あらしのよるに 1話
帰り道をとぼとぼと歩く。テンションは限りなく低かった。
うー、と唸ってもみる。唸るどころか噛みつきたい。いや、噛み付く気力も無いくらいにはテンションは低かった。
というか、弱っていた。物理的に。
「どうした、ラビ」
そんな私の様子を気遣ったか、ウル兄が声をかける。どうもこうもないよ。
「寒いし、お腹すいたし、疲れたの」
「そうか」
「……分かってるの?」
「何がだ?」
どうも状況を分かっていないらしい。ウル兄はこういうところがある。鈍感というより無関心、問題を問題とも思わない朴念仁。狼タイプは気性が荒いという印象があるけれど、ウル兄に関して言えばまるで当てはまらなかった。
諦め混じりに抗議しようとすると、むずついた鼻の奥からひっくちとくしゃみが出た。
「風邪か? 用心しろよ」
「その心配は3時間前にしてほしかった……」
びしょ濡れになった髪を少しでも乾かそうと、垂れ耳をぱたぱたさせてみる。天候は分厚い曇天。まるで乾きそうにもないけれど、さっきまでの土砂降りよりは大分マシになったほうだ。
この土砂降りのせいで、私たちの一週間分の仕事はパーになった。
「あのね、配達依頼受けてたの。わかる?」
「ああ。隣村まで生活物資を輸送する仕事だろう。それくらい知っている」
「で、その物資は今どこに?」
「氾濫した川に流された」
分かってんじゃないか。ならなんでそんな平然としてんだ。
兎タイプの私ラビと、狼タイプのウル兄は狩人をやっている。獣の国の狩人。狩猟期は狩人らしく獣を狩っているけれど、禁猟期では主に住民たちの依頼を受けて野に駆り出す仕事をしている。早い話が何でも屋だ。
今回は王様から直々に依頼を受けて隣村まで配達しに出かけたんだけど、季節外れの大嵐に見舞われて物資をロスト。今は渋々帰還の途を辿っている最中だった。
「ああもう、また王様に怒られる……。うう、お腹痛くなってきた」
「大丈夫だ。あいつは話せば分かる」
「じゃあウル兄が話してよ」
「俺は不器用だからな」
そう言って、ウル兄は満足げに頷いた。こう言えばなんとかなると考えているらしい。蹴っ飛ばしてやろうかと思ったけれど、そんな体力も無くてやめた。
依頼主との折衝は私の担当だ。事実としてウル兄は交渉事には向いていないけれど、こういう時くらい手伝ってくれてもいいと思う。
ひっくちとくしゃみをもうひとつ。肌に張り付く生乾きの服が気持ち悪い。洞窟で体を休めるべきだったかも、と今更になって考えたりもした。
「せめてタオルの一枚でも残ってればなぁ……」
「そういえば俺たちの荷物はどうした? やけに背中が軽い」
「流されたに決まってんじゃん」
「そうか」
ウル兄は軽く流したけれど、大ピンチだった。
流された荷物の中には私たちの装備も含まれている。どれもこれも替えの効くものではあるけれど、決して安くはない。
宿舎に溜め込んでいる貯金額を思い出し、装備一式を揃えた場合の出費も計算する。どう考えても金額が一桁は足りない。疲れた頭でやった都合のいい概算でこうなんだから、実際はもっと厳しいんだろう。
……下手すれば、今回の一件で廃業もあるかも。
「見えたぞ。もう少しだ」
歩を進める先に私たちの故郷、獣の国ベインが見えてきた。
四方を山で囲われた盆地に作られた小さな国。人間さんで言うところの街くらいの大きさだけど、私たちにとっては立派な国だ。
「帰るまでに言い訳考えないとなぁ」
「ありのままに報告するだけだろう」
「んなことしたら二度とお仕事できなくなるよ……」
今回の失敗をなんとか取り繕い、可能なら幾ばくかの援助を引き出したい。
私たち兄妹の命運は、今私の交渉手腕にかかっていた。
*****
ベインに帰るなり、ウル兄と分かれてまっすぐ王城へと向かう。本音を言うなら一度体を休めたかったけれど、まずは報告が先だ。優秀な狩人は行動が早いのだ。
そんな忠義心溢れる私を出迎えるなり、王様はこう言った。
「まずは身なりを整えてこい」
失礼しました。
王城と言っても、実質ここは王様が住んでいるだけのお屋敷だ。自分の家にずぶ濡れ泥まみれの兎タイプに上がられて、良い顔はしないだろう。
とは言え出直すのも面倒くさかったので、王様の言葉は聞かなかったことにして勝手に椅子に座る。王様はものすごく嫌そうな顔をしていたけれど知ったこっちゃない。
「あ、温かい飲み物を所望します。ココアで」
「君ね。家に上がり込むなり僕を顎で使うのはどうなの。これでもこの国の王様やってるんだけど」
「固いこと言わないでよへーくん。うちらの仲でしょ?」
