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ハイパーリンク 最終章  作者: リン
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最終章

翌日、海燕(かいえん)始め数十人の兵士達は、暗くなるのを待ってから、北の砦を出発し寺院へ向かった。

夜通し馬を飛ばし、着いたのは次の日の昼近くだった。

先発していた兵士から知らされていたので、出梵(でぼん)管主ら僧侶達が出迎えてくれた。

海燕が事の次第を伝えると、出梵はにこにこしながら、

「遠いところをよくおいで下さった。どうぞこちらへ。」

と寺院へ招き入れた。

海燕達が奥の本殿に案内されると、そこには既に宇龍(うる)朱鞠(しゅまり)他三百人ほどの僧侶や信者が集まっていた。

早速出梵と海燕は、本殿の片隅に置かれた椅子に腰を降ろし話し始めた。

「あなた方の勇気に一同感謝致します。」

「いいえとんでもない。

私達は軍人としての努めを果たしたいだけです。」

「近頃の者は、本分をわきまえず、権力の方にばかり気をとられておる。

困りものじゃよ。」

「つい先日も、城の役人が明け渡しを迫りに来よった。」

「ほう明け渡しですか。」

「ここに王の別邸を作ると言っておった。

何のために必要なのかと聞いたら、王族が保養するためだとか。

後はろくな説明もなく、既に決まった事だからと一方的な話ししかせん。」

「頭ごなしの命令ですね。

彼等も、真に移転の理由を知らないのでしょう。」

「役人は王の勅命が出されたと言っていたが、裏には何か企みがある気がするのじゃ。」

苦笑いしながら海燕が言った。

「これは倭三(わざん)大臣の企みです。

一番隊の久龍(きゅうりゅう)隊長も絡んでいます。

王は彼等の口車に乗せられているだけでしょう。

王を城から遠ざけ、裏で何かを企んでいます。

彼等が得をする何かを。」

「やはりそうか。

政事に私利私欲が絡むと、とかく民の声をないがしろにするものじゃ。

そしていつも弱い者達が犠牲になる。」

「管主が言われる通りです。

以前、高官達の欲望のために無益な戦いを経験しました。

その時した後悔をもう繰り返したくない。

私達はそんな連中には荷担せず、行動することにしたのです。」

「弱き民を守ろうとする、

あなた方こそ真の軍人ですなあ。

それに比べ先日の役人ときたら、

帰り際に、大人しく言うことを聞かなければ、この後どうなっても知らんぞと脅していきよったよ。」

「下級の役人までもがそのようなことを言うとは情けない。

つまり、城の中では既に決定事項として指示が出ているのでしょう。」

「そう考えた方が宜しかろう。

民の声を聞かず、最初から移転ありきで話を進め、邪魔が入ると力付くで押さえ込もうとしておる。」

「王をたぶらかして勅命を出させる。

王を欺くことは国を欺くこと。

真の犯罪者は奴らです。」

「わしらはそのような薄汚い企みに屈指はしない。

卑劣な欲望にかられた輩に大儀はない。

民の信仰を守ろうとする我等にこそ、天は味方するじゃろう。

千年前から先達が積み重ねてきた歴史を、簡単に壊させるものか。」

「寺の皆とも話し合ったが皆考えは同じだ。

この寺を力で奪い取ると言うのなら、最後の一人までも戦う覚悟じゃ。」

「しかし今は多勢に無勢、

私達は戦い方を考えなければなりませんね。」

「それにつけても、あなた方が来てくれて心強い限りですよ。」

僧侶達の決意は固かった。

寺院の中はいつも以上に香が焚かれ、あちこちから祈る声が響いてきて、緊張感に満ちていた。


翌日。

海燕達が建物を見回っていると、書院でたたずむ宇龍を見つけた。

「お元気そうだ。

久龍の兵士を懲らしめたそうですね。」

宇龍は笑いながらうなずいた。

そして辺りを見渡しながら言った。

「ここは陀院(だいん)の心の故郷のような場所だ。

