5.終末の余韻 -Last-
勝神威に戻って来るなり、彼女は急にお呼び出しを受けてこの世界を後にした。
どんな風に世界を移動するのかは知らないが…
マンションの前で別れ、残された私は煙草を一本吸おうと箱から取り出して…咥える直前に周囲を見回してそれを箱に戻した。
まだ実感は湧かないが、この世界は喫煙者には厳しいらしいから…私の行動でレコードが破られても、結局最後に困るのは私だ。
「……」
マンションの正面入り口ではなく…地下の駐車場へと繋がる質素なアルミ扉から中に入っていき…狭く昔のまんまだと思われる階段を降りていく。
今やることは、とりあえず"レコード様の言う通り"…これから私がやろうとしているのは、前の世界で"元上司"が私にやった事だ。
地下駐車場に降りていくと、さっき最新型の車が停まっていたところには、見慣れた赤い車に変わっていた。
私はそれを見て小さいため息を付くと、鍵の掛かっていないドアを開けて中に入る。
サンバイザーの所に引っ掛けてある鍵を取ってキーシリンダーに差し込み、クイっと捻ると、聞き慣れた図太いエンジン音が辺りに響き渡った。
振動も、真っ黒な内装も…30年後の車に比べれば随分とチープに感じるものだが…これがつい昨日までの普通だったわけだ。
私は運転席の窓を半分開け、取り出して口に咥えた煙草にシガーライターで火を付ける。
ふーっと最初の煙を吐き出してから、サイドブレーキを下ろしてギアをローに入れた。
ゆっくりと駐車場の中を走らせていき…地上に出る。
目的地である中央病院までは車で5分も掛からない。
歩いて行っても良いくらいだが…彼女の死んだ年齢を考えれば私が居た1986年とそう変わらない世界で死んでいるわけだから、刺激が強い気がした。
自他ともに見止める無感情女な私だって、この変わりように付いて行けないくらいなのだから…
信号を5つ越えて、交差点を2回曲がれば…この街の市役所の隣に建つレンガ張りの病院が見えてくる。
市役所と共用になった駐車場の端に車を止めて、外に出た。
「おっと」
煙草を咥えたまま外に出たことに気づき、慌てて車の灰皿に煙草を捨てた。
駐車場の隅の歩道を歩いて…病院の正面玄関から中に入る。
勝神威の病院の記憶といえば、私が目を覚ました時くらいしか無い。
だが、その時の記憶は…外見ともども様変わりして近代化された様子を見て役に立たないことは明白だった。
中に入って…周囲を見回す。
すると、近くに院内地図らしき大きな看板が見えた。
目当ての南棟4階900号室までにたどり着くには、ちょっと難儀だ。
今いる中央ロビーから…幾つかの外来待合室を越えて、別棟に繋がる通路を渡って行く必要がある。
地図を見る限り…南棟へは本来、外から直で入るのが正解らしい。
外からは全く分からなかったが…私が案内を見逃しただけかもしれない。
頭の中に地図を叩き込めば、後はそんなに時間が掛からない。
私は未来の病院の中を不思議そうに見回しながら歩き進み…気づけばあっという間に900号室の目の前まで来てしまった。
そして、動きの軽い引き戸を開けて中に入る。
扉の先は、大きな窓が2つ付いた広い個室だった。
その部屋の主は、ベッドに腰かけたまま…ノックもせずに入って来た私を見て目を丸くしている。
元川由紀子…生前、私が日向で過ごした数か月間の間で最も親しい友人と呼べた女の子。
パッチリとした黒い瞳に、ショートカットに纏まった黒髪…いつの日か、私があげた水色のカチューシャが付いている。
背丈は私よりもほんの少し低いが…女性らしさという点で言えば彼女の方が数段上。
25歳で死んだとの情報通り、彼女は私が知っている姿よりも随分と大人びていた。
「え…?千尋…?あれ、私…あの時…」
私を見止めた彼女は、途端に頭が働きだしたのだろう…頭を抱え込んだ。
私は何も言わずに、部屋の窓を開けて風を入れる。
そして、由紀子の方へと振り返り…壁に背を預けた。
