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明日死ぬ彼女に向けて

「どういう自分になりたい?」


 きっかけは、気まぐれの一言だった。いや、彼女はわざとこんなことをいったんだろうか。

 幼年期の、少しだけ分別が付き始めた頃。

 アリの死骸を見つけたら、悲しくなるということをわかり始めた頃。

 相手が嫌な気もちだと、自分も嫌な気持ちになるんだと、気づき始めた頃。

 当時、僕らはまだ、七歳だった。


「すごいひとになりたい」


 すごいひと。漠然とした、子供のふわふわした思考。


 子供の頃、世界はもっと狭いと思っていて、周りが幸せなら、世界全体は幸福だと思っていて。

 不可能なことはなかった。世界とは、自分のもので、自分そのものだった。


 ――願えば、なんでも叶うと、思っていた。


「どんなすごいひとになりたい?」


 僕よりほんの少し、具体的な考え方。ふわふわを、ほんの少しハッキリとさせる思考法。

 思えば、子供のわりに、彼女は大人なびていた気がする。


「しあわせにできるひと!」

「どうやってしあわせにするの?」

「なんとかする!」


 ひどい答えだった。


「あはは」と彼女は笑った。


「ねえいま、きみはしあわせなの?」


 と僕は聞く。


 君、キミ、きみ。恥ずかしがって、僕らはお互いの名前をあまりよばなかったっけ?

 彼女はとても幸せそうに笑っていた。


「もちろん。キミはどう?」


 小さかった頃の僕は、幸せそうに笑っているきみを見ていた。それで。


「しあわせだ!」



 わけもわからず、そう叫んだ。

 それは、まやかしや、ごまかしに近いのかもしれない。風邪がうつるように、つられて笑っていただけかもしれない。

 単純だった。でもそれが悪いことだというわけではなかった。


 そうやってきみの笑顔を見て。単純にいい気分になって。

 人の笑顔を見ると、自分も楽しいんだなあ、と思って。

 子供、だった。


 そんなあやふやな状態で、いろんなことを思った。

 すごいひとになりたいと思った。すごい人とは誰かを幸せにできる人だった。笑顔は幸せの象徴だと、信じた。


「きみはなんでわらってるの?」と僕は問いかける。

「しあわせだからだよ」

「ほんとうに?」

「ほんとうに」


 だから。

 ふわふわとした考えは少しずつ形を作っていった。いまだにそれは曖昧だった。

 それは、僕の基盤となった。



 ◇



「いいことをするのは本当にいいことなの?」

「どうしたの急に」


 大きくなっても、僕らは結構な頻度で会っていた。周りにそんな関係を笑われたりもした。だから表ではあまり関わらなくなった。だからといって、彼女と一緒の時を過ごさなかったわけではない。

 秘密の場所があった。子供のころからの、ふと寄ってみれば彼女か、僕がいる、そんな場所。

 中学に上がった時も、それは続いていた。


「なんだか……わからなくなってきちゃってさ」

「いいことをすることが?」

「そんな感じ」

「そんなに深く考えなくてもいいんじゃない?」

「どうして?」

「……」

「じゃあ、宿題ね」

「えー」


 もともと、僕はそこまで、物事を深く考えるほうでは、なかった気がする。複雑で無意味な考え事は、彼女の受け売りで、彼女が答えを求めるから、僕も答えていた。最初はどうだってよかった。だが、だんだんと、影響された。


 鳥はなぜ飛ぶ? 人はなぜ生きる? 私たちの目指す形は何?


 互いに疑問と主張をぶつけ合った。話のタネが欲しかっただけなのかもしれない。僕らの間に何があるかなんて、点でわかっちゃいなかった。だから、理由のような、言い訳のような、何かを、手放さないためにそういう話をしていたのかもしれない。


「考えてきたよ」

「ほお」

「僕は結果、、が大事だともう」

「どうして?」

「みんなが幸せなら、なにも問題ないでしょ?」


 僕は熱弁した。

 例えば、嘘をついて、ある人を幸せにしたとしよう。それで結果がよかったから、めでたしめでたし、で終わるのは問題ない……わけではない。嘘をつけば嘘をついた人が不幸かもしれない。嘘をつきとおせる保証もない。だから清廉潔白に、できる限り王道で良い結果をだす。それがいいこと、だよ。

 そんなことを言った。


 この答えには穴がいくつもあった。実際に、それができない時はどうするかは想定されていない。

 だがひとまずこれは正しい答えだとは思っていた。これに当てはまらないものは、またべつの時に考える。問題を細かく砕いて、最初の土台を作る。これは、物語でいえば序章のようなものだ。


