あらしのよるに 12話
洞窟に嵐が吹き荒れた。
姿勢を低くして風を耐える。両足を踏ん張り、左手を地につけ、右手は山刀を逆手に構える。どんなに風が強くとも目だけはかっぴらいて敵を見据えた。
ズン、と。地を揺らして、その巨体を滑るように動かしながら、嵐天龍は洞窟内部に入ってきた。
その目は間違いなく私を捉えている。正確には、私の後ろに居るアリスちゃんを。
(逃げ場は……。んなもん無いよ、くそっ。洞窟はそこで行き止まってる。出口はそこの嵐天龍が陣取ってる場所だけだ。ならどうする!?)
頭の中をひっくり返しながら打開の手を探る。そうだ、意外と仲良くできるかもしれない。天龍種は頭が良いと聞く。コミュニケーションを取ってみよう。
「やあ天龍さん。こんな天気だけどどうだろう、お茶会でもしていかないかな」
返事はない。あるわけないだろそんなもん。落ち着け私、何考えてんだ。この期に及んで現実逃避はやめろ。マジで死ぬぞ。
もうお腹痛い。帰りたくなってきた。怖くてたまらない。そんなことどうでもいいだろ今は。考えろ。思考を止めるな。どうすればいい。
……交渉だ。舌先三寸口八丁。私の武器と言えばそれだ。
「嵐天龍。人間さんを追ってきたんだよね。そこに6人転がってるよ」
吹き荒れる風が強くなる。嵐天龍は動かず、私を見ている。いや違う。アギトを開いた。口内に灯すのは、スフィア状に固められた嵐。私を吹き飛ばしたあのブレスだ。
逃げ場の無い洞窟であんなのぶっ放されたら死体も残らないぞ。くっそ、ちくしょう、いいから話を聞けよ。
「そこの人間さんは好きにしてくれて構わない。だから――」
だから、なんだ。
私たちの命はもう握られているようなもんだ。交渉なんて出来るわけ無いだろ。何考えてるんだ私は。
打開策なんて、最初っからこれしか無いだろうが。
「――アリスちゃんに手ェ出したらハラワタぶっこ抜いて天ぷらにすんぞクソトカゲがああああああッ!!」
嵐天龍がブレスを放つ。そのブレスに、迷うこと無く突っ込んだ。
その一瞬、私は何も考えていなかった。頭の中で何かがカチッとハマった感覚がした。
体が動く。踏み出した左足で初速をつけ、踏み込んだ右足で加速する。体重移動で運動エネルギーを一瞬で溜め込み、次の踏み込みで爆破した。
足から膝へ。膝から腰へ。腰から背へ。背から肩へ。肩から腕へ。腕から山刀へ。全身のバネを使ってエネルギーを刃に繋げる。
なんとなく分かった。大切なのは呼吸とリズム、感覚だ。
「っだらああああああああああああああああああッッ!!」
頭の中が白い。山刀を振り抜いて、何かを斬り捨てた。それだけは分かった。
……風の残滓が漂う。気がつけば、荒れ狂っていた風がやんでいた。
「はっ……、はっ……」
斬ったのは、風だ。
少し遅れて思考が追いついた。一手目は凌いだ。次はどうする。
倒せるか? 無理だ。山刀は戦闘のための武器ではない。よしんば戦いのための武器があったとして、生き残れるかすら怪しい相手だ。
逃げられるか? 無理だ。出口は嵐天龍が陣取っている。あの横をアリスちゃんを連れて抜けるのは不可能と見ていい。
だったら……。だったら――!
