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終末世界の片隅で  作者: 朝倉春彦
Chapter1 無知な女と終末危機
12/63

2.ドッペルゲンガー -5-

「さて、これからどうするか…違反者の処理はまだまだあるが…この証拠を持ってもレコードは動いてくれないときたものさ」


彼女は懐から取り出したレコードを開いて、そう言った。

ほんの少しだけ眉を潜めた彼女の表情からは、若干の苛立ちが感じ取れる。

何かを威嚇するように、一度だけ奥歯を強く噛みこむその癖は、私もそっくりそのまま持っていた。


「分かってたことだけれど、功労者には甘い裁定を下すレコードには困ったものだ」


彼女はそう言うと、レコードに何かを書き込んでから私の方に顔を向けた。


 ・

 ・

 ・

 ・


コンテナ船の上にいたのはもう1時間以上も前のこと。

自宅に戻ってシャワーを浴びた私は、ラフな格好に着替えて居間のソファに腰かけていた。

新しい煙草の箱の包みを剥がし、その中の一本目を取って口に咥えると、ライターで火を付けて、煙を吹かす。


「……」


浴室から聞こえるのは、もう一人の私がシャワーを浴びている音。

目の前の、居間のテーブルの周りに置かれた座布団の上に座って、気まずそうな表情を浮かべている2人の男女。

一人で過ごしていた部屋に、他人がいるというのも妙に落ち着かなかったが…それも直ぐに慣れていく。


私は何度もこちらを見ては、私の様子を伺っているように見える2人の男女を見返して…やがて小さく息を吐いた。


「吸う?」


煙草の箱を持った手を彼らの方に伸ばす。

すると、男の方が小さく会釈して箱を受け取ると、一本取り出して口に咥えた。

私は手に持っていたライターで火を付けてやる。


「ども、ありがとうございます」


彼はそう言って、最初の煙を吐き出した。


「同じ人間でも、そんなに違う?」


私は緊張感のある素振りを解かない2人にそう言って声をかけた。

居間のテーブルを囲んでいる男女…永浦夫妻は顔を見合わせると、やがてこちら側に振り返った。


「まぁ、見た目も違いますし、別人には見えてますよ。口調だって違うじゃないですか」


男の方…永浦博光がそう言うと、永浦美麗が同意するように頷く。


「ええ。貴女は少し訛りが入ってる。日向に居たのがウチのボスとの違いだからかな」

「へぇ…自覚は無かったけど、きっとそうでしょうね?浜言葉っぽい?」

「うん。あの街の人の喋り方にちょっと似てる」

「詳しい。貴女も訛りがあるけれど、あの近辺の人だった?」

「私も、子供の頃はあの街に居たからネ」

「なるほど…あと、少しイントネーションが変だけど」

「美麗は日本人じゃ無いですから」

「台湾生まれ日向育ち。4歳の時にこっちに来てネ。だからちょっと歪に日本語を覚えたってわけ」

「なるほど…訳ありの夫婦っていうのは?」

「それは…彼女に聞いてください」

「話せば長いってこと」

「そんなところです」

「へぇ……」


私はそう言って頷くと、煙草を灰皿に置く。


「で、何故ここに呼び出されたかは聞いてる?」

「いえ。ただ、レコード越しに集合が掛かったので」

「集合?レコードで?」

「はい。この時代には携帯電話なんて無いですから、手段はこれだけです」

「携帯電話?」

「あー…遠くない未来の道具ですよ。メモ帳程度の大きさの電話機が出てくるんです」

「ああ…へぇ…そう…でも、様子を見る限り、焦るような事態には陥って無さそうってことであってる?」


私がそう尋ねると、彼らは再び顔を見合わせた。

それからすぐにこちらに顔を戻すと、小さく頷く。


丁度、浴室の扉が開く音がした。

私達は不器用な会話を終えて、再び黙り込む。


私は灰皿に置いた煙草を再び咥えて煙を吐き出す。

数分もしないうちに、まだ水滴も十分に拭えていないまま出てきた白髪の私と目が合った。


「待った?」

「多少ね。いい休憩になった」


私はずぶ濡れの髪を気にせずにいる彼女をじっと見つめると、煙草を咥えなおす。


「もう少しゆっくりでも良かったのに。ずぶ濡れだ」

「ええ。どうせ直ぐに外に出ることになるわけだし、誤差の範囲」


私の指摘にも、彼女は涼しい顔をして聞き流す。

私は小さくため息を付いて煙草の煙を吐き出すと、ソファから立ち上がって、彼女を座らせた。


「こんなにノンビリしている暇はあったのかしら?」

「さぁね?ただ、今日明日中にこの世界が消えることは無くなった。ついさっきまでの状況じゃ、この世界も明日までの命だったけれど、それもない。案外、この世界にいるポテンシャルキーパー達も、やればできる子だったってわけだ」


