東国のリガルティア
指先はかじかんで動かない。身体は小刻みに震え、浅く吐く息はもう白く凍りはしなかった。
石壁にもたれ、床を…窓から漏れる朝日をただ眺めている。
つい数時間前にここで起こったこと、聞いたことをぐるぐると考えていた。
闇の中でランタンの明かりひとつがゆらゆらと揺れていた様は、今思い出しても夢のように思える。
クラウスの優しい口調で告げられた道。
エルゼが涙混じりに出した道。
そして……
――『俺の側を離れないと…約束してくれ』
(殿…下……)
誰もいない指輪の間で彼が、この自分に差し伸べた道。
――『何か特別なことをしようと思わなくていい。今のままでいいから、俺の見える…手が届くところにいてくれ』
甘く、それでいて胸を千切る痛みを引き起こすビジョンは、脳裏に次々と浮かんで消えていく。その間に潜り込むように、大聖堂の鐘が朝の刻を告げる音が鳴る。それを合図に国中の教会の鐘も鳴った。
もうしばらくしたら一日が…尋問が始まる。
(やっぱり捜査が進んでいなかったんだ……)
最初の尋問官は三日ほどで交代になった。
次に来たのは上司のアントン、そして副隊長のリートだ。そして今日からは尋問官という名の拷問官になるそうだ。対象となる人物に要求を飲ませる為、もしくは情報を聞き出す為に肉体的精神的苦痛を与えることに長けた人物。国の正式な役人ではあるが、その仕事内容から人々に不浄な存在と忌み嫌われ、正式な場への招待はされない。
ポルト自身、誰かに褒められるような生まれも育ちもしていない。職務を全うしようとする姿勢は、等しく認められるべきだとは考えている。しかし、彼らはその日々の生活から一風変わった……心の何処かが変に壊れているように感じる人物が多い。中には人体を痛め尽くすことに快感を得る者すらいるのだという。
これからそんな狂気じみた人物と対峙しなくてはいけないと思うと、心は揺れる。素直に全て話してしまえば良いのではないかと、心の声が大きくなる。
自分のこと、カールトンのこと…話していないことは確かにある。でもそれは……。
胸の中で葛藤する思い。それは喉の奥に飲み込んだ。
(……殿下……)
真っ直ぐに自分を見つめてくれた瞳を汚したくない。
例えいつか離れる運命だとしても……嫌われたくない。あの人にだけは。
(………殿下……殿下……)
肉体的な苦痛はいつか解放される。
でも魂に受けた苦痛は、きっと死んだって癒されることはない。
せめてそれだけは許して欲しい。両足を抱えて顔を埋めた時だった。
牢に響く足音が近づいてくるのがわかった。
それは選択を迫る運命の音。
「よぉ!」
「……?」
頭上から聞こえたのは思いも寄らない明るい声。
見上げると鉄格子の向こう側に見覚えのあるローブが揺れる。
そこにいたのは紛れもない、主フォルカーだった。
「っ……!?」
寒さ以上の驚きで思わず口が開き、声も出ない。
フォルカーは入ってきた廊下に向かって「おい!さっさと開けろ!」と怒号を飛ばす。しばらくしてフォルカーとは違い、泣きそうなほど眉を寄せた衛兵が、腰を押さえながら入ってきた。どうやら一度断って蹴られたらしい。この人は昔から足癖も悪い。
「フォルカー殿下……!勝手にこんなこと…困ります……!もし容疑者が逃げたら……、私だってクビになるだけじゃ済まなくなります……っ」
「心配なら俺ごと檻に入れて鍵を閉めておけ!」
「えっ!?殿下を牢に入れる!?そんなこと出来るわけないじゃないですか!」
「じゃーテメーを檻にブチ込んで、俺とこいつが牢から出るッッ!!!」
「えぇえぇえッッッ!?!?も・目的変わ…ッ!?エッ!?ン!?」
(…………相変わらずだ………)
衛兵に同情しつつも口は挟めない。
「とととととにかくッ!!!本当は囚人に会わせることすら駄目なんですから…!特に陛下から殿下だけは会わせないようにって直々にお達しが出てるんです。これだけでも良しとしてください……!担当官が来る前までに終わらせて下さいね……!!」
涙目でそう言うと、衛兵は逃げるように通路を走っていった。
