3.闇夜のロケット花火 -1-
「ちょっといい?」
彼女は飛行機の周囲に居た作業員に声をかける。
作業員は怪訝そうな顔をしてこちらに振り向くと、彼女が見せつけるように持っていた手帳を見た途端に眼の色を失った。
次の瞬間、彼女は作業員の首筋に注射器が突き立てられる。
中身の液体が全て作業員に注がれると、彼女はそっと注射器を抜き取って、作業員の方を見ながら小さく会釈して見せた。
その後も呆然と立ち尽くすままになった作業員の横をすり抜けた私達は、いとも容易く飛行機の中へと入っていく。
タラップを駆け上がり、前方が2階建てになっている飛行機の機内に入り込んだ私達は、顔を見合わせると、何も言葉を交わさずに別れて行動を開始した。
探し物は分かってる。
遠くに見えた"彼"が持っていた瓶か…その中身だ。
私は1階部分を探し回る。
それも、乗客が座る客席ではなく、ギャレーを重点的に見て回ることにした。
広い機内の前方と、中央付近、そして最後尾にあるそれらを見て回る。
棚という棚の扉は開けて、中に入っている品々を見て回った。
結果としては、何に手掛かりも得られなかった。
最後尾に設けられたギャレーから、機体前方を見渡す形になった私は、ふーっと溜息をついてレコードに手を伸ばす。
レコードを開くと、相変わらず、殆どのページは違反者の名前が赤字で書かれて埋め尽くされていた。
私は"問いかけ"が出来るページを探して、ようやく真っ白なページに行きつくと、ポケットから取り出したボールペンを走らせる。
"旅客機事故原因"
情報量が少なすぎるだろうか?とも思ったが、私がサッとペンを走らせて書いた文字列は、スーッと白い紙に溶けて行った。
そして、直ぐに文章が浮かび上がってくる。
レコードは書き手の意思を汲み取ってくれると言っていたが、それは本当だった。
"8月3日 東和航空84便 着陸失敗事故 原因:計器故障を起因とする操縦ミス"
私は浮かび上がった文を見て、小さく首を傾げる。
ついさっき、私の記憶違いが無ければ彼女は"6軸では操縦ミスが原因"と言っていた。
この可能性世界で起きる事故の原因は違う訳ではないということだ。
第6軸で起きる事故とほぼ同じ原因で、この飛行機が事故を起こす。
文をそのまま受け取ればそういう事になるのだが……
「こんなところに居た」
レコードに視線を落としていた私は、急に掛けられた声に思わず目を見開いて驚く。
レコードから顔を上げると、もう一人の、白髪の私が表情も作らずに私の顔を見つめていた。
「何か見つかった?」
「いいえ。全然。綺麗に片付けられてて、感心してた所」
私はレコードを閉じながらそう言うと、彼女が手にした物に目を向ける。
「そっちは何かあったみたいだけど」
「ええ。2階のコクピットに酒瓶が一つ」
彼女はそう言うと、右手に持ったガラス瓶を持ち上げて、顔の横で揺らして見せる。
茶色のガラス瓶の中に入っていた液体が、ヌメッとした動きで揺れた。
「戦利品があるのなら、もうここに用は無い」
彼女はそう言うと、来た方向に振り返って歩き出した。
私は彼女の後についていって、機内を抜けてタラップを降りていく。
そこからは本当に何もなく、空港内に戻って来た私達は、何も言葉を交わすことなく駐車場への道を歩き続けた。
腕時計を見ても、もうじき空港が眠りにつく時間帯。
周囲に顔を向けてみても、無機質な建物が薄暗い明かりに照らされているだけで、一般人の姿も無ければ、賑わっている店の様子も見られなかった。
出発ロビーの前を抜けて、既に営業時間を終えた飲食街と土産物屋の前を通り過ぎる。
そこを抜けると、駐車場までは何の変哲もない通路になっていた。
両側がガラス張りになっていて、足元にはカーペットのようなものが敷き詰められただけの、長い一本道。
誰も居ない一本道のド真ん中で、2人並んで歩いている時、ふと私は横を歩くもう一人の自分の方に顔を向けて言った。
「その酒瓶は一体どこから?」
「コクピット付近から。レコードを見ていたみたいだけど、何を調べてたの?」
何気ない問いかけから始まった会話。
彼女は的確に私が引っかかっていた部分を突っ込んできた。
「あの飛行機の墜落原因。第6軸と変わらないみたい。計器故障からの操縦ミスが原因で着陸に失敗するみたい」
私はレコードが告げた原因を告げる。
すると、彼女の目がほんの少しだけ泳いだ後、彼女は歩みを止めた。
「操縦ミスで?」
「…ええ。そう、レコードに書いていたけれど」
私に一度だけ確認を取ると、彼女は私に酒瓶を押し付けてから、彼女のレコードを開いて中に何かを書き込んでいく。
そして、直ぐに浮かび上がって来たであろう文章を見たのだろう。
出会って初めて見る程の驚いた顔を浮かべていた。
「何の冗談だ?」
「元々の墜落原因は何だったの?」
