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深淵のエレナ  作者: ロサ・ピーチ
第一章 悠久の時を超えて
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第三十六話 眠れる獅子は目覚めて牙をむく

  ※※※※※※    ※※※※※※※    ※※※※※※※※    ※※※※※※


「なん・・だと?」


薄暗い部屋で男がわなわなと怒り震えた声が絞り出すように言葉を吐き出す。

机には蝋燭が灯され、机の上の高価な調度品とそこに座る男の青白い姿を浮かび上がらせている。

真向かいに家臣と思われる青年が、滲み出る汗を額から流しそれを吹こうともせず微動だにしない、それが緊張と恐怖の表れだとうかがわせる。


ダンッ!!


机を拳で叩きつけるその音に青年が思わずのけぞり、あと一歩のところで尻もちをつくところだった。

「アシュベル、やってくれたな・・・わたしの事業に手を出すとは」

低く唸るように男が呟く。

それでも怒りは収まらず、机の上に広げた書類を思い切り叩き落とす。

書類がバサっと舞い上がり床中にはらはらと散っていく。

それを拾いながらなんとか気を落ち着かせようと青年は呼びかける。

「セ、セーデル様・・・」

だが、セーデルの耳には彼の声は届かない。


アシュベル・オーギュスト。

セーデルは彼のその類まれな資質から危険視はしていたものの、成長するにつれその関心は薄れていき、ついには資質の無駄遣いの愚か者だと思っていた。

火のマナを持ち、兄たちがいるなかオーギュスト公爵家の跡継ぎに指名され、大いなる危険因子になりうる可能性があったが、アシュベルは家を出て軍に入り政治的関与は一切してこない。

それどころか全てを手に入れるだけの資質と財力と容姿を持ちながら、それらを忌み嫌うような行動すらとることもある、老齢なセーデルの目から見て、アシュベルの生き方は投げやりにすら思えた。


だからこそ、セーデルの抹消リストからは消えていたというのに。


眠れる獅子は目覚めて牙をむく。


その獅子を目覚めさせてしまったのは己か、セーデルが怒りにおののきながらもその愚かさに自嘲する。

自身の目的はまだ果たされていない、それどころか光のマナを持つエレナが覚醒してしまった。彼女とはいづれこうなることは予想していた、自らの目的を果たすために命を賭して相対することも。

だが、厄介な人物が介入してきた、これは想定外だった。


ここまで時間がかかってしまうとは、人間の悪と善はセーデルにとってもっと操りやすいものだと思っていた、実際それなりの成果は出せている、国内は内乱が絶えず、隣国との小競り合いも増えてきた、そう、あと一歩のところで、なぜか人は踏みとどまる。


世界大戦へあと一歩。


この国を先導し8年間かけて先導し続けてきた、その人類終焉の日へ。


そのためには地位もいるが財力もいる、王女の後見人となってセーデル・クリフトフの名には箔が付き、クリフトフ公爵家の爵位も重なって事業を思うがままにできる立場になり、それを邪魔する者たちには辺境に追いやるか、死をもたらしてきた。

グラディス王国は海と山に恵まれた資源豊富な土地を持っていた、おかげで隣国の必要とする物資を輸出させないよう裏から手をまわし、この数年で隣国との亀裂は大きくなってきている。


「どの領主だ、」

沈黙を破り、セーデルが家臣へ問う。

「は?」

「岩塩を他の商人に売ったのは、どの領主だと聞いているのだ」

その問いに家臣は彼から目をそらし答える。

「ルーベンス卿、」

領主の名を口にし、家臣が口ごもるのを見てセーデルが眉根をひそめる。

ルーベンスは一番岩塩の採れる土地を持つ領主、それだけでも痛手だというのに、まだ何かあるのか。

「ル、ルーベンス卿をはじめ、ゼイン領主、シャマリフト領主、これらの方々が皆ベルナールドという商店と今後の掘削及び売買契約を結んだとの報告がありました」

3領主が?その答えにセーデルは耳を疑う。

「それではすべての領主が我が商会から寝返り、その聞いたこともないベルナールドとかいう商店に鞍替えしたというのか」

セーデルの口から出た言葉は目の前にいる家臣にではなかった、あまりにも荒唐無稽な出来事を反芻し、事実を受け入れるための時間だった。

3領主はそれぞれ小さな土地を持っている、しかしその土地には岩塩鉱山という貴重な資源が豊富に眠っているのだ。しかし、彼らにはそれを掘削するだけの財力は持ち合わせていない、そのためその権利を財力のある貴族や商人に売り生活を成り立たせていた。

その権利の中には領地を守るという文言も入っている、ともすればその土地を巡り争いが起こってしまう、それを防ぐため領主は世間的に力のある者と契約をする、それが一般的だった。

この国においてセーデルの名は、力がある者として最も近しいと言えるだろう。そのわたしを差し置いてグラディス王国の全ての岩塩を押さえる事が出来るものなど・・・。


「さきほど、アシュベル・オーギュストの代理でその交渉をした者がいると言ったな」

蝋燭の明かりの向こうで青白い顔が家臣に向けられる。

「はい、ミシェーレ・オーギュスト様が直々に赴かれたと聞いております。」

ミシェーレ・・・確かオーギュスト公爵家の長男だ、アシュベルは兄弟らと縁を切ったと聞いている。セーデルが不審に思う、長男でありながら公爵の位を末の弟に取られ、名声を上げるアシュベルに言い寄るも突き放され内心では快く思ってないはず、だと。


確かなのは、アシュベルが次期女王となる王女の後見人であるセーデルの手から、最も価値のある資源をかすめ取っていったという事実。


岩塩はセーデルの財力の源だった、自身の財力を脅かすほどの大物を、露にも気にかけていなかった者にあっさりと奪われてしまったのだ、まるで嘲笑うように。


もっと自分の勘を信じておけば、このような事態は回避できたかもしれない。

アシュベルはやはり危険因子だったのだ。

ならば。


エレナ嬢ともども地獄に叩き落すだけ。


「目的を果たすまでは誰にも邪魔はさせない」

血を吐く様に呪いの呪文を唱える様にセーデルは呟く。

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