第5話 初めての魔法 3
「《炎》」
杖を握った右手を前に翳して唱えた。すると何の抵抗も無く、杖先にスルスルと魔法陣が書かれていく。今までの苦労は一体なんだったんだと思う程あっさりできあがった魔法陣は、ぽっ!と音を立てて一瞬で小さな炎に変わった。
「できた……。」
揺らめく炎を見つめて呟いた。あまりにも簡単にできてしまって、感動よりも脱力感の方が強い。
1週間何してたんだろ、俺。
溜息を吐き肩を落とすと、突然頭の中に声が響いた。
『よし!解析完了!』
レオ兄さんから杖を受け取ってからずっと黙っていたシエルだ。落ち込んでいるのかと思っていたが違ったらしい。
「は?」
『その杖のスペックだよ。杖のランク自体は下級だけどかなり良い品だね。素材も良い物を使ってるし、作りも丁寧。魔法使いを目指す子供が練習用に使うならこれ以上の杖はそう無いよ。今は一般的な初級魔法しか刻まれて無いけど、素材が良いから僕ならいくつか中級魔法も使えるように改造できる。しばらくはこの杖で十分だね。』
「へぇ。…なあ、そもそも杖って?」
この世界における魔法使いと杖の関係とは。ふと気になってシエルに聞いてみる。どうやらシエルは今まで使ったことがなかったらしいので、杖が無ければ絶対に魔法が使えないという事はないのだろうけど。
この辺のシエルの認識は少し不安だが、とりあえずそれは置いといて。
『杖は魔法を使いやすくする為の補助道具だよ。一応杖が主流だけど、必ずしも杖の形である必要は無いんだ。効果としては魔法の発動が速くなったり、必要な魔力が減ったり、威力の向上、多重展開などなど。素材や作り手の腕次第で色々変わる。』
「ほうほう。」
『杖に限らずこういった魔道具には、必ず触媒となるものが埋め込まれているんだ。大抵は魔物から採れる魔石が多いんだけど、時々魔力を多く含んだ天然石なんかも使われる。そういうのは価値がかなり高いし、性能も癖が強くて使いにくい。けどその分使いこなせれば最上級に匹敵するらしい。で、その触媒にはあらかじめ縮小された魔法陣が刻んであって、使い手が魔法を使おうと杖に魔力を流すと、自動的に正しい魔法陣が起動する仕組みになってる。』
へぇ。なるほど。あらかじめ書かれた魔法陣を使うから、わざわざ魔力で魔法陣を書かなくてもいいのか。それは便利だ。
手に持った杖をまじまじと見つめる。軽くて持ちやすい真っ直ぐな杖だ。先端に付けられた水晶玉の様な物が、おそらく触媒の魔石だろう。見た目では魔法陣が刻まれているなんてまったくわからない。
確かにあらかじめ書かれた魔法陣に魔力を流すだけなら、わざわざ自分の魔力で陣を書く必要なんてないよな。
「なぁ、シエル。こんな便利な道具があるなら、どうしてお前はわざわざ自分で魔法陣を書いてるんだ?」
『レンのその疑問はもっともだ。…確かに杖があれば簡単に魔法は使えるけど、僕には自由度が足りないんだよね。』
「自由度?」
『そう。杖を使った魔法はあらかじめ刻まれた魔法陣を使うから、咄嗟に魔法を変えることが出来ないんだよ。決まった魔法を決められた通りに使うだけ。それに触媒に刻める魔法陣の数も限りがある。逆に杖を使わない魔法は、自分で陣を書く所からだから手間はかかるけど、術式を自由に変えられるし、慣れれば別の魔法を同時に使う事もできる。』
魔法の可能性を知りたかったシエルには、使える魔法が限られる杖は合わなかったってことか。そしてまったく補助道具に触れてこなかった結果、補助道具の存在を忘れて初心者の俺に上級者向けの方法を教えていたってわけね。
…こんなんで案内役が務まるんだろうか。
あの妙な男に無理矢理押し付けられたとはいえ、一応、仮にも案内役。こんなにも常識がズレているなんて、先行きが不安になってきた。
『…よし。レン、もう1回杖無しで魔法を使ってみてくれないかい?』
「はぁ?あんだけやってできなかったんだぞ!?」
『いいからいいから!騙されたと思って!』
唐突なシエルの言葉に思わず目を剥くが、お願いっと騒ぐシエルに渋々杖を置いた。
「…仕方ない。1回だけだぞ。」
こうなったシエルは止められない。一度くらいならいいかと仕方なく諦めて、何度もやった様に片手を前に出し目を伏せた。体内の魔力を探り、一部を引っ張って手の平へ。
もうこれは慣れたものだ、スルスルと動いて集まった魔力を一気に外に出す。そのまま陣を書こうとして……。
ボンッ!!
