第十九ラウンド 負けはしたけど……
椅子に腰掛けた時、不意に走った足の痛みに、僕は思わず顔をしかめる。
それを見て「だいじょうぶ?」と、川内優希が心配そうに声を掛けて来た。
「う、うん。大丈夫」
僕はなんとか笑顔を作って、彼女が心配しなくていいように心掛けた。……上手くできているかどうかは不明だけども。
あのあと、僕はムキになった川内優希の、ガチ気味の猛攻撃の嵐に、飲み込まれた。
左右の強烈な蹴りに、重くて鋭いパンチ。さらには僕がまだ習っていない「後ろ蹴り(身体を反転させて、背中越しに蹴る技)」まで出してきた。僕は防戦一方、受けるだけで手一杯だ。
あげくの果てには「カーフキック」なる、ローキックの一種を左のふくらはぎに打ち込まれて、僕は、マットの上で悶絶した。
ふくらはぎが、吹っ飛んでいったのかと思うくらいの衝撃だった。
結局リベンジの夢は叶わず、ものの見事に、僕は二度目のノックアウト負けを喫した。
川内先生のローソンまで、久原拓哉が自転車の後ろに乗せてくれた。僕の自転車には、川内優希が乗って追いて来た。
店内に入ると、窓際のイートインスペースに座らせられた。
「見せて」
川内優希に言われるままに、ズボンの裾を捲り上げる。蹴られた箇所が、赤黒く変色していた。
久原拓哉がどこからか持って来た氷の袋が、僕のふくらはぎに押し当てられた。
さらに、その袋を、川内優希が手早く僕のふくらはぎに押し当て、なにやら包帯の様な物でぐるぐる巻にして固定させた。頭の芯までも届きそうなくらいの、冷たさだった。
「ごめんね。……また、やりすぎた」
川内優希が、申し訳なさそうな顔で、そう言った。
「い、いいよ。稽古の中での事なんだし」
僕は、しょげきった表情の彼女に、精一杯に強がってそう返す。
強がりでもなんでもなく、蹴り飛ばされたというのに、不思議と、憎しみも怒りも湧いてこない。
ただただ、
「この子はすごいなぁ」
とか、
「僕も、こうなりたいなぁ」
とか。……そう、感心する事ばっかりだ。
「まだ、冷たい?」
川内優希に聞かれて、僕は首を横に振る。冷たさのピークを越えて、ふくらはぎの感覚がなくなっている。川内優希が、包帯様の物を解いて、氷袋を外す。
「あんまり冷やし続けると、凍傷みたいになるからね」
そう言いながら、川内優希は僕のふくらはぎを、包帯様でぐるぐる巻にし始めた。
「バンデージしかないから、これで我慢して。家に帰ったら、あと一、二回は冷やして。それから、お風呂ではここはなるべくお湯につけない事」
「お、押忍」
僕の目の前に、無造作にカップが置かれた。
「……ココアでいいんだろ」
久原拓哉が、無愛想にそう言った。
僕は「押忍」と答えて、それを受け取った。
「あんまり痛むようなら、病院に行ってね。連絡くれたら、スポーツ保険が使えるから」
「連絡……」
僕は、戸惑った。
連絡といっても、どこにすればいいんだっけか。
その表情を見て、川内優希は僕の考えを察したらしい。ポケットからスマホを出すと、手早く画面を開いた。差し出された彼女のスマホには、LINEのQRコードが表示されていた。
僕は、慌てて自分のスマホを出して、川内優希のIDを追加登録した。
「なにかあったら、私に連絡くれればいいから」
「押忍」
僕は、ゆっくりと立ち上がった。おそるおそると地面に足を着く。……多少の違和感はあるけど、しっかり締め付けてあるので、動かすのに支障が出るほどの痛みは感じない。
「じゃあ、帰ります。バンデージ、ありがとう」
僕がそう言うと、川内優希は首を横に振った。
「私こそごめん。次からは、気をつける」
久原拓哉の方に向き直って、僕は「押忍」と小さく言う。
「ココア、ごちそうさまでした」
久原拓哉は、僕と同じように「押忍」と、小さく答えた。
「じゃあ、帰ります」
僕は、ふたりにそう言うと、ローソンを出た。
街灯もほとんどない、夜の田舎道。
左右一面に拡がる田んぼにはたっぷりと水が張られ、蛙や虫たちが大合唱を繰り広げている。
夜風が、とても心地良い。
僕は、少しだけ痛む足で、ゆっくりと自転車を漕いだ。