俺はここに骨を埋める事にしたよ。」

海燕はうなずきながら、

「良さそうな所ですね。

私の死に場所もここに決めましたよ。」

壁にはこれから始まる戦いを見守るかのように、巨大な羅刹の絵が飾られていた。

その前に立ち談笑する二人の姿は、背後にある絵と重なり合い、周りを取り囲む兵士達にとって何よりも頼もしく写ったことだろう。


別の部屋では、僧侶達が朱鞠に家へ戻るよう説得をしていた。

「嫌だ! 絶対に嫌だ!」

「君に万が一のことがあったら親がどんなに悲しむか考えるんだ。」

でも朱鞠はここが好きだった。

かつて陀院が夢中になって絵を描き、自分と同じ体験をしていた場所。

子供の頃から感じていた孤独感が、陀院を知ることで癒された場所。

その場所を守ろうと、出梵や宇龍を始め大勢の人が命掛けで戦おうとしている。

たとえ戦力にならなくても、一緒に戦わなければならないと思っていた。

実の親の心配は分かっていたが、彼の魂がここに留まることを命じていた。


本殿では既に戦いの準備が始められている。

昼近くに城の様子を見ていた斥候が戻って来た。

王の名で反逆者を討つよう命令が出て、一番隊本隊が寺院に向かっているとのことだった


今回、海燕は弓矢を多く持参し、同行する兵士も弓の上手な者を選んでいた。

大軍に対し少数での接近戦は不利なので、立て篭もって飛び道具で戦うのが有利と考えたからだ。

僧侶や信者の中で弓を使える者を加えると、百人程の弓矢隊が整った。

敵が攻めて来たら、兵士で先制攻撃を仕掛けて出鼻をくじく。

深追いはせずに、すかさず寺院に引き篭り弓矢で戦う。

これを繰り返し、敵の前線に緩みが生じさせる。

その頃合いを見計らって、僧侶達を逃がす計画でいた。

『二番隊は警戒され砦に足止めされたか。

だがこれで何も考えず思い切り戦って死ねる。』

二番隊が来ないことが分かれば、味方の兵力は寺院に来た数十人だけだ。

勝てる見込みはない。

僧侶達を逃がした後は、勝てないながらも敵を一人でも多く倒してやろう。

海燕はそう思っていた。

すると宇龍が周りを見回しながら言った。

「これだけの兵士がいれば千人位は倒せそうだな。」

刀を研ぎながら海燕が答えた。

「千人の敵はあなたにお任せしましょう。

残りの九千人は私達が相手を致します。」

「そうだな 任せたぞ。」

そう言って二人は笑い合った。

それを聞いていた周りの兵士達も笑った。

兵士達の笑い声が本殿に響いた。

中には大きくうなずいている者もいた。

どの兵士も命を捨てる覚悟が出来ていた。

宇龍は満足そうな顔で、傍らにある鋼の鞭を眺めていた。


その日、山並みに秋の日が沈みかけた頃、平原の西方から規則的な鼓笛隊の音が聞こえて来た。

一番隊は先頭に楽隊を配し、王直属の部隊として行進曲を奏でながら寺院へ進軍して来た。

これは、王の軍隊が威厳を持って向かう様を演出しようと、久龍が考え出したものだ。

鼓笛隊の楽曲が鳴り響く中、本隊が寺院の周辺に続々到着し、境内から外の平原にまで兵士達が溢れていった。

紫色の夕暮れの中に、松明の明かりが辺りに点在して見える。

その明かりは、遥か平原の向こうにまで見て取ることができた。

それだけ多くの敵兵が展開し、寺院を包囲しているのが分かる。


建物の外では、正門近くまで進んで来た兵士達が大声でわめいていた。

「王に歯向かう反逆者ども これが最期だ。

今すぐ武器を捨てて降伏して来い。

そうすれば命だけは助けてやる。

さもなくば皆殺しだ。」

彼等は先遣隊と呼ばれ、敵地に真っ先に乗り込んで暴れまくるのが役割だ。

それだけに、気性が荒く腕の立つ兵士が多い。

まず大声で喚き、相手をののしる言葉を浴びせ掛けて萎縮させるのだ。


辺りが騒然とする中、

寺院の正門が静かに開く。

そこには両腕に鋼の鞭を付けた宇龍が立っていた。

隊員達は弓に矢を番え宇龍に狙いを付けた。

一人の兵士が言った。

