第15章 イエスタディ・ワンス・モア
オリビアとドーゴ温泉の大黒柱を見終わって、屋敷に戻った俺は、あらためて今後のことを考えた。
やるべきことはホワイトボードに書いてある。
それでも卵や魚のように、新たな問題点が浮上し、対策に追われる。
他に抜けはないのか、温泉一軒ではやがて廃れていくだろうから、本格的な町作りを考えるべきじゃないのか、そんな思いが、頭の中を駆け巡る。
とりあえず、今夜は寝よう。
翌日、今回も別荘に行く暇はなさそうなので、宴会はここの食堂ですることにした。
エマーソンには夕方までにこちらに来るよう使いをやった。
考えてみたが、町で宴会した方が、全員が参加できるし、前に考えていた女性陣へのねぎらいもできる。
賭博場や宿泊所の担当者は必要だが、二手に分かれて行うよりも、余計な人員が不要になるし、何かあってもすぐに対処できる。
これからしばらくは、ここで宴会をしよう。
夜になって、賭博場担当の十二人、宿泊所担当の五人を除く、四十二人の仲間が食堂に集まった。
ここのところの増員で、非常に手狭になっているが、入りきれないほどではない。
今日までの苦労をねぎらい、感謝を述べ、これからの頑張りをお願いする。
オリビアとの結婚がばれてから、全ての仕切りは、俺になっていた。
オリビアは隣で笑っている。
……笑って側にいてくれるだけでいい……俺がお願いしたんだけど……けど。
並んでいる料理は、全てマーレイの自信作だ。
先日出てきたサンドイッチ、カリカリベーコン、スクランブルエッグ、マヨネーズを使った野菜サラダ、初めて並ぶ温泉卵、ウサギ肉の味噌焼き、和風?パスタ。
これらが大量に並んでいる。
どれも美味そうだ。
マーレイ、よく頑張った。半分はリンダさんのためだろうけど。
宴会が始まる。
女性陣の食べっぷりがスゴい。
まるでフードファイターだ。
皆が楽しむ姿がとにかく嬉しい。
仲間たちの笑顔に包まれ、俺は幸せだ。
しみじみとそう思う。
「リュージ、飲んでるか?」
酔ったハリスさんがやってくる。
「ボスを頼むぞ。泣かせたら承知しねぇぞ。さあ、飲め。」
…………
「俺の酒が飲めねぇのか。」
いかん、虎がトラになった……。
ふと見ると、奥さんのマドンナさんは、旦那を無視してひたすら食っている。
誰か助けてくれぇ……。
次の日、隣の部屋からハリスさんがマドンナさんに怒られているのが聞こえ、その声で俺は目が覚めた。
昨日はひどい目にあった。
あれからハリスさんにさんざん飲まされ、途中からの記憶がない。
二日酔いで気分が悪い。
俺は食堂に行き、水を飲んだ。
マーレイの作る朝食に手をつける気にならず、そのまま部屋に戻り、立てかけてあるホワイトボードを見る。
最近の日課だ。
朝起きて、やるべきことを確認する。
優先順位をつけて、その日の仕事を決め、ひとつずつ片づけていく。
終わった仕事は、上に✖印をつける。
まだまだ✖のついていない項目は多い。
今日は、リンゴさんに新たに作る養鶏場の土地を見せ、開業後の卵確保を確実なものにしよう。
早く手をつけないと間に合わなくなる。
俺は、最近正式にお抱え運転手にしたフリップに馬車を出させ、オリビアとケーキと一緒に、リンゴさんのところに向かった。
お抱え運転手にしたことで、フリップは馬車を磨き上げ、十分に手入れもしてくれるようになり、すごく快適だ。
リンゴさんを馬車に載せ、ドーゴ温泉建設予定地に向かった。
「ここが新しい俺たちの屋敷です。宿泊施設にお客様を呼び、賭博場や温泉、それに料理を楽しんでもらう予定です。」
そういって、リンゴさんに、すでに二階の骨組みが完成していた建設中の建物を見せ、満室になれば二百三十二名となることを説明した。
ここで使う卵が最初は百個程度だが、最終的には毎日五百から六百個になることを伝えた。
リンゴさんは、そこまでの規模を考えていなかったみたいだったが、建設中の大きな建物、これから出す予定の料理の内容、なにより最近のメイデン組の躍進を知って、最優先で協力することを約束してくれた。
その後二キロほど離れた、養鶏場予定地に行き、ここでの養鶏をお願いした。
匂いがあるため離れた場所になり申し訳ないと謝ると、その方がやりやすいと言ってくれた。
加えて周辺に何もなく、草が生い茂っているので鶏を飼うのに素晴らしい環境だと、大いに気に入った様子だった。