その後ろ姿に「クソッ」とばかりにフォルカーは舌打ちをする。たまに思うけど、この人の素振りは深夜の飲み屋の前にいる素行の悪い若者のようだ。
「殿下……?」
「……つーワケだ。中に入ってやれなくて、すまんな」
「何故ここに……っ?囚人との接触は禁止されているはずでは…!?」
「だから今まで我慢してたんだろうが。俺だってお前に聞きたいことはある」
鉄格子のすぐ側に腰を下ろした。石床を這うように、ポルトも近づいて鉄格子を掴む。
「あれ?お前、なんか痩せたなぁ…。……やっぱり俺の命令は通ってなかったか。ここの囚人には一日一回だったな…。俺、ちゃんと飯を出すように言っておいたんだぜ?嘘じゃねぇぞ?ホントだぞ?」
「でも温かいスープも出ますし、具もありました。パンだってちぎって時間をあけて食べれば問題ありません。私は大丈夫です。殿下こそ目の下にクマができてますよ。ちゃんと休んでますか?布団蹴飛ばしてお腹冷やしたりしてませんか?」
「阿呆。お前じゃあるまいし」
憎まれ口を叩きながらも、フォルカーの指先は鉄格子を掴んでいた白い手に重ねられる。その温もりに、思わずポルトの胸が締め付けられた。これが彼を想う気持ちからなのか、彼に隠し事をしている後ろめたさからなのかはわからない。
「なんて冷たい手ェしてんだ……。会った頃より酷くなってるじゃねぇか……」
「私を心配して来てくれたのですか?」
目を閉じ温かい手の平の感触を感じていたが、彼からの返答はない。ふいに黒い靄が胸中を襲う。
「その…殿下……、ご迷惑をおかけして…申し訳ありません……」
「迷惑か……。確かに犬は暴れるし、勝手を知らない新人従者を、一から選び直して教え直すのはクソ面倒くせぇ。迷惑をかけてるとわかってんなら、さっさと聞かれたことに答えて帰ってこい。女だからって『聞くな、察しろ』っつーのは、レベルの低い野郎連中には通じねーんだからな」
「―――……」
『帰ってこい』、それは嬉しくも辛い言葉。
「あの……、カロンとシーザーは?」
「ああ、ちょっと前に指輪探すんだって兵どもが狼小屋をひっくり返しちまったから、今は俺の部屋に避難させてる。今日には元通りになるから戻すけどな。……二匹とも、お前がいなくなって寂しそうだぞ。ずっとお前の部屋の方を見てる」
「そうですか……。カロンは特に私が捕まる所を見ていましたから…心配しているでしょうね」
ポルトはふと思いつき、フォルカーに背を向けるとシャツを脱いだ。
「な…!お前こんな所でストリップ……っ」
「馬鹿、違います…っ」
ポルトは胸に巻いていたサラシをとり、シャツを着直す。
「これを!半分に切って、カロンとシーザーにあげてくださいっ。私は元気だと…そう伝えて下さい……っ」
「俺には今履いてるパンツでいいぞ?」
「あ げ ま せ ん」
大急ぎで丸めた布を鉄格子の隙間からフォルカーに渡す。
「それと…少し言いにくいんですけど……」
「何?」
「ローガン様はとても動物が…特に犬がお好きです。生体の知識もありますし、シーザーとカロンも比較的彼には慣れています。だから、もし私に何かあったら次の世話係は……」
「――……」
「……彼にお願いできたら…と……」
「何かって何だ?」
「わかりません。でも……」
先の言葉は出ない。フォルカーは心が離れていないと示すようにポルトの手をずっと握り続けていたが、残された時間が背を押す。しばらく押し黙っていた口がゆっくりと開いた。
「ポチ……」
鉄格子越しに見る彼の瞳はいつもの綺麗なエメラルドグリーン。そこに自分の姿が写っていた。それは思っていたよりもずっと、土埃に汚れたみすぼらしい小娘の姿だった。
「疑っていたわけじゃなかったが……お前のこと、調べさせて貰った」
「………」
「前に聞いていたとおりだ。お前の言葉通り記録は残っていなかったよ。本当に何も無かった。役所の書類、聖堂の記録、生き残った村人の証言……、どこにもお前はいなかった」
――例えば…断頭台に立つ囚人はこんな気持だろうか?