「おいっお前っ 降伏しに来たのか。」

宇龍が殺気を孕んだ声で言った。

「お前達を殺しに来た。」

「なんだとう?」

兵士は宇龍を脅かしてやろうと近寄った。

「お前なんかにっ・・」

とまで言ったが、あとは鋼の鞭で顎を切断されてしまい、崩れるように倒れ込んだ。

それを見た周りの隊員達は慌てて矢を放った。

しかし矢はことごとく払い落とされた。

宇龍が振るう鋼の鞭は、矢を払うと同時に隊員達を襲い切り刻んだ。

ある者は手首を落とされ、

ある者は喉を裂かれ、

ある者は顔を削がれた。

先遣隊の隊員達はあっという間に地面に転がりうめいていた。

残りの隊員達は、狙いをつける間も無く鋼の鞭に襲われ次々と倒されていく。

「お前らもこうなりたいか。」

宇龍はそう叫び、

捕まえていた隊員を、敵兵達の前に突き出した。

そして首に巻き付けた鞭を思い切り引き抜いた。

首は胴体から離れ、血飛沫をあげて見ていた兵士達の足元に転がった。

周りの兵士達は皆怖じ気づき、その場から動けなくなってしまった。

『足が止まった』 

後方で様子を見ていた海燕がその瞬間号令した。

「今だ 懸かれ!」

寺院から兵士達が躍り出た。

精鋭揃いの二番隊の中でも命懸けで志願してきた者達だ。

その勢いに敵兵はたじろいだ。

勢いづいた兵士達は敵の懐に入り込もうと、得意の変形くさび形の陣形をとった。

変形くさび形の陣形とは、

前方に宇龍を頂点として、くさびの形に左右斜め後方に延びた列が、互いに隣の兵士を守りながら戦って行く。

その後ろには、海燕を中心とする逆くさび形の陣形が続き、回り込んで襲われるのを防ぎながら戦う。

上から見ると二つのくさび形が組み合い、菱形の形状になっている。

状況に応じて、菱形は膨らんだり細くなったりと変形しながら、あらゆる方向の敵と戦う陣形だ。

従来あったくさび形の陣形に、逆くさび形の陣形を合体させて作り上げた、二番隊特有のものだ。

隊員達が作る変形くさび形の陣形は、前方だけではなく左右にも自在に展開し、徐々に敵の包囲網を切り崩していった。


前線の部隊が数十人の兵士に押されている。

報告を受けた久龍は、これはいかんと思い弓矢隊に命令した。

「後ろにいる僧侶達を狙って矢雨を降らせろ!」

後方から何千本もの矢が放たれた。

矢は空を曇らせ後方にいる僧侶達に降り注いだ。

矢を払い落とせない僧侶や信者達は、次々と射すくめられ寺院側は徐々に後退せざるを得なかった。


その頃、海燕の元に北の砦から伝令が届いた。

砦が三番隊四千人に包囲されている。

砦には泥蘭(でぃらん)始め千人の兵士が立て篭もっている。

残りの三千人が援軍として出発した。

途中で九番隊も合流し、四千人以上の兵力がここへ向かっているとのことだった。

『泥蘭め、

命令違反を承知で援軍を出したな。

その上是是(ぜぜ)隊までも加わるとは予想していなかった。

だがこれで援軍が来れば、一番隊を十分挟み撃ちにできる』

一番隊は、数に物を言わせて放つ弓矢と投石が主な戦力だ。

先遣隊が前線で敵を混乱させ、後方から飛び道具で敵を倒していく。

ただ兵士の士気が低く、統制が取れていないので、中央から後方の部隊は奇襲を受けると混乱しやすい。

海燕はそれを知っていた。

『前に是是とその話しをしたことがある。

俺が是是なら騎馬隊で側方から奇襲する。』

『奇襲で弱ったところから二番隊が攻め込めば一番隊は総崩れとなるぞ。

奴らを壊滅させてやる。』

ただ、北の砦から寺院まで馬を飛ばしても一日以上はかかる。

歩兵が多ければもっとだ。

援軍が来ることが分かれば、少しでも味方の損害を減らしておかなければならない。

海燕は鋭気を養うため、全員を早めに引き上げさせ、籠城の体制に入るよう命令を出した。

兵士達が負傷した僧侶や信者を次々と寺院に運び込んでいく。

その最中だった。


最前線で戦っていた宇龍の元に、朱鞠が怪我をしたので至急戻るよう伝令が届いた。