「なるほどねー」

「こっからもいろいろ考えたよ。これが現実的に当てはまらない時も多いしさ」


 そうやって、少しづづ砕いていって。少しずつ、答えを出していった。


「じゃあ嘘は絶対にばれなかったらいいの?」

「大丈夫だと思う。でもそれは嘘をつく人が嘘をつくことに納得している時だけだし、絶対にばれない状況なんてほぼないけどね。失敗したら全部本人に降りかかるわけだし」

「なるほどね。じゃあさ」

「……?」

「結果が全て、ってキミは言ったけど、努力して失敗した人は、頑張ったのに咎められるの?」

「本当は咎められないほうがいいんだ。でも現実は許してくれない。そういうものだよ」


 話は理想と現実に移る。


「そんなの、おかしい……いやわかるよ。私は、納得はいかないけど理解はできる。だけど」

「……僕もそう思うよ。もっといろんな人が幸せになりやすい、そういう世界だったらいいのにって、何回も思った」

 でも、現実はそうじゃない。努力は結果が出なければ認められないし、努力を見てくれる奴なんていない。

「もっと優しい世界だったらよかったのに」

「誰かが不幸になるような世界じゃなければいいのに」


 僕らは同じようなことを言う。

 現実はあまりにも残酷すぎる。でも、僕らが立っているのは現実だった。


「もっと資源があればよかったのか、法でもっと人を正しく導けれはよかったのか」

「私もそんな感じのことを思ったよ」


 現実には現実的な解決策というものがある。そういうのも考えた。理想は現実に持ち込むことができない。

 答えが少しずつ固まり始める。



 ◇



「どうしたの?」

「なんでもないよ」


 彼女は笑っている。悩みなんて無さそうに、辛いことなんてまるでないかのように。


 思えば、僕は彼女の異変に気付くことが、あまり得意ではなかったかもしれない。それはそもそも、彼女がそういう態度を取るのがうまかったとか、暗い印象が彼女には無さすぎたとか、そんな理由もあったかもしれない。彼女は、僕よりもすごい人だ、なんて意識が漠然とある。


 だからあっさり信じてしまった。違和感は勘違いで、彼女は僕に対して嘘はつかないと思っていて。


「ならいいんだ」

「うん」


 そういうところが、嫌になる。優しさゆえの嘘だとか、いくらでもありえそうな選択肢はあったのに。狭い思考では、そういうものを見ることができなかった。


 ――完璧な人になりたかった。


 自分の低い能力が許せなかった。なんでもっとできることがないんだと、悔しかった。


「毎日が楽しいね」


 そういって彼女は笑った。



 数日後。

 僕は彼女が苦しんでいるのに気付いた。最初、彼女は認めようとはしなかった。でも、隠し通せるものでもなかった。


 ――もっと自分に能力があればよかったのに。


 そうすれば、彼女がこんなにも傷つくことはなかった。

 颯爽と登場し、ヒーローは仮面を被り、彼女の問題を裏から解決する。そうであればよかったのに。


 彼女は泣いていた。


 僕は正面から問題を問い詰めた。現実は、そういう手段しか取れなかった。


 ……彼女はいじめられていた。


「私は、弱いね」

「……」

「最後まで隠そうと思ってたのに、嘘をつくからには結果が全てなのに」


 自身の弱み。それをさらけ出すというのは、随分とプライドを傷つける。相手と対等でありたいと思うなら、わざわざ弱みをみせる、なんてことは、避けたいに決まってる。誰だってそうだ。

 自分をしっかりと持ち、正しく生きたいと願い、正しくあろうとした彼女は、周囲から疎まれた。ポイ捨てを注意する。他人のいじめを止めようとする。

 それ自体は、正しい行動だ。だが鼻につく。何様なんだと疎まれる。


 彼女は正しかった。間違っているは世界のほうだった。だが、世界とは、現実のあり方というのは、そういうものだった。


「私はね、自分が正しいって思ってた」


 善意の押し付けは独善行為だ。それはとっくに彼女と話し合ったことで、そういうことはしないと互いに決めていた。


「私は失敗したんだよ」


 もともと、彼女は押しつけ善意の独善者だったのだ。それは間違っていると、途中で気づいて止めた。でも、周囲の目には、いったんついた印象は、彼女をそういうやつと見る。


 処世術、対人関係の基本。


 最初に間違えた彼女は、次が正しくても色眼鏡を通してみられる。


「どうすればよかったのかなあ。ふふふ」

「……」

「キミは私が間違ってたと思う?」


 何と言おうか、なんと庇おうか。下手な嘘はただ彼女を傷つけるだけだ。

 だから「そうだよ」と僕は言った。


「そうだよ、ね。そんなこと、聞かなくてもわかってたんだよ。つまらないこと言ってごめんね」


 彼女は賢い。間違いを認めることができる。だが、完璧な人間など存在しない。ミスをした後の行動をほぼ完璧にできても、ミスをゼロにするということはできない。

「それでも」と僕は言う。

「現時点のきみは間違っちゃいなかった」

「ふふふ。慰めてくれるの?」


 ああだめだ。これでは彼女には届かない。


 直観的な感覚は僕の口を縫い付けた。

 なにもできなかった。何も言えなかった。

 彼女が泣いている。泣いているのだ。

 何とかしてやりたいと思う。

 ……でも。


 二人で風の吹く景色を眺めていた。ほの暗い空間。取り残されたような感覚。

 場は、限りなくロマンチックだった。僕と彼女だけが存在していた。

 取り残された世界で僕は考える。


 法、という文字が頭に浮かぶ。それはルールだ。

 現実、という文字が頭に浮かぶ。それは拒めないものだ。

 理想、という文字が頭に浮かぶ。それは役に立たないものだった。


 ……本当に? 本当にそうか?

