第九ラウンド 右ストレート。
皆が練習をする列から外れて、僕と川内優希は、講堂の隅の方で向かい合った。
「じゃあ、最初はストレートから」
「は……押忍」
川内優希が、両拳を顔の側にすっと構えた。
「真似して」
そう言われて、僕も両拳を顔の側にあげる。川内優希が僕に近づき、両肩に掌を置いた。
「利き手どっち?」
いきなり訊かれる。
「えっと、右利きです」
僕が言うと、川内優希は、掌を置いた両肩をぐいと捻った。右肩が、後ろに下げられる。
「なら、右ストレート。左足を一歩、前に出して」
言われたとおりに、左足を出す。
「顔と手足はそのままで、身体だけ少し右に捻って」
再び、言われたとおりにする。
「腰を落として」
……腰を、落とす? 聴き慣れない言葉に戸惑っていると「こう」と、川内優希がお手本を見せた。
川内優希の身体が、すっと沈んだ。
真似をして、膝を曲げる。
「違う。膝を意識して曲げるんじゃなくて、腰を落とすから膝が曲がるの」
「え?」
「もう一回やるから」
川内優希が、僕の横でまた"すっ"と構えた。
「違い、わかる?」
正直、まったくわからない。
僕は、首を横に振った。川内優希が、ため息をつく。
「あなたは、腰……重心が高くて、膝を曲げてるだけ。私は、重心を低くしてるから、自然と膝が曲がってるの」
……さっぱりわからない。困惑している僕を見て、川内優希が、またため息をついた。
「まぁいい。じゃ、動きの流れをやっちゃうね」
川内優希が、説明を始める。
「まず、左足を踏み出す」
言いながら、川内優希は一歩ひだり足を踏み出す。僕も真似をする。
「次に、左足をロックして」
「左足をロック?」
「そう。左足は、踏み出した位置でしっかり固定。この足が、攻撃の基準になるから」
言われたとおりに、やってみる。
「次に、右足の踵を外側に捻る」
「は、押忍」
「次に、腰を左側に捻る」
「押忍」
「最後に、右の拳を真っ直ぐに突き出す」
「押忍」
言われるままに、右拳を突き出した。……我ながら、なんだか心許ないパンチだ。
「何度かやって、確認して」
川内優希の言う通りに、一連の動作を繰り返す。
左足を踏み出す。
右足の踵を捻る。
腰を捻る。
右拳を突き出す。
ただ一発のパンチでも、こんなに複雑なものなのか。一連の動作が、ちっとも上手く繋がらない。
何度も繰り返すけど、納得いくパンチは一度も打てない。僕は、だんだん暗鬱とした気分になってきた。
「こっちに来て」
川内優希が、僕を一本の柱の前に招いた。
「右拳を、柱につけて」
僕は、言われたとおりにする。
「じゃあ、思いっきり寄りかかって」
ぐぐっと、右拳で柱に寄りかかる。
「そのまま、左足を出す」
左足を、踏み出す。
「腰を捻って、右肩を入れる」
言われるままにする。
「左足は宙に浮かせて。寄りかかった拳と右足でバランス取って」
僕は、川内優希の意図を理解できないまま、指示に従う。
「そう、それ! 今、右拳で身体を支えてるでしょ」
僕は、よくわからないままに頷いた。確かに、握った右拳に、僕の身体の大多数の体重が掛かっている。
「それが、パンチが一番あいてに伝わる位置」
そう言われて「はっ」っとなった。
なるほど、こんなにも体重を掛けるものなのか。たしかに、さっきまでのパンチは、これに比べると重心が後ろにあり過ぎた。
川内優希が、何やらを手に着けた。
野球のキャッチャーミットをさらに分厚くしたような代物だ。
「これを打ってみて」
言われるままに、それを目掛けて右ストレートを打つ。
バスン。
鈍い音が、ミットを鳴らす。
「もっと、さっきのフォームを思い出して」
川内優希が言う。
僕は、なるべく「前」に体重を掛ける事を心掛けて、何度も右ストレートを繰り返す。
「バスン!!」
数発目で、いきなり大きな音をミットが鳴らした。
自分でもびっくりするくらいの音だった。スムーズに、右足から右拳まで「力」が伝わる感覚があった。
「やるじゃん」
川内優希が、ニヤリと笑う。
僕は「押忍」と、笑顔で応えた。