宇龍が胸騒ぎを覚えながら本殿に戻ると、そこには朱鞠が横たわっていた。

一本の矢が深々と胸に突き刺ささっている。

矢は肺に達しているらしく、動くどころか呼吸も絶え絶えだ。

抜くことも叶わず、回りの者達は途方に暮れてしまっていた。

『朱鞠が死んでしまう』

そう思った宇龍は気が動転した。

消え入りそうな声で朱鞠が言った。

「ありがとう 父さん・・」

そして何も言わなくなってしまった。

陀院(だいん)だけでなく、我が子と思っていた朱鞠も死なせてしまった。

宇龍は寺院が揺れるかと思えるほどの声で朱鞠の名を叫んだ。

そして、そのままその場に座り込んでしまい、立ち上がることもできなかった。

周りの者達はどうにもできずに、遠巻きにして見ているだけだ。

床に座り込んだ宇龍の心は、朱鞠を亡くした悲しみで満ちあふれ、

その喪失感は果てしなく深かった。

やがて宇龍の心にふつふつと怒りが沸き起こってきた。

やり場のない怒りは体中に充満し、ついには火山が噴火するかの如く、理性の壁を突き破ってしまった。

その怒りの矛先は、敵に対する激しい憎しみへと転化した。


「皆殺しにしてやる。」

怒りに駆られた宇龍は、両腕をブルブルと振るわせた。

その振動に合わせて、血だらけになった鋼の鞭や甲冑が、シャリシャリと音を立てて小刻みに揺れた。

その様子を見ていた周りの者達は、宇龍が怒りに任せて我を失い、命を落とすようなことになってしまわないかと心配した。

しかし、宇龍の凄まじい形相に恐ろしくなり、心配しながらも声を掛けることができずにいた。


『一人残らず地獄へ送ってやる。』

宇龍は寺院を取り囲む敵を殺しまくるため、黙々と武具を整備し始めた。

朱鞠が首から下げていた黒い石も、白い石と一緒にして首から釣り下げた。

二人の弔い合戦のつもりだったのだ。


宇龍が血糊で固まった鋼の鞭を拭いている時だった。

首から下げていた二つの石が、突然震え始めた。

それに気付いた宇龍が手にとって見ると、石は震えながら明るく光っている。

同時に石を握る掌から腕にかけて、何かが伝わって来る。

二の腕を調べてみたが何も変わったところはない。

しかし、何かが手から腕を伝い今は肩へと伝わって来ていた。

宇龍は、再び二つの石を両手にしっかりと握りしめた。

しばらく経つと、石から発っせられた何らかの信号が頭にも伝わって来た。

その瞬間、宇龍の脳裏には倭三親子と久龍の企みや、海燕達二番隊の様子等、事の全容が現実の如く写し出された。

まるで、詳細な絵巻物を見ているかのような感覚だった。

人物の様子が見えるだけでなく、心の中までも読み取ることができた。

その全てが一瞬で頭に入って来たのだ。

いつしか宇龍の全身には何かが行き渡っているのが感じ取れた。

同時に、今まで経験したことのない果てしない活力が体中にみなぎっていた。


その時何処から誰かの声がした。

「この二つの石で、けがれた魂を清めなさい。」

気品がありながらも優しさに満ちた声だった。

その声を聞いた途端、

何故か猛々しかった宇龍の心は落ち着きを取り戻した。

その眼からは怒りの炎が消え、表情はいつもの宇龍に戻っていた。

心の中には、無限の地平線が生まれ、どこまでも続いているのが感じられる。

誰かが呼んでいる声が聞こえる。

宇龍は辺りを伺った。

耳から聞こえた訳ではない。

体全体が、その声に引き寄せられていく気がした。

『行かなければ』宇龍は、呼び立てられたかのように、すっくと立ち上がった。

それを見ていた回りの兵士達は咄嗟に身構えた。

しかし宇龍は何も言わず、一人で本殿を出て行こうとしている。

周りの兵士達は、どうしていいのか分からず顔を見合わせた。

宇龍のただならない状況は誰もが感じ取っていた。

同時に、兵士達は止めることが無理なことも分かっていた。

彼等は、いったいどうすれば良いのか困ってしまい、視線は自然と海燕に集まった。

海燕もそれを察し身支度を整えた。