ポルトはふいにそんな事を考えた。
「つまり……『リリア=チュリッヒ』なんて奴はいない。そうだろ?」
「…………」
「勿論、『ポルト=ツィックラー』なんて奴もいない。そうだな?」
喉の奥が熱い。この動揺する心のまま叫ぶことが出来たら少しは楽になれただろうか。
柔らかくもどこか緊迫した雰囲気を纏う声に、抗うことなく小さく「はい」と答えた。
「俺はまだ…お前の名前すら知らなかったんだな」
「―――……」
説明する言葉を見つけることが出来ない。
フォルカーは繋いでいた手を持ち上げて、冷たい指先に口唇をそっと押しつけた。
「俺…お前が好きだ」
「……!!」
「こんな場所で言うもんじゃねえよな」
そう言いながらフォルカーは困ったように笑う。
そして、大きな手を蜂蜜色の髪に埋めてかき回した。
「ほんとにお前は…拾ってきたばかりのカロンみてぇだな」
「っ?」
「俺は……俺の見てきたお前しか知らねぇ。前に何があったかなんて全然わかんねぇけど…、こんなことでもなきゃ、別に知らなくても良いって思ってたんだ。だって、今更どうでもいいだろ?どれだけ一緒にいたんだよ。何があったってお前に対する気持ちが変わったりなんかしないって」
静かな声が空気に揺れ、フォルカーの耳には鈴の音が聞こえ始める。
「俺は、お前が好きだ。お前も…そうなんだろ?」
「……私は………」
吐息混じりの震える声。フォルカーの顔を見ることが出来なくて、顔を伏せた。
寒さではない震えが鉄格子にも伝わった。
―――リィ…ン リィ…ン リィン リィン
鉄格子に額を押しつけたまま、ポルトは声を殺して泣いた。
途切れ途切れに漏れる息が凍る。床石に落ちる滴が跳ねて、淡く届いた陽の光に照らされ小さな屑星になる。
フォルカーはそれを見て息を呑んだ。
「そうか……、お前が音の主か」
「……………?」
鈴の音がこの雫に合わせるように鳴っていることに気がついたのだ。
ポルトはわけがわからない様子で見上げる。どうやら少女にはこの鈴の音は聞こえていないようだ。
「指輪の間に入った夜、お前に言ったよな?『指輪がお前のこと気に入った』って」
ポルトは声の出ない返事の代わりに小さく頷く。
「お前は指輪…リガルティンに認められた。ファールンでは代々、それを指輪の花嫁…『リガルティア』と呼んでいる」
「り…が…?」
「俺が聞いている話じゃ、リガルティアは次代の王を産むまで加護を受けるそうだ。その者が命を落とす一番の原因になるものに出くわしたとき、救済の合図を送るんだってさ。指輪を守るよう神から任命された守護者にな。お前が指輪に謁見してから……お前がここへ来てから、時々俺の頭の中に鈴のような音が聞こえるようになった。今こうしている間も。そう…つまり――……」
フォルカーは指先で涙を拭うと優しく表情をゆるませた。
「お前…俺がいないと死んじゃうのか?」
「っ……!」
激しい鼓動。
心の奥底にある自分の結晶を鷲掴みにされたような気分だった。
同時に喉が熱を持ち、嗚咽が勝手に出てくるようになった。
「………ぁ………」
何日もとかしていないくしゃくしゃな髪を大きな手が何度も撫でる。
清水が喉の奥をすっと通り胸に染みたような気がした。
言葉になって震える空気に涙がまたこぼれた。
――嬉しかった。
理由はわからない。ただとても…とても嬉しかった。
産まれて初めて見る陽の光のように眩しくて、きっと神様に迎えられる時はこんな感じなんじゃないかと思うほどに。
それは先を考えることで有耶無耶にしていた感情を、むき出しにされたかのよう。
この人の言葉は…時々憎らしいくらい真っ直ぐに、自分以上に自分を納得させるのだ。
「………っ、………っ……」
もう城に来る前の自分ではない。こんな感情…誰にも抱いたことはなかった。
気持ちが膨張して喉元から出ようとする。両手にかけられた錠の重みが理性となり、それを止めた。両者がせめぎあい、結局出てきたのは「ぁ…ぅ…」という赤子のような音だけだった。
「寂しかったよな……。ずっと俺の側にいたのに突然こんな所に閉じこめられて。……それでも一人で戦って来たんだもんな」
涙は優しい指先で何度も拭われた。冷え切った身体の中に久しぶりに生気が蘇った感覚がした。
