5.雪解けの夏 -Last-
一誠はそう言うと、軸の世界を模した数直線上の周囲に描かれた幾つもの小さな丸をペン先で指す。
一つ一つが可能性世界を表していて、実際の数は紙ナプキン上では表せない程に多かった。
「素直にそれぞれの軸の世界の将来だけを示していてくれれば良いんだけど…千尋はさ、可能性世界の年代が一定じゃないのは知ってるでしょ?」
「ええ…2000年を越えたと思えば、次の世界は同じ軸をベースにしているのに1970年代だったとか、ザラにある」
「そうなんだよ。可能性世界は常に"軸に対しての可能性"だけじゃない。可能性世界から派生した可能性世界だったりするし、誰かの一夜の夢の世界だったりする。そこでこんなことが起きるわけだ」
「……というと?」
彼は私の反応を見てから更にペンを走らせる。
可能性世界を模した丸から、更に何処かの時間軸に丸が派生していった。
「派生先も常に未来じゃない。過去だってことも有り得てしまう」
「軸の世界よりもってこと?」
「そうだ。場合によっては時間を巻き戻す前っていう場合もありうる」
「…デジャブの原因になっている?」
「そうだね。人々が感じているデジャブの多くはこれが原因になってるよ。レコードによればね」
「…なるほどね」
私は彼の説明を聞いて何となく、自分の問いへの答えが見えてきた。
後は、その考えが正しいか…彼の言葉から答えを得るだけ…
恐らく、可能性世界のその部分の曖昧さが…5軸の私に未来の私達か…あるいは近似している存在を見せたのだ。
単純な答えだったが、今の私にはそれが一番しっくりと来る。
「可能性世界では、軸の世界の時間軸は意味を成していないって訳?」
「そうなる。可能性世界なら、レコードを持っていてアクセス出来てしまえば…行けてしまうわけだから、5軸の君が言ったっていう、未来の千尋達の話をするも、決して変な話じゃないよ」
彼はそう言うと、砕けた笑みを浮かべて見せた。
「まぁ、生きている時間が違うだけの同じ人間が出会うってことは一度も報告されていないから安心してよ。レコードの側で制御が出来ているから」
「未来の私達に邪魔されることは無いと」
「そう。邪魔するなら、君なら何時の自分を相手にする?」
「…レコードを持ち始めた当初の私」
「だろう?でも君は現に生きている。ちゃんと制御が効いてる証左だ」
「…分かったけれど、それを知ったとして、5軸の私が見たっていう将来は変えて良い物なの?」
「良いんじゃない?現にこうして僕と話してるし。ここまでやっておけば君の事だから回避するのは容易いだろう?」
「まぁ…」
「誰かに観測された将来の自分なんて、あってないようなものだと思えばいい。…尤もそのあたりの話は僕達もまだ未知数な所があるから自信を持って断言できないけれど」
私は一誠の目をじっと見ながら話を聞き…そして小さく頷く。
「大体わかった…ありがとう」
私はそう言って、残りのクロワッサンを食べ終える。
一誠はそんな私を見て、何か言いたげな視線を向けていた。
「?」
小さく首を傾げて見せると、彼はテーブルに広げたナプキンを全て片付ける。
「千尋はさ、レコードの管理人の末路について考えたことはある?」
私は彼の問いに、直ぐに答えられず曖昧に首を傾げるだけだった。
「さぁ…精魂尽き果てて時代に取り残されて、良く言う時空の狭間に飛ばされるって?」
そして、少し間を置いた後で典型的な答えを出す。
そんな私の答えは彼にとっての模範回答だったらしい。
一誠はニヤリと、思っていた通りだと言わんばかりにニヤリと笑った。
「そうだよね。確かにその考えが正しい」
「それ以外にあるとでも?」
「そうなんだ。最近、そう思ってきててさ」
どうやら今日の彼は少し話したがりらしい。
私は流れに任せてみることにした。
「蓮水の一件があってから、そう思い始めたんだけど。レコードから外れることが出来るんだなって」
「ああ…感知できない存在の事?」
「そうだ。普通に考えて、有り得ない存在だよね?でも現に蓮水は僕の前から姿を消して、レコードに感知されない存在となって世界を漂っている。普通は時空の狭間に行くって言われてきたのに」
「…そもそも、時空の狭間がどんなところか誰も知らないんでしょ?」
「ああ。死後の世界みたいなものだ。1950年以前のレコードの管理人は最早存在しないんだから。蓮水みたいに偶に観測できる存在でもないからね。そんな彼らの行った末を表した言葉だよ」
「一誠の造語なの?」
「いいや。誰だったか、作家かぶれの人間が言った一言が広まったから…概念みたいなもんだよ」
彼はコーヒーカップを片手にそう言うと、クイっと一口コーヒーを飲み込む。
「実際、私の元上司は狭間に飛ばされたんじゃないの?」
私がそう指摘すると、彼は小さく首を左右に振った。
「懐かしいね。マサの事だろう?彼は残念だった。確かにレコードの管理人じゃなくなったから、時空の狭間に飛ばされたという表現が正しいかもしれないが…君も知っている通り、彼は可能性世界の自分と融合して消えただけじゃないか」
一誠にそう言われた私は、確かに…と呟く。
「僕も長い間パラレルキーパーをやっているけれど、時空の狭間に消えた…つまりはレコードが手を下して何処かに人を飛ばした何て事は一度もないんだ。マサのように、何処かの可能性世界に居る当人と融合させてレコードを持っていた時の記憶を消して処置したりすることが殆どでね」