宇龍はさっきまでの様子とは打って変わり、別人のように落ち着いている。

しかも殺気が感じられない。

「以前と何かが違う。」

それに、戦う時は必ず腕にはめる鋼の鞭が、床に置かれたままになっている。

今までに見たことのない様子に、海燕は胸騒ぎを覚えていた。

「まさか死ぬ気では?」

海燕はそっと後をつけた。


宇龍は、寺院の扉を開けると敵兵が密集している外へと足を踏み出した。

その時宇龍の眼には、

寺院とその周辺が、薄黒い霧のようなものに覆われているのが見えた。

更に、寺院の周辺を埋め尽くす一万人の人間一人一人の心の有様がはっきりと見てとれたのだ。

単純に殺戮を楽しんでいる者もいれば、渋々来ている者もいた。

妻の妊娠が心配で、早々に終わらせて帰りたい者もいた。

家にいても生活できないので、口減らしのために入隊して来た者がかなりいたし、犯罪を犯しその過去を隠している者もいた。

まるで高い塔から見下ろしているかのような視線で、一瞬にして全兵士達の心の内が見て取れたのだ。

宇龍はそれを不思議とも思わず、辺りに誰もいないかのように、敵兵の中に歩んで行った。

周囲をすべて敵兵に囲まれてしまい、何処にも行き場を無くした状態であったにも関わらず、宇龍は全く動じていなかった。

何の恐れも抱いておらず、微塵の不安もなかった。

心に沸き起こった、不思議な声に導かれるままに行動しているだけだった。


そして、彼の子供達が生前していたのと同じように、空間に向かって手を伸ばし何かを描き始めた。

心には、はっきりと図形が映し出されており、どうするべきかは分かっていた。

彼は二つの石を両手に握りしめたまま、上下左右と交互に十字に似た形をゆっくりと描いた。

宇龍にとっては初めての事だったが、清々しく晴れやかな気持ちに、心が満たされていくのを感じる。

澄み渡った大空を、真っ白な雲に乗って飛んでいるかのような爽快感が、彼を包んだ。

周りの敵兵達は、いきなり奇妙な行動を取る宇龍を見て呆気に取られてしまった。


すると次の瞬間、まず黒い石が眩しい光と、大きな唸り声のような音を発し、激しく震え始めた。

すると、辺りの兵士達が黒い小さな石に引き寄せられ、ついには吸い込まれてしまったではないか。

吸い込む力はどんどん強くなっていく。

まるで巨大な鯨が小魚を飲み込むように、次々と敵の兵士だけが石に吸い込まれていった。

遠くにいた者は、風に舞う木の葉のように、空中を飛んで来ては石の中に消えた。

寺院から遠くの平原にかけ、目には見えないが、空間の乱れが巻き起こり、宇龍の持つ石に向かい流れ込んで行った。

地の底から響いて来るような重い振動音と、紙切れの如く軽やかに空中を舞って来る人間の姿が、不釣り合いな、不思議な光景が続いた。

やがてそれが収まると、一万人からいた兵士達はほとんど吸い込まれてしまっていた。

彼らは何が起きたのか分からず、逃げる暇も無かった。

高見の見物をしようと高台に陣取っていた倭三(わざん)親子や、後方で指揮を取っていた久龍(きゅうりゅう)も、他の兵士達と一緒に吸い込まれてしまいその姿はなかった。

続いて、白い石が細かく震えながら風のような高い音を立てた。

すると、吸い込まれた兵士達が次々と石から吐き出され始めた。

黒い石とは逆の空間の流れが起こり、小さな石から無数の人間が現れ、空を飛んでは雪のように地表に降り積もっていく。

瞬く間に、辺り一面が吐き出された兵士達で一杯になった。

寺院の境内はもちろん、周りに広がる平原にかけて兵士達が折り重なって倒れている。

しばらくすると、気がついた兵士達がむくむくと動き出した。

しかし、彼らは記憶の殆どを亡くしていた。

皆幼少期までの僅かな思い出しか残っておらず、自分が何故ここに居るのか、今まで何をしていたのか覚えていなかった。

状況が分からない不安からか、迷子のように辺りをさ迷っている。

そのうち何処かへ行ってしまった者もいれば、その場にうずくまり頭を抱えている者もいた。

