第6章 エンジェル
宴会が終わってマーレイの片づけを手伝った後、自分の部屋に戻ろうと調理場から廊下に出ると、天使が立っていた。
「リュージさん、ちょっと時間いいかしら?」
「はい、もちろん。」
何だろう。ドキドキ……。
天使の部屋に入ると、椅子を勧められ机をはさんで天使の前に座った。
「リュージさん、ごねんなさいね。」
「はい?何がですか?」
「リュージさんが頑張って、いっぱい利益を出してくれたのに、皆にそのことを言わなかったし、気を悪くしているかと思って……。」
ああ、そのことか。宴会の間、ウサギの脳みそソテーばかり食べる天使の笑顔に見惚れていて、すっかり忘れていた。
「いや、大丈夫ですよ。ボスの立場もあるでしょうし、ポッと出の新人に手柄横取りされたんじゃ、皆の立つ瀬もないでしょう。あれで正しかったと思います。気にしないでください。」
天使はハッとしたように、キラキラした目で俺を見てくる。
「ありがとう。分かってくれて。ちゃんと臨時ボーナスも出しますから、また頑張ってくださいね。」
「いや、ボーナスなんていりません。正規の二割の収入だけで十分です。あなたの笑顔が何よりのご褒美です。」
自分で言ってて恥ずかしい。宴会で酒を飲みすぎたかもしれない。
見ると、天使も赤くなっている。
えっ、これって……フラグ回収?
「もう、リュージさん、酔っているでしょう。」
「酔ってますけど、心からそう思ってます。」
俺ってジゴロ?
こんなにすんなり会話できるなんて。
酒の力は偉大だ。
この世界に来て自信がついたからだろうか。
この世界の神に感謝を……もう悪魔なんて言いません。
天使の俺を見る目が泳いでいる。
可愛い。スゴく可愛い。とにかく可愛い。
誰が何と言おうと最高に……ダメだ、抜け出せない。
お互いに無言になる。
これ以上は……そう思ったとき、天使が小さな口を開く。
「そ、それじゃリュージさん、この話はもうおしまい。今日は部屋で休んで、ゆっくりしてね。また頑張ってね。」
えっ、部屋で休んでって、まさかこの部屋じゃないよね……一瞬迷ったが、自分の部屋に戻ることにした。
天使の口調も少し柔らかくなってきたし、赤くなった顔も見られたし……ご褒美、ご褒美。
俺は立ち上がって精一杯の笑顔で天使を見た。
「気を使っていただき、ありがとうございました。また明日から頑張ります。」
その後に続く『あなたのために』という言葉は飲み込んだ。
俺は天使の部屋から出た。
◆
オリビアはリュージが出ていった後、ベッドに腰かけ溜息をついた。
「もう、あの人いったいどういう人なのかな。旅をしていると言っていたけれど、どこから来たのかな。ある程度お金稼いだら、また旅に出るのかな。このままここにいてくれないかな。」
いやだ、私ったら何を考えているの。ひとりで赤くなっていた。
「でも腕はスゴいのよねぇ。ディックの話じゃサイコロ渡して三日で必ず目を読めるようになったって言うし、石でウサギを捕るのも十日って言っていたし、本当だったんだ。疑って悪いことしちゃったな。もう少し信じてあげなきゃ。」
少し冷静になってきたようだ。
「やっぱりちゃんと話して聞いてみなきゃ。それに、どうしてあの人の振るサイコロは目が分からないのかな。今までずっと外れることなんてなかったのに。」
オリビアはリュージのことばかり考えながら、そのままベッドで眠っていた。
◆
朝になり、皆が広場に集まり、町へ帰る準備をしていた。
天使がリュージを見て、
「リュージさん、帰りは私の馬車に乗ってちょうだい。今後のことについても、いろいろと話したいことがあるから。」
と言ってきた。
見ると天使はボスの顔をしていた。
周りは少しざわつくものの、俺が十日ほどで黒机のディーラーになり、その後すぐに記録を塗り替えたことを知っているので、納得した顔になり、そのままそれぞれの馬車に乗っていった。