リンゴさんは、ここに養鶏用の小屋と自分たちの住む家を建て、うまくいけばこちらに移住するとまで言ってくれた。
ドーゴ温泉の住人第一号になってくれるかもしれない。
養鶏場建設の手伝いがいるかと聞くと、自分でなんとかすると言ってくれた。
頼れる人だ。
あとは任せて大丈夫だろう。
隣の囲いを見て思い出した。山羊牧場も誰か探さなきゃ……。
この後、町に帰り、リンゴさんと別れた。
屋敷に戻って考えた。
既に日は暮れている。
ドーゴ温泉への日帰りは一日仕事になる。
まとめてやらないと無駄が多い。
山羊牧場の他に、あっちでやらなければいけないことって他にあったかな……。
肝心なことをすっかり忘れていた。
道路整備だ。
別荘までは道があるが、その先がない。
今は、馬車が何度も行き来したおかげで轍もでき、けもの道のような道ができているが、ロジャーさんたち、最初はあの建築資材をどうやって運び込んだのだろう。
相当苦労しただろうな。
申し訳ない気持ちになる。
明日から、手の空いている仲間全員で道を作らなきゃ。
そう決めて、俺は眠りについた。
翌日、ディックさんとハリスさんを呼び、皆の仕事状況を確認した。
幸い、ここのところ組員が増えており、すぐに出せるのは二十二人とのことで、全員を食堂に集めることにした。
道といっても、どこまで作るか。
舗装まではできないが、馬車が通りやすい道を作らなければならない。
まずは別荘を通る道から温泉までは絶対必要だ。
その先の養鶏場や山羊牧場はこの際後回しでもいい。
道幅も馬車がすれ違えるようにすると六メートルは必要になるが、一台分なら三メートルの幅で良い。
余裕を見て四メートルにしよう。
別荘から温泉までが二百、いや三百メートルあるとして、一日で作れる道はどのくらいの距離になるのか。
あっ、道具も必要だ。
つるはし、スコップってこの世界にあるのかな。
確か鍬はあったはずだ。
とにかく数を揃えなきゃ。
そんなことを考えているうちに、全員が食堂に揃ったので、皆に別荘から温泉まで道を作ることを伝えた。
農家出身で畑の開墾など経験のある者がいたので、リーダーを任せることにした。
草を取り地面を掘り起こして邪魔な石や木の根を取り除く班に十五人、地面を均して道を作る班に五人を割り振る。
リーダーを含む残りの二人は予備で、作業の進捗状況に合わせて手伝うようにした。
食事は別荘にいるエマーソンに任せよう。
次いで、作業に必要な道具を皆に聞きながらまとめ、途中で壊れることも考えて予備も含めた数を、午前中に町で仕入れさせることにした。
午後から別荘に行き、そこを拠点として、明日から作業に入る。
全員の当面の食料も用意し、馬車に積み込んだ。
あとはしばらくしてから様子を見に行こう。
次は山羊だ。
卵ほどではないにしろ、山羊乳も需要が高い。
それに、今は作れないが、将来的にはバターやチーズ、生クリームも欲しい。
早くマーレイ失敗しないかな、と失礼な期待をしている。
町に出て、ハリソンさんのところに行った。
山羊を飼っている業者は多く、数匹から数十匹という規模で、専業という業者はいないとのことだった。
たしかに別荘にも一匹飼っているし、家族だけであれば家に一匹飼っていれば山羊乳は賄える。
困った。
とりあえず規模の大きい業者を紹介してもらい、話を聞きに行った。
紹介された業者のうち、相談にのってくれたのは一人だけだった。
その一人は山羊を二十匹ほど飼っていて、本業は農家で、町外れに土地が余っているため、山羊を放牧しているとのことだった。
メイデン組の二号店近くで山羊牧場をしてほしいとのお願いは聞いてくれなかったが、つてを探して、二十匹の山羊を分けてくれることになった。
また町のメイデン組の屋敷にも山羊乳を安く納入してくれることとなり、あとは分けてもらった山羊の面倒を見る者を決めなければならない。
屋敷に戻り、ディックさんに相談すると、農家を引退した年寄りで、引き受けてくれそうな者がいるとのことで、任せることにした。
牧場近くに家を用意してあげなければいけない。
あっという間に一日が過ぎていく。
遅々として進まない。
いや進んでいるのだが、やることが多すぎて実感がわかない、というのが正解だろう。
焦っても仕方ない。
ポジティブにいこう。
久しぶりに使った気がする。
もっとも俺がいつも前向きでいられるのは、毎日オリビアの笑顔が隣にあるからだ。
一日の終わりは、必ず俺の部屋で笑って話をし、少しだけ抱き締め合って、おやすみのキスをする。
