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第十五ラウンド 初めてのスパーリング。

 スーパーセーフ。


 正式には「スーパーセーフ面」という防具だ。


 バイクのヘルメットによく似ていて、顔の前面大部分を曲面のプラスチックで覆ってある。試しに、鉤状に曲げた人差し指で、コツコツと叩いてみる……とても硬い。


 側頭部と後頭部は分厚い合皮性で、こちらも、かなりのクッション性がありそうだった。


「これ、ボクシング用品で有名な“ウィニング”って言うメーカー製。丈夫な代わりに、結構な高級品だから」


 そう言いながら、川内優希が後頭部の紐を絞めてくれた。


「痛くない?」


「押忍。大丈夫です」


 そう答えた途端に、前面のプラスチックの内側が、ぼうっと曇る。


「これ着たら、口呼吸してたらすぐに曇っちゃうから。なるべく、鼻呼吸を心がけて」


 言いながら、川内優希は僕に立ち上がるよう促した。ぼくが指示に従うと、今度は、身体の前面に何やら丈夫そうな物があてがわれた。体育の授業で着けた剣道の「胴」に、よく似ている。


「おなじくウィニングの、スーパーセーフ胴。アマチュア競斗は、公式試合の時は基本的にこのふたつを着けるからね」


「あれ? でも……」


 ぼくは、戸惑った。


 確か、色帯の先輩達は、スーパーセーフ面ではなく、前面が開いた普通のヘッドギアを着けていた。そのかわりに、顔面への手技は無しでスパーをしてたけれども。


 ぼくの言いたい事を察したのか、川内優希は、ニヤリと笑った。


「君には顔面は無し。だけど、わたしには好きに攻撃してきていいよ」


「お、押忍」


「とりあえず今日は、競斗の防具がどういうものかというのを、身体で覚えてもらいます」


 そう言うと川内優希は、おもむろにスーパーセーフ面を被った。


「さ。好きに攻めてみていいよ」


 川内優希は、ぼくと真正面から向き合って、そう言った。


 スーパーセーフ面越しに、鋭い眼光がぼくに向けられている。


 川内先生が主審になって、ぼくと川内優希は、講堂の中央で向き合っている。


 時間は、二分間。


 板張りの床の上には青色と赤色のジョイントマットがたくさん敷かれ、即席の試合場が出来ている。


 なにをしてもいい。


 それはつまり「なにをされるかわからない」と、いう事だ。


 いつもの稽古の約束組手で人を突いたり蹴ったりする事にはずいぶん慣れたつもりだったけど、いざこうなると、ぼくは、どうしていいかわからなくなった。


 川内優希を中心に、真似事のステップを踏みながら、無意味にマットを周る。


 吐いた息で、スーパーセーフ面の内側が曇る。


「どうしたぁ。遠慮せず行け、隆一」


 川内先生が、呑気な声をあげる。


「堀田君、ジャブとローキック」


「リズムとガード、忘れないで」


 色帯の先輩達も、声をあげる。


 言われるままに、ぼくは、川内優希を蹴る。


 右ローキック。


 その蹴りを、川内優希は、いとも容易く「ひょい」と上げた脛で防ぐ。


 次の瞬間には、川内優希の腰が鋭く廻された。


 蹴りだ。


 どこに来る?


 顔?


 腹?


 脚?


 深く考える間も与えられず、左腕に鈍い衝撃が走る。


 基本通りにあげて構えていた左腕を、川内優希がハイキックで蹴ってきたのだ。


「はい、優希ポイント」


 川内先生が、のんびりと言う。


 え? ガードしたのに?


 戸惑うぼくに向かって、


「ただ腕で受けるだけだと『腕を蹴られた』って判断するからな。ハイは、躱すか捌く」


 と、川内先生の声が飛んだ。


 続けて、胸の正面に、二回、衝撃を受けた。


 左ジャブの、ダブル。


 スーパーセーフ胴のおかげで痛くはない。だけど「見えるけど躱せない」という事態が、ぼくを完全にパニックに陥らせた。


「落ち着いて! ジャブとロー!」


 先輩の声に従い、左拳を軽く突き出す。


 それが、コツンと川内優希のスーパーセーフ面に当たる。


 ……当たった!


「いいよ。そこから繋げて。コンビネーション」


 誰かの声のとおり、次は、左拳、右拳と続けて繰り出す。


 また左拳は当たった。が、次の右拳は、ひょいと上体を傾けられ、避けられる。


 同時に、ぼくのスーパーセーフ胴に衝撃が走る。


 ぼくの右拳を躱しながら、川内優希が突きを入れた。

 カウンターってやつだ。


 さらに、左腿に鈍い痛みが走る。川内優希の右脛が、いつの間にか当てられている。


 まったく、避けられない。


 苦し紛れに、全力で右の蹴りを出す。中段の蹴り、ミドルキック。

 それがまた、川内優希の上げた脛で阻まれる。


 構わず、拳を振るう。


 遠い間合いから、右拳を打つ。右のロングフック。


 吐く息で、前が曇る。


 次の瞬間、ぼくは、川内優希に組み付かれていた。


 僕の右拳をかい潜って、川内優希が僕に組み付いていた。


 左手で、首の後ろを。右手で、左肩を押さえられた。


 外そうと、ぼくはもがく。だけど、僕よりも小柄な川内優希の腕は、ビクともしない。


 腹の側面に、スーパーセーフ胴越しに衝撃を受けた。


「はい。優希、ポイント」


 川内先生が言う。


 今度は、反対側にも、衝撃。


 膝蹴りだ。


 首と右肩を抑えられ、完全に、コントロールされている。


 ……知ってるぞ。


 これは、初めて見学した時のスパーで、川内先生が久原拓哉を抑え込んだ、あの技だ。


 たしか、ムエタイの、首相撲。


 なす術もなく、ぼくは蹴られ続ける。


「堀田君、まず、首のロックを外す!」


 先輩の声が飛ぶ。


 ロックを外す?

 どうやって?


 また、腹に衝撃。


「内側から手を入れ返して、優希ちゃんの首を掴み返す!」


 内側から?


 ぼくはわけもわからないまま、夢中で自分と川内優希の間に、両手をねじ込んだ。


 また、蹴られる。


 首のロックは、なかなか外れない。


 内側に! 内側に……!

 

 不意に、なにやら弾力性のある物を、ぼくの掌が掴んだ。


 ……え?


 ぼくは、戸惑った。

 妙に柔らかくて、プニプニした物。


「ぎゃぁぁぁっっっ!」


 川内優希が叫んだ。


 両掌で、ドンと胸を突かれた。

 ぼくと彼女の間に、スペースが出来た。


 川内優希の腰が、凄まじい速度で切られた。


 ……次の瞬間、ぼくは、左の側頭部に衝撃を受けて、青いマットに崩れ落ちた。



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