【前】私にできること
あの人が来てくれた。無理を押して…会いに来てくれた。
陰ってしまった瞳が自分を心配する為だと知って生まれた罪悪感、でもそれ以上の感情が冷え切った身体の中に熱い血を駆けめぐらせる。
今朝までの不安が押し流されたようだ。鳥のように羽ばたいていけそうな気すらしてくる。
もしかして彼のしてくれたキスは、知らない言葉で祈りを込めてくれたものなのかもしれない。全てを諦めかけていた人間に生気が宿る不思議なおまじないだったのかも……。
顔を上げて男達の顔を見る。王子が脅したせいでやや目が泳ぎ気味だが、きっと部屋に入れば自身の立場と仕事を思い出すだろう。
「では……」と衛兵に案内され、ポルトは素直に彼らの背に着く。ゆっくりと取調室へと鳴る靴音。向かう途中、彼らの不安げな小声が耳に入る。
「殿下…、こんなことして大丈夫なのか……?陛下の命に逆らったことになるんじゃ……」
「参考人の事情聴取の時も、大臣達に随分無理を言ったらしいしな。まだ子供じゃないか。こんな子ひとりの為に何故お立場を傾けるようなことをなさるのか………」
「陛下の腹心だったダーナー様もこの冬を越せないんじゃないかって噂だ。殿下でなくクラウス様を還俗させて次期国王に推す一派もいるそうじゃないか。今回のこれは美味しい出来事かも知れないが…、どちらにせよ殿下は随分と今回無茶をされる……。今後荒れなきゃいいけどな……」
「大臣達も含めてな」
それはポルト自身も危惧するところだ。
(カールトン様のこと……言うべきなんだろうな……。でも……)
彼との約束を思い出す。……それ以上に、話せばきっと自分は後悔することになる。
「そもそも、こいつ本当に女なのか…?殿下は花嫁だって言っていたが…こっちにゃ全然知らされてなかったぞ……。大きな声じゃ言えねぇが、今見たって…こ汚い小姓じゃねぇか……っ」
すみません、もうサラシ巻いてないんですけど。小声でも通路に響いてそこそこしっかり聞こえるんですけど!……という言葉が脳裏に浮かんだが飲み込むことにした。
身ぐるみを剥がされて無かったせいだろう、やはり女であることはまだあまり知られてないらしい。
「聖神具って言やぁ、王家が代々守ってきたっていう…アレだろ?神様から貰ったっていう国宝みてぇなやつ。なんでも望めば何でも叶えてくれるっていう話じゃねぇか」
「じゃぁ、こいつに手を出したら、俺たちは本当に呪われて地獄に落ちてしまうんじゃないか……?」
その言葉にポルトは足を止める。
「そんなことはありません」
王子と指輪が選んだ娘への冒涜は、神への冒涜に等しい。……きっと彼らは王子の言った言葉通りに思っているのだろう。
ただ、残念ながら自分は何処にでもいるただの人間だし、その価値は今までの人生が証明している。もしも神様がこんな娘の為に特別な何かしてくれるというのなら、今ここにいることも無かったはずだ。
彼らの考えていることは全ては、不安からくる妄想であると確信している。
「私に構う必要はありません。もしこの身に起きたことで神がお怒りになられたら、私があなた方の盾になりましょう」
「「…っ……」」
ポルトから出た言葉は、これからその身に起こることなどまるで意に介さないかのようだ。普通なら命乞いの一つ、していてもおかしくないというのに…何故この囚人は……。
男達は驚きを隠せない。
「殿下が水心を出したと思われたら彼の立場を悪くするだけです。罪に問われ、ここにいるのは私にも原因があります。相応の罰は受けて然るべきです」
「し…しかし貴女は殿下の……っ、将来この国の王妃となられる方では……っ?」
「――っ……」
ポルトが一瞬口をつぐんだ。……そんなもの望んではいない。
