2.ドッペルゲンガー -4-
「レコードの言う通りなら、世界の終わりはもっと早い。だけど、大半はこの可能性世界の人間が世界の終わりを感知してもっと早く終わる羽目になる」
「みたいだね。そこの違反者も…ああ、やられちゃった」
「……そんな風に、世界は勝手に崩れていく。でも、この世界の場合は…IFの世界だから、分岐する軸の世界にぶつかるまでは、どうあれ存在し続ける。ここの住民たちは、それ以降の未来を見たいがために行動を起こす」
彼女は煙草を片手に持ちながらそう言うと、再び煙草を咥えて吹かした。
車は信号に捕まって止まり、アイドリングの音と振動が車内に伝わってくる。
私は、彼女が煙草を取ったタイミングで煙草を咥えて煙らせた。
「そういった思いに駆られた人々が、やがて僕達を認識してしまう…」
彼女の言葉を耳に入れながら、彼女の横顔の奥に見える景色に目を移すと、何気なしに、通行人の一人と目が合った。
嫌なタイミングで、完璧に合致した状況。
私は思わず、ホルスターに収めた拳銃に手をかける。
煙草を咥えたまま、ほんの少し歯を食いしばった私を横目に見た彼女は、そっと手で制した。
私はホルスターに置いた手を元に戻して、灰が長くなった煙草に持って行く。
彼女は制したその手をシフトレバーに戻していった。
「放っておくといい。目の良い美麗なら直ぐに気づく」
彼女は顔をほんの少し窓の外に向けるとそう言った。
信号が青に変わり、窓の外から私達をじっと見つめていた人影は遠くに消えていく。
「ああやって、僕達を認識しだした人間はどうすると思う?」
「さぁ?どうやったって世界は終わるのに、その先を見たいならどうするかってこと?」
「ええ。そう」
「想像もつかないけれど?」
「ただ、この世界で暴れるだけなら僕達は要らない存在だよね?」
「……」
私が黙り込むと、彼女は咥えていた煙草を灰皿に入れた。
「彼らはやがて世界を越える術を知るわけだ。可能性世界から、軸の世界に…ある時は別の可能性世界に…そして、越えた先で事を起こし…レコードを破壊して、彼らの望む未来を手に入れようとする」
「そんなことができるの?」
「可能性世界に紛れ込むのなら、相手の世界は崩壊して無に帰すから僕達の出番は無いけれど。軸の世界に紛れるのなら話は別…軸の世界も同じように崩壊してしまうのは変わりがないが…複雑に絡み合った軸の世界同士のバランスが崩れてしまい、結果として軸の世界やそれにつながる可能性世界全てに多大な影響を与えることになる」
「へぇ…」
「僕がまだパラレルキーパーになるほんの少し前にあったらしい。その結果、幾多の世界のレコードが根源から切り替わったとか」
「なるほど?実際に経験はしていないけれど、そうなろうものならどうなるか知ったことでは無いと」
「そう。生きていた頃にあったでしょう?こうすれば死ぬから止めておけって。それと同じ」
彼女はそう言うと、少々目を細めた。
「……そう言えば」
「何?」
「彼の罷免だけれど、次の場所で起きること次第では出来そう?」
私は煙草を灰皿にもみ消しながら言った。
「どうだろう?彼への不利な証拠なのは間違いない。その銃器をこの世界の人間が持っていればもっと良い。そうすれば、きっと彼のレコードには"警告"が発せられる」
「まだその程度?」
「その程度。何せ、レコードではこの世界の終わりはまだまだ先である上に、彼はそこそこ手柄を持つポテンシャルキーパー様だそうだから、レコードも簡単には罷免できないのはさっき言った通り」
「まるでお役人のよう。過去の手柄だけでそうなるの?」
「言ったでしょう?そこまでできる人間は一握りだと」
「でも…」
「ルールは僕達に変えられない。出来ることは、彼がこの世界を使って軸の世界を脅かそうとしている証拠を集めて回り、この世界を無事に終わりに導くこと。そうすればおのずと彼は罷免される方に追い込まれる」
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30分ほどで着いた隣町の港。
漁港とは違って人工的な作りをしていて…私達が車を止めた場所からは、コンテナの街が見下ろせた。
「さて…目当てのコンテナは結構遠い。あそこに停泊してるコンテナ船の近く」
彼女はレコードを開いて目当てのコンテナの場所を割り出した。
既に船に積み込まれているらしい。
「人影は見えないけれど」
「どうだか。あの中に居る人間は全員処置対象だと思っていい。ひょっとしたら、もう僕達の事を認知するかもしれない」
彼女は何処か楽し気な口調でそう言うと、何処からか取り出したニット帽を被った。
私は帽子を被る趣味なんてないから、少々首を傾げると、彼女は髪の毛を掴んで見せる。
「白い髪は目立つから」
それを聞いた私は小さく頷いて見せた。
「さて、積み荷の中身を拝見しに行きましょう。僕達が出来るのはそれくらい」
彼女はそう言うと、手にした短機関銃のストック部分を肩に当てて一歩足を踏み出した。
私も、同じように短機関銃を構えて、手元のセレクターレバーを単発の位置にズラすと、彼女の背中を追って歩き出す。
夕暮れ時をそろそろ過ぎた頃。
空はもうとっくに暗い藍色に変わり、街灯がない場所はかなり暗くなっている。
私達は、街灯の無いコンテナの脇を進んでいた。
2人で、死角を潰しながら進んでいく。
