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【小話】窓の外へ

 ――全てを飲み込むように燃え上がった炎。美しくも非情なる輝きと揺らめきは、今も夜の闇に、夢の(とばり)に紛れて現れては神経を強張らせる。


 脳裏に浮かぶのは幼い兄妹の姿。あの日、屋敷の全てを糧にして炎は濃く赤くその力を増していった。

 落ちてくる瓦礫に押しつぶされ、閉じこめられ、燃やされ、隙間から覗く小さな手は必死に助けを求めて揺らいでいた。小さい手は彼らだけではない。自分もそうだった。何も出来ないまま次々に絶命していく姿が記憶に刻まれていく。

 炎を巻き上げた風が渦を巻いて竜になる。抜け落ちた屋根の穴から悪魔が飛び立つように空へと伸びていた。


 ジリジリと熱で痛む青い目が必死に退路を探す。ハッと自分の背でも届きそうで、戸板の打ち付けが少ない窓があったことを思い出した。しかしそこは、少しの陸地を残してすぐ下は深い崖になっていた。日常的にゴミ等を投げ捨てていた場所だ。

 ここから逃れるために出来ることは一つしか無い。恐怖と不安で足がすくむ。でも選択は他に無いこということは、幼心にもわかっていた。


 奥歯をギッと噛み、降りかかる火の粉を払いつつ、その場所へと向かう。その途中、肖像画の前でまだ息のある兄弟を見つけた。自分よりひと回り小さく見える。腰が抜けているのか、すでにこの状況で全ての希望を捨てたのか、へたりと座り込んでいた。両手を広げて乱暴に抱き上げる。精も根も尽きているのか暴れることはなかった。

 古い木材が燃える煙に混じって、髪と肌が…人が焼ける臭いがして吐き気がする。

 必死の思いで窓に到着すると、すでに戸板は外された後。誰かが先を行ったようだ。壁にあった小棚の中身全てを引っかき出し、窓の下まで引きずって足場を作ると、幼子と屋敷を脱出した。

 ……ただ問題はそこから先だ。草が生い茂る数歩先にはもう道はない。しかし戻る道ももう無かった。


『生きろ……!!』


 上手く着水するようにと願いながら、担ぎ直した幼子を崖下へと放り投げる。炎の熱に耐えられなくなった背中も、もう限界だ。最後は自分の身も投げた。

 みるみる遠くなる空。途中、同じことを考えて先に飛び降りていた幼子達が、着水出来ずに岩肌で朽ちているのを見つけ、思わず祈る。


――『せめて最期は、痛みが続きませんように』


 ふっと途切れた意識。

 次に気がついたときにはどこかの川岸に引っかかっていた。

 真っ暗な空には月が浮かんでいて、その周りをキラキラとした星が無機質に散らばっていた。川のせせらぎに似合う青白い光りにぼんやりと浮かぶのは、流木に絡まったゴミ……ではなく、よく見ると力尽きた弟の一人だった。浅い水の中に突っ伏したままピクリとも動かない。目を凝らせばそんな小さな背が作る山がいくつも水面に揺れている。この光景を見ている人間はどうやら自分だけのようだ。

 遠くで狼の鳴き声がした。血の臭いを嗅ぎ分けて、きっと周辺をうろつき始めるだろう。ここにいても先はない。

 

 身体をゆっくりと起こすが、自分でも何が起こっているのかわからないくらい体中が痛かった。引きつる肌を、きしむ骨を無理やりちぎるようにして動かす。

 本能が無意識のまま、ただ生き残ることだけを求めていた。







「――……」

 

 籠とも牢ともいえるあの場所から半ば無理やり解放され、もう随分と時は流れた。

 運良く外の世界に出られたとしても、そこから生き残るには術がいる。そして何より時の運も。

 そう、自分が今こうして生きているのは、体格や経験だけではない。運も良かったからに違いない。

 

(……いや、運が良いと言うべきかどうかも、本来は怪しいところだがな) 


 よく磨かれ、手入れの行き届いたこの部屋には眠っている男がいた。螺旋を描く柱が四方を囲み、艶のある瑠璃色の布地にシルク糸の刺繍が彩られている天蓋が主のように佇んでいる。その身分にふさわしい真っ白なシーツが敷かれ、羽毛の布団は上等なパンのように膨らんでいた。白髪混じりの髪が枕にゆるく広がっている。

 もし親が生きているのならこの男ぐらいの歳なのかもしれない、ふとそんなことが頭をよぎった。


「この死に損ないが」

「――――……」


 青年は懐から手の中に収まる程の小さな革袋を取り出すと指先で弾くように放り、布団に小さなくぼみを作る。

 男は起きていたようで、うっすらと目を開けたが青年の言葉に憤る様子はない。肌は荒れ地に生える木の皮にも似ていて、年齢よりも多くのシワを目元に刻みながら僅かに細めた。その微笑に力はないが、青年が過去に出会った男達の中でも特に優美に感じられた。


 男は視線だけを動かし青年を窓へと促す。そこには樫の木で出来た小さな棚があり、青年の片手にも少し余る程膨らんだ革袋が置かれている。青年はそれを手に取り自分のものとした。

 男は重そうに布団をめくりながら投げられた革袋の方へと震える手を伸ばす。

 一方、青年は男の様子を最後まで見届けること無く手で窓を押し開いた。白んできた空は濃紺へのグラデーションを描きつつも風にはまだ夜の気配を残している。


「邪魔したな」

 

 この地で行う最後の仕事が始まる。縁に足をかけ、その身を外の世界へと投げ出した。その一歩はあの日(・・・)と同じ踏切りをしたのかもしれない。

 しかし、身体にはあの時には無かった力と、それを使いこなしてきた経験が備わっていた。

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