「へーくんいうな」
ヘラジカタイプの王様、へーくん。獣の国を治める偉大なる王様だ。ついでに言うと、私とウル兄の幼馴染だったりもする。
渋々ながらも王様が淹れてくれたコーヒー(ココアは淹れてくれなかった)を舐める。久々に感じた温かさにようやく一息ついた。
「ウルのやつは?」
「先帰りましたよ。あっちも私と同じような格好なんで、水浴びでもしてると思います」
「君がウルを帰らせたということは、よほど大変な報告がある。ラビ、そうだろう?」
王様は私の向かいに座り、頬杖をついてそう言った。あっはっは。やっべー、バレてる。
コーヒーを舐める振りしてマグカップで顔を隠し、どうするかと算段をつける。
「そんなこと無いですよ。私とウル兄だって四六時中ひっついてるわけじゃありませんし、離れることだってあるでしょう」
「依頼を失敗した時とか、言い訳を通そうとする時は特にね」
「へーくんの淹れたコーヒーっておいしいよね。なんだかほっとする味がするの」
「誤魔化すな」
ちっ、やりづれぇ。これだから気心知れた仲ってやつは面倒だ。
私は早々に隠し事を諦めた。これ以上は意味がない。私はマグカップをテーブルに置いて腕組みをし、満足げに頷いてこう言った。
「失敗しました」
「自信満々のモーションから繰り出されるクソみたいな報告」
「失敗は失敗でも良い方です。次に繋がる感じの、ほら、価値ある敗北みたいな? そういった意味では成果は上々です」
「腹パンするぞ」
「こわい」
依頼主からのパワハラを受けた。私たち獣の国の住民は暴力に従順だ。私は垂れ耳をぱたぱたさせて、大人しく経緯を説明することにした。
「近隣の村落まで生活物資を配達するお仕事でしたね。ええと、その、南側の山を抜けている時に事は起こりまして。嵐です。大嵐に見舞われ、物資をロストしました」
「はぁ、嵐。今はまだ4月だ。とても嵐が起こるような季節とは思えないが」
「うるせえ起こったっつったら起こったんだよ。私の報告信じられないなら何のために雇ったんだシカ野郎」
「腹パンするぞ」
「こわい」
私は大人しくなった。ついでに転職を考えはじめた。事あるごとに腹パンしたがる依頼主は御免こうむる。
「証拠ならいくらでもあります。南側の山までちょっと行ってくれば、お手軽に嵐の中で輝けますよ」
「ふむ、山では今でも嵐が?」
「はい。私たちが下山するまでずっと吹き荒れていたので、今でも」
「となると、おそらく」
「嵐天龍でしょうね。姿は確認できませんでしたが」
嵐天龍。その名の通り嵐を司る天龍種だ。常に嵐の衣を纏って移動するその天龍は、まさしく災厄として扱われる。
季節外れの大嵐は、おそらく嵐天龍が現れた証左だろう。
「他に何か気になることは?」
「物資を届ける前にロストしてしまいました。村落へのダメージはいかほどでしょう」
「君が気にすることではない。だが安心しろ、時期が良かった。多少便は悪くなるだろうが命に関わるほどではない」
それは良かった。私たちのせいで取り返しのつかない事態になるようだったら、さすがに夢見が悪い。
頭の中でつけていたいくつかの算段が不要になったので、ゴミ箱にまとめてぽいする。心配事がひとつ解消した。
「それと、私たちの装備も失ってしまいました」
「ふむ。回収はできそうか?」
「物資もろとも川の底です。嵐が過ぎ去ったとしても回収はまず不可能かと」
「それは災難だったな」
期待を込めた目で見てみる。気持ち瞳をうるませて、若干上目遣い気味に。王様の顔色は一切変わらなかった。ちっ、流石に効かないか。
この手管は散々使ってきたからなぁ。本当にやりづらい相手だよまったく。仕方がないから直球でいくことにする。
「へーくん、装備揃え直すからお金ちょうだい」
「うちにそんな余裕は無い」
「んじゃお仕事ください。前払いのやつで」
「帰ってきたばかりで疲れているだろう。少し体を休めろ」
「生活費にも困る次第でして」
生活費くらいは宿舎に戻ればある。ただ、私には王様から少しでもお金をむしりとるという使命が課せられていた。宿命と言ってもいい。兎タイプは己の運命に背を向けないのだ。
王様はしばらく考えた後、名案が浮かんだようにぽんと手を叩いた。
「腹パン一回、10,000Gでどうだ?」
「ドンっ引きだよ!」
私は垂れ耳をぱたぱたさせながら、椅子から腰を浮かせる。威嚇行動も取ってみる。王様は至極残念そうな顔をしつつも、引き抜いた財布をちらちらと見せつけた。
……この仕事、やめよう。私は静かにそう決意した。