第二十一ラウンド 競斗の成り立ち(歴史編)。
「隆一は、柔道の成り立ちって知ってるか?」
先生が、のんびりとキックボードを蹴り進めながら僕に訊ねた。
「柔道……ですか?」
僕は、走りながら首を傾げる。
「いや、ちょっと」
「嘉納治五郎って、聞いた事ないか」
その名前は、たしか、テレビで聞いた事がある。
「あ、それはあります」
僕がそう答えると、先生は満足そうに笑った。
「その嘉納治五郎って人が、柔道を……というか、"講道館"という道場を立ち上げたんだ」
そうだ。
テレビでも「柔道の父」みたいな紹介をされていた。
「もともと嘉納は、天神真楊流という古流柔術の修行者だった。で、柔術を近代スポーツ化するべく、数多ある柔術流派の技術をまとめ上げて、"講道館柔道"として再構成したんだな」
「へぇ」
「まぁ、細かく説明しだしたらキリがないんだが、大まかに言えばそうらしい。……で、"柔術と講道館に倣って、打撃系の日本武道もまとまるべきではないか"という動きが、戦前に起きた」
僕は、黙って頷いた。先生が続ける。
「沖縄から伝わった唐手、打撃主体の柔術流派、拳法に拳闘……"いろんな流派が交流出来る統一ルールを設けて、大同団結しよう"となった」
そこまで話すと、先生は背負っていた小ぶりなナップサックからペットボトルを取り出し、僕にくれた。僕は「押忍」と言って、そのスポーツドリンクを受け取った。
「ところが、基本的なルールが出来たところで戦争が激化し、話が有耶無耶になった。挙げ句の果てには、戦後の武道禁止令な。これで、統一組織案はポシャってしまった」
先生も、自分のペットボトルを開け、ひとくち含む。僕たちは、いつの間にか走るのをやめて、ゆっくりと歩いていた。スポーツドリンクは、たまらなくおいしかった。
「戦後しばらくして、復興資金の確保の為に、競馬、競輪などが開催された。その時、タイ視察から帰った国のお偉いさんが"タイ式ボクシングは、非常に活況だった。あれを日本でも出来ないのか"と言い出して、どういう流れか、眠っていた競斗のルールが引っ張り上げられた」
「へぇ」
ペットボトルを先生に返し、僕はまた走り出した。
少し、体力が回復したような気がする。
「で、最初の構想とは違う形で"競斗協会"が発足して、1955年から、公営ギャンブルとして開催され始めた……まぁ、こんなところだな」
そこまで聞いたところで、後方からものすごい勢いで、久原拓哉と川内優希が走ってきた。
……あの急な坂道を駆け登って、上で稽古をしてきて、まだ、こんなに体力があるのか。
僕は、少し呆れてしまった。
「さぁ、急がないと追いつかれちまうぞ」
先生はそう言うと、軽快にキックボードを蹴った。
……明日からは、自転車にでも乗ってくるかな……
一瞬、僕はそんな事すら考えた。




