あらしのよるに 3話
久々のベッドで沈み込むように眠った。起きた頃にはとっくに日は昇っていたけれど、宿舎のあちこちではいびきが聞こえる。大体みんな夜行性だから朝は弱い。
あくびを噛み殺しつつ、水場で顔を洗う。ちょっと目が覚めた。
「おはよう、ラビちゃん」
「おはよーございます」
他のみんなはまだ寝てるから声は控えめだ。この時間に起きているのは私とひつじさんくらいしかいない。
「朝ごはん食べる?」
「んーと……、いま10時くらいか。お昼から食べるよ」
「ちゃんと食べなきゃ大きくなれないわよ」
「私もう成人してるよ」
「でも小さいじゃない」
兎タイプは大きくならないの。大型肉食タイプが近くにうろうろしてるから小さくも見えるけど、別に私が特別小さいわけではない。
「ちょっと走ってくるね」
「今日くらい休んだっていいのに」
「こういう時こそ鍛錬しないと」
「ラビちゃんはマジメねぇ」
これくらいやんないと狩人なんてやってられないからね。
大型肉食タイプと小型草食タイプではどうしたって運動機能に差がある。私に運動能力を求められているとは思わないけれど、最低でもウル兄についていけるくらいの体力は必要だ。
簡単にストレッチして体を伸ばし、いざ。
果物を満載した手押し車。市場にひしめく雑踏のざわめき。どこからか香るパンが焼ける匂い。澄んだ朝の街並みを駆け抜けるのが好きだ。
晴天季だけあってベインの天気は今日も良好。見上げた空の遠くを晴天龍がゆっくりと飛んでいる。この穏やかな陽気もあと一月は続くだろう。
「やっぱり南の空は曇ってるなぁ」
高台から遠くの空を見る。南の山のあたりは分厚い雲がぐるぐると渦巻いていた。昨日の今日で嵐が過ぎ去っているなんてことは無いようだ。
嵐は移動せずとどまり続けている。ここまでくればまず間違いなく嵐天龍の仕業だろう。
「んーむ」
それはさておき、走りながら今日はどうしようかと予定を立ててみる。
昨日の今日だから休日にしてしまうのもアリだけどいかんせんお金がない。十分な装備を揃え直すには、貯金を全額はたいても足りないだろう。
狩人に求められる依頼は幅広い。依頼主の要望とあれば害獣の駆除から物資の配達までなんでもやる。簡単な依頼なら最低限の自衛ができる装備でいいけど、狼の群れシメて来いと言われたら相応の装備が必要だ。
「替えの装備とか用意しておくべきだったかなぁ。でも元からそんな余裕ないし、はぁ。しばらくはまた下積みか」
川底に沈んでいった愛用の武器を想い、私はちょっと切なくなった。
*****
お昼になる前に『うさぎ小屋』に帰ってくる。ひつじさんが料理する匂いにつられて夜行性どもがようやく起き出してきた。頭痛がどうのと頭を抑えながらふらふらする奴らは、昨晩も遅くまで飲んでいたんだろう。
ゾンビのような肉食タイプを横目に汗を拭いて普段着に着替える。ウル兄はどうせまだ寝てるから叩き起こさないといけない。兄を起こすのは妹の務めなのだ。先輩狩人の熊五郎さんがそう言ってた。
「ウル兄ー? 入るよー?」
一応ノックして声をかける。どうせ返事は無いんだけど最低限の礼儀だ。特に返事を待つことなく、がちゃっと扉を開けた。
ベッドの上にはウル兄と、見慣れない猫タイプの女の人がいた。全裸で。
「…………」
扉をしめる。改めてカンカンとノックをした。若干強めに。片方は目が覚めたのか、部屋の中でがさごそと音がしはじめた。
待つことしばし。服を着た猫タイプの女の人が、愛想笑いをしながら部屋から出てきた。それを見送って再度部屋に突入する。
ウル兄はまだ寝ていた。
「おい、起きろダメ犬」
「ん……。ああ、朝か」
「昼だ」
部屋の中に漂う匂いに顔をしかめ、窓を開いて換気する。こいつ、私が寝た後で娼婦連れ込みやがったな……。
ウル兄だって男の人だし、そりゃ溜まるもんは溜まるだろうと理解はありますけどね。隣の部屋で妹が寝てるってのに、ちょっとくらい気使うとか無いんですか。いや全く気づかないでぐっすり寝てたけども。
