さ。もっとしっくりくる方法が見つかれば、それをやっていけばいい」


 川内先生は、構えを解いて、笑った。


「……ケンカに、負けたのか」


 僕は、無言で頷く。


「拓哉とやってるのは、どう見てもケンカの練習だからな」

 川内先生が、人差し指で首筋をぽりぽりと掻きながら言う。


「ケンカのな、いちばんの必勝法は、警察に駆け込むことさ」


「……」


「このご時世、どこだって防犯カメラがある。正しく記憶さえしておけば、録画された情報とお前の証言を照らし合わせて、大概は、捕まえてくれる。そうすれば、相手は社会的に制裁も受けるし、病院で診断書でも書いてもらえば、慰謝料だって取れる」


「……押忍」

 僕は、足元に視線を落とす。


「だけど、それは理屈でしかない。世間がなんと言おうが、自分が殴られた痛みや、暴力に屈した屈辱は消える事はない」


「……」


 「だからと言って、返り討ちにしたり、仕返しをすれば、今度は自分が訴えられる事にもなりかねない」


「……なら、どうすればいいんですか」


「うむ」

 川内先生は、腕組みをして悩む素振りを見せた。


「……それも、さっきの突きと同じさ。正解なんかないだろうな」


「……」


「ただ、世間的に間違っていても、自尊心は失いたくないよな。……男なら」


 その言葉に、僕は「はっ」とした。


 そうだ。

 僕はあの時、自尊心を失ったんだ。

 ただのヤンキーにいいようにボコボコにされて、競斗を習って強くなったと思っていた「心」を砕かれた。


 では、その砕けた心をどうするのか。


 そのまま、受けた屈辱を胸に抱えて生きていくのか。


 ……それとも。


「まぁ、好きにやればいい。無責任に聞こえるかもしれないが、お前の人生なんだからな」


「……押忍」


 川内先生の背中を見送って、僕は、自分の傷ついた拳を見つめた。

 そして、ふたたび軍手と拳サポを嵌めた。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