3.闇夜のロケット花火 -2-
「手を過ったみたい。彼の"罷免"が受理された」
自宅から出る時、彼女はようやく車の中で機嫌を取り戻した理由を告げた。
私は手にした短機関銃を見下ろしていたが、それを聞いて顔を上げる。
「…なら、レコードには既に彼の位置が出てるという事?」
「そういう事になるが…暫く泳がせておこう」
彼女はそう言うと、私の方に顔を向けて小さく口元を歪ませて見せる。
「泳がせる?」
私はそう言って、先行して階段を降りていく。
後からついてきた彼女は、何も言わずに後を付いてくると、階段を降りて来た時に私にレコードを見せてきた。
「まずは6軸と混ざり合った世界を取り戻すところから始める。もう他の人間には指示を出した。この近辺に数か所…全世界に目を向ければ途方もないことだけれど…やれるだけの数は揃ってる」
彼女はそう言いながら、家の前の通りに止めた背の低いスポーツカーのハッチゲートを開けた。
そこに2人分の短機関銃と、肩から下げていたバッグに詰め込んだ品々を押し込むと、彼女は運転席に、私は助手席に入っていく。
「世界が変わるのは、8月1日から…まだ1週間と数日あるけれど…あまりに遅すぎると、レコードに書かれた未来を変えられない」
彼女はそう言いながら、温まったままのエンジンに火を入れなおすと、私に行先を告げることなく車を発進させた。
「レコードを変えるのはダメでも、元に戻すのは良いんだ」
「ええ。改変された事はレコード本体が検知できてる。僕達の仕事の一つだ」
「でも、どうやって?」
「その未来を起こさせなければいい」
「は?」
「その未来に関わる人間を処置する…今回はもう先の無い世界だから、処置というよりも処分だけれど」
彼女はそう言いながら、真っ暗な幹線道路に車を向けてアクセルを踏み込んだ。
「……それで、やることはさっきまでと変わらない?」
「そう。邪魔が入る…という点でも同じ」
「で?こんな夜更けにこれから何処へ?」
「夜更けでも賑やかな所に」
彼女はそう言って、丁度迫って来た道路看板を指さす。
あっという間に潜り抜けたその看板は、北海道の中心地まで後30キロであることを示していた。
「なるほど…」
「レコードが変わるには、数人の人生を変える必要がある。本来ならば注射器で書き換わるけれど、今回は終わりかけの世界…既に当の本人はこの世界の終わりに気づいていると思う。だから、注射器は使わずに処理するってわけ」
「その割には重装備じゃない?」
「何も一人だけじゃない。それに繁華街に対象が居るのなら…世界の終わりに気づく人間が複数出てきてもおかしくはない…ひょっとすると、もうすでに彼の手によって武装集団になっているのかもね」
彼女は淡々とそう言うと、ギアをトップに入れて更にアクセルを踏み込んだ。
私はそれを聞いて、小さく肩を竦めると、煙草を一本取り出して咥えて、シガーライターで火を付ける。
窓をほんの少し開けただけで煙が一気に吸いだされていき、風を切る轟音が車内に入り込んできた。
暗い街路灯が照らす道をZのハイビームが遠くまで照らし、バンパーに付けられた大型の黄色いフォグランプが近くを照らす。
十分な光量があるにも関わらず、暗く感じるほどに周囲の景色の流れは早かった。
ここから目的地の近くまでは、広い直線道路と緩やかなカーブしかないから、彼女はアクセルを殆ど踏みっぱなしの状態だ。
硬い乗り味なお蔭で、腰に伝わってくる振動はかなりのものだけれど…それでも運転席の彼女は気にするということをしないらしい。
煙草を咥えながら、ふと彼女の前に並んだメーターに目を向けると、300まで刻み込まれたスピードメーターの針は230キロ付近を指していた。
他の一般車が居ない公道を、気持ちいいくらいの速度で駆け抜けていた最中。
突如として真っ暗な空が真っ黄色に光った。
「!」
彼女は反射的にアクセルから足を離して即座にブレーキを掛ける。
クラッチを蹴飛ばして、そのたびに踵でアクセルを煽って上手く回転を合わせてギアを下げていった。
5速から3速にシフトダウンするまでの数秒間。
空は再び闇を取り戻した直後、少し開いた窓からは風邪の切る音ではなく、何かが爆発したように轟く雷鳴の音が飛び込んできた。
「雷?」
私は咥えていた煙草を灰皿にもみ消して、窓を締め切る。
その数秒後には、先ほどまでは星すらも見えていた空から大粒の雨が落ちてきた。
「雨か…」
運転席の彼女はワイパーのレバーを最速の位置にまで弾くと、そう言って車の速度を落としていった。
「君、雨女って言われない?」
彼女がそう言って、一瞬目を私に向ける。
私は助手席に頬杖を付いたまま、小さく頷いた。