俺は戸惑いながらもボスの馬車に乗り込んだ。
「いきなりでごめんなさいね。今のうちにいろいろと話しておかなきゃいけないと、昨夜考えて……。」
俺が乗って幌を下すと、ボスは天使になっていた。
能面と笑顔のギャップがスゴい。
「それじゃ、出発します。」
表からディックさんの声がした。
馬車がゆっくりと動き出す。
天使の馬車は椅子もなく、ゆったりとしており、足が沈み込むほどの絨毯も敷かれており、他の馬車よりも揺れも少なく、乗り心地がよかった。
俺は天使の隣、絨毯の上に座った。
寝転がることもできるが、そこまでの度胸はない。
「それで、いろいろと話したいことって何でしょう?」
このままでは間がもたないので、俺から話を振った。
「リュージさんって旅の途中だって聞いていたけど、この後どうするつもりなの?」
いきなり直球を投げられた。
「とりあえず、ここにいさせてください。特に目的があったわけでもないですし、強いて言えばいろいろと見てみたいと思っていただけですから。」
無難な答を返す。
『あなたの側にいたい』と言えればいいのだけれど今は酔ってない。
「そう、よかった。よろしくね。それと私の前では敬語は無しね。嘘さえつかなきゃそれでいいから。」
いや、俺、今までもいっぱい嘘ついてるし……旅とか強盗とかサイの目が読めるとか、他に何言ったっけ……。
でも、『嘘は一生続ければ真実になる』って死んだばあちゃんが言ってたし、このままでいっか。
「分かった。これでいいかな?でも、皆の前ではちゃんとするから。」
そう言うと、天使の笑顔が輝いた。
「ありがと。私もこの方が楽なの。」
「まあ、仕方ないでしょ。それと俺のことはリュージでいいから。さん付けは無しね。」
「了解。」
ますます輝いて見える。思わず両手を合わせて拝みたくなるほどだ。
「他に聞きたいことは?」
このままいろいろと話して仲良くなろう。覚悟を決めて何でも答えていこうと思った。
「そうねえ、リュージはどこの生まれなの?」
うっ、ちょっと困った。
「知ってるかどうか分からないけど、海の向こうのニホンって国だよ。」
「聞いたことない。どんなとこ?」
「海に浮かぶ小さな国で首都はトーキョー、人も多いよ。」
「そっか、それで掃除のモップとか知っていたんだ。」
勝手に解釈してるから、それでよしとしよう。
「他にも便利な道具とか知ってる?」
「気がついたら教えるよ。俺もそんなに詳しくないし。」
というか、地球の文明を持ち込んで大丈夫なのか。
まあ、便利になって天使が喜ぶならいっか。
思いついたらやってみよう。
「それとね、リュージ、この前は疑ってごめんね。」
「えっ?あ、あぁ、ウサギへの石投げか。いいよ、気にしてなかったし。」
やっぱ天使、真面目だわ。俺はすっかり忘れてた。
「あと、サイコロの目、この前私読めるって言ったよね。リュージの振る時だけ読めないって、どうしてだと思う?」
ちょっと考える。
俺の能力は、目が読めるんじゃなくて、モノを動かせるって答えていいのだろうか。
嘘をついていたのもバレちゃうし……。
「いや、まだよく分からない。考えついたら教えるよ。」
この嘘、ギリギリセーフ?……セーフだよね。
誰かセーフって言って……。
「そっか、そうだよね。」
天使の笑顔が曇る。やべ。何かフォローしなきゃ。
「でも、他は大丈夫なんだろ。俺だけ特別ってことにしようよ。」
あれっ、これってフォロー?言い間違えた?
見ると天使はポカンとして、みるみる顔が赤くなる。
「あっ、い、いや、そうじゃなくて、そうなんだけど、そういうことじゃなくて……」
俺もしどろもどろになる。
……沈黙が支配する。
「リュージ、前には俺がいるんだぞ。口説くなら俺のいないとこでやってくれ。」
ディックさんの声がする。
やべ、そういやディックさんが馭者だった。
二人きりじゃなかった。
というか聞かれてた?