これがなければとうに投げ出している。
オリビアに感謝。
翌朝、マーレイが、パンが焼けたと言ってきた。
早速朝食にいただく。
バターは使っていないが、玉子風味の柔らかいクロワッサン。
これだぁぁぁぁぁ。
「マーレイ、美味い。すごい。柔らかい。これなら何個でも食べられるよ。」
マーレイの顔が満面の笑顔になる。
最近リンダさんとうまくいって、素直な感情表現を見ることが増えた気がする。
「ドーゴの朝の洋食は決まりだな。イースト菌、うまくいったんだな。」
俺が確認を取ると、そうだと答えた。
俺はこのパンの素となるパン生地を少し取っておいて、次のパン生地に練り込むといいと伝え、引き続き試してもらうことにした。
俺がおかわりのクロワッサンを食べていると、後ろから恥ずかしそうにリンダさんがやってきた。
「リュージさん、これも試してみてください。」
そういってリンダさんが差し出したのは、温泉まんじゅうだった。
「おぉ、これも美味いよ。」
一口食べて、俺はそう言った。
口に入れた瞬間、黒砂糖のきいた豆の餡と、それを包む周りの衣、マーレイが作る新しいパンの柔らかさを持ち、小麦粉に何か練り込んでいるような不思議な風味、少しついた焦げ目の風味、これらが混然となって拡がる。
俺はグルメレポーターかと、突っ込みたくなるような味。
これはいい。
「リンダさん、すごい。すごく美味しい。一級品だ。」
俺が手放しで褒めると、リンダさんは赤くなる。
というか、リンダさんより、マーレイが喜んでいる。
お似合いだ。
周りで見ていた奴が、次々に手を伸ばして食べる。
「「「美味えぇぇぇぇ。」」」
これで温泉のお土産も決まった。
このまんじゅうを町で売り出さないかという意見もあったがダメだ。
温泉まんじゅうは、温泉のものだ。
周りが助けてくれる。
周りが支えてくれる。
俺が手を出さなくても、理解して、実現してくれる仲間がいる。
俺はひとりじゃない。
俺は幸せだ。
朝食を食べ終わり、部屋に戻ろうとすると、呼び止められた。
見たような新人が、おずおずとやってくる。
誰だっけ……?
「リュージさん、報告があります。」
ん?
「温泉横の川ですけど……」
……思い出した。釣りだ。魚調査だ。
「すごくたくさん鮎がいます。誰も釣っていないので、魚が素直ですぐに釣れます。」
「そうか、分かった。ところでお前、何日釣っていたんだ。俺が指示出したのは、大分前だぞ。」
「す、すみません。入れ食いなので面白すぎて、つい。」
別荘に住み込んで、組の宴会にも帰らず四日間釣り三昧だったらしい。
何匹釣ったのだろう。
「まあいい。毎日百匹用意できそうか?」
全室満員で二百三十二人、朝食が半分和食になると仮定して、そのくらいは必要か。
「三日目に私も百匹以上釣りましたから、今は大丈夫だと思います。ですけど、捕りすぎると、魚がいなくなります。」
お前が、捕りすぎだろう……。
でも、こいつの言うことももっともだ。朝の和食の焼き魚は無理か。朝は洋食だけにしよう。鮎の塩焼きは、夜の季節限定追加メニューに変更した方がいいか。
「そうか、分かった。いっぱい遊んだんだから、今日からちゃんと働けよ。」
「はいっ。」
元気に返事をして、出ていった……遊んだ自覚はあるらしい……ちっ。
部屋に戻り、ホワイトボードを眺めながら、今日何をするか考えていた。
「リュージ、パープル会から招待が来たぞ。」
ハリスさんが、そう言って部屋に来た。
「なに?なんの招待?」
「ルーレットのお披露目だそうだ。」
そうか、パープル会にルーレット貸し出して十日以上になる。
ディーラーの訓練が終わって、今日がお披露目か。
しかし急だな。
「じゃ、ハリスさん行こうか。」
「おう。」
今日も飛び込みで一日が終わりそうだ。
秘書が欲しい……。
午後になって、パープル会に向かった。
「ご招待、ありがとうございます。」
入口で、丁寧に来たことを伝える。
受付は、俺の顔を覚えているらしく、挨拶する前に連絡を入れている。
もっとも俺って、ここで大勝負したことが、ほとんどの奴に知られているし、その線から顔が売れたのかもしれない。
奥から、すぐにグローバーがやってきた。
「わざわざありがとうございます。今日はお客様にルーレットをお披露目し、夕方からパーティとなっております。ゆっくりとお楽しみください。」
えっ、パーティまであるの?