 僕は口を開く。


「現実にはルールが存在する。理想が付け込める場所はない。そんか結論だったよね」

「そうだね」

「そうかな?」


 細かく要素を抜き出す。かみ砕いて消化する。


「きみは正しい行動をする必要はない」

「……そんなこと、ない」


 彼女はいつだって清廉潔白で、誰もが救われるべきだと、信じていて。

 絶対に正しい、されど現実に通用しない理想論。


「妥協しなきゃいけないんだよ。誰かのために動いて自分が破滅したら意味がない」

「そんなこと、ない!」

「でもここは、現実なんだ」


 不可能なことは不可能だと、誰だって気づいている。


「じゃあ諦めるのが正しいの? そんなわけ、ない」

「でも現に僕らはなにもできない」


 彼女は、何も言えなくなった。

 僕の言い方は、卑怯にも思える。でも、必要な言葉だ。

 だから。


「誰かを助けれるときは助けよう。自分を犠牲にしないようにしよう。本当に叶えたい理想は、胸の奥にしまっておこう」

「……」

「ただ祈るだけでいいんだ。優しい世界でありますように、って」


 僕らに誰かを助ける義務なんてない。


 ……身の程を知った。僕らは何もできない子供だと。


「それで、いいの?」


 彼女はそれを認めなかった。認めたくなかった。僕だってそうだ。


「それでも」と僕は言った。


「僕らがするべきことは現実の範囲で、できる限り正しいことをすることなんだよ。それだって十分に尊い」

「そうだけど」


 彼女の瞳が揺れる。迷いとわけのわからない感情が、ごちゃ混ぜになったような表情。


「現実は結果に依存する。僕らは間違っていると言われたら間違っていることになる。独りよがりになる」

「結果を常に出すような行動をしなきゃいけないの?」

「そうだよ」


 彼女は悲しそうに笑った。


「この結論は正しいね、きっと。悲しいぐらいに一つも否定できない」


 もう、お互いに納得はできた。

 言いたかったのは先にあった。


「じゃあ、私はそれを踏まえて話すよ」

「うん」

「私は結果を出せなかった」

「でも君は間違ってない」

「……なんで!」


 怒声が滲む。


「なんで中途半端に私を庇うの? 私は間違ったんだよ!」

「世界からみたらそうだよ。でも僕からみたら違う」


 ずい、っと彼女に詰め寄る。


「努力が認められないんなんて悲しすぎる。……それでも! それが現実だとしても! ……僕だけはきみを認めるんだ!」


 彼女はぽかん、としていた。気圧されたような、そんな表情。


「……ありがとう?」

「どういたしまして」

「……混乱してきた」


 つまりは。


「現実は僕らの努力を認めてくれないこともある。でも、せめて身近な人の努力は、身近な人が認めてあげよう」

「なるほど」

「だから、きみも僕を認めてね?」

「……もちろんだよ」


 約束事。身の程を知らされた、僕らの妥協案。

 でもできる限りのことはできるようにしよう。身近な人のことだけは、周囲が否定しても、自分だけは味方になってあげよう。

 もうすぐ、あたりが暗くなる時間だ。この地下都市は、ある時間を境にどんどん照明が暗くなる。


「すっきりした?」

「おかげさまで」

「帰ろう」

「帰ろっか」


 重い腰を上げる。

 現実的な問題は、何一つ解決しちゃいなかった。

 でも、これからはきっとよくなる。

 影が揺れる。まだ彼女は立ち上がらないのかな、と思って足元の影を見た。

 彼女の影。両手を広げている影。

 僕は後ろを振り返った。彼女は今にもなにかを抱きしめようとしているような、そんな恰好をしていた。


「……」

「……」


 沈黙。


「なんでもないよ?」

「なんでもないね」


 時間が再び流れ始めたような感覚。

 二人並んで歩く。家路につく道へ。


「さっきのは内緒だよ?」


 彼女の言葉に僕は頷く。はっきり言って混乱していた。


 ――ふと、彼女の横顔を見る。

 少しだけ見惚れた。漂う甘い香り。安心感と、心臓の音。


 きっと――なんてことを思う。

 この子と僕は切っても切れない縁があるんだろう。どこかでは告白して、付き合って、キスをする。一緒に子供を育てる。「幸せだね」なんていう彼女の笑顔を見て、余韻に浸る。

 そんな未来を信じていた。運命がそうなっていると、そういう星の下で生まれたんだと。


 ――だから、まだ焦らなくていいや。


 後悔している。

 なにもしなかったことを。

 勇気を出さなかったことを。


 だが、何かしたところで結果が変わるわけではなかった。

 結局、なにをしても後悔だけが残る。

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