彼女はほんの少しだけ、嘲笑うかの如く口元を歪ませて答えると、直ぐに表情を消す。


「だけれど、この状況に陥らせた張本人が消えない限りは、ただの無駄な延命しかならない。彼の居場所は掴めないんだって?」

「はい。真島昌宗は今、レコードにも映らなくなっています。ただ…状況的に何らかの行動は起こしていると思ってますが」


彼女の問いに、博光の方が答える。

彼は自身のレコードを開いてテーブルの上に広げて見せると、レコードに浮かび上がった一点を指さした。


「これです。違反者が減らない地区が幾つか出てます。この近辺だと、工業団地にある空き工場」

「人は?」

「向かわせてます。が、空き工場の割には人が多いらしく、増援待ちです」

「なるほど…なら、そこは任せよう。どうせそこに彼は居ない」

「分かるんですか?」

「彼の性格上、居ないと思うってだけだけど…別の証拠もある。僕の相棒に調べさせた」


彼女はそう言うと、彼女のレコードをテーブル上に広げる。

私を含めた全員の視線が、彼女のレコードに注がれた。


「この世界と、合流先の6軸の出来事を照らし合わせると…6軸に入り込める"瞬間"は幾つかあって、この状況から彼が起こせる行動はこの3つ…」


そう言って彼女が指さしたのは、レコードのページの上に羅列された事象のリスト。


・1986年8月3日 午後2時46分25秒 旅客機事故 沖縄

・1986年8月3日 午後6時21分54秒 要人暗殺未遂事件 福岡

・1986年8月3日 午後9時11分10秒 玉突き事故 北海道


簡潔に記されたうち、彼女が指さしたのは一番上の旅客機事故。

私達は何も言わずに、彼女の説明を待った。


「どうやらこの事故の当該機が今北海道に居るらしい。さっき連絡が入った」

「じゃぁ…空港に?」

「そう。可能性だけれども、無くはない…ただ」


彼女は少々考える素振りをしてから、口を開く。


「本人は来ないかもしれないけれど」

「そうですか…」

「だから、ここは案の1つに過ぎないということ。もう一つは…」


彼女はそう言って3番目の項目を指さす。


「これは近所で起きる。高速道路のランプ付近でね。濃霧の中、混雑による渋滞が引き金になって次々と後続車が突っ込んでいく事故…」

「これは…?ただの自然発生的な事故みたいだけど」

「そう。何てことない事故だけれど、問題はその現場で何が起きるのか…ということ」

「こっちを起こすつもりなら…彼はどこに?まさか、何処かにガレージを隠し持ってるとか?」

「違う。彼が向かうのは…事故の引き金を引く車の元…」


彼女はそう言うと、レコードのページを捲る。

すると、そこには不思議な図形解説が並んでいた。


「相棒に調べさせた。この世界は第6軸の"IFの世界"であり…軸の世界に入り込む方法は、さっき上げたように、当日に発生する軸の世界と可能性世界同時に発生する事象に遭遇する手しかない。そして、この世界を軸の世界に繋ぎ合わせるには…紛れ込んだ世界で、この世界の最後のひと時に起きる"変異事象"を引き起こせばいい」


彼女はそう言うと、私の方に一瞬顔を向けて、直ぐにレコードに目を落とした。


「ってことハ、この世界ってもしかしテ"進化"させる世界?」

「そう。この世界は8月3日が終われば無事に消える世界みたいでね、久々に見る。珍しいタイプの可能性世界」


彼女は私の頭の上に並ぶクエスチョンマークを置いたまま、淡々と続けた。


「だから、塩梅が少々難しい。とりあえず、今あげた2か所に行って、彼が来てくれることを祈るしかできない。君達は車の方を見に行ってほしい。遠くから眺めてるだけでいい。彼が現れたのなら、撒かれるまで追いかけること」


そう言って、永浦夫妻に指示を出す。

彼らは共に頷いて、座布団の上に立ち上がった。


「了解。車は?」

「外に出してある。緑色のRX7で行って」

「RX7?」

「趣味じゃないでしょうけど、娘はそれがお気に入りだそう」

「……それでもこれってことは?お相手もかなりいい車に乗ってるってことですか?」

「ええ。赤いポルシェ944。丁度7みたいな形をしてるから、直ぐに分かる」

「なるほどね。とりあえず、行ってきますよ」


そう言うと、2人は部屋を出て行った。

階段を下りる音が聞こえて…そして、車のエンジン音が聞こえてくる。

とても弄っていない車の音とは思えない重低音が聞こえてきて…その音は直ぐに遠く消えていった。


「私達は空港に?」

「そう。それと、説明の時間にしないとね」


彼女はレコードを閉じると、ソファから立ち上がって寝室の扉を開ける。

私はすっかり短くなってしまった煙草を灰皿にもみ消すと、彼女の後に付いて行った。


私も彼女も、今はジーンズに黒いインナーシャツ姿。

このまま肌寒い外に出る気は無い。


クローゼットに掛かっていた私の私服を適当に取って、上着を羽織る。

上着のポケットには、レコードと注射器を仕舞いこみ…

上着の内側に拳銃を仕込むと、私達は揃って部屋を出て行った。


「運転は任せる」


階段を下りながら、彼女はそう言って車の鍵を私に寄越す。

私は取り出した煙草を咥えたまま、何も言わずに頷いて鍵を受け取った。


「……さっきのブルーバードは?」

「用済みだったから書き換えた」


さっきまでは、ボロボロの小型車が止まっていた車庫には、私の車の色違いが止まっていた。

私は戸惑いながらも、運転席に収まって鍵を差し込んで、キーを少し回して動きを止める。

助手席に彼女が乗って…ほんの少しだけ待って、キーを捻る。


「さて…ここから空港までってどれくらいだっけ?」

「30分」

「なら、十分」


私はそう言ってレコードを膝の上で開いた彼女を横目にやると、シガーライターで煙草に火を付けて、窓を半分開けて、車を車道に出した。


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