2.零下の消失劇 -3-
時任さんと合流して2日後。
何かが起きるとずっと思っていて身構えていたのだが…一切事が起きず今を迎えていた。
昨日まで降り続いた雪は晴れ…除雪も済ませて一息ついた頃。
私達が暮らす家の居間は少々重い空気が漂っていた。
私と由紀子と時任さん…それ以外に3人の人物がここに居て、重い空気は彼らが運んできたものだ。
今回の事態を調査するために組んでもらったパラレルキーパーとポテンシャルキーパーの混成チーム…もっと言えば、永浦家だ。
その中でも、レミは見ても分かるくらいに機嫌が悪い。
「……」
機嫌が悪いだけで、何も危害は無いのだが…私は短くなった煙草を灰皿に捨てるついでに、彼らに声をかけた。
「家族水入らずとは行かなかったようだね」
冗談めかしにそう言って、ふーっと煙を吐き出す。
博光と美麗は苦笑いを浮かべて肩を竦めて見せた。
レミは何も言わず、じっと私を見つめたままだ。
「ナイフが飛んでこないだけ…レミも理解はしてくれてるって所かな」
3者3様の反応を見た私はそう言ってから、表情を消す。
ココからは、この終わりかけの世界がどうなっていくかについての本題だ。
2日前から始まった世界の異変…
大雪が降りしきる世界で何が起きていたのか…
その答えを知りたかった。
「終わりかけの世界で、まだ平和な方と言えるはずなんだけど。結局、大雪の件は僕達の思い過ごしだったのかな?」
私はそう切り出すと、永浦家の3人の方に目を向ける。
彼らも直ぐに私を見返すと、美麗がレコードを取り出してテーブルの上に置いた。
「思い過ごしじゃ無かった。レコードは書き換わってた」
彼女の言葉に耳を傾けながらレコードに目を向けると、そこには黒い文字と真っ赤な文字とが半分ずつ浮かび上がっていた。
黒い文字は正常な場合においてのレコード…真っ赤な文字は違反後の行動を記したレコード…
内容を斜め読みする限り、レコードはこの街の住民のもの。
私達の管轄下にある人々のレコード違反が、私達へ通知されることなく…人知れず起きている事がハッキリと映し出されていた。
「2日前から街のあちこちを回って見つけ出したんです。最初はこれ…商店街の主人のレコード違反。それは近づいた時に急にレコードが反応して発覚しました」
博光がテーブルに乗ったレコードを指さしながら言った。
私達は何も言わずに彼らの説明が終わるのを待ち続ける。
「後はそこから芋づる式のように見つかったのが、ここに表示されているレコード違反者です。とりあえず今までで見つかった違反者は全て処置して回りましたが…」
「その違反者の近辺から派生して違反した人間はどれだけいるか分からない…と」
「そうですね…由紀子さんのいう通り。今まで挙がったのもただの違反者で、この世界があと少しで消滅することも認識していないようですが…見つかっていない者達がそうなのかは不明です」
彼の言葉を聞いた私達は、互いに顔を見合わせる。
「どこまで傷が深いか分からないけれど…誰かのレコード違反が巡り巡って天候すらも変えたという事?」
少し黙り込んだのちに私がそう尋ねると、博光は小さく頷いた。
「ただのレコード違反でそんな所にまで影響が行くなんて…」
「恐らく…この人とこの人の違反が関わってると…」
「…ふむ…」
彼が指さしたところに目を向ける。
見覚えの無い名前の一般人のレコードだった。
「偶に出てくる…軸の世界に入り込もうとする者は、元居た世界の"運命"とやらを繕って紛れ込むので、入り込んだ世界の環境を変えてしまう事があるのですが…ハッキリ言ってこの世界で起きている事は初めて経験します。レコードに感知されない違反者に、環境の変異も…」
「君達では手に負えない?」
「方法があるとすれば簡単で…この世界を自分たちの権限で今すぐに崩壊させれば良いのですが」
「そんなことをすると貴方達に影響が出ない?」
「出ます…表面上はレコードが"異常なし"としている世界を崩壊させるのですから、いくら理由を積んでも多少のペナルティは出るでしょうね」
博光がそう言い終えた頃、丁度それを見計らったかのように家のチャイムが鳴った。
私達は全員、玄関の方を見て黙り込む。
「ちょっと出て来る」
由紀子が直ぐに反応して、玄関の方へと向かっていった。
ガチャッと扉が開く音と、聞こえてくる由紀子と来訪者の声。
その声が聞こえてくると、私達は全員ホッと一息を付けた。
「全員そろってみるみたいだね。遅くなった」
入って来たのは、最古参のパラレルキーパー。
「一誠にしては時間がかかったのね」
「ハハ…まだ終わってないんだけどね。目途を付けて千尋に任せてきたのさ」
彼は全員を見回すと、空いている椅子を引っ張ってきてそれに座った。
着ているコートを脱がないところを見る限り、長居する気は無さそうだ。
「報告は聞いてる。状況は厄介だけど、この世界の事を深く調べたら原因は何となく掴めたよ」
彼は全員が揃ったところで、開口一番にそう告げると、時任さんの方を見て小さく笑う。
「ここから何をするかは僕が責任を持とう。そしてもう一つ、君を回収しにきた」