「俺はお前が何者でも良い。目の前にいるお前を…俺は選んだんだからな。指輪もそうだ。だから心配するな。何も怖がるな。俺を信じろ。嘘だと思うなら、鍵をぶっ壊して今ここで抱いてやろうか?俺がどれだけお前を想っているか、皆に教えてやろう」
「……っ!?」
慌てて首を振る。フォルカーはそれを見て「それは残念」と笑った。
「ポチ」
涙をぬぐうそのままの手で小さな顎を引き寄せると、鉄格子越に優しく口唇を重ねる。
指輪の間で時と同じ彼の匂い、感触に大粒の涙がまた頬を伝う。
枯れた大地が水を欲するように身を乗り出した、が、その拍子に丸い額が鉄格子にぶつかる。ポルトは鈍痛に耐えつつ額を抑えて顔をしかめた。
「っ!」
「くく……っ、お前ってそういうとこ相変わらずだよな」
見上げると笑いを堪えてるフォルカー。反論をする代わりに、頬をふくらませて視線を反らせた。
フォルカーは満足そうな笑顔を浮かべる。金色の瞳が穏やかに閉じた。
殺風景な場所ではあったが、久しぶりに訪れた二人だけの穏やかな時間だった。
しかし、それは長くは続かず……出入り口から固い革靴の音が複数近づいてくる。
「来たか……」
通路の奥に目をやると先ほどの衛兵と仲間、その他に体つきの良い男が一人現れる。年齢は四十を越えた頃だろうか?革のベストは庶民のよく着るそれとあまり変わりがないようにも見える。しかし、持っている麻袋は黒く汚れていていびつに歪んでいる。何が入っているのかはわからないが、その目的は明白だった。
「殿下、そろそろ……」
奥から出てきた衛兵が申し訳なさそうに声を震わせる。フォルカーは黙って立ち上がり上着の裾についた土埃を払った。
衛兵は恭しく一礼し、鍵の束からひとつを選ぶと鍵穴に差し込み、錠を開けた。
刹那、鉄格子に向かってフォルカーの豪脚がぶつけられる。
盛大な金属音が石壁に反響し、その場にいた全ての家臣達の動きが止まった。
その視線を一身に浴びながら、これ以上は無い程ド偉そうに腕を組むと下々にガンを飛ばす。
「これはファールン国王家に迎えるべき者として、聖神具が認めた正当なる我が花嫁である!傷ひとつでもつけることは指輪が主、主神リュトレーギンの意志に刃向かったとして、無慈悲且つ厳重なる処分を与えられるだろう!現世ならず死後も、黒き神の世界で一族共々未来永劫蹂躙されるものと心得よッッッ!!!」
「「「「………………」」」」
目を丸くする彼らに向かって覇気と共に飛ばされる怒号。
訳すと『俺の嫁に指一本でも触れたら、テメーら一族一人残らず全力で地獄に叩き落とす』である。
荒れ狂う雷のようなフォルカーの目に場の空気が震える。
「し・しかし…殿下、恐れながら本日の件はすでに正式な手続きにてすでに決定されており……」
勇気ある衛兵の一人が日陰からそっと顔を上げる。
「それより先に神様がコイツに手ェ出すなって決めてっから。もうコレ変更不可だから。陛下でも無理だから。ホントまじで」
「あ…いや…しかし……」
「おいおいおい、よぉく考えてみろって。お前らだって、何かあったら神様にお祈りするんだろ?死にそうな時、大事な家族が危ない時に『助けて下さい』ってさ?これからやることがその神様に唾吐きかけるってことだってわかってんの?」
メンチをきられるように王子ににじり寄られる衛兵。上へ下へ右へ左へと逃げる視線は、無理やり合わせられる。なんともわかりやすい悪意と殺意だ。
「多少辛いことがあってもさ、生きてる方が良いって思うじゃん?でもさ、生きてる間、俺がソレ許すと思う?思わないよな?自分の嫁が拷問されるっつーのに「頑張れ❤」なんて言うと思う?「死ね❤」って思うよなぁ?テメェこそ死んだほうがマシって思えるくらい身も心も再起不能になれって思うだろ?それが思うだけじゃなく出来ちゃうんだなぁ~。だって俺様、王子だから❤」
「え…ぃあ…あの……で・でん…か……」
「あー、でも、死んでも神様に蹂躙されるのに、冥府に行っても仕方ないか?どうしようかなぁ??マゾになるしかないかなー?お前は最高のマゾ野郎になっちゃうのかなー?もういっそ、手っ取り早くお前らが拷問されて、俺の機嫌を取れば全ては丸く収まるかなぁ?丁度二人いることだしぃ……」