「幽霊?違う、そんなはずがない!…でも、私も…ん…んん?…思い出せない…」
「落ち着いて。そして、私の言うことを聞いてくれる?」
頭を抱えたまま、震える声で呟いている由紀子に声を掛けると、彼女は怯えた様子でビクついて、私の方に体を向けた。
「…記憶が正しければ、そこの…戸棚の中に着替えが入ってる。患者服からそれに着替えることが最初にやるべきこと…次に、戸棚に入ってる物を持って外に出てきて…部屋を出て右に真っ直ぐ行った所にあるエレベーターホールで待ってるから」
「え…あの…貴女は…?」
「前田千尋。色々と言いたいことはあるだろうけれど、今はとりあえず言うとおりにして…家に着くまでは」
私は困惑顔と、半泣きの顔をブレンドさせたような顔で見つめてくる由紀子にそう言うと、彼女の答える隙も与えずに病室を出ていく。
病室を出た私は彼女に告げた通り右側に進んでいき、エレベーターホールまでやって来た。
エレベーターホールの前の…広いスペースの端に置かれたベンチに腰かけて由紀子を待つ。
由紀子はそんなに待たずに現れた。
丁度、前居た世界では普通だった衣服に身を包み…手には彼女の物となるレコードが握られている。
「早かったね」
「え…うん。それで…」
「出よう。病院を出て、私の家まで…」
私は由紀子の手を引きながら…エレベーターを呼び出した。
・・・
病院を出てからは、特に会話も無くマンションまで戻ってこれた。
私は何時も通りだったはずだから、お話し好きな由紀子が委縮していたのだろう。
それもそうなるはずだと思うが……
死を経て、目が醒めれば死んだはずの同級生が居て…訳も言われずただ付いてこいと言われる。
今回は"彼"がやったことをそのまま由紀子にしてしまったが…もう少しやり方があると思う。
私は自省しながらも、とりあえずは部屋に由紀子を連れてこれたことにホッとする。
彼女にソファを勧めた私は、台所から2人分のコーラの缶を取り出してリビングへと戻った。
「サヨナラを言わなくて良かった…会えて嬉しいよと言いたいところだけれど、由紀子は私が死んだことを知ってるはず」
「そう…そのはず…私が日向から引っ越した数日後に起きた地震のせいで…土砂崩れに巻き込まれて…遺体になった千尋が見つかったのは、その1月後だった…」
「その通り。私は生き埋めになって死んだ。じゃぁ、ここは死後の世界?とでも言いたくなるよね?どう?由紀子は病院に居る直前の記憶がある?」
私はそう尋ねながら…自分のレコードに由紀子の死因を表示させた。
「私、死んだの?………………ああ!」
「思い出した?」
「いや、最後に見たのは…誰かを突き飛ばした後に見えたトラックのライトだけで…ああ、私、あの時に跳ね飛ばされたんだ」
由紀子は最期に何が起きたのかを思い出したようで、少々穏やかな表情を見せ、悔いのなさそうな様子を見せた。
「そして、死んだ由紀子はこうして目が醒めて私の元に居る」
「……死後の世界?にしては随分と未来みたいだけれど」
「未来なのは正しいよ。今は2016年4月23日」
「え?」
「私だって昨日この世界に来たのだから、これ以上は答えられないけれど…由紀子が死んでから先の未来の世界」
私はそう言うと、ページを真っ新に戻したレコードをテーブルの上に置いて彼女に見せた。
「ここはね、由紀子。私達が生きていた世界とは別の世界…私達が過ごしていた世界を"軸の世界"と呼ぶ一方で"可能性世界"と呼ばれる世界なんだ」
そして私は本題を告げる。
すると、由紀子は首を傾げながらも、私の話を聞いてくれそうだった。
「私は…由紀子は"可能性世界"を監視するために蘇生された。この本、由紀子も持っているでしょう?アカシックレコードといって、この世界のありとあらゆる事象を記憶した本なの。この本の言うとおりに動いて…"可能性世界"を可能性のまま終わらせる…ポテンシャルキーパーという役割が、死んでしまった私達に与えられた仕事…」