「え…。はあああ!?」
『あ、やっぱり?』
…爆発した。
もう一度言おう。爆発した。
一体何が起こった!?
よし、落ち着くんだ俺。冷静に、もう一度よく思い出そう。俺はいつものように魔力で陣を書こうとした。確かに失敗するだろうと思っていたから、力んで多少多めの魔力を放出したかもしれない。でもちゃんと制御下に置いていたし、間違った事はしていないはず。
…今までは一度も爆発なんてしなかったのに。
「お、おいシエル。い、今何が起こった?何で爆発したんだ!?」
動揺を隠しきれない声でシエルに訊ねると、すぐにシエルの暢気な声が返ってくる。
『あれ。気が付かなかったの?今のは成功だよ。ちゃんと《炎》の魔法だった。ただちょっと魔力が多過ぎて、炎が爆発しちゃったけど。』
「…は!?嘘だろ!?」
『いやいやほんとほんと。ちゃんと陣も書けてたよ。』
「いや、まさか…。」
シエルはできてたと言うが俄には信じられない。だって1週間ずっと失敗し続けてきたんだぞ?多分俺には無理なんだろうなって心が折れかけるくらい失敗を繰り返し、できる気配がさっぱりしなかったのに、急にこんなにあっさりとできたなんて信じられるか。
『ならもう1回やればいいよ。それではっきりする。』
「…まぁ確かに。」
頑なに認めようとしない俺に、シエルがどこか呆れたような声で言った。
…まあ確かにもう一度やってみれば早い話だ。
頷いてもう一度魔力を集める。今度はゆっくり慎重に。兄にやってみせた時と同じくらい気を引き締めた。
…魔法陣も大丈夫。完璧に覚えてる。魔力も十分。問題無い。…よし、いける!
書く魔法陣を頭に浮かべながら、手の平に集めた魔力をゆっくり出していく。以前ならこの時点で既に魔力が散り散りになりそうな抵抗を感じていたが、驚く事に今回は何の抵抗を無い。それどころか体外に出した魔力は消える気配を一向に見せず、体内で動かしていた時と同じ滑らかさで思った通りの形を宙に描き出す。そしてものの数秒で完成した魔法陣を、俺は呆然と見つめた。うっすらと赤い光を放っているのはきちんと魔法陣に魔力が通っている証拠。このまま魔力を流せば問題無く起動するだろう。思わずゴクリと喉が鳴った。
…これは、期待してもいいんだろうか……?
「……《炎》」
緊張で口の中がカラカラに乾いている。呼気に乗せて小さく呟いた声は震えていた。だが緊張の中にいる俺を他所に、魔力を込められた魔法陣は正常に働き仄かな赤い光を放って消える。
ぽ!
消えた陣と引き換えに、軽い音を立てて手の平の上に揺らめく炎が現れる。俺は、その炎を見つめながら、込み上げてくる喜びを噛み締めた。
「で、できた!…やった。やっと!できた!魔法だ!うわー!めっちゃ嬉しい!!」
『ほら!できてたって言ったでしょ!ああでもおめでとう!頑張ったね!』
頭に響くシエルの声も嬉しそうだ。
でも本当に嬉しい。この1週間はこの瞬間の為に生きてたようなものだからな。いやー、1週間ほんとに大変だった。起きて練習、食事後練習、寝て練習。練習練習練習。トライアンドエラーの繰り返し。ずっと集中していたから頭痛はしてくるし、本と睨み合っていれば目も疲れる。失敗ばかりで気が滅入るし、もう心が折れる寸前だった。
「…でもどうして急に…?」
『それはこれを見ればわかるよ。』
俺の疑問にそうシエルが答えると、俺の目の前に見覚えのある光る板が現れた。そう、ステータスだ。
でも1週間でそんなに変わるのか?この1週間はずっと失敗を繰り返していただけで、特訓とか何もしてないけど…。
首を傾げながら目の前のステータスを見つめる。
レン・ネノワール
種族:人族 Lv:5
年齢:5歳
職業:なし
体力:E 筋力:F 魔力:C 敏捷:E 防御力:F
状態:なし
スキル
速読 Lv:2 礼儀作法 Lv:3 念話 Lv:― 魔力操作 Lv:7 炎魔法 Lv:1
称号
「精霊の愛し子」「不屈の心」「霊媒師」
加護
『異世界神の加護』
「……?…!?……は、あああ!!?」
『あーやっぱりね。予想通りだ。』
脳内でシエルが1人で何やら納得しているが、おかしいだろこれ。
速読スキルのレベルが上がってるのはいい。確かにこの一週間、本に齧り付いていたから1つくらいはレベルが上がっていてもいいだろう。問題は新しく増えていたスキルだ。炎魔法の方はいい。ようやく念願の《炎》を使えるようになったことだし、喜ぶべき事だ。レベルも1だし、何もおかしくない。
そう、問題はもう1つの方。『魔力操作』だ。スキルが増えている事自体はいい。あれだけ馬鹿みたいに魔力をグルグルやってれば魔力操作の一つや二つくらい身に付くだろう。おかしいのはその異様なレベルの高さだ。
レベル7ってなんだ。7って……。
シエルのステータスを見た感じ、スキルレベルの最大って10だろ。多分。俺はついさっきようやく初級魔法を1つ使えるようになったんだぞ。どう考えてもありえないだろう。
「…一つだけ明らかにおかしいよな?」
どういうことだとシエルに問いかける。
『どうやらレンは魔力の扱いにとても長けているみたいだね。ほら杖無しでもレンは半分くらい魔法陣を書けていただろう?…あれ普通は無理なんだ。普通はそこそこ魔法を学んだ中級者で、ようやく体外に出した魔力を自分の意思で操れるようになる。そして陣を書く程の精密なコントロールができるのは上級者だけだ。』
「ふ、普通は無理って!おま…。」
『あはは…。そこはー…ごめん。』
笑い事じゃないだろう…!!