「…ならば、案外、皆が恐れている狭間なんてものは無い…と」
「そう、概念が独り歩きしただけで無いと思ってる。ちゃんと調べれば直ぐに分かることなんだけど、そういう事実よりも最初に広まった概念の方が強いんだよね」
彼はそう言って口元に笑みを浮かべると、私は同じような笑みを浮かべ返した。
「…それで?そこからどうして末路の事なんて考え出したの?」
「何れは僕も1950年代以前の管理人みたく消える時が来るんだろうなって、最近思い始めてね」
「それは2000年を越える世界も珍しくなくなったから?」
「そう。それもある。50年周期って誰が決めたわけでも無いんだけど」
「それが自然…と」
「ああ。蓮水が消えて、何処かの世界でレコードを持っている君も居る。そうとなれば、次は僕の番だろうって思い始めててさ」
私はそんな彼を見て少しだけ目を細めた。
「…そして、それを話題に挙げるって事は、一誠なりの末路は想像できたんだ」
「まぁね…突拍子も無い事だけれど」
彼はそう前置きを置くと、少しだけ間を置いてから口を開く。
「ひょっとしたら、レコードから離れて、自由に生きて自由に死ねる…そんな最期があるんじゃないかってね」
彼の口から語られた内容を聞いた私は、首を少し傾げた。
「時代に縛られたまま、何度も何度も好きな人生を繰り返す。世界すらも作り変えて、ただただ永遠に"死ねないまま"…」
「記憶は無いけれど、何度も人生をやり直すってこと?」
「そう。これまで見てきた色んな世界の、色んな人を思い返してみれば…有り得ない事でも無いかなって」
一誠はそう言うと、テーブルにレコードを広げて何かを確認し始めた。
中身を見て小さく頷くと、レコードを閉じてこちらに目を向けなおす。
「さっきのデジャブの話もあったけれどさ、仕事していると感じることがあるんだ。ああ、この人はあの世界のこの人と同じだって」
「…一般人なのに?」
「そう。一般人なのに」
私は徐々に頭の中がこんがらがって行くような感覚を受ける。
言いたいことは分かるが…突拍子も無い事を言うはずもない一誠が、少しまじめな表情を浮かべて語るのが、どうにも違和感たっぷりだった。
「僕達がレコードの管理人側に入ったのは偶々で、やがて任を解かれれば、何かしらの方法でレコードの管理人から外れて突き詰めて行けば…最期は幾多の可能性世界を永遠に生きて行く存在に落ち着くんじゃないかな」
「……」
私は何も反応を返せずに、黙り込んだ。
「極端な考えだとは思うんだけどね。最近はそう思わされる仕事が多くて…」
何とも言えない表情を浮かべているであろう私に、彼は苦笑いを浮かべながらそう繕って見せる。
私は小さく数回頷いてみると、徐々に彼の考えが頭の中にスーッと溶け込んでいった。
「否定出来ない理論だね」
私はそう切り出す。
「きっと、私はまだ歴が短いからそうは感じないけれど、何度も何度も同じようなことをやっていれば何れはそんな考えになることでしょう」
「恐らく」
「正直、私も…由紀子が居て…レミとレナが居て…将来どうなるの?何て言われても答えは持ち合わせていない。多分"レコードの仕事をこなすだけ"と言うと思う」
私はそう言って、何気なくテーブルの上に置かれていたペンを拾い上げた。
「マサの最期を知ってるから…追い詰めたから、最期はどうなるのか…何となく想像は出来ていたけれど…その先があるだなんて思いもしなかったな」
「まぁ…都合のよい現実逃避でもあるからね」
「ええ。その通り…だけど、死してなおこうやって息を吸って地に足を付けて活動できているなら、この次もあると思うのも当然」
そう言って、私は彼に笑みを浮かべて見せた。
「だから、私は一誠の考えを否定しないで受け入れる。"可能性がゼロじゃないならゼロに近づくまで突き詰めろ"…そう教わったから」
私は何処かで、引っ掛かっていた何かが溶け出していくような感覚に包まれる。
「…2周目はそう教わったのか」
「あら、1周目は違ったの?」
「2周目の君達みたいに思慮深い組織じゃなかったんだ。僕達は"可能性がゼロじゃないならそれは黒だ"って教わってる」
「…そう言えば、巻き戻す原因は私達の部署だったんだっけ」
「そう。5軸でも似たような理由で一度目の時間逆行をしている」
彼はそう言うと、直ぐに言葉を繋いだ。
「2度目のあの組織は、随分と軟化してるんだ」
「結局、私達の最期は似たようなものだったけれど」
「子供にやらせる仕事じゃなかったってこと。僕は2周目だったとしても嫌だね」
私は苦笑いを浮かべると、残っていたコーヒーを飲み干した。
コーヒーを飲み干して…一口分、残っていたクロワッサンを食べ終える。
「あ…やっと気づいた?」
一誠が私の様子を見て言った。
私は少しだけ、彼の方をジトっとした目で見つめると、小さく頷く。
「この感覚の鈍さは一体何なんだろうね」
そう言って、私はレコードを開いて適当なページを開いた。
数分前に降りていたレコード違反者の発生と私が処置に当たるようにという指示がサラっと簡潔に書き込まれている。
「千尋が鈍感なのも意外なんだよね」
一誠は会話の最中に気づいていたのだろう。
「…何時から気づいてた?」
「最初から。まぁ、急も要さない大した仕事じゃないから、この程度の遅れは何てことない」
「足になってね」
私は笑みを浮かべる一誠に短くそう言うと、伝票を持って席を立った。