それよりも娼婦連れ込むようなお金が無いってことに気がついているんだろうか。いや、気がついているはずがない。どうせ何も考えてない。来月の小遣い減らしてやる。
「ほら、服着て。お昼食いっぱぐれるよ」
そう言うとウル兄の動作が機敏になった。このダメ犬、食欲には忠実だ。ついでに言うと睡眠欲と性欲にも。
どこに出しても恥ずかしい兄貴だけど、こんなんでもウル兄はモテる。めちゃくちゃモテる。挙句の果てに放っておくとジゴロを形成しだすから手に負えない。ぶっちゃけ放っておきたい。
ともあれ兄貴を引っ張って食堂まで連れて行く。配膳はセルフだ。カウンターからプレートをとって、テーブルについた。
大体どいつも肉好きだから、『うさぎ小屋』のメニューは基本的に肉が多い。小皿の端に盛られたソーセージをひょいひょいとウル兄の皿に移し、対価としてサラダからキャロットを強奪する。
「ウル兄、今日はどうする? できれば依頼受けたいんだけど」
「構わんぞ。体力は戻っている」
昨日の今日だというのにウル兄は元気だった。相変わらず体力だけはある。
「そういうラビはどうだ? 昨日は雨に打たれて辛そうにしていたが」
「万全じゃないけど問題なく動けるよ。どうせ体力使う狩猟依頼は受けられないし、簡単な仕事でも受けるつもり」
一週間山中で行軍した上、嵐に見舞われたんだぞ。翌日ピンピンしている兄貴のほうがおかしい。
なんにせよ動けるなら問題ない。ご飯食べ終わったらお仕事を受けに行こう。
*****
寝ぼけていた『うさぎ小屋』も昼食後にはにわかに活気立つ。狩人たちが食堂に設置された掲示板に群がり、我先にと依頼の張り紙を争っていた。
そんな様子をひつじさんと一緒にお皿を洗いながらのんびり眺める。
「ラビちゃんはいかなくていいの?」
「売れ残りでいいの。どうせ狩猟依頼は受けられないから」
私たち狩人は禁猟期には狩りができない。その例外が住民から出される狩猟依頼だ。人喰い狼や畑を荒らすシシやシカなら、依頼さえあれば年中狩ることができる。こと肉食タイプどもはそういう血の気の多い依頼を好んで受ける傾向にあった。
今日は軽めの依頼にするつもりだから、無理してあの集団に分け入って狩猟依頼を分捕る必要は無い。ゆっくりやるつもりだ。
「そういえば、ラビちゃんたちに指名依頼が来てたわよ」
「指名依頼? なにそれ?」
私たち狩人は自分で仕事を選ぶ。掲示板に張られている仕事は、原則として狩人なら誰でも受けられるようになっている。あまり背伸びした依頼を受けようものなら先輩狩人の熊五郎さんに張っ倒される仕組みだ。
だからこそ疑問だった。指名依頼? そんなシステムうちには無いぞ?
そんなことを疑問に思っていると、ひつじさんはタオルで手を拭いてからふらっと掲示板の前に潜り込んでいった。獰猛な肉食タイプどもの間を滑らかにすり抜け、一枚の張り紙を手に戻ってくる。
「はいこれ」
「あ、どうも」
手を拭いて受け取った張り紙を見る。よほど面倒くさかったのか、必要最小限の事項すら書いていない簡素な張り紙だった。
「南山の調査依頼よ。要項に兎と狼のペア狩人って書いてあるわ」
「むしろそれ以外何も書いてないんだけど……」
「これだけで十分だって分かってるのよ。信頼されてるわね」
「嬉しいような、嬉しくないような」
まさしく私たちへの指名依頼だった。そりゃ確かに私たちなら事情も知ってるから説明の手間も省けるけどさぁ。せめて依頼主の名前くらい書いたらどうなの、へーくん。
「あー、うー」
「悩んでるわね」
「この依頼は受けたくないのに……」
「でも受けるんでしょう?」
「だって、こんなのずるいよ」
信頼を担保にされたら受けるしか無いでしょうに。まったくもう、へーくんったらぁ。
仕方ないから空欄まみれの張り紙に勝手に書き加える。依頼料は、そうだな、2,000,000Gにしよう。全額前払で。
「ゼロを一個減らしなさい。前払は半額まで」
「えー」
「えーじゃない」
ひつじさんに怒られたので素直に従った。私はひつじさんには逆らわないのだ。そもそもこんないい加減な張り紙を出す王様が悪い。