第二十六話 雨音の調べが導くのその先
アシュベルは先ほどのエレナの姿を思い浮かべながら、外に出る。
教官の寝泊まりする部屋は別棟にある、そう遠くない距離だが、今のエレナから離れるのは不安があった。
また一つ疑問が増えた、エレナの傷が全て綺麗になくなっているいう事実。
光のマナが覚醒したエレナは確か治癒はできない、そんな感じの事を言っていた。
ポツリ
「雨か」
小さな雨粒がアシュベルの大きな掌に落ちる。
上を見上げると薄い雲が空を覆っていた。
何かが腑に落ちない。何かを見落としている。あの薄い雲の様に心が晴れない。
足早にアシュベルの部屋の棟に向かう。
何かが遠のいていく。
俺は勘がいい、信じろ、研ぎ澄ませ。
棟に着くころには雨は本格的に振り出していた。
アシュベルは振り返る、雨の音しか聞こえてこない歩いてきた道を。
胸がざわつく。
誰かの言葉だ、それが引っかかっている。
――――――― そう、あれはリュカの言葉だ。
『エレナは恐らく自身が光のマナを有していると知らなかった、じゃなければ暴走の危機の時に
我々に話すか、立ち去ることを考えるんじゃないでしょうか』
まさか、ハッとうつむいていた顔を上げる。
エレナの性格を考えると有り得る。
全力でエレナの部屋に向かって雨の降りしきる地面を蹴って走り出すアシュベル。
辿り着いた先、エレナの部屋の前には警備兵が二人立っている。
息を整えつつ警備兵に問う。
「部屋に異常はないか」
「いえっ!特別何も・・・」
慌てたように警備兵が顔を見合わせ確かめ合うように答える。
「そうか」
念のため、そう念のためだ、自分にそう言い聞かせ扉をノックする。
「ヒメ、」
しかし、中から返事は返ってこない。
ノックする音が強くなっていく、寝入っているだけかもしれないが確かめずにはいられない。
「ヒメ、少しでいいから、話をしたいんだけど」
やはり、返事はない。
リュカの言葉が頭を離れない。
思い切って扉を開く、そして、自分の勘を思わず呪う、何故ならそこにエレナの姿はなかったから。
部屋の窓が開きっぱなしになっており、雨が室内が入ってきている。
ベッドには慌ただしく着替えたであろう痕跡が残されていた。
この部屋は二階、しかも各所に警備兵、衛兵を配置してある。先ほど到着した第一近衛隊もその半数をアロが警備にあてている筈だ。
何処かで見つかっているのでは、と考えるもそれは自身にすぐに却下される。彼女のあの身軽さを考慮すれば既に訓練場を出ているのは自明の理だ。
「お前たちはこのまま、ここで待機。室内の事は誰にも話すな」
アシュベルは警備兵にそう言い厩へ向かった。
「アシュベル、何故あなたがここに?」
厩にはアロが居た。
近衛隊を配置してきた帰りだという、相変わらずぬかりのない男だ。
「いや、アロお前誰かが訓練場を出て行くのを見ていないか」
この周辺を馬で廻って来たのならこの男は見逃さない、もしやと思い冷静を装いアロに問う。
「誰か、ですか。訓練場を出た者を私は見ておりませんが、誰かを探されているのですか?」
「気にするな、少々セルで外に出る」
見透かすように答えるアロに短く会話を切り上げる、へたに聡いこの男と話をするとこちらの意図を探り当てかねない。
まだ問いただそうとするアロを振り切りセルに乗ると、訓練場の門に向かって走り出す。
雨が激しく振り続ける。
こんな中を弱った体でエレナが走っていると思うと胸が締め付けられる。
何故あなたは一人で俺の前から消えようとするんだ。
何故一人で抱え込もうとするんだ。
分かっている筈の彼女の気持ちを責めずにはいられない。
道が分岐する地点、彼女が向かいそうな場所・・・手綱を引いてセルを止める。
どちらだ、南か北か、どこかは聞いてないが彼女の故郷は最南端の村だと言っていた、ならば。
セルを南の方へ誘導しようとする、がセルは言う事を聞かない。珍しく主の命令に背き足踏みをして
主張をしているように思えた。
こいつ、もしてかして・・・。
「お前、ヒメの行き先が分かるんだな?」
セルは荒々しくも鼻を鳴らす。
分かっているようだ。
「よし、お前に託す、俺をヒメのもとに連れていってくれ!」
その言葉を受けて、セルは北の方へ迷わず猛進して行く。
セルがエレナに懐いているせい、だけではないだろう。
こいつは俺たち人間の感じることが出来ない野生の勘で、彼女の存在が他の誰とも違う事を認識し
ている。それをこの雨の降りしきる音も匂いも消された中で、彼女の後を辿れるほど・・・。
セルは迷うことなく小さな柵を超え獣道ともいえる道なき道を突き進んでいく。
もしかしたらセルには見えているのかもしれないエレナの姿が ――――― 。
先程は辿っている、そう考えてたが、セルの瞳は一点を見据え崖であろうが深い溝であろうが
果敢に飛び越え疾走している。
これも光のマナを持つ者が放つ影響、なのだろうか。
セルは最初エレナに怯えていたように見えた、今はハッキリと理解できる、他とは次元の違うマナの力を初めて感じ戸惑いを呈したあの行動、あれは畏れだったのだと。
アシュベルは思う、あの時から何か彼女には引っかかるものがあった、だがそれはセルの感じたそれだけではない、と。彼女に忠誠を誓ったのも、それが理由ではない。
一人の人間として、只々敬愛するに足る人物だと思えたからだ。
雨は容赦なく降り続いている。
見つかるのか、雨で視界が悪くなり、アシュベルの行く手を阻むかのように見える。
まさか、このまま一目見る事すら叶わなくなるなんてことは、あらぬ想像が焦りから絶望へ心が移ろわせていく。
今彼の拠り所は、セルの突き進む確かな歩みのみ。
そのセルが岩場を超えた場所で、足を止めその先を真っすぐに見ている。
―――――――人影。
「ヒメっ!!」
アシュベルが叫ぶが、雨音がその声を遮る。
アシュベルが剣を抜き地面にそれを突き刺す。
そこから地面にひび割れが生じ、尋常ではない早さで地割れが延びていったかと思うと、その人物の前を妨げる様に湾曲し、そこから炎が噴き出し高い壁を作った。
それを前にその人物は立ち止まる。
そして思う。
わたしは知っている、これは熱くない優しい炎だと。