「お前が失せろ……ッ!」
――人間さんに魔法があるように、獣の国の住民は狩猟本能という能力を持つ。
死の間際に立たされた狩人は時として獣となる。それは生存本能の発露。内なる野生の解放。解き放たれた本能が結晶となり、新たな能力を目覚めさせる。
私が持つ能力はとても扱いづらい。敵を倒せるような能力でもなければ、使えばどうにかなるような能力でもない。それでも私は、この能力がゆえに月兎の二つ名を与えられた。
剥き出しになった本能が結晶となる。これを使うのは久しぶりだ。視界が赤く輝いて、私の狩猟本能が発現した。
「【月光】――!」
洞窟の中を月光が照らす。月光に照らされた嵐天龍は、悠然と私を睨めつけていた。
狩猟本能【月光】。他人には月光の下に狂わせる能力と説明している。実際はそんなに便利な能力ではないし、そんなに強力な能力でもない。それでも嘘をついてまで能力を隠すのには理由があった。
この能力は、知られることで効力を大きく損じるからだ。
「アリスちゃん、物陰に入って。月光を浴びない位置に」
【月光】は感情を増幅させる能力だ。対象が怒りを感じていれば激昂に我を忘れさせ、恐怖を感じていれば恐慌に叩き込む。単純な効果のくせにめちゃくちゃ扱いづらく、かつ知っていれば対策も容易だ。要は平静を保ち続ければいいのだから。
月光を浴びている嵐天龍には、今のところ変化は見られない。ただ悠然と私を見続けるだけだ。おそらくは格下と侮っているんだろう。その油断した鼻っ面に一撃叩き込み警戒の感情を引き起こす。【月光】の効果で警戒が恐れにまで昇華すれば、そこが勝機だ。
地力では負けている。正面からは戦えない。一撃だ。一撃で、怯ませる。
「…………」
呼吸すら忘れて敵を睨む。張り詰めた一瞬。思考を削ぎ落とし、握りしめた得物に魂を込める。
こっちから攻め込むのは無理だ。ただ近寄るという行為ですら集中を乱す。いや、違う。私はアリスちゃんを守れる位置から離れたくないんだ。狙うはカウンター。カウンターの一撃に全てを賭ける。
嵐天龍が再び口を開く。三度目のブレス。それが分かっていてもなお私は微動だにしなかった。集中のあまりところどころ意識が無い。気がつけばブレスが吐かれていて、気がつけば風を斬り伏せていた。
来い。近づいてこい。私を恐れろ。ここから失せろ……ッ!
「…………ッ」
何秒、何十秒、あるいは何分何時間。どれほどの時間が経ったかは分からない。時間の感覚も無く、私は嵐天龍の一挙一動を注視し続けていた。
どうした。何故近づいてこない。恐れたか? いや、そんな様子は無い。嵐天龍の瞳に恐れの色は無い。ダメだ、考えるな。今はカウンターの一撃にだけ集中しろ。
不気味な膠着が続く。次第に呼吸が荒くなってくる自分に気がついた。心臓の音が鳴り止まない。胃が破れたんじゃないかってくらいにお腹が痛い。流れる汗が目に染みて、山刀の重みに刃先がブレ始めた。
集中が少しずつ解けていく。長くは持たない。早く、早く、早く……。
「…………、け、ほっ」
体の内から湧き上がる不快感に小さくむせた。限界だった。集中が緩み、意識が揺れる。張り詰めていた糸が途切れるように視界が歪み、気力だけで支えていた何かがほころんでいく。
嵐天龍が動いた。決して速い動きではない。歩くような早さで近づく嵐天龍に、しかし私は反応できなかった。体が動かなかった。
そして嵐天龍は歯を食いしばる私の側を素通りし、縛られた6人の人間さんを一口で咥える。そしてそのままずりずりと後ろ向きに引き返し、洞窟から出ていった。
「……………………は?」
いなく、なった……?
何があったかは分からない。頭もよく動かない。完全に集中が切れ、体がふらついた。意識が黒く抜け落ちて、地面に倒れ伏す。土の冷たさが気持ちいい。
ダメだ、落ちちゃダメだ。まだ近くに嵐天龍がいる。ここで落ちたらアリスちゃんはどうなる。
気力を振り絞って立ち上がろうとすると、「いいから寝てろ」とウル兄の声がして、後頭部に鈍痛が走った。おやすみ。