しかも、吐き出された兵士の数は吸い込まれた者の半分ほどしかいなかった。

残りの者達の姿は見当たらない。

倭三父娘や久龍も戻って来なかった。


兵士達が二つの石を出入りしている間も、宇龍には握っている石が、人間を吸い込み吐き出しているという感覚が全くなかった。

ただ心の声に従い、敵に向けて二つの石を(かざ)していただけだった。

そして宇龍の眼には、いつ現れたのか右側に黒い門が、左側に白い門が建っているのが見えていた。

まず黒い門に向かって、遠くから人の形をした黒い影が飛び込んで来た。

門をくぐった影は、色が抜けて白くなっているものや、抜け切れずに薄黒いままのもの様々だった。

瞬く間に、宇龍の目の前には、数え切れない程の人型の影が集まった。

集まった何千という影達は、次には白い門をくぐり抜け、門外へ飛び出して行った。

しかし、外へ飛び出して行くのは、白い影達ばかりだ。

黒い門から吸い込まれた影よりも、白い門から出て行く影の方が、明らかに少なかった。

では薄黒い影達はどうなってしまったのか。

よく見ると、白い門の中から無数の何かが、周辺にぞろぞろと這い出して行く。

宇龍が眼を懲らして見ると、それは地面を這い回る小さな生物達だった。

虫や蛙・イモリといった、か弱い生物達ばかりだ。

白い門から生まれた、その虫達は、宇龍の足元を這いずり廻った後、辺りの草むらや木立の中に、そそくさと姿を消してしまった。

まるで自分の姿を恥じるかのように。


その時、

宇龍の心に誰かが話しかけてきた。

「あなたが使った石は、二人の青年に私達が与えたものなのです。」

「青年達は、若くして命を落としてしまいました。

しかし、あなたが代わってその努めを果たしてくれました。」

複数の声が交互に話しかけてくる。

宇龍は心の中で問い掛けた。

「努め?努めってなんだ?人を虫に変えることか?」

「人の魂を裁き清めることです。」

「二人には、人が生れつき与えられるべきものが与えられていなかった。」

「青年達は、人一倍清らかな魂を持って生まれました。

それにも関わらず、辛い人生を歩まねばならなかった。」

「二つの石は、その代価として私達が与えた物なのです。」

「お前は人を裁く力を持っているのか?それがあの二つの石なのか?」

「青年達に手を伸ばさせ、二つの門から石を掴ませたのです。

でも、その使い方を教える前に彼等は死んでしまった。」

「しかし、あなたは自らの行いを悔やみ青年達の魂に近づこうとしましたね。」

「苦しみ悩むことで、あなたの魂も清められたのです。

青年達の代わりに石を使える魂となったのです。」

「二人に代わって努めを果たしたあなたは、私達から永遠に祝福されることでしょう。」

「お前はいったい誰なんだ?

そんな力があるのなら二人を生き返らせてくれ。」

「一旦死んだ人間を生き返らせることはできません。」

「俺は祝福なんていらん。

俺は陀院に会いたい!

朱鞠と話しがしたい!

二人と一緒に居たいんだ!」

「二人は私達の世界にいるのです。」

「ならばお前達のところに連れていけ!」

「それならば、石は必要なくなりました。」

すると、宇龍が両手にしっかりと握っていた二つの石は、黒い石は黒い門へ白い石は白い門へとそれぞれ飛び去って行った。


それ以降声は聞こえなくなった。

宇龍がふと辺りを見回すと、先程まで左右にあった門は何処かに消えていた。

辺りには、乗り手を無くした軍馬のいななく声と蹄鉄の音が、遠くから吹いて来る秋風の音と一緒になって、淋しく流れているだけだった。

宇龍は茫然とその場に立ちすくんでいた。


少し離れたところから、海燕はその様子をじっと見ていた。

実際は、驚きと混乱のため動くことが出来なかったのだ。

一万人の兵士をあっという間に消し去ったあれは何だったのか。

今まで、あのような物を見たことも聞いたこともなかった。

『宇龍はあんな恐ろしい物をいつ手に入れていたのだろう?

