プロローグ
目が醒めると、そこは薄暗い空間だった。
俺はその景色を前にして、まだ夢の中にいるのだと考えたが、よくよく頭を働かせてみると、どうやらここは現実の世界であることが実感できた。
何故、ここが現実の世界だと分かったのかといえば、俺の肩から首にかけて、やたらと生々しい重みと温もりが感じ取れたからだ。
「……ここは、どこだ?」
「お、お決まりのセリフ出た!」
俺がふと呟いた言葉に、後ろにいる誰かが反応した。その声は若い女性のもので、俺と大して年の変わらない人だというのが分かった。
「……あんた誰?」
ボーッとしていて頭が回らない。意識もはっきりとしないままに、俺は自分の後ろにいる誰かに話しかけた。
「私はファイブ。数字の"5"から取って、ファイブよ」
……ファイブ、変な名前だな。もうちょっとひねった名前を考えつかなかったのだろうか?
微睡みの中で、俺は彼女に対する率直な感想を思い浮かべた。
「む、失礼ね人の名前に難癖付けるとか。別に自分で名付けた訳じゃないしー」
ギョッとした。今、この声の主は何といった?
俺の考えていたことを読み取ったかのような彼女の態度に、俺の心臓がドクンと跳ねた。
「驚いた? 私はあなたの心を読み取ることが出来るの。最も、他の人の心は読めないけどね」
そう言って、彼女は俺の肩から離れ、俺の前に移動した。
彼女の姿が、俺の視界に映し出される。
雪のように真っ白な長髪。この世のものとは思えないふわふわの絹のような髪が見えた。それは左右に結ばれたツインテールを形作っており、愛らしい人形のような印象を醸し出している。
一瞬、俺は彼女が本物の人形なのではないかと疑ったが、よく目を凝らすと彼女の表情は、年相応に見える人間味のある顔立ちだった。
感情豊かというか、何やら楽しそうな笑顔を浮かべている彼女は、無感情な人形などでは無い事くらいは分かった。
……でも、
「……お前、人間じゃないな」
「こんな美少女を目の前にして第一声がそれ!? ……うーん、まあ人間離れした美しさと言うなら、差し支えないけど……」
少女は俺の言葉をどう捉えたのか、うーんと頭を捻ってうねった。
……まあ、そんなことより俺にはこいつに聞きたいことがあるんだ。
「……なあ、ファイブって言ったけ? ここはどこだ、あんたは誰なんだ?」
「あ、私の美しさについてはもういいのね。出来ればもうちょっと触れて欲しかったんだけど……ま、いっか」
ファイブは襟筋を正し始めた。息を整え、これから大事な話をするらしい。
「えー、それでは言います。あなたは……死にました」
………………。
…………。
……。
「で?」
「あれ? 反応薄い? 死んで早々悟っちゃった系?」
「俺はその先の話を聞きたいんだ。俺が死んだのは、まあ納得できないけど。そんな簡単に自分の死を受け入れられないし。俺が知りたいのはここはどこかって話であんたは誰かってことなんだよ」
「あ、ああ。自己紹介がして欲しかったのね。そして、ここがどこか知りたいと。……ふん、理解した。自己紹介は、さっきしたわよね? それで、ここがどこかって話だけど、有り体に言っちゃえばここは、死後の世界なの」
「自己紹介って、名前しか聞いてないんだけどな。しかし、死後の世界ねえ……」
本当にそんな世界があったとは驚きだ。薄暗くて淡い光しかないこの広いのか狭いのか距離感も掴めないこんな世界が、死んだ奴のいく所なのか?
死後の世界っていうのは、天国とか地獄があるっていう話だけど、俺はどちらに行くのだろうか? それともそんな分かりやすいものは無く、このままずっとこの薄暗い世界に居続けるのか。
あるいは生まれ変わるのか。魂とやらが実際に存在するのだとしたら、異世界転生だって夢じゃないかもしれないな。赤ちゃんになって新しい人生を歩むようになって……。
「うーん、赤ちゃんにはならないかな。あなたは以前と全く同じ姿で異世界に行って、そこで新たな人生を歩むんだからね」
「……はぁ?」
「分からない? あなたはこれから、第二の人生を生きるチャンスがあるのよ! 私たちが遣える『神様』が創り出した、ファンタジー世界で!」
……ファンタジー世界? 何言ってんだこいつ。
「差し当たって、あなたには私から異世界で生活するだけの特典を与えます。これで異世界でも大活躍! お気楽ライフが待っていますよー!」
「はぁ」
「テンション低いわねー。これから勝ち組人生が待ってるんだから、もうちょっとアゲてくれてもいいのに」
「いや、リアクションに困っているんだ。話に全然ついていけなくて」
「細かい事はいいの。それよりも、早く外の世界に行きましょう! 私、ずっとこの瞬間を待ち望んでいたんだから!」
「待て待て待て、状況が読めない。一つずつ順番に説明してくれ!」
なんだかよく分からないが、自分は大変なことに巻き込まれているのは理解できた。このまま流されて居たらろくな目に合わないだろう。