夜の中庭で恋文を手渡した娘リーゼも、隣に座すに相応しい女性になるため幼い頃から教養を身につけていたエルゼも、そして言えない罪を重ねてしまった自分も……。
彼を想う気持ちの先には、階級など関係ない望みがあった。
「私は…あの方のために着るドレスは持ってはいません。これからも…そんな日は来ないでしょう」
……月を掴むような話で、きっとお伽噺にだってならないだろう。それでも、少しでも近付こうと必死に足掻いたのだ。
「すでにお話できることは全てお話しました。これ以上、皆さんが欲しがっているような情報はありません。此処から先は……貴方達と私の根比べです」
未だ肩の力が抜けない彼らの前で表情を和らげると袖をまくる。細いがほどよく筋肉のついた腕を見せた。白い肌に刻まれた幾筋もの傷跡がここまで平坦ではなかった道を語っていた。
「私は背は小さいし、見た目は頼りないですけれど、これでも先の大戦では前線にいたこともあるんですよ。戦場で培われた体力と精神力、楽しみにしていて下さい」
「「―――……っ……」」
場は静かになり、ポルトもひとまず呼吸を整える。
この先どうすればいいかなんてわからない。取れる策など何もない。
今まで巡り会った人々の顔が浮かぶ。
(どうすれば……みんな幸せになれる……?)
身体の痛みも心の痛みも知っている。辛いことが多すぎた。もう誰も傷つかなくて良い。
巡る季節を、心許せる者と穏やかに過ごせればそれで十分。
窓のない廊下、暗闇の奥に部屋がある。今日もここで長い長い一日が始まる。
(……ここでどんな痛みに耐えたところで状況は変わらない。どうすれば……)
黒ずんだレンガに囲まれた重厚な木製の扉を前にしても答えは出ないまま。
身体がその気持ちを察したのか、ドアノッカーを握っても上手く扉を開くことが出来なかった。
「私が開けましょう」
衛兵のひとりが手を伸ばしたが、前後に動かしても金具がガチャガチャと鳴るだけで動かない。
鍵でもかかっているんだろうか、そう思った衛兵が腰に下げていた鍵束に手を伸ばそうとした時だった。後ろにいた拷問官が膝から崩れて倒れ込んだ。
「……!?」
「お、おい…!どうした…!!」
衛兵が男の元へ駆け寄るが、何故か彼もそのまま重なるように静かに倒れ込む。
「え…っ?……えぇ……っ!?ま・まさか貴女が!?」
「ち・違います!私は何も……!!とにかくお医者様を……!」
「そうだ…!お医者様を…!!」
光が遮られた薄暗闇の中で起きた異変。違和感を察したフォルカーが奥から駆けつけた。
「――おい!何を騒いでいる!」
「フォルカー殿下!!彼らが急に…倒れ込んでしまって……!私、お医者様を呼んで参ります!!姫君をお願い致します!」
「なんだと…!?……わかった。ポルトは俺が引き受ける。行ってこい!」
「担架で二人を運ぶ準備もお願いします!北棟近くにはニクルス隊の護衛兵がいるはずです!」
「承知いたしました!」
衛兵は慌てて出口へと向かう。
しかし、数歩進んだところで小さな声をあげたかと思うと、体中から力が抜けたかのように倒れ込んでしまった。
「……!?」
駆け寄り、身体を上向きにする。
声を掛けるが反応は無く瞼は閉じられている。慌てて指を首筋に当てて脈を調べた。……鼓動は止まってはいない。気を失っているようだが…何故突然……?
「ポチ!!」
「っ!!」
ふいにフォルカーがポルトの腕を強く引っ張った。
体勢を整えながら自分のいた場所をみると、そこには闇に溶け込むように身を潜ませていた影が揺らぐ。
「誰だ……!?」
ポルトを背に隠しながら、フォルカーは光の当たる通路まで後退した。
影はフォルカーの声に応えるようにゆっくりと陽の光の下へと歩み出る。輪郭を表したのは仄暗い衣装を身に纏った一人の男……。口元を覆った布の上から獣のような光を宿す瞳が見えた。