まさか、隊長は化け物になってしまったのではないだろうか?』

そう考えながら見る宇龍の背中は、底知れなく恐ろしいものに見えた。

しかし、今はじっと息を殺しているしかなかった。

海燕は、かつて経験したことのないものを目の当たりにし、恐怖で動揺しながらも、努めて冷静になろうとしていた。

『あれは一体何なんだ。

どうすれば良いんだ。

これから何をどうすれば・・』

困惑しながらも、海燕の頭の中にはある不安が生まれていた。

『宇龍は化け物のごとき力を持ってしまった。

このままにしておいていいのだろうか?』

『この先あの力を自由に使われたらどうなるのか。

宇龍がその気になれば国を滅ぼすこともできるだろう。

人々は その家族はどうなる?

皆吸い込まれ、消されてしまう。

それを止められる者は誰もいない。』

どの位そうしていたのだろう。

動くに動けない状態が続いていた。

彼の頭の中で不安感はどんどんふくらんでいった。

『あの力を奪わなくてはならない。

でもどうすれば良いんだ。』

海燕は懸命に集中した。

『いやっ 待てっ』

その時海燕は何かを感じ取った。

懸命に落ち着いて宇龍の様子を観察してみた。

『もしや 空きだらけではないか?』

それは、かつて見たことのない無防備な後ろ姿のように見えた。

戦場を駆け回り、敵を震え上がらせていた宇龍とは明らかに違っている。


実際のところ、宇龍は精魂疲れ果ててしまい、立っているだけで精一杯だった。

陀院の死から立ち直りかけた途端に、朱鞠を死なせてしまい心の拠り所を亡くしてしまった。

自暴自棄となり戦ってるうちに、信じられないような不思議なことが次々と起こった。

どうしてなのか、当事者でありながら何も説明がつかず、何も整理出来ないまま終わってしまった。

精神が混乱し防御体制をとるどころではなかったのだ。

いわば思考が停止している状態だった。


突然、海燕の脳裏に閃光のようなものが走り、一つの考えに達した。

『今なら、宇龍を殺して力を封じることができる。』

そう思った海燕は、刀を抜き宇龍の背後から静かに近づいた。

その時、海燕は古くからの友人を手にかける悲しみよりも、友人が持つ強大な力に恐れを抱いていた。

もし妻や子供があの石に吸い込まれてしまったらと想像すると、彼の心から躊躇する気持ちは無くなっていた。

いかにして宇龍を間違いなく殺せるか、彼の心はその一点に定まっていた。

海燕は、凶暴な獣を狙う猟師のように、足音を忍ばせ背後から近づいていく。

宇龍はその気配に気付いていなかったようだ。

そして、宇龍との間合いに入った海燕は、魂心の力で背中から刀を突き立てた。

剣先は宇龍の心臓を貫き、確実な致命傷を与えた。


刀を引き抜いた瞬間、宇龍が振り向き二人は眼を合わせた。

ずっと前から友として信頼し、お互い手を取り合って戦ってきた。

その友を、今自分の手で殺さなければならない。

妻から、今度は自分が宇龍を助けるよう言われて来たはずが、自分の手で殺すことになってしまった。

海燕の頭には、長い付き合いの中でお互い笑い合ったり苦しんだりした時の宇龍の顔が、次から次へと思い出されては渦を巻いた。

宇龍の命を奪ったことで、

海燕は、自分で自分の人生を奪ってしまったかのように思われた。

その眼からは自然と涙が溢れ出ていた。

「すまない こうするしかなかった・・」

振り向いた宇龍の眼は、かつて見たことがないほど優しげだった。

そして、息をするのさえ苦しいはずなのに何かを言おうとした。

「いいんだ これで・・」

後は何かをつぶやいたが声にならなかった。

鍛えあげられた巨体は、心臓の鼓動を止め、そのまま草むらに倒れ込み動かなくなった。

宇龍の最期だった。


戦いの後、

海燕は宇龍の亡き殻や辺りを懸命に探したが、石は何処にも見当たらなかった。

平原には、何時にも増して虫達の泣き声だけが、哀しく流れているだけだった。《終》












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