2.零下の消失劇 -1-
何時もよりもハードな運転を終えて、家に着いた私は一つ溜息をつく。
玄関で雪を払い落して、上着をコート掛けにかけて…それ以外は何もせずに直ぐに家の電話機まで歩いていって受話器を取った。
今日2度目のコールナンバーの入力は慣れたもの。
私の周囲には由紀子と時任さんが居て…2人は黙って電話をかけ始めた私の後ろで黙って待っている。
顔を横に向けて、窓から見える外の景色は相変わらずの雪模様。
降りしきる雪が窓に当たる音が微かに聞こえてきて…それ以外は電話のコール音が聞こえるだけの空間。
数度の呼び出し音を繰り返した後、電話が繋がった音が聞こえてきた。
「もしもし?」
繋がると同時に口を開くと、受話器の奥からは先程も聞こえた声がこちらに届いた。
「やぁ。…千尋だよね?2周目の」
「そう。貴方の相方じゃない方」
「…そっちに蓮水が居るんだって?」
「ええ。今後ろに居る…ちょっと待って…」
私はそう言って受話器をテーブルの上に置くと、電話機に備え付けられたスイッチを押す。
「これで良い。これから貴方の声は皆に聞こえるし、こっちの音声もそっちに届くはず」
「了解…試しに誰か喋ってみてよ」
「一誠。僕の声が聞こえるかい?」
「…オーケー。蓮水の声が聞こえてきた。そっちに居るって聞いた時は半信半疑だったけど」
時任さんの声が聞こえた途端、一誠の声のトーンが一段下がった。
私と由紀子は顔を見合わせたが、直ぐに由紀子が受話器に向かって話しかける。
「小野寺さん、時任さんのとはどういう関係だったんですか?…」
「あー……単純だよ。僕がパラレルキーパーになった時からの仲だ。さっきの教え方で君達がどう思ったかは分からないけど…」
「んー…それにしては随分と歯切れが悪いというか…何処か引っ掛かった物言いだったような…」
「半信半疑だったからね。蓮水は僕の目の前で忽然と姿を消したんだから…」
一誠がそう告げると、私と由紀子は視線を時任さんの方へと向ける。
彼女はその言葉にも動じることなく、寧ろ口元に小さな笑みを浮かべてすらいた。
「時任さん。一誠の言葉は本当?」
「ああ。間違いない…僕の方も驚いたんだけどね、気が付けば一誠の姿が無く…全く別の世界に居たんだから」
彼女は…悪いことをしているわけではないのだが…悪びれた様子もなく彼女の目線での事実を淡々と告げる。
私と由紀子からすれば、そんな態度の時任さんはこの上なく不気味に映った。
電話越しに聞いている一誠にはどう映るのだろう?
彼女は淡々と…表情一つ変えずに言った。
「一誠、君にとっては何時の出来事なのかは知らないが…僕はさっき君の目の前から消えた僕だ。証明出来無いけれどね」
「……そうか。蓮水。僕も君が消えた直後の僕だ。君が消えた3軸の仕事を片付けて、今は別の世界…可能性世界の終末危機に関わってる最中さ」
「ワーカホリックなこと…こっちには来れそうにないの?」
「……君が居るから、凄く迷ってるよ。だけどこっちも状況が状況でね…暫くは電話でしか相手に出来そうにない…早めに片付けばそっちに行きたいんだけどね」
時任さんと一誠の会話は、すっかり息の合う関係の2人の会話に聞こえる。
実際そうなのだろう。
蓮水さんは何処かホッとしたような横顔になっているように見えた。
「けど…君がいるその可能性世界。さっきまで居た3軸と同じ事が起きているらしいんだ」
一誠は迷っているような口調のままそう言うと、時任さんは少し驚いたように目を見開く。
「…3軸は一杯ありすぎた。何が同じだったのさ」
「そうだね…まず第一に他の世界への流入…正確にはまだ未遂だけれど、そっちの世界で色々な世界で見られる転移装置に似たものが発見されている。時期も終末だから、そろそろ流入が始まる所だったんだろうね」
「え…サッパリ感知出来てないけれど…レコードも違反者の処置は遅れていないはず」
「ああ。千尋の言う通り君達は良く働いていたよ。そこに第二の問題が出てくるんだ」
一誠はそう言って少し間を置いた。
「第二には違反者が処置された後に、再び違反を犯すようになっていたり、またはレコードそのものから消えてしまう現象が起きている」
間を置いてから告げられた言葉は、私と由紀子を驚かせるには十分だった。
「成る程、3軸でもあったね。そんなこと」
時任さんだけが自然体で居た。
「そっちは大雪だろう?天候が変わったのはそのせいだ。そっちに送った永浦達が送って来た状況証拠とレコードを辿れば直ぐに分かったよ」
一誠は私や由紀子の言葉も待たずに先に進める。