私は床…とばかりに気配を押し殺していた男二人の前に立つ。その影に肩がすくみ、強張らせながら二つの視線が彼を見上げた。
「今日、いい道具持ってきてるんだろ?」
「「えぇ……っ!?」」
「おめーら、今からやりあえ。生き残った一人を報告用に生かしておいてやる」
「「「!!??」」」
微笑むフォルカーの目には驚くほど光がない。
何故王太子を牢に近づけてはいけないか、それを身をもって知った衛兵の目にはじわりと涙がにじみ、震える手から鍵がカツーンと落ちた。
「はい、そこまでーーーッ!皆さん!!通常業務に戻って下さいッッッ!!」
「ほーらポチ、コイツらがここで自滅する様を特等席で見られるぞー❤そしたら部屋に帰って二人で美味しいもの食おうぜー❤」
「そのご飯は全ッ然美味しくないやつですッ!あのっ、衛兵さん!鍵落ちましたよっ」
ポルトの声にはっと我に返った衛兵が慌てて鍵を拾う。急に腰が低くなり、ぺこぺこと頭を下げながら牢の扉を開けた。その様子を獲物を狙う目でフォルカーが追っている。
「……ひ…ひ・姫……っ、さ…さぁこ・こち・こちらへ……っ。あっ……腕に錠などかけてしまい、大変申し訳ありませんっ。すぐ外しますので……っ」
「いえ…その…、全然姫ってわけではなくて……。まさかこんなことになるなんて………その…本当にごめんなさい………」
「け・け・け・決して…っそのようなこと……っ!も・勿体ないお言葉…で・で…っっ」
「わ・私ちゃんと見てました…!み・皆さんはちゃんとお仕事してました……!殿下に怒られるようなこととか、神様に怒られるようなこととか、何もなかったです……!」
「「ありがてぇ……!」」
衛兵達の素直な気持ちが漏れ出す。
一方ポルトは自由になった両腕をさすりながら錠の開けられた扉をくぐる。様子をうかがうように横目でフォルカーを見た。
エメラルド色の瞳、端正な顔立ちには怒りではなく苦悶の表情が浮かんでいた。
きっと彼も、自分と同じ不安な夜を過ごしてくれていたのだ。こんな…自分のために。
「……っ」
足は自然と動いていた。大きく踏み出された一歩で彼の懐に飛び込む。そして金糸の刺繍が入った上着を掴むと小さな身体を思い切り伸ばした。
頬に強く押しつけられた口唇はすぐ離されたが、瞳のすぐ近くに映ったお互いの顔が空気を変える。
彼の耳元で、ポルトは彼だけに聞こえるように囁いた。
「――……暗殺事件の実行犯は複数いると言われていますが……きっとお一人です。他にいるのは、その方に命令をした首謀者くらい」
「……!?」
「組織的なものでは無いでしょう。人数はきっと…みなさんが思っているよりも少ないかと……。何らかの事情で自由に動けない、表立っていられない人がきっと首謀者です」
「――……なんでお前そんなこと知って……」
「突き止めて下さい。そうすれば…これ以上犠牲者は出ない。私に出来るのは…ここまでです」
ずっとカールトンの後ろを追いかけて、言葉を交わして気がついた。彼は誰も必要とせず信じることもしない。誰かと共謀するなら、こんなに時間のかかる仕事など引き受けない。
実際に行動している所を目にして、戦ってみてわかった。カールトンがその気になれば人一人くらい簡単に殺せる。彼がこの城で仏頂面を続けていたのは、本業をさぼっていたからではなく、恐らく何らかの事情で止められていたのだろう。それが出来るのは彼を雇った依頼者本人のみだ。
ウルリヒ王の死は願っている、しかしそれが今では困る人物……。そこまでは考えたものの、ポルトには見当がつかない。
内容を考えれば庶民が持てる財産で払える依頼料では済まない。きっと自分は首謀者にはたどり着けない。……だから、王子に託す。
動揺が隠せないフォルカーの頬を指の背でそっと触れた。
「なんて顔を……。どうか心配しないで」
「安穏と茶でもすすってろとでも言うのか?阿呆…!」
その言葉に、ポルトがふと安堵の表情を見せる。
「私は大丈夫。貴方が来てくれたから」
「……っ」
二つの腕が包み込むように少女を捕まえようとする。
それをするりと避け衛兵達の前に立つと、「行ってきます」と白い手を振った。




