第三十七話 兄弟の結婚に祝福を
※※※※※※ ※※※※※※※ ※※※※※※※※ ※※※※※※
家臣らしき男から手紙を受け取ったアシュベルは、かなり上機嫌だった。
それはいつもの彼らしくもあったが不思議と違和感を感じエレナが駆け寄ってくる。
「どうしたの、アシュベル、なにかあった?」
直球で問うエレナにアロは羨ましさを覚える。
「ああ、あったとも!兄が結婚をするんだ♪」
アシュベルの返答にアロはぎょっとなる。
近衛隊に配属されてからアシュベルに関する情報は把握しているつもりだった。彼は兄弟たちとの交流を完全に絶っていたはず、それなのに何故その兄の一人から手紙が送られてくるというのか、しかも私的な内容の。
「お兄様が?それは素敵な知らせね、おめでとうございます!」
「ありがとう、俺もとても嬉しいよ、兄は今年34歳にもなるんだが独り身を貫いていてね、少々心配していたんだ、」
独り身を貫く?アシュベルの兄たちはもう結婚をしていてもおかしくない歳をしているが、それは本人たちが願っているわけではない。オーギュスト公爵の嫡男として父から指名され、その財産の一切はアシュベルのものとする、そう言われ、財産の見込めない兄達には世間の待遇は冷たくなっていた。
商才でもあればオーギュストの名のもと、多少の資産はあったかもしれないが、彼らにはその資質はなく今も親のすねをかじるだけの細々とした生活を強いられていた。
「本当に感慨深いよ、兄たちが結婚を承諾してくれて」
アシュベルの言葉にますますアロの顔が歪んでいく、はたから見ると彼の顔は誰もが見たことのない間の抜けた顔になっていた。
兄たち、とアシュベルは言った、そして承諾、とも。
これはただの結婚の報告ではない、そうアロは判断する。
この件に関してアシュベルが一枚かんでいる、と。
「まぁ、お祝い事は重なるものね!」
嬉しそうな笑顔を向けるエレナの頭にアシュベルの手が伸びる。
その手は白銀色の髪に触れ、緩やかに落ちてゆく。
少し気恥しそうにエレナはアシュベルを黒く輝く瞳で見返した。
セーデル、今頃少しはその涼しい顔を曇らせているか。
これはほんのお返しに過ぎない、アシュベルは表情を変えずに思いめぐらす、彼への怒りとともに。
岩塩鉱山を持つ領主らを買収したベルナールド商店はアシュベルの持つ商店のひとつ、それを知る者はほとんどいない。彼が人を信用したことがなかったおかげか、複数の商店を才覚だけで自由に動かすことが出来た。家柄と関係なく動かせるそれは、彼にとってはゲームにしか過ぎなかったが、その才覚ゆえ思いのほか成果を上げる結果となり、今やグラディス王国のなかでも大手の商会になっていた。
商店や商会のリストにアシュベルの名はない。
今までは名を伏せ偽名を使っていたが、それが功を奏してセーデルからは目を付けられずにいた。
アシュベルもこれまでセーデルに興味はなかったが、エレナを狙う者として彼の調査を行った、その結果セーデルの財源の源が岩塩であることが判明。どういう経緯で3領主から契約を取り付けたか、さらに深く調査を入れるよう家臣に命じていた。
家臣から深夜に文書を秘密裏に受け取り、それが判明した時アシュベルは笑いをこらえるのに苦労した。
あまりに稚拙な手法、としか言いようがない。
その文書には、領主たちへの契約金はわずかばかり、王女の後見人としてのセーデルの名を振りかざし恐怖で彼らを煽り取り付けた、とある。なるほど今のセーデル・クリフトフに逆らうものは今はこの国でいないと言うわけだ。
セーデル公爵の敵とみなされれば消されるという彼の黒い噂も、契約する際大いに後押ししたことだろう。
事実クリフトフ公爵の爵位を継ぐには縁遠いと思われていた彼の立場は、親族の病気や事故死などが重なり訪れた、それこそ彼にとっての幸運が重なった結果、のように見える。
セーデルが宰相の地位に着き、彼に異を唱える者は何故か不遇の死を迎えている。
それを敢えて追及する者はいなかった、自身の命を賭してまで彼に歯向かうのはあまりに不利益が大きすぎたから。
それ故セーデルが宰相の座に着き、内乱が起ころうと隣国との衝突が起ころうと、彼の地位は揺らがなかった、今までは。
ならば、俺がその最初の反逆者となり俺のゲームに引きずり込んでやる、アシュベルは文書を蝋燭で燃やしながら考える。一番初めは華々しいものがいい、俺を蔑んできた兄の結婚を祝福してあげよう、一番岩塩鉱山を所有しているルーベンス卿には年頃の娘がいたはず、いい縁談が用意できる。
秘密裏に長男であるミシェールに文書を送る。
父上の死後アシュベル・オーギュストがその爵位を継いだ後、すぐにでもそれを貴殿に全て譲る用意がある、と。それと同時にその遺産は他の兄にも分配されること、父上をはじめすべての者にこの契約を明かさないこと、それが条件だと兄たちに突きつけた。
オーギュスト家には古くから受け継がれている骨董品の数々が屋敷の奥深くに眠っている、それは彼らが喉から出る程欲しい代物だ。アシュベルの祖父はかなりの目利きで、骨董商で莫大な財産を得るまでに成りあがったという話を聞いたことがる。
その経緯をメイドや使用人から聞いた噂話ではあったが、と父上よりは祖父の血ほうがアシュベルには濃く受け継がれているといえるだろう。
さて、ルーベンス卿の他にゼイン、シャマリフト領主にも娘はいた。
オーギュスト公爵の血縁である兄達にはそれらの女性と結婚をするという提案を財産の分け前を理由に承諾させた。
その結婚という強い絆により小さな領土を持つ領主たちは確実に目に見える好条件の契約に心動かされないなずはなった。
さらにアシュベルはセーデルのあくどい契約内容を検討し、改善点をまとめ領主たちに当然彼らが得るべき報酬を提示する。もしセーデルが領主たちを暗殺をもくろんでも、オーギュスト家との強い繋がりができた今、迂闊に手は出せない。万が一それが表ざたになれば、国内最高峰の財力をと権威を誇るオーギュスト家を敵にまわしてしまうからだ。
そのことを踏まえるとセーデルが再びその土地を受け継いだものと契約を果たすのは困難だといえるだろう。
だが、これはほんの始まりに過ぎない。
セーデル、お前如きがエレナを狙うなど、わが身の不幸を思い知ればいい。
彼女はお前のような汚れ切った手で触れていい方ではない。
その華奢な体に二つのマナを宿し、三千年の記憶とともに命を賭し世界を護ろうとしている少女。
その宿命に抗うことなく進み続けるあの強さ、神々しさ。
その行く手を邪魔する者は誰であろうと容赦はしない。
まずは挨拶がてらセーデルにサプライズを届ける、それはうまくいったようだ。