「第3に…そっちに蓮水が居ること」
「確かに。後はここに居る彼女のような、レコードに映らない…"髪の黒い"前田千尋が居れば完璧かな?」
「ああ。何処かに居るんじゃないかな」
「……で、私達は何をすればいいの?レコードから何も言われていない状況で…でも、おかしいんでしょ?この世界が」
私は淡々と状況整理をしている一誠に尋ねる。
私が会話途中に口を挟みこむと、一瞬静寂が周囲を包み込んだ。
雪が窓を打ち付ける音だって聞こえるほどに…
「そうだね…」
暫くしてから一誠が口を開く。
電話越しに、良く聞けば電子音のように聞こえる彼の声が耳に入ってくると、私と由紀子はゆっくりと息を飲んだ。
「まず…千尋と由紀子は蓮水から離れないでくれ。一旦はそれだけでいい」
「……随分と簡単なのね」
「実際、そっちの世界で何かが起きてる訳じゃないからね。異常はあれど…レコード的には問題なく終わりに向かってる」
「確かにそうだけど…」
「だからやりようが無いんだ。今のままだと、全てが"疑惑"程度で済まされる…」
「それなら、私を探すとかは?時任さんが会ったっていう私が居ればこの世界も危ういってことになるんじゃない?」
「それくらいか…居たとしてもレコードが異常を検知しない限りは何も起きないけど」
「……そう」
私は徐々に不安を煽られるような感覚を受けていた。
時任さんから感じた"違反者"の感覚…それは今も感じているのだが…それが徐々に徐々に…まるで傷口が広がっていくかのような……
「もどかしいことだけど、ヤバいと思っていてもレコードが何も言わないなら僕達は手を出せないんだ。そして何かがあった時に君達の管轄に居なければ、その時は二度と会えなくなる。分かるだろ?狭間送りになるってことさ」
「ええ…それは理解してる…」
「今は勝神威に留まって居るだけで良い…少し待てばレコードが教えてくれるからさ」
一誠がそう言うと、電話越しに彼以外の人間の声が聞こえてきた。
彼も今は別の世界の仕事に関わっている最中…何より"レコード様"のいう通りにしなければならないのなら、彼とこれ以上話す事もない。
「了解…そっちも忙しそうね…私達の事は一旦ここまでにしましょう」
私はそう言って由紀子と時任さんに目を配る。
2人は私を見返して小さく頷いた。
「ありがとう。一旦切るよ」
「ええ…また、後で」
最後に軽く言葉を交わすと、私はテーブルに置いていた受話器を元に戻す。
それから、ポケットに忍ばせていた煙草の箱を取り出して煙草を一本取り出すと、由紀子の方を見て小さく首を傾げた。
「待つのも仕事…」
「ちょっと不服そうだけど」
「少しは…でも、独断専行を進めるのも趣味じゃない」
私はそう言って煙草を咥えて火を付ける。
時任さんがじっとこちらを眺めていたので煙草の箱を差し出すと、彼女は小さく口元を笑わせてそれを受け取った。
「すまないね。僕も煙草を切らしたくないタイプだから」
「ええ…構わない…それよりも」
煙草を彼女に渡した後、私は彼女を上から下までじっと見回す。
時任さんは少し不思議そうに首を傾げていたが、私は気にせず見て回り…それから窓に薄っすらと映り込んだ私の姿をじっと見た。
「どれだけの間、ここに居ることになるかは分からないけれど…着替えとかは私のを使っていい」
「ああ…そういう事…ありがとう。必要になった時に言うよ」
「それと…銃は持ってないでしょう?それも必要なら…」
「いや、それは必要ない…僕は銃を持たない主義でね」
「え?」
私と由紀子は、さも当然かのように言ってのけた時任さんを驚いた目線で見つめる。
彼女はそんな私達を見返すと、クスっと笑って肩を竦めた。
「人は撃ちたくないのさ」
彼女はそう言ってソファに座り込むと、煙草の灰をガラスの灰皿に落とす。
「一誠と離れ離れになる前には麻酔銃を持っていたんだけど、この世界で…僕になる前の時任蓮水が持ってるわけも無いだろう?だから丸腰…だけどそれでいい…僕が人を殺さずに済むのだから」
彼女は何処かホッとしたような口調でそう告げる。
どうやら一誠と同じようなタイプの人間らしい。
「…成る程ね」
私はそう言って頷くと、彼女とは対面になるような位置にあるソファに腰かける。
「……」
数回、煙草の煙を吐き出して…時計の針に目を向けた。
今はまだ夕方にもなっていない…
「時間はある…外は相変わらず…か」
私はそう呟くと、煙草の煙を再度吐き出して、煙草を灰皿に置いた。
それから、時任さんの方を見て口を開く。
「少し、昔話をする気は無い?」