聞いてないよぉ。
以前来た二階の特別室に案内され、パープル会初となるルーレットを見る。
金貨専門が一台、銀貨専門が三台になっている。
練習用には使わなかったらしい。
他人事ながら、これではディーラーを育てるのが大変だ。
ま、貸出料金が高すぎたかな。
俺とハリスさんは金貨専用机に向かった。
ハリスさんは常に俺の後ろにいる……またですか。
ホント、虎なのに忠犬だ。
とりあえず、横に立って様子を見る。
うちと同じく十二人掛けの机だ。
誰か顔の知られてない若い奴が、うちに出入りして調べているのだろう。
今日のディーラーはペイスがやっている。
この十日間ほど、ずっと練習していたようで、手つきも様になっている。
お客様もすでに九人いて、金貨を賭けている。
何人かはうちで遊んでいたお客様だ。
俺と目が合うと、ばつの悪そうな顔をしたので、笑顔で返した。
しばらく見ていたが、ペイスの腕がいいのか、お客様との駆け引きも一進一退で、少しずつディーラーが巻き上げている。
短い期間に、たいしたものだ。
「リュージさんも、お賭けになりませんか?」
ペイスが、俺に声をかける……命知らずな奴だ。
「いいんですか? じゃあ、お言葉に甘えて。」
俺はそう言って、空いていた席についた。
「じゃ、黒に一枚。」
仲良くすると決めたからには、ぼったくりはやめよう。
玉は黒の五に入る。
掛け金テーブルは十付近が空いており、ペイスは十を狙っていたはずだ。
俺は少しだけ玉を動かし隣に入れた。
金貨が二枚になる。
ポケットに一枚を戻し、掛け金テーブルの二付近の空きを確認し、
「黒に一枚。」
やはりペイスは二を狙っていたようで、また俺は少しだけ玉を動かし、黒の九。
しかし、ペイスって間違いなく狙った目に入れている。
うちのエリックより上じゃねえ?
正直驚いた。
この十日間どんな練習したんだろ。
練習方法を教えてほしい。
勝負は続く。
俺はその後、毎回金貨一枚を白黒のどちらかに賭け、目立たないように勝ったり負けたりしながら、金貨を少しずつ増やしていった。
夕方までは時間がある。
たまには遊びもいい。
時折ハリスさんと交代しながら、時間を潰していると、
「それではお客様、もうすぐパーティが始まりますので、今日は次で最後とさせていただきます。」
ペイスさんがそう言った。
もうそんな時間か。
見ると俺の前には、金貨が四十二枚あった。
「最後なら、お披露目のご祝儀で一に四十二枚。」
俺は、今日はじめての一点賭けをした。
勝てば金貨五百四枚、負けても、最初に賭けた一枚はポケットの中だからチャラ。
気楽なものだ。
ペイスは一瞬緊張したが、
「ありがとうございます。それではご祝儀いただきましょうか。」
そういって、ペイスは一の反対側にある九を狙った。
九でなくても一と離れた数字を狙うことは予想がついていたし、ペイスの一瞬の緊張を見逃さなかったこともあって、これから起こるであろう不自然さをペイスの緊張のせいにすべく、俺は、ペイスが玉を投げてすぐに力を使った。
ペイスは投げた瞬間、思っていたよりも早く転がる玉を見て焦った。
手が滑った、そう思った。
玉は転がり続け、黒の一に入った。
ペイスは焦った顔も見せず、
「相変わらず、お強いですね。まいりました。」
そういって、金貨束を十、金貨四枚を俺の前に積んだ。
俺は、そのうちの金貨一枚をポケットに入れ、三枚をペイスにチップとして渡した。
残った金貨束十、五百枚をそのまま返し、
「この前、負けた分だけ貰います。これで貸し借り無し。これは、さっき言った通り、ご祝儀です。納めてください。」
そういって五百万ケルンを渡した。