あらしのよるに 7話
人間さんは相当衰弱しているのか、今にも体から力が抜けそうだった。倒れ込みそうな体を支えて自作の水筒を手渡す。
「一口目は含んで、口の中のものを吐いて。ゆっくり、ちょっとずつ飲むの」
「すみませ……っ」
「いいから。ゆっくりね、ゆっくり」
細い体だ。まだ少女と言っていいほどの、年若い人間の女の子。介抱しつつ体を調べてみたけれど、お世辞にも体力がありそうなほうではなかった。
こんな頼りない体で嵐の中に居るのには、何か理由があるんだろう。
(北方の国に住んでいるはずの人間さんが、何故か獣の国の領地にいる。しかもその場所に季節外れの嵐天龍が姿を現したと来た。偶然とは考えられないよね)
これは立派な外交問題だ。王様の読みは当たっていた。どうもこの件には人間さんが絡んでいると見て間違いない。そういうことなら、私たちは適任だ。
ぶっちゃけたところ、狩人ってのはどいつもこいつも脳筋揃いだ。外交問題に気を使えるような狩人なんて私くらいしかいない。消去法で適任だった。
「体は動く? 痛いところは? 立てそう?」
「えっと……、足が、痛くて」
「そっか。痛いかもだけど我慢してね」
人間さんを抱きかかえる。背中はバックパックで埋まってるからお姫様抱っこだ。ここも風雨が強い、早く移動しないと。
夜闇に目を凝らし、わずかな光を捕らえて現在位置を把握する。この辺は……、まだ山の中腹かな。
「一度下山しよう。麓まではまだ遠いから、しんどかったら死ぬ前に言って」
「え、あの、え? なんで?」
「どうしたの?」
話している間も時間が惜しい。細心の注意を払いつつ移動する。傾斜がある上に落ち葉が濡れてて歩き辛い。くそ、下手な転び方したら私はともかく人間さんが死ぬぞ……。
「助けて、くれるんですか?」
「そりゃもちろん」
この子、何か知ってそうだし。一度安全なところまで下がって事情を聞きたい。ここで友好的な態度を見せて警戒を解くのも打算の内だ。
人間さんは怯えと困惑が混ざる目で私を見上げていた。こわごわと口を開き、怯えた声で言う。
「獣人は残虐で、好戦的で、人間を見ると襲いかかって頭からばりぼり食べるって……」
「どこの怪獣だそれは」
私たちはそんなことしない。生で食べても美味しくないし。
ただ、人間さんにとっては私たちはそんな風に見えているんだろう。種族間の溝は深く、相互理解にはまだまだ遠かった。
獣の国と人の国は仲が悪い。国交はもう何十年も断絶され、外交感情は険悪になっている。国家間を阻む広大な山脈がなければ、ともすれば戦争がはじまってもおかしくないような情勢だ。
「私たちの中にも、人間は非情で狡猾で、手当たり次第に生き物を殺してはオモチャのように投げ捨てる種族だって考える人もいるよ」
「違っ……、誤解です! 人間はそんな種族じゃ……!」
「私は分かってるから大丈夫。無理しないで」
大きな声を出して人間さんはむせていた。一度立ち止まり、人間さんが落ち着くのを待つ。
「私たち獣の国には色んな人がいる。もちろん残虐な人もいるよ。好戦的な人も。さすがに人間さんを頭からばりぼり食べる人はいないと思うけど」
「……そう、ですね。人間にも非情な人はいます。狡猾な人間もいます。命をオモチャのように扱う人も……。稀ですが、いないとは言いません」
「でも全部じゃない。大多数は平和で穏健な種族だ。そうだよね」
人間さんはこくりと頷いた。どうやら落ち着いたらしい。軽く笑いかけて、もう一度歩を進めた。
「案外そんなもんなんだよ。獣の国の住民と人間さんの間には、私たちが考えるほど大きな差は無いのかもしれない」
「獣人さんは人間に詳しいんですね」
学生時代の自由研究のたまものです。へーくんと一緒に人間さんについてあれこれ調べてました。先生方からはなかなか高評価でした。
「ひとつ。私たちに面と向かって獣人って呼ぶのはオススメしない」
「……?」
「それって蔑称だから。怒る人は怒るよ」
獣の国の住民を獣人って呼ぶのは人間さんだけだ。獣混じりの人。それは「人間こそが純粋であり、他の国の住民は混ざりもの」と考える、人間さん特有のエゴが混じった言葉でもある。
私たちは人間から分化した生物ではない。獣の神の祝福を受け、大自然から生まれた野山の住民だ。人の神の祝福を受けて手のひらから生まれてきた人間さんとは明確にルーツが異なる。
「すみません……。知らなくて」
「ん。私のことはラビって呼んで。兎タイプのラビ」
「タイプってなんですか?」
「祖先の種族のこと。私の遠い遠いご先祖様は祝福を受けた1匹の兎だったらしいよ」
「なるほど……。私はアリスです。人間の、アリス」
アリスと兎。人間さんの童話でそんな話を読んだような覚えがある。あの話に出てくるのは耳がピンと立った白うさぎだったけど、私は垂れ耳の茶うさぎタイプだ。そこまで出来過ぎでは無いみたい。
自己紹介も済ませると警戒が解けたのか、アリスちゃんはぽつぽつと語りだした。
「あの……。助けてもらっておいて不躾なのですが、お願いがあるんです」
よし来た信頼ゲット。顔には出さず、どうしたのと問いかける。
「仲間がいるんです。今は山肌の洞窟に身を隠していて。その、彼らも助けてもらえませんか……?」
