5.雪解けの夏 -1-
何時か由紀子を迎えに行った病院の駐車場。
私と由紀子は、駐車場の隅に止めた流麗なスポーツカーの横に寄り掛かり、レミの帰りを待っていた。
「……」
「……」
煙草も吸わずに、会話もせずに、日の暮れた街の喧騒に浸りながらじっと待つ。
何時もと違う、少しだけ豪勢な夕食の後…こんな場所に立ち寄っているのには理由があった。
新たなポテンシャルキーパーを採用したとレコードから通知があったのだ。
それを知ったのは夕食前…車を走らせている最中の出来事。
由紀子が気づいて、そしてその内容を見たうえでレミに打ち明けた。
今回採用されたポテンシャルキーパーが、彼女の姉である永浦レナだという事を…
それを知ってから、レミは心ここにあらずというか…ずっと欲しかったプレゼントを買いに行く前の子供のようにソワソワしていた。
私達はレミに迎えを頼み、私達は表に出しゃばらない事にした。
レミにそれを伝えると、彼女は疲れも何もかもを吹き飛ばして姉を迎えに走り去っていったのがさっきの出来事。
ポテンシャルキーパーになっても、何か事あるごとに姉の話題を出すことが多かったのだから、彼女の姉に対する想い入れは十分に分かっている。
だが、物事は何もかもが思い通りに行かないというか…少々歪に実現される時だってあるものだ。
今レミが迎えに行っている姉が、レミの本当の姉じゃないという事がそれに当たる。
レミを仮に"3軸1周目"の存在とするのなら、姉はその次の周に生きた存在。
限りなく同一人物に近いし、レコードで見る限り最期も同様だが…微妙に細部のレコードが異なる。
それはレミも承知の事。
"本物の"姉は3軸のレコードキーパーをやっているらしい。
一誠に聞く限り、極めて優秀な人物だそう。
こちらにやって来た彼女もそうであることを祈るとしよう。
「あ…今、窓にレミが見えた」
由紀子がボソッと言う。
全く別の場所を見ていた私が彼女の目線を追っても、そこにはもうレミの姿は見えなかった。
「もう一人は?」
「んー…それっぽいのも見えたよ。もう着替えてるんじゃない?」
「そう。なら、そろそろ帰る準備でもしましょうか」
そんな会話から数分も経たぬうちに、病院の自動ドアが開いて2人の少女が顔を見せる。
1人は年を小学生まで巻き戻したレミ…そしてもう一人は、そんなレミと同じか…少しだけ背の低い女の子。
彼女の体躯や姿勢はレミとよく似ていたが…レミよりも少しだけ小さく見える。
顔つきは少し優しそうで、髪型はレミと同じっぽかったがレミと違って内側に跳ねる癖があった。
「お待たせ!連れてきたよ」
レミがそう言って手を振ってやってくる。
その横に居る少女…レナはまだ状況が飲み込めていないといった感じで、私達に強い警戒感を示しているように見えた。
「おかえりなさい、レミ。そして、初めまして。永浦レナさん」
「は…はい。初めまして」
由紀子が声を掛けると、レナは少しだけ震えた声で答えた。
「私は元川由紀子。こっちは前田千尋…今日からよろしくと言いたいところだけど、まだ分からないことだらけでしょうから、まずは落ち着ける場所に行きましょうか」
由紀子が話を進めてくれる。
私は自分の名前が呼ばれたときだけ小さく会釈して見せると、その後で運転席のドアを開けた。
「狭い車で悪いけど、直ぐだから」
そう言ってレナに声を掛けると、彼女は小さく頷いてこちらに歩いてくる。
私は運転席のシートを倒して、彼女を後部座席に座らせると、シートを元に戻して運転席に収まった。
そして、エンジンを掛けると丁度助手席のドアが閉められて由紀子が一息ついた様子が見える。
それを見て、それから後部座席の2人の様子をチラッと確認した後で、私はギアをローに入れゆっくりと車を発進させた。
・
・
病院から家までの道のりは何かがあるはずもなく、何時もと変わらない。
唯一の違いと言えば、私の背後に小柄な女の子が1人追加された程度だが…彼女はその横に座る妹にベッタリとくっ付かれていた。
「……」
私と由紀子は、バックミラー越しにその様子を見ていたが、顔を合わせて肩を小さく竦めて見せると何も言わない事にする。
私はエアコンの温度を2度下げると、送風口から流れ出てきた冷たい風に目を細めた。
帰路を順調に駆け抜け、私は住み慣れた家の駐車場に車を止める。
エンジンを切って外に出ると、運転席の椅子を倒してレナの手を引いた。
「すいません…」
「いいの。それより、体の具合はどう?何ともない?」
「はい。何も…」
私に手を引かれて外に出てきた彼女は、私の問いかけに曖昧な返事を返すと体を見回して不思議そうな顔を浮かべた。
レコードを確認していた私達は、彼女の仕草の意図が直ぐに分かる。
死ぬまで体中に残った傷や、それに伴って不自由になっていた体の一部が、何も無かったかのように綺麗になっているのだ。