「ありがとう。訳も分からずここに来たから…」
「僕の目線からすれば、君が忽然と消えたようにしか見えてないんだけどね…まぁ、それは後だ。これからこの世界を崩壊させようとするんだからさ」
一誠は明るい口調のまま、アッサリとそう言ってのける。
私達は、時任さんを除いた全員が驚いた顔を浮かべた。
「崩壊…って一誠さん良いんですか?」
「構わないよ。僕の名のもとに壊す…君達の下調べが理由を肉付けしてくれたから…僕の立場ならそう重たいペナルティは下されない」
「流石…年季が違うといった所?」
「そんな所さ。さて…ココからは暫く休む暇は無くなるけれど、覚悟はいいかい?」
・
・
一誠が私の家に現れてから、少し経った後。
私は由紀子を連れて日向町を目指して車を走らせていた。
「…そうだ千尋、何時もの道で行こうなんて考えていないよね?」
高速を走らせている最中。
何かを思い出したかのように由紀子が声を上げる。
私は一瞬、由紀子の方に目を向けると、小さく首を傾げた。
「普段の"裏道"は除雪の優先度合いは一番下よ。こんな車だし、大人しく大きな道を通る方が良い」
「なるほど…言われてみればそうかも…ありがと」
私は彼女の忠告に大人しく従う。
乗って来たポルシェは幾ら4輪駆動車と言えど、背の低いスポーツカーには変わり無い。
「で…処置周りだけれど…今のところレコードは異常なし?」
「無い。何も言ってきてない」
「オーケー…ただの処置で済めばいいのだけど」
何度目かの確認をして、私は今日何度目かの同じ言葉を呟いた。
私達が今から行う作業は、レコードに背いた行動だったから…幾ら一誠が良いといっても、抵抗が無いわけでは無かった。
一誠から告げられた、私達が仕掛ける世界の終末作戦。
第一段階は世界に影響を与えたレコード違反者から辿れる、新規のレコード違反者を全て処置すること…
今はこの作業に手を付けだしたばかりで、一誠が算出した数はざっと100人を越えていた。
この数は、私達の管轄の中での話…管轄外も含めれば…膨大な数になる。
当然、私達だけでは手が足りず…他の世界からの応援や、パラレルキーパーが急遽投入される運びとなった。
それが終われば第二段階…一誠と蓮水さんが先行して動いているが…"元凶"の捜索とその排除だ。
ただの1世界でここまでレコードの挙動がおかしくなることは無い…だから、他所の世界からの介入があると踏むのが自然…
一誠はそう言って、蓮水さんと共に行動を開始した。
除雪が済み、しっかりと舗装路に戻った高速道路を駆け抜けて…小樽の街へと辿り着くと、そこから先は怖いくらいに滑る圧雪路面…
私は背中に嫌な汗を感じながら、高速道路の時の半分以下の速度で、周囲の車の流れに乗る。
「おっと…」
少しでも操作に"急"がついた途端…車はあっという間に滑りだした。
「こういう路面で運転する練習もしたかった」
「……昔の話?」
「ええ。普通に運転するのは慣れてるけれどね」
落ち着きを取り戻して、軽口を一つ…
横に座っている由紀子は滑る路面に慣れているのか…下手に思える私の運転でも、特に取り乱す様子は無い。
「この程度なら普通よ?まだ滑ってない部類に入るくらい…この前の世界…平成の終わり際とかなら、滑らない車が出来ててもおかしくなさそうだけど」
「今も平成じゃなかったっけ」
「ここから随分と進歩したみたい…今ですら私達からすれば出来すぎた未来なのにね」
由紀子と緊張感の無い、何時もの会話を重ねながら…少しづつ日向へと近づいていく。
2車線あった道はやがて1車線に。
路肩の雪は徐々に高さを増していき…今乗っている車の高さの2倍はあろうかという程の雪が歩道沿いに積もっていた。
空は晴天だったが…外の気温は徐々に下がっていく。
今さっき通り過ぎた温度計は、-8度を指していた。
「寒そうね…良かったの?千尋はその恰好で」
温度計を過ぎた後で、由紀子が私の方を見て尋ねる。
厚着の上に、暖かそうな防寒具を纏った由紀子とは違い…普段の格好に、防寒インナーを1枚足した程度の私…そう言いたくなるのも当然だった。
「寒さには慣れてる」
私はそう言って、腕を捲って見せた。
暑いのは苦手だが…寒さには耐性がある。
日向に行く前の時代の私の部屋に、暖房らしい暖房は無かったから…
「どうせ動くのだし、寒さは忙しさが上書いてくれるさ」
そういう間に、右手に海が見えるようになって来た。
海岸沿いの道…片側1車線の道は、ただでさえ狭かったのに、雪が路肩にあるせいでもっと狭く感じる。
何度かすれ違った大型トラックの動きに驚きつつも…
私は確実に目的地に車を運んでいた。
「さて…」
日向の町までの距離が看板に表示されるようになる。
私は由紀子の腕を突いて、もう一度レコードを見てもらった。
「何も起きていない?」
「起きてない」
返って来た答えは、相変わらず…
それを聞いた私は、小さく鼻を鳴らすと、彼女の腕をもう一度突いた。
「そう。なら、準備はしておいてよ?…注射器の処置にはならないんだから」