これは想定内。アリスちゃんが単独でこんなところまで来られたとは考えづらい。仲間たちと一緒にやって来たんだろう。不法入国者を一網打尽にできるチャンスだ。
顔には出さず、あくまでアリスちゃんを案じているような口ぶりでポイントを稼ぐ。
「わかった。でも今はアリスちゃんの身の安全が優先だ。一度アリスちゃんを麓まで降ろしてから探しに行くよ」
「それじゃあダメなんです! ええと……」
アリスちゃんは口元で言いよどみ、私の顔をおずおずと見上げてから言う。
「仲間たちは獣じ――あなた達のことをよく思っていません。きっと警戒されるでしょう。私が話をするので、連れて行ってください」
「獣人のことをよく思っていない」。よく思っていないかもしれないではなく、よく思っていないと断定した。こいつぁ黒ですよ。敵意を持って獣の国の領地に潜入しているという線がますます濃くなった。
アリスちゃんを麓に降ろしてから始末するのは……、バレた時のリスクが大きいな。ここはアリスちゃんにも協力してもらって、最後まで友好的な路線を通したほうがいいだろう。名付けてお友達大作戦だ。
「……うん、わかった。山のどの辺りだったか覚えてる?」
「ありがとうございます……! 山の西側の洞窟です。ええと、確かコンパスが……」
アリスちゃんはレインコートの下からコンパスを取り出す。示している針によると、ここは北側の山腹。私の見立てでも同じだ。
山を下るのをやめて方向を変える。西側の洞窟の位置なら頭に入っている。
「ちょっと走るよ。揺れるから気をつけてね。舌を噛まないように」
風は少しだけ弱まってきた。あまり長く雨に打たれるとアリスちゃんの体調が危うい。滑らないよう足元に気をつけつつ、洞窟まで急いだ。
*****
見えてきた洞窟は闇に包まれていた。明かりは無いが人気は感じる。誰か居るらしい。
(……さすがに暗いか。夜目にも限界がある)
洞窟内の雨が吹き込まない場所にアリスちゃんを降ろし、バックパックからランタンを取り出す。火打ち石とタオルの切れ端で火口を作って油に火をつけると、ぽわっとした光が広がった。
「誰だ!?」
洞窟の中では6人の人間さんが壁に寄りかかっていた。よほど消耗しているのか、私を見ても立ち上がる人はいない。
「あなた達がアリスちゃんのお仲間? 助けに来たよ」
「あ、ああ……。救援か、助かる。この辺りで活動しているのは我々だけだと思っていたが、運がついていたらしい。君、所属は?」
「獣の国」
そう言ってレインコートのフードを脱いだ。垂れ耳をぱたぱたさせて水気を飛ばす。耳が濡れるのは嫌いだ。
「獣人……っ!」
人間さんたちは私の姿を見て警戒する。私はランタンをその場に置いてから、アリスちゃんを連れて人間さんに近寄った。
「待ってください……! この人は味方です、信用できる方です!」
「アリス……? 死んだと思っていたが、そうか、獣人に助けられたか……」
ちょっと距離を置いて、右手をさり気なく腰の山刀に近づける。説得が上手く行けば楽だけど、失敗したらその時はその時だ。
「獣人。貴様、何を考えている」
「何をって、何を?」
「貴様に我々を助ける理由は無いだろう。何が目的だ」
答えるわけ無いでしょうに。とぼけた振りして善良に小首を傾げる。
「困ってる人がいたら助けるのは当たり前じゃない?」
「いや、うぅむ、いや……」
人間さんは面食らったように言いよどんでいた。善意は最強である。それでも矜持が邪魔したのか、人間さんは疑い深くこう言った。
「せっかくの申し出だが放っておいてもらおうか。獣の手は借りん。獣人、早々に立ち去るが良い」
「ヨセフさん!」
アリスちゃんが声を荒らげる。この人間さんはヨセフと言うらしい。人間さんは個体名が多くて覚えづらいのが面倒くさい。面倒くさいから扱いやすそうなアリスちゃん以外は全部人間さんで一括りにしちゃうけど。
人間さんに駆けよったアリスちゃんは耳元で小さな声で話す。内緒話をするようだ。
「彼女は味方です。この山から脱出する上で彼女の協力は必要不可欠でしょう。どうか、賢明な判断を」
「しかし……。あれは獣人だぞ。獣人の協力を得るのは……」
「このままでは全滅です。まずは生きることだけを考えてください」
私、耳は良いんだ。これくらいの内緒話なら特に注意を傾けるまでもなく普通に聞こえる。この人間さんはよっぽど獣の国の住民が嫌いらしい。
人間さんはうむむと唸り、やがて結論を出した。
「……失礼なことを言った。この状況で気が立っていたんだ、許してくれ」
「気にしてないよ。それで、どうするかは決めた?」
「山から降りるために手を貸してほしい。謝礼は払おう」
肩をすくめた。どうも人間さんは物事を金銭で解決したがるきらいがある。それは私たちには無い文化だ。
「生きて帰ってからだね。できれば仲良くしたいんだけど、どうかな」
「ああ……。そう言うのなら、喜んで」
にこにこ笑って人間さんと握手する。ぶっちゃけ仲良くするつもりなんて微塵も無い。アリスちゃんも含めて彼らはあくまで不法入国者であり、この事件の容疑者だ。麓に降りたらとっ捕まえてやる。
ただ、腹に一物抱えているのは人間さんも同じのようだ。表向きには友好的でも、人間さんの目はまったく笑っていない。利用してやるとでも考えているんだろう。
そんな私たちの思惑を知ってか知らずか、アリスちゃんだけが安心したように気を緩めていた。