まだ人気の無い場所で、互いに息を合わせる為に、必要以上にアイコンタクトを取りながら…ジワジワと先に進んでいった。
同一人物とはいえ、生きてきた世界も、今の立場も異なれば、最早それは別人といっていい。
微妙な違いを互いに擦り合わせながら…何事もなく進んでいき…労せず船の上に上がることができた。
「さて…ここの処置対象がどうなってるか、少し確かめましょうか?」
「どうやって?」
船に上がってすぐ、周囲を見回した彼女は、私に顔を向けてそう言うと、悪戯っぽい表情を浮かべながら船上を照らす明かりを指さした。
「6か所ある。試し打ちする射的の的には丁度いい距離だし、全て撃ってみよう。こっち」
彼女はサラっとした口調でそう言うと、船の上を小走りで駆けだした。
私は返答するまでもなく、彼女の後を追いかけていく。
着いたのは、適当に高台に上がった所。
階段を上った手すり越しに、彼女が言った明かりが見えた。
「半分任せた」
「え?ああ…わかった」
彼女はそう言って船の左側を照らす明かりに銃口を向ける。
私は彼女のペースに乗せられながらも、右半分を照らす明かりの一つに照準を合わせる。
上を向いた状態で、使ったこともない短機関銃の引き金をゆっくりと引いた。
「チィ…」
一発目を外して、即座に修正して撃ち込んだ2発目がライトを砕いて明かりを消す。
1発目で大方の癖を掴めた私は、続けざまに3発目…4発目を残りのライトに撃ち込んだ。
「さて…少しばかり騒がしくなった?」
「もう十分なほどに」
周囲が真っ暗になると、懐中電灯の光が甲板上を照らし始めた。
目を凝らして眺めてみると、出てきた人々の手元には…彼がかき集めた銃器が握られている。
「普通は銃なんて握って出てこないでしょう?」
「ええ」
「つまり、彼らはもう僕達を認知できるはずさ。彼らを掃除しつくしてからコンテナで合流しよう。ここから見える、一番奥のコンテナだ。赤いコンテナ、見える?」
「見えた」
「じゃぁ、後で」
彼女はそう言うと、手すりを越えて下の階に飛び降りていく。
私は彼女のようにはせず、階段を使って下の階に降りて行った。
銃についているライトは使わずに、暗闇に慣れた眼と、あちらこちらを映し出す懐中電灯の光を頼りに進んでいく。
「停電か?」
「まさか、ここだけ付かないだなんて有り得ない。それに、割れた破片があるだろ?」
一時的に潜んだ物陰から目と鼻の先で、2人の男が会話しながら周囲を見回していた。
「なら、それってつまり…」
男の一方がそう言いかけた直後、私は照準の先に映った彼の首元を目掛けて引き金を引く。
くぐもった音が2度響き、鉄で出来た硬い甲板の上に2人の男が力なく倒れた。
首元から勢いよく血を噴出している。
彼らの血を踏まぬよう彼らを越えて行った私は、遠くの見張り台のような場所に見えた人影に銃口を合わせると、引き金を2度絞った。
腹部と首元当たりから何かが吹き出るのを微かに見届けて、私は先へと進んでいく。
「ん?」
曲がり角を越えた途端、視界に人影が映し出される。
私はほんの少しだけ目を見開くと、歯を食いしばって即座に目の前の男に向かっていく。
彼が手にしていた銃をとも簡単に奪い取って、投げ捨てて…
ほんの一瞬の内に男を投げ飛ばして、床に叩き付けた。
背中側から真面に落ちた男は、肺の中の空気を一気に吐き出す。
彼が手にしていた懐中電灯は、手から離れて船の上に転がっていく。
「私が何者か、認知出来る?」
私は男の顔に銃口を突きつけて言った。
「は…は……」
私は青ざめた顔のまま何も答えない男を見下ろして、そのまま待ち続けた。
「知らない…が、アンタ確か…真島さんの…部下…だったよな」
「彼を知ってるの?」
「ああ…ああ……」
「ここは?」
「……知らない!…ただ、ただ、ここに居ろと」
「そんな物騒なショットガンを持って?」
私がそう言うと、男は口ごもる。
それを見た私は、小さく口元を歪ませると、そのまま左手人差し指に力を込めた。
「……それで最後?」
くぐもった銃声が聞こえてすぐ、向こう側からもう一人の私がやってくるなりそう言った。
私は眼下に下ろした銃を持ち上げて、小さく頷いて見せる。
「それで、そこにあるのが目当てのコンテナ?」
私はそう言って、男を射殺した場所から見える赤いコンテナを顎で指す。
彼女は小さく頷いて見せると、私達はコンテナの前まで駆け寄った。
簡単な機構のロックを解除して呆気なく開いた扉の奥に、短機関銃についていたライトの光を当てる。
中には、幾つものガン・ケースが積み重なっていた。
私が小さく口を鳴らすと、もう一人の私は何も言わずに、手近にあったケースを引っ張り出してきて、ケースを開ける。
「これで何処を襲うつもりなのかな」
彼女はそう言うと、ケースから黒いライフル銃を取り上げた。
真っ黒の長いライフル銃で…それは丁度、生前に米軍が使い始めたと聞いた銃だった。
私は彼女からその銃を受け取って、私にとっては大きすぎるそれを構えて見せる。
「戦争でも始める気だったとか?」
「まさか、僕が知ってる6軸の8月3日は何てことのない一日で終わる。歴史の教科書に載るような事は起こらない」
「……つまり?」
「こんな武装せずとも変えられる世界。もし僕がやるんだったら、こんな大層な準備はしない」
彼女はそう言うと、私の手からライフル銃を取ってケースに仕舞った。