正直に言わなくて正解かも。
「ディックさん、聞いてたの?」
「聞こえてきたんだよ。お前の声がでかいんだ。」
とりあえず、気まずい沈黙からは逃げられた。
ナイスフォロー……なのかな。
それからはディックさんも入れて、三人で楽しく話した。
組の仲間たちのそれぞれの役割とか能力とかを聞くと、俺と天使以外にはチートはいないようだ。
基本エルフ以外は特別な能力は持っていないとのことだったが、あっても隠すだろうから、この情報はあまりあてにはならない。
経営状況は、やっと最近持ち直したとのことで、パープル会とはお客様を奪い合っていて、そのうち揉めるかもしれないとのことだ。
もっとも俺は町では屋敷にずっといるので、俺がからまれることはなさそうだ。
天使は二年前に組長であった父親が亡くなり、後を継いだそうだ。
ディックさんやハリスさん、ほとんどの仲間が、そのまま天使を盛り立てているとのことで、天使から組長と呼ばないでってお願いされて、紆余曲折のあげくボスって呼ばれるようになったみたいだ……これはこれでどうなのかと俺は思う。
◆
そうこうするうちに町に着いた。
町に帰ってからは、俺は黒机に立ち続け、メイデン組のトップディーラーとして頑張った。
八日勤務、一日狩り、一日宴会が定着し、充実した毎日を送っていた。
この世界に来て二か月以上経っていて、それなりにこの世界の常識も分かってきた。
驚いたのは貨幣の価値で、一ケルンは日本円にして五円くらいの価値だった。
俺は毎日自己申告ノルマ四万ケルンを常に達成しているから、毎日二十万円以上稼いでいることになる。
ディーラーの取り分である稼ぎの二割が毎日支給されるため、既に手元には金貨が二十枚以上ある。
捕らぬ狸の皮算用ではあるが、八日勤務を計算に入れても、このまま続けると俺の年収は一千万円を超える。
おまけに食費住宅費光熱費は支給……給料は全部お小遣い……地球でのブラックな毎日が嘘のようだ。
これからは、もっとお客様を大切にしよう……生かさぬよう殺さぬように……。
天使との仲は、特に進展もなく、順調といえば順調、ヘタレといえばヘタレ。というよりチャンスがない。
時折廊下で会うものの挨拶だけで終わることが多く、十日に一回の宴会でも席は離れているし、あの後、帰りの馬車にも呼ばれていない。
何とかしなければ……。
◆
いつものように黒机に向かおうと準備をしていると、ハリスさんがやってきた。
「リュージ、パープル会の幹部が遊びに来た。注意してくれ。」
「えっ、どういうことですか?」
聞き返すと教えてくれた。
お客様として来るから拒めない、時々は様子見もかねて遊びに来る、あまり巻き上げすぎると暴れる、かといって気分よく帰らせるのはイヤ、とのことだ……どうしろって言うんだ。
ちなみにうちも時々パープル会に様子を見にいっているらしい。
ディックさんやハリスさんは勝ったり負けたりだが、天使は常勝……当たり前か。
俺は考えた。
ま、いつもと同じか。勝たせなきゃいいだけだ。
黒机に立った。
お客様が入ってくる。
「おいっ、見たことねえ顔だな。いつからやってる?」
髭だらけのおっさんがやってきた。
「初めまして。一ヶ月半くらい前からここに立たせていただいています。リュージです。よろしくお願いします。」
「おう、俺はロードだ。今日は勝たせてくれよ。」
どうやらこいつがパープル会のようだ。
ちらっとハリスさんを見ると、頷いている……今日のカモが決まった。
「ロードさん、とお呼びしていいですか?ゲームは運次第ですから、勝ち負けは別にして楽しんでいってください。」
「なら大丈夫だ。俺の運はとびきりいいからな。」
「お手柔らかにお願いします。」
ここまでいうなら大丈夫だろう。
今までのお客様は連敗が続かないよう配慮して、時々勝たせてきたが、こいつは別だ。
ケツの毛までむしってやる……むさいおっさんの毛は要らんけど。
勝負が始まる。
ロードがパープル会の幹部だと知っているのか、他のお客様は近寄ってこない。
一騎打ちになってしまった。
ま、計算しやすいから助かるけどね。
「一に五枚。」
ロードがそう言って、一の札と銀貨を五枚置く。
出した目は二。
「惜しかったですね。」
などとのたまい、銀貨を回収する。
「一と三に五枚。」
勝てば取り返して、なおかつ五枚の儲けになる。
同じ目は続かないだろうと思っているのだろうか。
出した目は同じく二。
「あちゃあ。続くかぁ。」
早くもエキサイトしている。
負け続けたら暴れるとか言っていたな。
頭に血が上りやすいんだろな……献血に行け。
