第四十話 ドレスは何色が好きですか
翌朝。
エレナはその日初めての苦痛を味わっていた。
王都で一番とうたわれるお針子、レディクレアがアシュベルの部屋でエレナのドレスの色を選んでいる。
彼女の助手らしき女性たちが次々と布を持ち込む。
「それはだめだ、目立ちすぎる、もっと地味なものを」
アシュベルの指示にお針子が眉根をひそめる、当然だろう、王家主催の夜会のドレスを繕って欲しいとの連絡を受け、他の仕事を投げ出してやってきているのに先ほどから駄目だしばかりだ。
夜会に出た経験のないエレナには口出しをする資格はないとして、黙ってみているしかなかった。
エレナは生地を当てられるため動かないように指示され、どのくらい時間が経ったかもわからない。
「この暗めの色でしたら気品も保ちつつ、目立たないかと・・・」
お針子もかなり疲れてきている、先程からエレナにあてられる布は数十枚は超えている。
次々と駄目だしをしてくるなか、それでも彼らが辞めないのは相当な金額を上乗せしてあるに違いなかった。
そもそも王都でレディクレアの名を知らないものはいない、当然この時期令嬢たちのドレスの仕上げを大急ぎで行っている、そんな最中アシュベルの依頼を受けたのは、それが王都で一番の貴公子で容姿端麗で名高い彼の姿を間近に見るためだ、そして高額の礼金。
助手が数少なくなってきた布を選別し、エレナの体にあててみる
「待った」
お針子の助手がエレナにあてた生地をじっと見つめるアシュベル。
「これは薄いチョコレートブラウンですが、光沢のある生地なりますので地味過ぎず華やかさも演出できます、ただこの生地は輸入物になりますので、かなりお値段がかかってしまいますが」
アシュベルが頷く。
「明日の午後までに仕上げてくれたら金額を上乗せしよう」
「あ・・す?」
これは到底無理な話だ、夜会に向けて貴族の令嬢たちがレディクレアに多くの注文が殺到している。
「大変申し訳ございません、確かに王家主催の夜会用ドレスのご注文とお聞きしておりましたが、現実的に考えると今からご用意することは出来かねます、こちらの判断ミスです・・・」
するとアシュベルの家臣がレディクレアに近づき耳打ちをする。
「え!あら、まぁ、そんなに・・・!!」
途端に彼女はドレスの注文を受ける事を承諾した。
レディクレアの急変にエレナが不審に思う。
「レディクレアは何に驚いているの?」
「んー、大人の話だよ」
アシュベルは答えてくれたがエレナには理解できなかった。
その後レディクレアは、お針子の助手に命じて、てきぱきとエレナの体のサイズを測り、広げた布地を回収し撤退していく。
「もう動いていいよね、疲れたわ」
身動きできないことがこれほど苦しいとは、体がうずうずする。
剣で素振りをしている方が百倍ましだ、とエレナは思う。
「ヒメちゃん大変なのは明日だよ、今日のが優しく感じるから」
これより疲れる事があるのかと思うとエレナはうなだれる。
「じゃあ、リュカと合流して見回りする場所を兼ねて城を案内するよ」
部屋にこもりきりだったエレナは、やっと解放される喜びとともに急いで身支度をするとリュカの部屋を訪れ彼を強引に外へと引っ張り出す。。
アシュベルの後ろをエレナとリュカが付いていく
城は広大な広さを誇っており、様々な建物もあった。
それらは回廊で繋がっていたが、まだエレナ達には全容が見えてこない。
所々に庭園があり、場所ごとにそれも植えられている花が違い、噴水のある庭園は見事で小鳥たちがさえずっている。
城は静かすぎるくらい静かだった。
「今東門の左横の塀が崩れかかっている、業者が城で作業にかかっているんだ、衛兵が見張っているがその様子を我々も監視しにいく。」
そう言いつつ緑で覆われたレンガの壁づたいに真っすぐに進んで行く、その時。