「そうかも。一昨日、彼に言われて仕事に出た日も雨だった…そういえば、夜に仕事に出ると雨が降らなかった日は無いかも」
「……雨にいい思い出は無いんだけれど」
「私も同じ。でも、何かがあると必ず雨」
私はそう言うと、上着の内側に仕込んだ拳銃を取り出した。
丁度潜り抜けた看板を見ると、もうすぐ目的地だったから。
各部のチェックを行い、薬室に初弾が装填されている事を確認する。
撃鉄を戻して、安全装置を掛けると銃を上着の内側に仕舞いこんだ。
互いに無言になり、エンジン音に混ざって雨音が聞こえてくるようになる。
何度か空が黄色く染め上がり、雷鳴が夜の街に轟いた。
やがて周囲に何もない幹線道路を過ぎると、徐々に道路わきに建物が増えて行き…徐々に建物に明かりが灯るようになる。
札幌の街の中心部までやってくると、急に別世界にやって来たかのような街の明かりが道を照らしていた。
土砂降りの街並みに、歩道を歩く人の姿は疎らだったけれど、きっと歩道の脇を埋め尽くすビルに入った飲み屋には人が大勢いることだろう。
タクシーが我先にと客を奪い合い、地下への入り口がある交差点には、そこそこの数の人間が傘も差さずに出てきていた。
下水から湧き出たネズミのよう…酒に酔ったスーツ姿の男たちを横目に見た私は、彼女の方に目を向ける。
「何人に処理対象が膨れ上がっているかは知らないけれど…この感覚は嫌な予感しかしない」
彼女は私が注目するのを待っていたかのようにそう言うと、車を狭い路地に入れて路肩に止めた。
彼女の言う通り、一瞬普通の夜の時間が流れていると思えてきた街並みからは、私達だけが感じられる"感覚"がヒシヒシと伝わっている。
「レコードを元に戻すだけなら、横にあるビルの中で飲み明かしている筈のサラリーマン一人を消すだけで事足りる…けども、このビルの人間はもう手遅れ見たい」
彼女は車のエンジンを掛けたまま、レコードを膝の上に開いてそう言うと、エンジンを切ってドアに手を掛けて車外に出ていく。
私も後に続いて車を降りた。
容赦なく打ち付ける雨が、雨合羽などを羽織っていない私達の上着にしみ込んでくる。
早くも髪がずぶ濡れになり、手で雨を拭うことになった。
「早いところ片付けてしまいたいけれど、この感覚じゃ、火を付けたら最後。どれだけの人間がレコード違反を起こすことになることやら…」
彼女はそう言いながらハッチゲートを開ける。
私も彼女も、同型の短機関銃を肩から下げ、バッグに詰め込んだ小物類を上着やベルトに引っ掛けていった。
そして、数十秒もしないうちに準備を整えた私達は、互いに顔を見合わせると言葉を交わすこともなく、Zを止めた路肩から直ぐの雑居ビルに入っていく。
手にした機関銃の安全装置を解除して、力の居るコッキングレバーをカシャン!と動かすと、雑居ビルの自動扉を潜り抜けて直ぐ現れたエレベーターの前に並んだ。
「何階?」
「4階」
「誰か乗ってくるんじゃない?」
「構わない。」
上昇のボタンを押した彼女は、そう言うと老人のような白髪を手櫛で梳かして水滴を拭う。
エレベーターは呼ばれて直ぐやってきて、電子音を鳴らした後に扉が開いた。
「え?」
「ん?」
扉が開いた途端に見えた人影は私達の姿を見止めるなり驚いた顔を見せたが、彼らの命はそこまでしかできなかった。
単発で2発。
乗っていた2人組のサラリーマン風の男たちは、エレベーターの壁に体をもたれかかるように沈んでいく。
運の悪かった男たちを始末した私達は、エレベーターに入って4階のスイッチを押した。
死体2つと同じ顔を持った2人の女が居る空間。
エレベーターは古びているようで、嫌な音を立てながら上昇していく。
そして、ポーンという電子音がエレベーターの中に響く。
私達は徐に手にしている短機関銃を構えると、エレベーターの扉が開くのをじっと待った。
「……ターゲットは出てすぐの店の窓際に。僕がやるから、君はそれ以外を片付けるだけ片付けて。直ぐに加勢する」
「了解…」
短い確認の直後、エレベーターが開き、何の変哲もない夜の光景が視界に入ってくる。
私達は、エレベーターの向こう側の人間が気づかぬ内に、エレベーターから飛び出して引き金掛けていた指に力を込めた。
「!」
消音器でくぐもった銃声が鳴り響き、中に居た人間数人が血を吹きだした。
人はバタバタと倒れて行き、跳弾した弾や、外れた弾がガラス窓を突き破って大きな音を立てる。
「クソ!何なんだ!」
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
「しゃがめ!非常口はどこだ!?」
私達は冷静を保ったまま、パニックに陥った店内に押し入ると、まるで簡単な作業をこなすかのように店内を制圧していった。




