あらしのよるに 2話
交渉の末、情報料として30,000Gが支払われた。やったぁ。次もお仕事がんばるぞ。
少しは暖かくなった懐をさすりながら帰路を急ぐ。いい加減身体中にへばりついたドロを落としたい。文明的な生活を取り戻すため、風呂なるものが可及的速やかに求められていた。
狩人宿舎『うさぎ小屋』。そこが私たちの寝床だ。『うさぎ小屋』とは名ばかりで、この宿舎に出入りする兎タイプは私くらいなもんだ。実際は大型肉食タイプがゴロゴロうろつく、文字通りゴロツキどものたまり場となっている。
そんなベイン有数の危険地帯に、特に気負うこともなく踏み入った。
「ヒューゥ! 見ろよ見ろよお前らァ! 兎ちゃんが迷い込んで来やがったぜェ!」
「オイオイオイどこのションベンボーイだ、アアン? いや、ガールか?」
「ここに来たのが運の尽きよォ! シャハハハッ! 生皮剥がれたく無ければうさぎ跳びしろォ!」
「ただいまー。ひつじさーん、お風呂使っていいー?」
入るなり絡んできたジャッカルさん、コヨーテさん、ハイエナさんに一発ずつケリを入れる。誤解してはならない。これは彼らなりの「おかえり」なのだ。だから私のケリもまた「ただいま」のサインであり、従ってスネを抑えて転がる三人のチンピラタイプ(チンチラにあらず)は心温まる交流のたまものなのである。
厨房の奥から「いいわよー」と了承の声が聞こえてきたので、ありがたく頂戴することにする。この宿舎に温水が引かれるようになったのは最近のことだ。お風呂の味を覚えるまでは水浴びでいいじゃんと思っていたけれど、いざ使ってみるとこれが中々どうしてたまらない。今となってはお風呂に入らないと仕事終わりの疲れが癒えない体となってしまった。
体中にこびりついたドロを丁寧に洗い落とす。さっぱりした。タオルでわしわし水気を取って、用意しておいた私服に着替える。久しぶりに旅装から解放されて、随分と体が軽くなった。
「はー、さっぱり。あ、ひつじさん。洗濯物お願いしていいかな」
「いいわよー。まとめてカゴにいれておいて」
「泥まみれになっちゃったから、他のものと避けて置いとくね」
ひつじさんは『うさぎ小屋』の管理人だ。ふわふわした愛らしい外見とは裏腹に、『うさぎ小屋』に出入りする狩人たちの手綱を握ることができる唯一無二のお方である。
私たち狩人は獣の国ベインが保有する最大戦力であり、それを統括するひつじさんは飼育委員長(?)の異名で恐れられている。本人の前でそう呼ぶとご飯がなくなるから、表立っては誰も呼ばないけれど。
ネットに洗濯物を詰めてカゴに出す。と言ってもほとんどの装備は流されてしまったから、着ていたものだけ。
「洗い物はこれだけ? 一週間分は覚悟してたのだけど」
「着の身着のまま、命からがら帰ってきたの。ウル兄の分も回収してくるからちょっと待ってて」
「あらあら、大変だったわねぇ」
ひつじさんは自然な仕草で私を抱きしめた。子ども扱いされているようでちょっと嫌だけど、顔には出さず受け入れる。『うさぎ小屋』では彼女に逆らってはならないのだ。
とはいえいつまでも捕まっているわけにもいかないので、適当に抜け出してウル兄を探す。いた。
「……おい、アホ」
「アホとはなんだ」
着替えもせず、水浴びもせず、泥だらけのまま麦酒を煽るやつのことだ。
ウル兄が持つジョッキを強奪してごっごっごっと飲み干し、ダンとテーブルに置く。襟首をひっつかんで外に引きずり出し、街中を流れる川に叩き込んだ。
「急に何をする」
「水浴びしろーっ!」
「潔癖症がすぎるぞ、ラビ。これくらい普通だったろ」
「山ん中と違うんだよここはっ! 最低限文化的な格好をしろ!」
身だしなみを整えろとまでは言えないのが悲しいところだ。ウル兄と暮らすにあたって、私は数多の妥協を重ねてきた。
ひとしきり泳いで泥を落としたウル兄は、あがってくるなり豪快に体を震わせた。そのまま宿舎に戻ろうとするウル兄をひっ捕らえてタオルの刑に処し、ひつじさんが用意してくれたウル兄の着替えを着せる。
「大変ねえ」
「ごめん……。宿舎は後で掃除しておくよ」