その後はまた一点賭けに戻り、
「一に五枚。」
勝てば取り返せるという張り方をしてくる。
嫌な奴だ。
出した目は三。
さっきの賭け方をしていれば取り返せた。
悔しがらせるためにわざとそうした。
「一に五枚。」
出してやらない。
……五回終わったところで、次は勝たせて、一度チャラにしてやろうと考えていたら、
「一に十枚。」
ダメだ、ここで勝たせたら、取り返すばかりか勝たせちまう。
また二を出す。
「一に十枚。」
六を出す。
これで一以外の目は全て出た。
ロード七連敗中、銀貨四十五枚。
「一に十枚。」
ロードが勝つと五枚の儲けになる。
五枚くらいなら大したことないので、一度勝たせようかとも思ったが、天使をいじめる奴に容赦はしない。
勝たせてやるもんか。
「一に十五枚。」
「一に十五枚。」
「一に二十枚。」
「一に二十五枚。」
やりにくい。
徹底的に同じ目だ。
おまけに一度でも勝つと取り返せる賭け方をしてくる。
現在十一回、一は出していない。
巻き上げた銀貨は百五枚。
ここでも負けられない。
また二を出す。
これで十二回。銀貨百三十枚。
まだ二十分もたっていない。
お金をいくら用意してきたんだろうか。
探りを入れてみるか。
「なかなか一が出ませんね。賭け方変えてみたらいかがですか?」
もちろん他の目に賭けたら一を出すつもりだ。
「うるせぇ。てめえイカサマやってんじゃないのか。」
「していませんよ。というかできないでしょう。鉛入れて同じ目を出すならともかく、出さないってどうしたらできるのですか?知っていたら教えてほしいくらいです。」
スゴい目でにらんでくる。
ロードの手が伸びてくる。
殴られるかと思ったが、皿にあったサイコロを掴み、確認し始めた。
勝手にやってくれ。そう思っていると、皿の上にサイコロを投げた。
一を出してやろうかと思ったが、かろうじて思いとどまる。
賭けられてもいないし、あわてて不自然になっても困る。
そう考えていたら一が出た。
「ずっと出ていませんでしたから、そろそろ出る頃でしたね。」
偶然に感謝しつつ、とどめを刺す。
思いっ切り悔しそうにしていた。
「五に三十枚。」
ムスッとして目を変えてきた。
もちろん一を出す……なんか楽しくなってきた。
「五に四十枚。」
また一を続ける……俺ってSかもしれない。
もう一度とどめを刺す。
「続きますね。ロードさん大丈夫ですか?今日は運が悪いみたいですから、一度休憩してみたらいかがでしょうか。」
あくまで丁寧に、いや悪魔で泥濘に……。
これで銀貨二百枚巻き上げた。
「やかましい。酒もってこい。」
「分かりました。どういったお酒がお好みでしょうか?」
「何でもいい。強いやつだ。」
少しお待ちくださいと言って、係りの者に伝え、ウィスキーのような酒がくる。
こんな酒もあったんだ。そう思っていると、
「五に五十枚。」
おいおい、賭け方が変わってないぞ。
今回、一は出さないでおこう。
「五に六十枚。」
お金いくら持ってるの。
「五に七十枚。」
「五に八十枚。」
「五に百枚。」
既に俺のノルマは達成している。
ここまでで五万六千ケルン。そう思っていたら、
「五に百二十枚。」
「お客様、掛け金の上限は銀貨百枚までとなっております。申し訳ないのですが、お受けできません。」
初めて言ったセリフ……噛まずによかった。
「なんだと、勝ち逃げする気か。いいから受けろ。」
周りが見ている。
今までの喧騒が嘘のようにシンとなっている。
「申し訳ありません。規則ですので、お受けいたしかねます。」
あくまで冷静に。悪魔で冷製に……うまくない。
「やかましい。責任者を呼べ。」
そうきたか。
「この場での責任者は私になります。」
よく言った。
膝が震えているのは気のせいだろう……。
ロードが黙ってにらみつけてくる。
「じゃあ、サシで一回だけ勝負しろ。俺がサイコロ振るから、今までの負け分、お前が全部賭けろ。」
こいつがサイコロ振るって、もしかしてパープル会のディーラーか?
「もちろん俺がやったように一点賭けだぜ。」
無茶振りも甚だしい。
「そんな無茶な勝負受けられませんよ。もし私が勝った場合、お支払できるのですか?」
銀貨二千八百枚も払えるはずがない。そう思っていると、
「大丈夫だ。」
ニヤッと笑って金貨二十八枚を積み上げた。
「これで断れねえよな。」
……本日の収入。
銀貨五百六十枚、金貨二十八枚。合わせて三十三万六千ケルン。
ロードは椅子を蹴倒して帰っていった。
酒代払ってないけど、奢ってやろう。
ハリスさんがやってきた。
「やりすぎだ。」
そう言ってニヤッと笑った。