「操縦ミスでもない、機械トラブル。フラップの故障で操作よりも早い段階で地上に近づいてしまって、そのまま墜落する」
「じゃぁ、今のレコードが告げてきているのは第6軸の世界のそのままってこと?」
「そう言うことになる」
楽観的な空気すら醸し出していた家での彼女とは打って変わって、彼女は眉を一つも動かさない凍り付いた無表情を浮かべながら黙り込んだ。
「"変異事象"を起こすのが彼の目的じゃない…?」
そう口走った彼女は、それからすぐにレコードに何かを書き込む。
そして、書き込んでからレコードに文字が吸い込まれていくのを見る前に、彼女はレコードを閉じて私の方に首を振った。
「?」
「後手に動かなければならない自分が情けない。家まで戻ろう。なるべく早く」
彼女は口早にそう言うと、誰もいない空港の通路を駆けだした。
そんな彼女の様子を見て目を見開いた私は、手にした酒瓶を持ったまま、駆けだした彼女の背中を追う。
「運転は任せた」
通路を駆け抜け、自動扉を抜けて外に出た私達は、駐車場に止められた車まで走っていった。
地味なセダンの間に止まっていた背の低いスポーツカーの場所まで駆けていく。
とっくに最終便も終わった時刻。
両脇に止められていたセダンも姿を消していた。
私は鍵もかけていない車の運転席に滑り込み、持っていた酒瓶は助手席に乗り込んできたもう一人の自分に押し付けると、キーを挿し込んで捻ってエンジンを目覚めさせた。
「この時間は空いてるでしょう?」
「ええ」
「ちょっと急いでくれる?」
駐車場から車を出して、一般道に出た時に、そう言って彼女が私を急かした。
私は理由も確かめられないままで、ただ一瞬焦りを見せただけの彼女の指示に従ってアクセルを踏み込む。
「理由は説明してもらえる?6軸と同じになったからくりを」
私は忙しなくシフトレバーを操作しながら加速させていく傍らで、一瞬彼女の方に横目を向ける。
「……」
彼女はレコードを開いて暫く無言を貫いていたが、煙草を一本咥えて火を付けると、幾分か落ち着きを取り戻したらしい。
レコードに何かを書き込んでから、レコードを閉じると、ふーっと煙を吐き出して私の方に顔を向けた。
「同化工作…随分と大胆な真似をしてくれた」
ようやく口を開いた彼女はそう言うと、助手席の窓を半分開けて、車内を包み込んでいた煙草の煙を外に逃がした。
「同化工作?」
「そう。第6軸の世界とこの可能性世界を徐々に同化させていく工作。つい最近もあったんだ。第3軸に可能性世界が取り込まれかけた。そっちは20年近く掛けてじわりじわりと侵食していったけれど…」
「こっちは直前になって変えだした、と」
「そう」
彼女はそう言うと、咥えていた煙草を吸って煙を吐き出し、灰皿に煙草を置いた。
「直前になって6軸に同化する必要も無いのに。この世界は第6軸を"進化"させることが出来る世界。つまり、彼らにとってはただその時を待って"変異事象"が起きれば終わりなはずなのに。そうしないで短絡的に繋げようと動き出した」
彼女はそう言って、小さくため息をつく。
「彼らに"得"が無い。例えこの近辺からレコードを変えたところで、残り日数的に第6軸の世界と同化できるほどレコードを改変できないし、やりすぎるとこの世界は第6軸を"進化"させられない…それに、レコード改変は流石に彼に"最大級の"警告が行くはず…」
彼女の言葉の裏には、どこか得体のしれない恐怖を感じているように思えた。
「……他には改変されている箇所は無いの?」
「今調べてる。違反者の数も減ってきて、徐々にこの世界は元に戻せてきたと思っているのだけれど…」
「彼の動きが気になってしょうがないって所か…」
私はそう言って、目前に迫った赤信号を見上げてブレーキに足を載せた。
小気味良くギアを落としていき、車は停止線の直前でピタリと止まる。
「もし、この世界のレコードが段々と改変されていけば、どうなるの?」
エンジン音が室内に反響する中で、私は横に居るもう一人に自分に尋ねる。
彼女は灰皿に置いてあった煙草を咥え直していたらしく、煙を吹かしながらこちらに視線を向ける。
「"進化"させられる世界から外れて、6軸と融合した消えられない可能性世界になる」
「また良く分からない世界に変わること」
「もしそうなった場合、徐々に6軸とこの世界は区別がつかなくなり…やがては一緒に消える羽目になる」
「そう言われれば、ちょっとは危機感が出てきた」
私はそう言って口元を歪ませると、彼女は何も反応せずに煙草の煙を吐き出す。
無言になった彼女が口を開いたのは、信号が青に変わる直前の事だった。
「あ…」
私はクラッチを繋いで車を発進させて、再び車を加速させていく。
ギアを一つ、二つ、三つ変えたところで、彼女の方に横目を向けると、彼女はほんの少しだけ口元を釣り上げていて、上機嫌そうに煙草を吹かしていた。