「説明と言われましても、何を説明すればいいの?」
「ここが死後の世界なのは分かった。んで、あんたがファイブ? っていう名前なのも。俺が知りたいのは異世界、に行くとか言ってるけど何でそんな所に行かなきゃならないんだ」
「特に理由ははいかな。強いて言えば、私が行きたいから?」
「あぁ!?」
「私たち『天使』は、それぞれが担当した転生者と同伴でないと自由に行き来できないの。だから私が外の世界に行くためには、あなたの協力が必要不可欠ってわけ」
「何を言ってるのかよく分からない! え、なに? 天使って……、また謎情報が流れ込んできたな……」
俺がこの意味不明な状況に知恵熱を出していると、ファイブが俺の腕を引っ張って無理やり移動させてきた。
「ちょ、おい!!」
「さぁ、行くわよ外の世界へ! この転移装置に乗れば、異世界へあっという間に移動できるから! 勇気を出してさあ!」
ファイブが指し示した先には、蒼色に輝くサークルがあった。その中に光の柱のようなものがあり、その光は高く高く天まで続いていた。
無理やり転移装置とやらに俺を引きずるファイブ。
そうはさせるかと、俺は反対側に力を込め、それに抗った。
「ふっざけんな! ろくすっぽ説明もされてないのに誰がそんな所に行くか! 俺を元の世界に返せ!」
「それは無理、だってあなた既に死んでるもの!」
「ならそれについての説明を先にしろよ!」
「あなたは、高校からの帰りに交通事故に遭って、そのまま手術の甲斐なく亡くなったんの!」
「おお、そうか!」
………………………………。
「って! それで説明終わりか!?」
「まあ他に特筆だてて説明する事は無いし?」
「人の生死を軽く扱いやがって! 天使のくせに悪魔みたいな冷淡ぶりだ!」
「悪魔とか言わないでよ! こんなに可愛い天使なのに!」
「自分で言うな自分で!だいたいどの辺が天使なんだよ、翼も生えてないのに!」
「ああ、私は生まれたばかりの雛鳥のようなものだから、まだ完全体ではないの。時が経つにつれ翼も生えてくると思うから、その辺はスルーでお願い」
「何それ!? どう言う仕組みなんだよ!? ていうか、生まれたばかりの雛鳥とか欠陥品もいいとこじゃねえか! 何が悲しくてそんな奴と一緒に異世界に行かなくちゃならないんだ!」
「どう言い足掻こうと無駄よ。あなたは死んだんの。それに、このままここに居続けたら、たちまち体が浄化されて、新しい命として転生されちゃうわ」
ファイブに言われて、ふと自分の腕に視線を向けると、自分の腕が透けて見えることに気がついた。
「何これ!?」
「ほら、浄化は既に始まってる! 詳しい話は後でするから、取り敢えず私について来て! 悪いようにはしないから!」
「嫌だ!!」
「何で!?」
何でもクソも無いよ馬鹿野郎。誰がそんな怪しい話について行くか、絶対怪しい勧誘とかだよ。
俺がテコでも動かないと踏ん張っている間にも、俺の体はみるみるうちに透き通っていく。まるで自分という存在にお湯が次々注がれて、そのまま希釈されていっているようだ。
「呑気に棒立ちしている場合じゃないって!? このままだとあなた、正規手順を踏まないまま強制転生されて、来世はノミかごま昆布になっちゃうよ!?」
「男は黙ってラリルレロ! 何と言われようと意地でもここを動くもんか!」
「くっ、なんて強情な! だがそうはさせない、私はあなたのことならなんでも知っているんだからね!!」
そしてファイブは、在ろう事か俺の鼻を無理やり抓り始めたのだ。なんとも言えない痛みと呼吸困難が俺に襲いかかる。
「うわ、鼻を抓むな! それだけはヤメロォ!!」
「はっはー! あなたは鼻を抓まれるのが弱いのよね!? さらにホラ! 脇腹をくすぐってややる! これで手も足も出ないでしょう!?」
「お、お前!! 俺の弱点を知り尽くしているのか!?」
「そういうこと!! そしてあなたが苦悩している間に、私はあなたの両腕をホールドする!」
ファイブは俺の後ろに回り込んで、脇の下から両腕を差し込んで、俺の身柄を拘束した。
「うわ、離せ!」
「離さない! よーし、このまま転移装置まで引きずり込んで、とっと異世界に出発よ!!」
俺は何とかファイブの拘束から逃れようと暴れまわったが、思いのほかガッチリと締められているせいで離れられなかった。
あれよあれよという内に、俺とファイブはその転移装置とやらに入ってしまった。
サークルは俺たちが中に入るや否や、一層光を強めて天空の何も無いところに大きな"穴"が出現した。
何事かという前に、俺たちの身体は浮かび上がった。抵抗する暇もなく、吸い込まれるように俺の身体は穴の中に近づいて行く。
「さあ!! いよいよ始まります、私たちの冒険が!! あーはっはっは!!」
「取り敢えず誰か、俺に事情を説明してくれええええええええええええ!!!!」
俺の悲鳴は、暗闇の彼方へと延々に漂い続け、ついに誰の耳にも届く事はなかった。