あらしのよるに 6話
一度『うさぎ小屋』に戻り、仮眠を取ってから早々に出発した。
街近辺の平原を南の山に向かって進む。あたりは少しずつ暗くなり始めていた。
「ラビ、お前は俺ほど夜目が効かないだろう。明朝を待っても良かったんだぞ」
「ううん。夜のほうが都合がいいんだ」
獣の国の住民は夜目が効く。夜行性のウル兄はもちろん、私も多少は見えるほうだ。ウル兄に至っては昼よりも夜のほうがコンディションがいい。
(それに王様の想定が正しいんだったら、事は一刻を争うかもしれない)
あくまでも可能性に過ぎないけれど。
山に近づくほど雲行きが怪しくなっていき、麓に着く頃には雨まじりの横殴りの風が体を叩いていた。ひつじさんから借りたレインコートが無ければ、相応に体力を消費していただろう。
「行くぞ」
「行こう」
激しい風が木々を揺らし、吹きすさぶ風雨と夜闇が感覚を奪いさる。一歩山に足を踏み入れれば、そこから先は命の保証は無い。生きるには過酷な環境だ。早々に決着をつけて引き上げるのが吉だろう。
「まずは嵐天龍の姿を確認。その後に嵐天龍が現れた原因を調査しよう。痕跡なんかがあればトラッキングできるんだけど、さすがにこの嵐だと消えてるかな」
「ああ、雨の匂いしかしない。お前の耳はどうだ」
「風の音しか聞こえないよ。ダメだね、地道に行こう」
狼タイプのウル兄は鼻が利くし、兎タイプの私は耳が良い。ただ残念なことに活かせそうにはなかった。誠に遺憾ながらポンコツである。
とは言え手が無いわけではない。嵐天龍が起こす嵐は常に左巻きだ。風が吹いてくる方向から逆算すれば、嵐の中心部がどちらにあるのかは推測できる。
「んーと、多分こっち。前よろしく」
「わかった」
ウル兄が先導して道を作りながら、慎重に進んでいく。奥へと進むほどに傾斜は険しくなり、濡れた落ち葉が足を滑らせる。
強くなる風が次第に体力を削ぎ、レインコートを深く被り直した。既に日は落ちており、分厚い雲に阻まれて月明かりも差し込まない。これは防風ランタンの出番かとバックパックを漁る。
「点けるな」
「ん、なんで?」
「見つかる。声を絞れ」
ウル兄はハンドサインで姿勢をかがめるよう指示する。私には見えないけれど何かを見つけたらしい。すぐ側の藪に体を隠すと、ひときわ強い風に吹き飛ばされそうになった。
「わ、ちょ、わ」
手を伸ばしてウル兄の腰を引っ掴んで風を耐える。風速は突風から暴風へと跳ね上がっていき、目を開けることすら困難だった。
歯を食いしばりながらロープを引っ張り出し、ウル兄の腰に巻きつける。もう片方の端を自分の腰で縛って、命綱とした。
ウル兄の体を叩いて合図を送り、慎重に進む。危険は承知で来たんだ。立ち止まってもいられない。
(近い……。くそ、まだ見えないのか)
中心に向かうほどに風速は強まり、荒れ狂う木の葉に視界は悪くなる。あまり深くまで進めば撤退も怪しくなるかもしれない。リスクを考えればここで退くべきか、いや……。
くいっとロープが引かれる。ウル兄が何かを呟いたように見えた。その声は嵐にかき消されて聞こえない。くいくいとロープが引かれる。……なんだろ?