「……可能性のまま終わらせる…?」
「そう。この世界の人間達の行動すべてはこのレコードに記されているけれど…偶にレコードの記した通りに動かない人間が出てきたりする…そう言うのを何とかするのが主な仕事」
「……そんな仕事を、私が?」
「そう。仕事内容は習うよりも慣れろだけど」
私はそう言いながら、レコードを閉じて…リビングのテーブルの横にあった戸棚に入っていたケースを取り出した。
「ポテンシャルキーパーは、レコードを持って…レコードの言う通りに行動する」
「……それは?」
「見せたことなかった?」
「無いよ…そんな、拳銃なんて…」
私はケースから愛用銃と消音器を取り出して、銃にそれを付けると…迷うことなく自分の首筋に銃口を突き立てた。
「え?何を!」
彼女は銃を自分に突き立てた私を見て、血相を変えて飛び掛かってくる。
私は予想外の彼女の行動に驚きながらも、彼女の体を受け止めてソファに倒れた。
左手に握った拳銃は離さない…だが、押し倒された形になって、銃を握った手を捕まれた以上…やろうとしていた事はもうできなさそうだった。
「随分と勇敢だね」
「何を呑気な事言ってるの!死ぬつもりだったの?」
「え?まぁ…その、驚かせようと思って…」
「驚かせようじゃないわよ!幽霊でもポテンシャルキーパーでも何でもいいけれど、折角…折角…千尋に会えたのに…」
彼女は私に馬乗りになったままそう言うと、目に薄っすらと涙を浮かべる。
私は苦笑いを浮かべたまま、拳銃を握った手を離した。
「ゴメンなさい。ポテンシャルキーパーは死にたくても死ねないって事を伝えたかったのだけれど。私が悪かった」
「……死ねない?」
「そう、言うよりも実演の方が分かりやすいと思って」
「そうなの…でも、でも…」
「分かった。言いたいことは分かったから、撃たないよ」
私はもぞもぞと体を動かして、彼女の横に座りなおすと、ふーっと長い息を吐きだした。
「全く、拳銃何て千尋には似合わないのに…何があったの?」
「あー……そうかな?」
落ち着きを取り戻した由紀子の言葉に、私は何も返せない。
日向に居た時の私は、ただの中学生だったから…彼女は私の裏の顔など一切知らないのだ。
「そう!ポテンシャルキーパーが何かだなんて…正直さっきの説明でもピンとこないけれど、私が死んだ!何かの役目が与えられた!っていうのは分かったからもういい。千尋と一緒に入れるんでしょう?」
「まぁ…そうだけれど」
「私の上司?に当たるんでしょう?」
「おそらく」
「なら、私はそれで良い!……死んじゃった事だって、こう…やり残したことだって一杯あったけれど…もうそれは済んだこと!」
彼女は何かの決意表明のようにそう叫ぶと、目を点にして彼女を見つめていた私にバッと飛びついてきた。
「キャ!」
自分のキャラクターでも無い、女の子らしい悲鳴をあげた私は、彼女に抱き着かれて…ギューッと抱きしめられる。
突然のことに驚いた私だったが、顔を埋めた彼女の姿を見て痛いくらいに彼女の気持ちが分かった。
「ん?」
カサ…と、手に当たった金属の感触を辿って、それを掴みあげて、顔の前に持ってくる。
それは古さを感じるペンダントだった。
見覚えのあるペンダント…私はそれの蓋を開けて、中身を確認する。
中に入っていた写真は…6軸の日向町の…向日葵が咲き誇るロータリーで撮った私との2ショット写真。
味のあるカラー写真の中に収まっていた2人は、どちらも眩しいくらいの笑顔だった。
「ふっ……」
私はそれを見ると、軽く、ポンと彼女の背中を手で叩く。
感動の再会に暫く身をゆだねるのも構わない…
だが、テーブルに置かれたレコードと肌にピリッと来る感覚が、そうはさせてくれないらしい。
私は、少しでも長く彼女を受け止め続けると…そっと彼女から受けた束縛を解いてこう言った。
「さて…由紀子。最初の仕事に行こうか」