なんだよ!俺はこの一週間、どう頑張っても無理なことをずっとやってたってのか!?
『え、えと……ま、まあまあ!結果オーライ?ってやつでしょ?…あーえっとっ……そ、そんなわけで!その状態で半分でも陣を書けてたレンは凄いってこと!…多分失敗の原因は、レンの魔法領域に《炎》の魔法陣が記憶されていなかったからかな。』
「?…どういうことだ?」
『魔法を補助道具無しで使うには、一度実際に描かれた魔法陣を使って魔法を発動する必要があるんだ。一度やってみることで自分の魔法領域に魔法陣が記憶される。そうやって記憶すると、魔法を覚えたってことになってスキルが増えるわけ。』
「…それってつまり、そもそも俺は最初からできるはずの無いことをずっとして来たって事だよな?この一週間!ずっと!……どうしてお前はこんな大事な事を…!!」
あまりのショックと怒りに震える。
シエル…!お前ってやつは!!どうしてそんな大事な事を忘れてるんだよ!!
『…本当にごめんなさい。……でも本当に何で忘れてたんだろう?』
心底不思議そうにシエルが呟いた。
…確かに考えてみればあれだけ魔法に執心だったシエルが、基本の事を忘れているとは考えにくい。
『……やっぱり封印された影響なのかな?でもきっかけさえあれば不思議なくらい簡単に思い出せたんだよね。今まで忘れていたのが不思議なくらい。…どうしてだろう?』
「いや、俺に聞かれても…。」
『…そうだよね。』
うーん…とシエルが唸る。
『…まぁ、今考えても仕方が無いか。』
よし!じゃあ杖も手に入った事だし、どんどん魔法を覚えようか!大丈夫!レンならすぐに終わるよ。
一転して、シエルは明るい声を上げる。そんなシエルの声に促されて、俺は杖を拾い上げ握り締めた。
☆★☆★☆
あれから3日……。
この3日で、俺は杖に刻まれていた初級魔法を全て使えるようになった。本当に杖無しでやろうとしていた時と比べ、驚くほど簡単に事が運ぶ。
初級魔法だから、魔法の発動に複雑な事はいらない。杖を握って頭に使いたい魔法を思い浮かべながらただ魔力を流すだけだ。それでうまくいく。初級魔法の数が多くて3日もかかってしまったが、成果のなかったあの1週間に比べたら些細な事だ。
その3日後のステータスがこちら。
レン・ネノワール
種族:人族 Lv:6
年齢:5歳
職業:なし
体力:E 筋力:F 魔力:C 敏捷:E 防御力:F
状態:なし
スキル
速読 Lv:2 礼儀作法 Lv:3 念話 Lv:― 魔力操作 Lv:7 火魔法 Lv:3 水魔法 Lv:2 風魔法 Lv:3 土魔法 Lv:2 光魔法 Lv:2 闇魔法 Lv:1
称号
「精霊の愛し子」「不屈の心」「霊媒師」
加護
『異世界神の加護』
どうやら俺の魔力には癖が無いらしく、どの属性の魔法も使えるようだった。シエルによると体質で、ある属性の魔法が一切使えなかったり、逆に特定の属性は威力が上がったりすることもあるらしい。全ての属性が使えるのはとても珍しいんだとか。
そして今は杖を使って覚えた魔法を、杖無しで使う練習をしている。最終的には陣を自分で書き換えて、自由自在にコントロールする事が目標だ。魔法陣を書き換えることは、常に暴発の危険を孕んでいるのだが、いざとなればシエルがなんとかしてくれる。だからそこは心配ない。
ふよふよと目の前を拳大の水球が横切って行く。
今、この部屋の中にはいくつもの水球が浮かんでいた。この水球は初級魔法の《水球》だ。この魔法はただの水の塊を出すだけで攻撃力も何も無い。何の役に立つのかさっぱりわからないが…。