今、彼女が置かれた状況も訳が分からなければ、自分の体に起きている事も現実味を感じなくて当然だろう。
家に戻り、居間の普段の定位置についた私は、ふーっと溜息を一つ付くと由紀子に目配せをして彼女に頼みごとを一つお願いする。
彼女は何も言わずとも私の意図を汲んでくれ、小さく苦笑いを浮かべて頷くと椅子から立ち上がって2階の方へと上がっていった。
「さて…レミ。一旦真面目な話をするから姉から離れて」
私は視線を双子のようにも見える姉妹に向けると、そう言って場を引き締める。
レミはハッとした表情を浮かべると、姉から腕一個分離れてくれた。
「確認から始めるよ。あの病院でレミに起こされる前の記憶は何処まであるの?」
「病院で起きる前…?…覚えて…無いです。でも、病院に居るってことは、きっと"良い事"が起きたんじゃないかなって思います…体も治ってるし…」
「そう…」
最初の確認は生前の記憶から。
話しぶりから察するに、彼女は自らの最期を覚えていない。
思い出そうとすれば思い出せるはずだが…彼女のレコードを見る限り、彼女の精神状態を察する限り、思い出せないのも頷ける。
「もし、本当の事を知ることが出来ると言われれば知りたい?」
「え?それは…はい。今も何が何やら…どうしてレミが居るのかも…ここが何処なのかも分からないので」
「そうだよね。じゃぁ…っと丁度いい」
レナの表情や仕草を探りながら話を続けていると、由紀子が階段から降りてくる。
私はそれを見て小さく笑うと、彼女がこちらに来るのを待って、彼女が手にしていた"本"がテーブルの上に置かれてから口を開いた。
「ありがと」
「どういたしまして」
由紀子にお礼を言った私は、テーブルに置かれた本…レコードをレナの方に滑らせる。
「短く事実だけ言うよ。永浦レナ…貴女は自殺を図って死亡し、この"アカシックレコード"によって"ポテンシャルキーパー"として生き返ったの」
レナの目を見てそう告げると、彼女は不安そうな…何処か怖がっているような表情に困惑や不信感?といった表情を混ぜ込ませた。
助けを求める様にレミの方に顔を向けたが、レミが何とも言えない表情で首を振って"嘘じゃないよ"と言うと、レナは表情をそのままに目の色を暗くする。
「唐突なカミングアウトになっちゃうけれど、事実なのよ。私だって事故で死んでこうなったのだし」
泣きそうな顔になっていたレナに由紀子が優しい声で言う。
「私は土砂に生き埋めになってる。レミは…後で聞けばいい。何はともあれ、今は死を経た後だ。死後の世界に居るわけじゃないんだけどね」
由紀子の後で、私も少しお道化るような声色で自分の最期を告げると、直ぐに声色を元に戻して話を進めた。
「レナ、君の居た世界も含めて世界は星の数以上に存在するの。10個の"軸の世界"と呼ばれる世界があって…それを取り巻く"可能性世界"が何億何兆も存在する…ただ"生きている"だけじゃ知りえない事でしょう?だけど、それが事実」
そう言って、彼女の方に滑らせた本をポンと叩く。
「これは"アカシックレコード"そのもの。今いる世界の過去現在未来全てを記録している本…私達は可能性世界に異常が起きていないかを監視する監視員みたいなもの…」
「監視…員…?」
「そう。今いる"可能性世界"で暮らす人々がこの本に記録された通りに動くかどうかを監視するの。もし、何かがあって誰かがレコードに書かれていない行動をしてしまったら、このレコードから指令が下り…私達がその人に"処置"を下す事になる」
私がそう言っている間も、彼女の表情は相変わらずだった。
その様子を見かねたのか、由紀子が私の腕を突いて話を止めてくる。
「?」
「私達の説明としては100点だろうけれど、それ以前の問題ね」
由紀子はそう言うと、私からレナに視線を移して小さく笑って見せる。
「今の説明は何となくでも理解できたかな?」
彼女の問いに、レナは小さく頷いた。
由紀子はそれを見て優し気な笑顔を見せる。
「そういう事だから、申し訳ないけれど貴女の記録も確認しているの。だから、言わずともどんな経験をしてきたかは知っているわ」
「え…あ…そう…です、よね」
「ごめんなさいね。仕事だから…これから貴女が…レナがやらないといけないのも事実。だけど、その前にレナが元気にならないとね」
由紀子は優しい声色のままレナにそう語りかけると、視線をレミに移す。
「妹のレミがね、レナよりも先に仕事を始めてるの。だから、仕事のこととかはレミに聞いて?それでも分からなければ私達が居るから」
「……」
「今日からこの家で暮らすの。私達も居るし落ち着かないけれど、レミも居る。今まで見たいな目には合わせないし…そうね、まずは"普通の"生活を戻す所からにしましょうか」