アシュベルを始めとしてエレナリュカ、それぞれを覆うように光のベールのようなもの現れ、彼らの視線は壁の曲がり角から通りがかった人物に集中した。
次の瞬間そのベールは細かく砕け散るように空へ消えた。
「セーデル宰相」
アシュベルが呟く。
一食触発とはこの事か、皆に緊張が走る。
セーデルの後ろには側近らが付いてきており、その一人が怪訝な顔で首を捻る。
「今、何かが光ったように見えたのですが・・・」
アシュベルの赤い瞳がセーデルを捉えている。それを知ってか知らずかセーデルは側近の者に先を急ぐ旨を伝える。
それを目で追いつつ、彼の背中に向かってアシュベルが少し大きな声であいさつの様に言う。
「セーデル宰相、ご商売が順調だとか、景気はどうです?」
その問いに返事は返ってこない。
それでもアシュベルは満足そうに笑みをたたえる。
エレナが申し訳なさそうに二人を見る。
「ごめんなさい、セーデルの姿がちらりと見えたから思わず、」
「ヒメちゃん、今のは?」
「混沌の闇を無効化するバリア、でも他の魔法は貫通しちゃうんだけど」
それをあの一瞬で?無詠唱で魔法を具現化する、これは相当な技術を要する。
「範囲はどれくらい?」
「たぶんだけど、百人くらいならいけると思う」
その数字の大きさに驚く、光のマナをもって生まれてくる者がいないのにも納得がいく。
無限ともいえるマナの濃度を持った状態でなければ、そんな魔法は使えない。
「今のは驚いて咄嗟にやったから愚見化してしまったけど、見えないように味方に付与しておくことが出来るよ、この魔法セーデルを見た瞬間に思い出したの。」
「見えてなくても、そのバリアは有効ってことだよね、じゃあ、できるなら俺とリュカ、カリーナ、アロ、シャルルに付けられる」
「勿論、やるわ」
「ちなみに、それはヒメちゃんから離れてても有効?」
「ええ、どんなに離れてもそれは確かよ」
魔法の使い方に関して記憶が戻っている、ならば他の記憶についても思い出す可能性は十分あるが、
三千年の記憶はあまりにも断片的で、知りたいことすら思い通りに引き出せない。
ただ、一度思い出した魔法に関しては体が覚えていたのなら、その応用は簡単だ。
これはセーデルを妨害するうえで役に立つ、それに懸念していた事態も防げるかもしれない。
なによりセーデルがらみの混沌の闇に部下を危険に巻き込むのはアシュベルの願わない所だ、それも回避できるとなると、少なくとも最悪の事態は回避できる。
アシュベルは思考を巡らす。
夜会が始まるまでにはまだ十分な時間がある、
「素晴らしいよヒメちゃん、明日の夜会が楽しみだな、早速」
アシュベルを含めた三人は東門の様子と城の衛兵の配置を確認し終わった後、外だけでなく城の中の衛兵が配置されている箇所を入念に確認し、アシュベルの執務室へ戻った。そこにはアロとシャルルが既に会議を始めており、熱心に城の配置図を見て話し込んでいた。
「アシュベル様、夜会の始まる時刻には、ここにも配備する手はずは整えてあります」
「ご苦労だったな、シャルルのほうも大丈夫か」
「はいっ、入れ替えの手はずは整えてあります」
夜会についての警備だろうか、見習いでもないエレナとリュカにはよくわからない内容だったので二人は耳を傾けているしかなかった。必要ではなければここにはいないだろう、後々こういう彼らの姿を見ておくことで勉強になるのかもしれない、二人は邪魔をしないよう聞き耳をたてている。
トントン
軽いノックの後、そこにいる全員が扉に注目する。
開かれていた地図やメモをアロが素早くまとめる。
突然扉が大きく開かれ、走ってきたのだろう呼吸の乱れているカリーナが立っていた。
「カリーナ、お帰り!近衛隊のこと子爵様はどうだって??」
息も切れ切れに彼女は大きな旅行鞄からドレスを引き出す。
「わたし、成人してるから今回の夜会には出席しなくちゃいけないらしくって・・はぁ。つかれたよー」