俺はといえばこの無数の水球を制御しながら、目の前の水球を魔力操作だけで初級魔法の《泡》に変えようとしていた。初級魔法だけあってこの水球は脆い。ちょっと力加減を間違えただけで、砕けて消えてしまう。かなり繊細なコントロールが必要だ。しかも他の水球を制御しながらだから、想像以上に難しい。
むむむっと俺は唸った。ただ1つの水球を泡に変えるだけなら簡単なんだが、他の水球の制御を同時に行うとなるとなかなかうまくいかない。
目の前の水球はぐねぐねと形を変えているだけで、一向に泡にはなりそうになかった。
「うぐぐぐ……。」
唸って少し力を込めた時だった、水球は一度ぐにゃりと大きく形を変えると、ぱしゃりと音をたてて砕け散った。水球が壊れた事で一気に集中が途切れた俺は、溜息を吐いて他の水球も消すと後ろに倒れ込む。
「あー…。つっかれたー……。」
『お疲れ。もう少し力を抜いた方がいいかな。レンは力みすぎ。もっとふわっとした感じで…。』
「わかってるんだけど…。」
制御と同時にこなすとなるとなかなかうまくいかない。でも水球を泡に変えること自体はできるんだから、もう少しでできそうな気がするんだよなぁ。
「ふう……よし!もう1回!」
『頑張れ、レン!』
俺は気合を入れ直すと、起き上がって再び魔法を発動した。瞬時にいくつもの水球が部屋の中に浮かび上がる。その中の1つを指先で呼び寄せて、さあやるぞ!と思った時に部屋の入り口からこちらを覗く緑の瞳に気が付いた。
思わずぴしりと固まる。向こうも視線が合ったことに気が付いたのか、そろりと部屋に入って来た。その人物は瞳をキラキラと好奇心に輝かせてこちらを見つめる。
「おにいさま。おにいさまは…魔法使いだったのですか!?」
ヘレナは興奮気味に訊ねた。
「え、まぁ、少しだけな。」
きらきらと向けられる期待と尊敬の眼差し。
うっ…。気まずい……。
「そんなに珍しくないだろう?兄さん達だって使えるだろうし。」
レオ兄さんだって俺に杖をくれたんだ、魔法を使うだろうし。噂で聞いた限りルーカス兄さんだってできる筈だ。
「初めて見ました!魔法とはこんなにきれいなんですね!」
は、初めて見たのか…そっか……。
妹から向けられる期待の眼差し。これはもしかしなくても何かしてくれって事なのか…。
『いいんじゃない?何かやってあげたら?』
でも、俺だってそんなにすごいことができるわけじゃないし…。
『僕も手を貸すし、フォローもするから。』
ヘレナの期待には応えてあげたいし、まぁシエルがそう言うなら万が一もないだろう。
そんなに大した事ができるわけではないが…。
腹を括った俺は指を指揮棒の様に振って、部屋に浮かべていた水球を操ると、ヘレナの周りをクルクルと回す。
「うわぁ!すごい!すごいわ、おにいさま!」
クルクルと回っていた水球にシエルが魔法をかけ、ただの球から魚の形に変える。水の魚達はまるで生きているかのように部屋の中を泳ぎ回った。更に俺は光魔法で部屋の中をまるで水の中の様に変える。
「えっ!?」
突然部屋の景色が変わったことにヘレナは目を丸くしている。それを見ながら俺は亜空間からいくつかの花の種を取り出した。ちなみにこのアイテムボックスはシエルの物で、開閉もシエルが行っている。
「《成長》」
種から一気に色とりどりの花になったそれを、風魔法に乗せて飛ばす。ヘレナの視線も宙を舞う花たちに釘付けだ。
『よし!じゃあこれも。《作成》』
シエルが新たに植物を育て、それで兎の土人形を作った。材料が植物だからか飾り気のない土人形と違い、所々に花を咲かせた可愛らしい兎は、文字通り生命を吹き込まれて元気にヘレナの周りを跳ね回る。愛くるしいその姿に益々ヘレナは瞳を輝かせて喜んだ。
泳ぎ回る魚に、舞い踊る花、跳ね回る兎と随分部屋の中が賑やかになったが、どうやらヘレナの期待には応えられたらしい。
よかったよかった。
ほっと胸を撫で下ろした。