第十一ラウンド あやしい雲行き。
スパーリングが終わって、それから、もういちど全員で講堂の掃除をして、今日の稽古は終了した。
先生に挨拶をして、公民館を出た。
自転車に乗ろうとしていると、突然、
「おい」
と、背後から声をかけられた。
振り向くと、川内優希と、ローソンの店員……久原拓哉が立っていた。
「は、はい」
ぼくは、おどおどしながら、そう応えた。
「今から時間ある?」
川内優希が、訊いてきた。
時間?
「す、すこしなら」
ぼくが応えると、
「そう。なら、ちょっと付き合って」
と、川内優希は笑った。
それから、久原拓哉の自転車の荷台に身軽に腰掛けた。
***
ぼくら二台の自転車は、近くのローソンに辿り着いた。川内先生と久原拓哉が働いている、例の店だ。
「コーヒーでいいか」
カウンターの前で、久原拓哉がぶっきらぼうにぼくに訊いた。
「あ。ぼく、コーヒー飲めなくて……」
ぼくがそう言うと、久原拓哉は小さく舌打ちして、店員さんに、コーヒーのSサイズをふたつと、ミルクココアを注文した。
ぼくたち三人は飲み物を受け取ると、店の隅っこの、イートインコーナーの椅子に腰掛けた。
「今日、どうだった? はじめての稽古は」
川内優希が、ぼくに訊ねた。
「あ、面白かったです」
ぼくは、思ったとおりに答えた。
その言葉を聞いて、川内優希はにこりとした。
「ならよかった。ウチの道場、慢性的な若手不足だから」
「若手不足?」
川内優希が、コーヒーを一口ふくんで続ける。
「そ。まぁ、競斗そのものが、マイナースポーツだからね」
「そんなにマイナーなんですか」
と、ぼくが訊くと、
「……お前、例えば競馬の騎手を何人しってる?」
横から、久原拓哉が言った。
「競馬の……」
たしかに、パッと出てくる名前はなかった。
「なら、競艇は? それとも競輪はどうだ」
競艇……? 競輪?
「……わからないです」
ぼくは、なんだか申し訳ない気分になって、俯いたままそう答えた。
「でしょ? まぁ、公営ギャンブルの選手なんてそんなもんだよ。国と、コアでマニアックな少数のファンに支えられてる業界だから」
川内優希が、笑いながら言う。
……その「マニアックな競技」を、このふたりはどうして始めたんだろう。ぼくは、興味を持った。
「ふたりは、どうして競斗を始めたんですか」
ぼくが訊くと、
「……なんでだろ。子供の頃からやってるから、きっかけはうろ覚えだな」
と、川内優希は笑った。
「久原先輩は?」
今度は、久原拓哉に訊く。
久原拓哉は、ぼくの方を見ようともせずに、
「なんとなくだ」
と、ぶっきらぼうに答えた。
「そう言う君は、どうして入門したの」
川内優希が、訊ね返した。
ぼくは、ここで久原拓哉にDQNから助けてもらった事。その時の「蹴り」に感動した事を正直に話した。すると、川内優希の顔色がみるみると変わった。
「久原さん、またケンカしたんですか」
久原拓哉は、川内優希を見ようともしないで、コーヒーを飲んでいる。
「前にも言いましたよね。ケンカに競斗を使わないでって」
「い、いや。久原先輩はぼくらをかばって」
ぼくは、川内優希に向けて、慌てて言った。
「いざと言う時に使えなくて、なんの格闘技だよ」
久原拓哉はボソリと呟くと、立ち上がった。
「じゃあな」
そう言い残すと、さっさと店を出て、行ってしまった。
挨拶を返すヒマもなかった。
遠ざかっていく久原拓哉が乗った自転車の灯りを窓越しに見ながら、川内優希は、となりで小さく、
「……バカ」
と、呟いた。