ぐわっとロープが引っ張られ、私は濡れた落ち葉の山に引き倒された。顔面から。
「ちょっとー!」
髪に落ち葉を貼っつけながら顔を起こすと、私の頭上をなまらぶっとい倒木が吹っ飛んでいった。
…………。わーお。
至極真顔でウル兄はハンドサインを送る。「き・を・つ・け・ろ」。はいはい、わかりましたよ。
何が飛んで来るか分からない。周囲に警戒しつつ、風の弱まる隙を縫って少しずつ進む。倒木が飛んできた。ウル兄が山刀でぶった切る。また進む。大岩が飛んできた。決死の覚悟で横転回避。ひつじさんから借りたレインコートが泥まみれになった。
「…………」
スリルが満点すぎる。なんかもう帰りたい。お腹痛くなってきた。自慢じゃないけど、兎タイプはストレスに弱いんだ。
半泣きになりながらもやけくそ気味に進んでいくと、ウル兄が立ち止まった。今度はなんだよもう。槍でも大砲でもなんでももってこい。
ナマモノが飛んできた。
「わふっ!?」
飛んできたモノをとっさに受け止めようとして、後ろ向きにバランスを崩した。私とウル兄を繋ぐロープがピンと張られ、滑落は免れる。若干上向いた視線の先に、それは居た。
夏空の呼び声。嵐の暴王。瑞雨と災禍の使者。砂丘に吹きあれる奇跡。分かたれし母が伍の翼。
ある時は災厄として、ある時は奇跡として。神話の時代より語り継がれる彼の者は、時代や地域により様々な名で知られてきた。
暴風を纏い空を駆ける天龍。嵐を司る天災の龍。
嵐天龍リンドヴルム。
「ちょっと待ってまだ心の準備がっ!?」
嵐天龍が姿を表すと風の勢いが更に暴力的になる。崩れた体勢を立て直す前に風に煽られて足が浮いた。吹き飛ばされそうな私を繋ぎ留めるのは、軋みをあげるロープだけだ。
ウル兄は片手で木の枝をつかみ、もう片方の手を私に伸ばす。
「ラビ! こっちだ、つかまれ!」
「ウル兄、上! 上見て上!」
上空に座す嵐天龍は地上でばたつく私たちを見下ろしていた。いや、見下ろすだけではない。嵐天龍はアギトを開いて高エネルギーの何かをチャージしだした。多分ブレスっぽいやつ。
なんとなくブレスを吐きたい気分になったのか、それとも地上に見つけた外敵を攻撃しようとしているのか。どっちだろう。外したら死ねるドキドキの二択クイズだ。
「おい、帰ってこい! 現実逃避は死んでからにしろ!」
「死にたくなーいー!」
もう半泣きだった。くっそ、やっぱりこんな依頼受けるんじゃなかった……!
ストレスで沸騰しそうな頭を必死で動かし、解決策を弾き出す。受け止めたナマモノを左手で抱え、右手で山刀を抜いた。
「ウル兄! 生きてたら明朝、山の麓で――!」
最後まで言い切る前に上空から激しい風を感じる。放たれたブレスが直撃する前に私とウル兄を繋ぐロープを切って、私は激しい風に吹き飛ばされた。
*****
ズキズキと痛む全身を引き起こす。体は動く。まだ死んでない。第一関門はクリアってところだ。
「いっつつ……」
草地に投げ出されたのが幸運だったか、あちこちぶつけたくらいで済んだようだ。出血は軽微で、骨も折れていない。荷物もちゃんと背負っている。
「よっし、悪運絶好調……!」
握りしめていた山刀を鞘に収め、口の中にたまった砂利を吐き出す。嵐に吹き飛ばされてこの被害は奇跡的と言っていいだろう。こういう状況での悪運には自信があるんだ。ちくしょう。
ウル兄の方は……。大丈夫だろう、多分。私というお荷物が無ければウル兄は身軽に動ける。そう簡単には死ぬはずがない。
「あっちのこと気にしてもしょうがないか。それよりも……」
一緒に吹き飛ばされてきたナマモノを見る。こっちは私よりも酷いのか、まだ気を失っていた。
レインコートのフードをめくる。意外にもそれは女の子だった。さらりと流れる金髪の中に獣タイプ特有の耳は無い。確認はしてないけど、尾もついていないだろう。
やっぱりか。そんな感想が最初にでてきた。
「ねえ、大丈夫? 生きてる?」
体を揺すると少しずつ目が開かれていく。良かった、まだ生きてた。
その子は意識を取り戻すなり跳ね上がるように体を起こし、怯えるように周りを見た。よほど怖い思いをしてきたんだろう。
「龍、龍、龍が……、龍が……!」
「大丈夫だよ、落ち着いて。ここにあいつはいない」
「でも、でも、早く、早く行かないと……!」
パニックになっていた。肩を掴んで草地に座らせ、頬をぺちぺち叩く。次第に目の焦点が合っていき、その子は2つの碧眼で私を見た。
「獣人……?」
「やぁ、人間さん。ご機嫌いかが?」
私たち獣の国の北方にある、人の国の住民。
彼らは自分たちのことを人間と呼んでいる。