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第二十ラウンド 朝ラン

「最初から、あんまり無理しなくてもいいぞ」

 という川内先生が掛けた言葉に、僕は、

「……押忍」

 と、ちいさく返事をした。……つもりだった。

 

 喉がからからに乾燥していて、その「押忍」は、まともな言葉にはなっていなかった。


 朝の、六時過ぎ。

 朝靄と、早くも鳴き始めた蝉たちの声に包まれて、僕は、青黒いアスファルトの上を、足を引きずるようにして走って……いや、歩いていた。


***


 都川内ダム。


 稽古に使っている公民館からほど近い、山の中の大きなダム湖だ。

 一周約四キロメートルほどの周遊コースが備えられていて、四季折々の自然を楽しみながら、散歩やジョギングが出来る。

 昼間に来ると、いつもそれなりに賑やかな場所だ。


 例の「カーフキック」のダメージから復活した数日前、川内優希とのLINEのやりとりの中で、僕は、茶帯のふたりが毎日早朝に都川内ダムを走っているという事を知った。


 雨の日以外は、川内先生の車に乗ってダムに向かい、ランニングと、簡単な稽古をするのが日課らしい。

 それを聞いた時、僕は「これだ」と思った。


 それに参加すれば、僕だって、強くなれる……!


 で、さっそく「僕も行っていいかな」

 と、川内優希にLINEを送った。


 返信は、YES。


 僕は、小躍りした。

「これで、僕もあのふたりみたいに強くなれる」と思った。


 次の日の朝、家の前で待っていると、角から一台の黒いバンがゆっくりと現れ、僕のすぐそばで止まった。


 助手席の窓が開き、川内優希が顔を出した。


「おはよう!」

「お、おはよう」


 スライドドアが自動で開いた。乗るように促され、僕は、開いた乗り口を潜る。

 奥の席に、久原拓哉が座っていた。無言で外を眺めている。


「押忍」

 僕が挨拶すると、久原拓哉は一度だけ僕に視線を向け「押忍」と口の中でちいさく言った。それきり、こちらを向こうとしなかった。


 ……一緒に稽古をし始めてそれなりに経つけど、どうも、この人は扱いづらい。


 ゆっくりと県道を走り、僕らの乗ったバンは、ダムの駐車場に着いた。

 同じくジョギングをしている人が何組かいるらしく、こんな早くから、数台の車が停まっていた。


 車から降りると、茶帯のふたりはゆっくりと準備運動を始めた。僕も、慌てて真似をする。しばらくしてそれが終わると、川内優希と久原拓哉は車から何かを取り出し、靴を脱いで、それを履き始めた。


 スポンジ製の、白い脛サポーターだった。


 久原拓哉が、靴を履き直していきなり走り始めた。

 続いて、川内優希も「行くよ!」と僕に一声かけて走り出した。


「さぁ、行こうか。置いてかれるぞ」


 背後から、のんびりした声が掛かる。

 振り返ると、川内先生はキックスケーターに片足を乗せてにこにこと笑っていた。


***


 ……はやい……


 僕は、そのあまりの速度に呆れてしまった。

 あっという間に、ふたりの姿が小さくなっていく。


 はるか前方のカーブを、ふたりは早々と駆け抜けていく。

 追いつくなんて夢のまた夢、とてもじゃないけどできっこない。


 それでも、自分に出来る範囲で、なんとか頑張って前に足を出す。


 おもしろいもので、だんだんと「楽」な身体の使い方がわかってくる。

 呼吸を一定に保ち、肩の力を抜いて、足を振り子の様に使う。

 ふたりみたいな速度は到底だせないけど、そのうち、走りはじめの苦痛は随分と和らいできた。


 しばらく進むと、周遊コースから外れたところにある一本の上り坂の麓に着いた。

 見ると、その結構な急勾配の坂道を、久原拓哉と川内優希がぐいぐいと登っている。


 これを、登るの……?


 僕が絶望感に囚われていると、川内先生が笑って、

「まだ、ここは登らなくていい。まずは、普通に一周しよう」

 と、言った。

 

「……ふたりは……?」


 僕が訊くと、

「あいつらは上で軽く稽古して、それから下りてくるから」

 

 上で、稽古。

 ……僕は、思わず頂上を見上げてため息をついた。


「自分のペース、自分のペース」

 川内先生は、のんびりとそう言う。


 ……そうだ。とりあえず、出来る事を出来る範囲で、だ。僕は、もう一度そう頭の中で呟いて、また、ゆっくりと走り始めた。


「先生は、どうして競斗を始めたんですか」

 走りながら、僕は先生に訊いてみた。


「……競斗をっていうか、もともとは、ムエタイの選手だった」

 先生が答える。


「ムエタイ」


「あぁ。"チェンマイ"で、修行したんだ」

「チェンマイ?」 


 どこかで聞いた事がある。確か、タイの都市の名前だ。


「タイに行って、習ったんですか」

 僕が驚くと、先生は笑って言う。


「……俺が、ムエタイを習ったジムの名前が"チェンマイ"って言うんだ。高円寺にある」


「はぁ」


「タイ料理が食える居酒屋なんだが、ムエタイのジムも併設してある。週末には、試合を観ながら飲み食い出来るんだ」


「面白い店ですね」


「そこでバイトしながらムエタイを習って、プロキックの選手になった。……だけど、チェンマイでの稼ぎだけでは生活が苦しくてなぁ。ちょうどその頃、優希も生まれて」

 先生は、なんだか遠い目をして、続けた。


「一念発起して、募集制限年齢ギリギリのところで競斗選手養成所の試験を受けた……二十六の時だな。そして、なんとか合格したんだ」


 僕が、

「ムエタイの選手も、競斗選手になれるんですね」

 と言うと、


「うーん……。わかりづらいだろうけども、競斗っていうのは、あくまでルールであって、スタイルではないんだ」

 先生が、頭をかきながら答えた。


「極端な話、選手登録だけして競斗のルールで戦いさえすれば、ボクサーだってレスラーだって、空手家や柔道家だって出てもいいのさ」


 ……わかるような、わからないような。

 僕は思い切って、前から気になっていた事を訊いてみようと思った。いい機会だ。


「そもそも、競斗って、なんなんですか?」


 僕の質問に先生は、

「……ちょっと長くなるけど、聞くか?」

 と、答えた。


 僕は「押忍」と、答えた。


 

 

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