「いいのよ、全然」
ひつじさんはウル兄に甘い。私としてはもうちょっと厳しくてもいいと思うところだ。
ともあれひとしきり騒いで、ようやく私はテーブルについた。疲れた。
「ラビちゃん、ウルくん。何か食べる?」
「いいの? 夕食時にはちょっと早いけど」
「疲れてるでしょう。今日は早めに寝たほうがいいわ」
『うさぎ小屋』では原則ご飯時は決められているのだけれど、ひつじさんがそう言ってくれるのでお言葉に甘えることにした。今の私には早めに寝たい気持ちしかない。
ひつじさんが用意してくれたクリームシチューを少しずつ口に運ぶ。陳腐な表現だけど、染みるほど美味しかった。ここ一週間、ぱっさぱさの携帯食料と果物しか食べてなかったからなぁ。
「ウル兄、お肉あげる」
「うむ」
シチューに浮いたお肉をぽんぽんとウル兄の木皿に放り込む。別に食べられないわけじゃないけど、なんとなく苦手なんだ。代わりにキャロットを強奪する。
「こらこら、好き嫌いは良くないわよ」
ひつじさんに見つかった。なんとなく許されそうな感じの笑顔を作って誤魔化してみる。なんとなく許された。わーい。
「それで、何があったの?」
ひつじさんが同席して土産話をせがんだ。一応私たちは王命を受けて動いていたんだけど、ひつじさんには逆らえない。この人が話せと言うなら私は機密情報でもなんでも話しちゃう。
「それがね、嵐に見舞われちゃって」
「嵐? どこで?」
「南側の山だよ。王様にも言ってきたから、しばらくは近づかないようにってお達しが来ると思う」
それだけ言うと、ひつじさんはじっと考え込むような仕草をした。そしてすぐに結論が出たのか、声を潜めて、こう言った。
「嵐天龍?」
「……内緒だよ?」
「もちろん」
さすがはひつじさんだった。この人こそが一を聞いて十を知るお方である。そこでのんきにシチューをかっこんでいる兄貴にも見習ってもらいたいものだよ、もう。
「嵐天龍に遭遇するなんて、無茶するわねぇ」
「直接姿を見たわけじゃないから。さすがに直に遭遇してたら命は無かったかな」
「大丈夫よ。ラビちゃんたちは強いもの」
太鼓判を頂いてしまった。天龍種と直接会って生き残れる生物がどれほど居るかは知らないが、ひつじさんがそう言うのなら大丈夫なんだろう。私はひつじさんの言葉を疑ったりはしないのだ。
「でもおかしいわね。嵐天季にはまだ5ヶ月は早いわよ」
天龍種は世界をめぐる。その時近隣に居る天龍によって季節は移ろい変わっていく。
今はまだ4月。獣の国ベインの上空は晴天龍が通過している真っ最中で、天龍季で言えば晴天季にあたる。
嵐天龍がベイン周辺を訪れるのは9月頃。この時期はもっとずっと遠方で嵐を巻き起こしているはずなのに。
「嵐は南側の山で留まっているのよね」
「たぶんね。南の山に何かあるのかな?」
「もしくは、嵐天龍自体に何かがあったとか」
少し考える。嵐が起こってすぐに引き上げたからしっかり見ていたわけじゃないけれど、山に特に異常は無かったように思う。
嵐天龍にも会ったわけじゃないから、何があったかまではわからなかった。
「調査がいるわね」
同意見だ。あそこに嵐が留まっていると近隣の村落との連絡が取れなくなってしまう。どうにかするためにも、まず何があったかを調べないといけないだろう。
とは言っても。
「私らはパスかなぁ。嵐はもう懲り懲りだよ。装備一式失くしちゃったし、しばらくは近場のお仕事でも受けるつもり」
「あら。意外と堅実なのね」
「命あっての物種だからね。ウル兄、それでいいよね?」
「……嵐天龍か」
ウル兄は空になった木皿を置き、口元をなめまわしながら重々しく頷いた。
「わかった。俺たちが引き受けよう」
「ねえ、話聞いてた?」
「敵は天龍。相手にとって不足は無い。ラビ、天を落とすぞ」
「そういう話じゃねえっつってんだろシバくぞ」
「仲いいわねぇ」
絶対に違うと思ったけれど、口には出さなかった。ひつじさんが白と言えば黒いものも白なのだ。
なんとも言えずに私は垂れ耳をぱたぱたさせた。頭を撫でられた。解せぬ。